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時刻88 食人花フロルミレーネ

「食人花フロルミレーネ……! どうしたのシスティア! 早く助けないと、あいつ喰われるわ!」

「分かってる! だけど、トキヤ君なら」


 あれくらいの窮地、はねのける。こんなところでやられるほど今の彼は弱くはないはず。

 システィアがそう信じれば、トキヤは応えるかのように体を折り、足を縛り付けている蔦を断ち切った。

 落ちる視界の中で、トキヤは太い木の枝に左手を向ける。


「いっけっ! うぉ――」


 空を切り、打ち出されたショットアンカー。瞬時に木へと体が引き寄せられ、今にも捕らえようとしていたフロルミレーネの両腕がトキヤのマントを掠めるだけに留まる。


「……! すごっ……あいつ、躱したわよ!」

「やった……!」


 ディーナが褒め、システィアが心の中でガッツポーズをしたのも束の間、勢い余ったトキヤの体はドカーンと木に激突していた。


「ぐはっ! ぅ……く、痛ってぇ……」

「ちょっ、そんなことやってる場合か! 早く起き上がんなさい!」

「いちいちうるせぇ! まだ使い方に慣れてねぇんだよ! ――うわっと」


 捕まえたと思ったのに……。

 そう言わんばかりにフロルミレーネが手のひらをグーパーすると周りの蔦が反応し、トキヤに多方向から襲いかかった。

 一本目を紙一重で避け、切り落とせば、続く二、四、六、八も踊るようなナイフ捌きで刻んでいく。


「多方向からの攻撃! なるほど、なっ! イザベラさんの修行は伊達じゃなかったってわけか!」


 十数本切ったところでトキヤが攻勢に移った。

 攻撃の奔流、前に進みながら凌ぐのはその場で応戦するよりも難度が飛躍的に上昇する。

 しかしトキヤは頬に、マントに蔦を掠らせながらもフロルミレーネへと徐々に間合いを詰めていった。


「嘘……でしょ。あいつ本当にランクE? この前見たときとは明らかに別人じゃない」


 驚きを隠せないディーナ。

 たかだかランクEだったはずの男がフロルミレーネ相手に優勢を取っている。こんなことは普通あり得ない、と。

 一段と踏み込んだトキヤの足。そこはもう短剣の間合い。


「けれど――イザベラさんの攻撃に比べれば、屁でもねぇ!」


 黒色の刃がギラリと光り、花びらの下部に位置する子房(しぼう)へ突き入れられる短剣。

 上がる悲鳴にトキヤは顔をしかめながら持ち手を回すと、跳躍しながら上へと引き裂いた。


「うぉぉぉおおぉぉっ!」


 油断はない、隙すらも作らない。相手はランクBだ、格上だ。

 飛び上がったトキヤは花びらの上に乗ると、女性を模したその姿を前に刃を止めた。

 ヒタリと喉元に当てた短剣。もうフロルミレーネの命はトキヤが握っている。


「トドメよ! 何やってんの!」

「トキヤ君、まさか……」


 人型を相手に、トキヤの手がこれ以上動かない。


『ミーティスを殺しなさい』


 イザベラの言葉が脳内を駆け巡る。トキヤにはミーティスを殺せなかった。されど、あれはあれで正解だったはず。

 しかし、この行動が致命的な甘さだとしたら。


 ――捕まえた。


 無邪気に笑う少女のように、フロルミレーネがトキヤを抱きしめる。


「やっべ――」


 絡みつくその腕と体には人の温かみはなく、感じるのは這い寄る死の冷たさ。

 背骨がキリキリ軋むくらいに締め上げる力は、もはや細腕とは思えない。もう絶対に逃がさないと言わんばかり、情熱的に。

 もうダメだ。システィアが剣を抜いた瞬間、フロルミレーネの右半身に小規模の爆発が起きた。

 その衝撃は抱いた腕を緩ませるには充分で、僅かにできた隙にトキヤは地面へとずり落ちることに成功する。


「ディーナ⁉」

「ふ、ふん! まだシスティアの出る幕じゃないでしょ! それにアタシは手を出さないって言った覚えはないし!」


 自分は最終手段としてしか動くことはできない。そんなもどかしさを覚えるシスティアだったが、ディーナのその言葉を聞いて少し微笑みを浮かべた。

 システィアの手を借りずにクリアする。それが彼女の出した条件。けれども、むざむざ死なせるため、トキヤにこの討伐を依頼したわけじゃない。

 ディーナは顔を怒りに染め、トキヤのマントを掴むと無理矢理に引き起こした。


「アンタ、死ぬつもり⁉ 殺意満々の敵を目の前に同情でもした⁉」

(わり)ぃ……人を殺すの、慣れてねぇんだ……」


 トキヤの言葉にシスティアの顔が歪み、同時にディーナも一瞬だけ目を伏せたが怒りは治まらない。


「確かにあいつの見かけは人、だけどそれは捕食対象の人間を油断させるためのもの! 人はそう簡単に人を殺せるようにはならない! そこにつけ込んでる魔物なの! 倒さないと被害は増えるわ! アンタだってそんな相手に手を止めればどうなるかなんて今ので――」

「分かってる! 分かってるさ、躊躇すればどうなるかってことくらい……。自分が憎いほど分かってる! だから」


 何度も見たんだ。幻想(ゆめ)の中でも、現実(ここ)でも。


 だから――次は迷わない。もう迷わねぇ。


 マントを掴んでいるディーナの手を振りほどくと、トキヤはもう一度その手に短剣を構えた。


「トキヤ君……戦える?」

「ああ。……ごめんな、無様な戦い方見せて。手を出したくて仕方なくなるだろ?」

「ううん、私はトキヤ君を信じてるから。……とは言っても、さっきはホントに危なくて手が出そうになっちゃったけどね」


 テヘッと笑うシスティア。自分も彼女と同じ立場に立てば、それどころじゃなくなるとトキヤも同じように笑う。


「ディーナ、さっきはマジで助かった。ちゃんと合格できるかは分からねぇけどやってみる」

「……ふん、援護くらいはしてあげるわ」


 腕を組んでそっぽ向くディーナにトキヤは笑うと、よろよろと巨体が起き上がるのが見えた。

 だらんと背中側に体を反らした女性を模したもの。恐らく、雌しべに位置するあそこが弱点だろうか。

 ガクンと前に倒れるように雌しべが動き、むくりと顔を上げる。


「グゲゴギガゲゴガギィィィィーーーーーー!」


 耳をつんざくほどの金切り声。そのおぞましい咆哮に三人は耳を塞ぐと、十、二十、いや、もっと。これまでとは比にならない数の触手が飛んできた。


「くっ!」


 トキヤは辛うじて自分に向かってくる蔦を切り落とすことに成功するが、直後に後ろから悲鳴が上がる。


「あうっ! く……シ、システィア⁉」

「っ――きゃあああぁぁああぁっ!」

「システィ! そんな!」


 トキヤが振り返った時には、既にシスティアの腰に幾多もの蔦が絡みつき、その体は勢いよく吊り上げられていた。

 押されたかのように側で倒れているディーナの姿を見て、何があったのかすぐに悟る。

 迂闊だった。自分だけが狙われていると勘違いし、後方の二人を蔑ろにしていた。

 結果、システィアが身を挺してディーナを守り、捕らえられてしまっている。

 これが仮にディーナの出した課題通り、システィアが本当に手を貸さず、この場にいなかったらどうなっていた? 宙吊りにされていたのはディーナだ。それを無事に助けられる保証はどこにもない。仮に一人だったとしたら? きっと躊躇した時に死んでいる。

 無意識の中で『システィがいるから』と甘えていたのだ。

 守ることがどれほど難しいか、これでもかと言うほどに思い知らされる。苦虫を噛みつぶしたかのようなその表情が、トキヤの悔しさを醸し出していた。


「待ってろシスティ! 今――」


 確かにそれは心配しているからこそ来る言葉だろう。けれども、無意識的にまた『システィがいるから』と安堵しようとしているんじゃないか? また守ることを蔑ろにしようとしていないか?

 そして――またこんなはずじゃなかったとでも言うつもりか?


「トキヤ君、私のことは後でいい! 今はフロルミレーネに集中して!」


 その言葉と同時に、またしてもディーナに飛びかかる蔦。我に返ったトキヤはディーナの前へ出るとそれらを断ち切った。


「ト、トキヤ……。……ごめん、大口叩いてたくせに、アタシあんな簡単に……。システィアを巻き込んで、とんでもないくらいの足手まといだわ……」

「違う! これは俺のせいだ! 俺がちゃんと守ってなかったからこうなった!」

「違うことない! アタシ、フロルミレーネの力を過信してた。アンタが隠してた力で確かに最初はいけると思ったけど、あれはきっと力量を確かめられただけ……」


 戦意を喪失しかけているディーナの顔。

 実際に二度目の怒濤とも言える攻撃は、捌くのだけで精一杯だった。守れる余裕がないほどに。

 それでも、一度は雌しべにまで届いた。なんとか掻い潜れば、もう一度そこに到達することも可能かもしれない。


「悔しいけど、今のアンタはアタシより強い。足手まといなんかがいればシスティアすら助けられなくなる――わっ!」


 飛んでくる触手をディーナが炎で薙ぎ払う。しかし、それだけでは全ての活動を止めることができず、またしてもトキヤが斬り払うことになった。


「ほら……ね? アタシを守りながらあいつを倒すなんて無理よ。けど、足手まといでも少しくらいなら時間を稼げるわ。だからその間にシスティアを助けて、彼女の力を借りてフロルミレーネを倒すのが一番じゃない?」


 確かにシスティアが自由の身になり、一緒に戦ってくれるなら頼もしい戦力だろう。けれども、見上げればシスティアは首を横に振っている。囮にするなんてあり得ないと、トキヤも同じ気持ちだ。


「要件はそれだけか? だったら答えはノーだ。俺はあいつを倒すって決めた。ディーナを囮になんてさせず、システィも助ける。倒せば、それが可能だからな」

「は……? アンタ正気⁉ それが無茶だから言ってるんでしょ⁉ アンタ、さっきですら限界だったじゃない!」

「……もう攻撃は通さねぇ。囮だとかチャラチャラ口に出すような奴の作戦を呑めるほど、俺は利口じゃねぇんだよ」

「でも! だって……」


 それに依頼は俺の手での討伐だったはず。そう付け加えると、トキヤは臨戦態勢に移った。


「だって、そうでもしないと――うっ!」


 ぐらり、よろめきそうになるほどの奇声。ディーナが両耳を押さえると、トキヤはその瞬間から地面を蹴った。

 来る、もうやるしかない。せめて、何もしない足手まといにはならないように、とディーナは両手を前へ向ける。

 放たれたおびただしい数の触手。その数量を見るだけで戦意が薄れ、顔に絶望が張り付いていく。

 赤いマントが目の前に飛び出し、相対する。

 それでもダメだ、絶対に捌ききれない。

 この数はさっきも見た。彼も捌くので限界だった。そして、守ってくれた代わりにシスティアが吊られてしまった。


 ――ごめん、ジョッシュ。アタシ……ジョッシュの妹を犠牲に。


 けれども、そんなディーナの絶望を目の前にいた男は、その手に持つ短剣一本で斬り開いて見せた。


「え……?」


 向かってくる数十本という数の蔦を、トキヤは荒々しくも落としていく。

 一騎当千とはまさにこのこと。

 その姿を見て、戦意を取り戻したディーナの元には対応できる最低限の数しか飛んでこず、楽に焼き払っていける。


「すごい……すごい、トキヤ! アンタ、本当に――」


 一度目とは比べものにならない程の量なのに、同じ二度目の時ですら他のことに手を回している余裕はなかったはずなのに。トキヤの体はフロルミレーネへとぐんぐん進んでいく。その獅子奮迅振りにはシスティアすらも驚いていた。


「私の想像なんて、軽く越えていっちゃうくらい強くなっていくんだから……君は」


 本当に終わらせられるかもしれない。

 フロルミレーネのすぐ側まで来たトキヤが跳躍する。もはや触手はディーナを狙うことをやめ、飛びかかってくるトキヤのみに集中していた。

 しかし、それすらもう意味を成さない。トキヤは決めたのだ、躊躇しないと。


「終わりだ! フロルミレーネ!」


 上空からの首狩り一閃。交差するようにトキヤが女性の体を模した雌しべの後ろに着地する。

 短剣を伝った確かな衝撃。斬った、確かに斬った。人の首を飛ばしたと思しき感触が手に残る。

 切り離された胴体と、舞う首から緑色の液体が噴出する。完全に喉元から掻き切った。

 ぐらりと地面。巨大な花を持つ巨体がくずれるように揺れると、トキヤはディーナの少し前へと着地した。

 大きな音を立てて倒れゆくフロルミレーネ。同時にディーナも同じようにゆっくりとへたり込んでしまった。


「うそ……ホントに? やったの? やった? やった!」


 そのままの状態で両手を振り上げ、大喜びするディーナ。

 けれども、トキヤはその喜びとは正反対かのように目を瞑ったまま。これで終わってくれと心から祈るように。


「トキヤ君!」


 途端、ヒュッとディーナを狙った蔦をトキヤが掴む。

 今までとは毛色の違う、先端の尖った固い蔦。それはとても鋭利で、簡単な鉄板くらいなら易々と貫くほどの。


「っ……やっぱり」

「ト、トキヤ……」

「悪ぃ、ディーナ。攻撃は通さねぇって言ったのに結局手を借りちまった。でも、この攻撃だけは通さなくて本当に良かった」


 やべぇ、やべぇな。魔物が首を飛ばしたところで死なねぇのは、ヘッドレス・クロウで織り込み済みだったけど――とトキヤが顔色を悪くし呟いた。

 首無しのフロルミレーネがその巨体を動かしていく。トキヤを掴み損ねたときと同じように、手を開いては閉じて、開いては閉じて。不気味に力なく、まるで黄泉の国へと誘うかの如く。

 突如、トキヤの体がぐらっと倒れ、地面に膝をついた。

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