時刻86 多方向からの攻撃
0日目は明らかに力が足りていなかった。常にジョシュアを相手取っているかのように触れることすら許されず、隙あらば強烈な蹴りや拳を叩きつけられ、幾度となく地面に転がされる。
悠長に寝ていれば追い打ちは免れない。大して手加減もしてくれていないのか、魔法障壁越しでも痛みはダイレクトに伝わってきた。もし気絶でもして魔法障壁が意味を成さなくなれば、死は躊躇なくトキヤを襲っただろう。
その他にもイザベラは生かさず殺さずという恐怖をトキヤに植え付けた。それは自分が死なないように、相手を殺す術としてトキヤに備わっていく。
幸いなのはトキノが水魔法を使えたということ、傷の回復だけは不自由しなかった。
そして成果は、早くもその昼に訪れる。
緊急依頼の中からシスティアが受けたのはランクD。討伐対象は違うが、先日のブラックハウンド討伐と同ランクのもの。街を出て、討伐対象を探している道中。先日に引き続き、トキヤたちはその相手と再びまみえることになる。
……あれほど手こずっていたのに。かの黒犬を、いとも簡単に斬り伏せられるようになっていることをトキヤは驚いた。けれども、前回は緊急依頼で数が多く、それゆえのD。数匹相手ならばランクE程度にしか満たないもの。だが、それだけでは終わらなかった。
トキヤは今回の討伐対象だったランクDの魔物すらも軽々打ち倒し、それはもはや敵と呼ぶには烏滸がましいものへと成り下がっていた。
「すごーい! すごいよ、トキヤ君! 一体どうしちゃったの⁉」
喜んでくれているシスティアをよそ目に、トキヤはギルドカードを空で切ると、霧を回収していく。
「俺は……こんな奴らにすら躓いていたのか……」
「え?」
「いや。システィ、俺、ちゃんと強くなってるよな」
「う、うん……びっくりするくらいに」
「そっか、それならいいんだ」
最低限の会話しかしない。一回目の深夜を温情として0日目にしてもらっているのだ。今日の深夜で一日目、明日で二日目だ。
タイムリミットは明後日の夜。それまでにディーナの依頼をこなさなければ、ランクBに届いたとは見なされない。ゆえに焦りは隠せない。ランクDなんかで燻っていられないのだ。
「システィ、明日はCを受けてくれ」
「えっ、でも……。そんなに急がなくても、ゆっくりでいいんだよ?」
「悠長にしてるわけにはいかねぇんだ。まだ時間はあるだろ? 今日でもいい、今から戻ってランクCの依頼を」
「待って、待ってよトキヤ君。一体どうしたの? ちょっと……怖いよ」
トキヤを見る目が怯えている。どんなにトキヤが手を伸ばそうと、届かないほど強いはずなのに。
「なんだよ、俺が強くなるのがシスティは怖いのか?」
「そうじゃない! そうじゃないよ……ただ……」
システィアから見て、トキヤは不可解なほど強くなっている。恐らく、ランクCの依頼もいけるんじゃないかというほどに強く。
しかし、昨日と今日でこれほどの変わりよう。その強さはまるで生き急いでいるように見えて、システィアには不安だった。
「ただ……なんだよ」
「……ううん。分かった……昨日、トキヤ君のお願い突っぱねちゃったから、明日はCを受けるよ。でも、今日はダメ。怪我したりしてるかもしれないし、なんだかトキヤ君の顔色が悪く見えるの。大丈夫? もしかして昨日ミーティスと何かあった?」
「……なんにもないよ。ただ、そうだな……ちょっと体調が悪いのかもしれねぇ、帰って寝るのもいいかもな」
「うん、そうしよう! ほらほら、早く!」
「あ、ああ」
システィアに手を引かれ、製錬街へと戻る二人。
そして、その日の深夜。実質的な一日目となる修行だが、イザベラとの距離は変わらない。違うのは、体術ではなく完全に刃物で攻撃を仕掛けてくること。
「私にうっかり手を滑らせたら、死ぬわよ」
うっかりなんてものじゃない。隙を見せれば、的確に肉を抉る一撃を受けることになる。トキヤの少ない魔力では、刃物に対する魔法障壁なんて何の意味すらもたない。
「がはっ! ぎゃ、あぁぁぁああぁぁぁっ!」
「ここでは誰にも声は届かないわ。ほらほら、刃先がズブズブ体に入っていく。抵抗しなくちゃ左腕が切り離されるわよ」
「ひぃっ! イ、イ、イザベラさん! それ以上は本当にダメですって! 本当にトキヤ君、死んじゃいますから!」
こんなことされるのは弱いから、やられたくないのなら早く強くなりなさい。と倒れたトキヤの左肩から短剣を引き抜くと、トキノがすぐに回復に入る。
「あぁ、酷い……。こんなメチャクチャなことないって」
「ぐ……う……すまねぇ……トキノ……」
「はぁ……ほんと、君もバカだねぇ。治ってもまーた斬られに行くんでしょ? 魔法なんか使われたら、回復もできなくなるから気をつけてね?」
イザベラさんもー! と付け加えるが、イザベラは知らぬ存ぜぬと言った具合に両肩を上げていた。
痛みは力になる。これだけは食らってはいけないという攻撃に初めて気づくことだってあるのだ。
二日目の昼、約束していたランクCの依頼も成功に終わる。少々手こずりはしたが、イザベラとの修行の成果で手痛い攻撃は受けなかった。
リーザから報酬をもらうと、いつものように宿へ。
トキヤは部屋に戻ろうとするシスティアに声をかけた。
「システィ、明日はランクBの……ディーナの依頼を受けたい」
「…………」
「システィ?」
ドアノブを握ったまま、俯くシスティア。啖呵を切るように、トキヤへ言葉を吹きかけた。
「バカなこと言わないで。ランクBなんて受けないから」
「なんで? なんでだ⁉ ここまで来たんだぞ、頼むから頷いてくれよ」
「トキノから聞いたわ、イザベラに鍛錬をつけてもらってるんだってね」
トキヤが二階からエントランスを見下ろすと、トキノはあちゃーと顔を困らせていた。
「なんだよ……システィに稽古をつけてもらわなかったからって怒ってるのか?」
「っ……違うわよ! イザベラに教えを乞うて強くなる分にはいい。けど、その強くなるやり方が問題なの! だってトキヤ君、まるで何かに追われてるみたい……不安を感じないわけがないでしょ⁉」
「…………それは」
自分を追い込んで、躍起にさせることは確かにいいことではある。だが、その代償は――
「ま、頑張った方だとは思うけど、今のままではトキヤにランクBは届かないでしょうね」
「イザベラ……!」
いつの間にか階下にいたイザベラ。今にも殴りかかりそうなくらいにシスティアは激昂している。
「トキヤが契約して、トキヤが教えを乞うたのよ。師匠と弟子の間に割って入るほどフローレンス家は無粋なのかしら?」
「トキヤ君にあまりにも不利すぎる契約は認めない! トキノ! イザベラとトキヤ君はどんな契約を交わしたの⁉」
「えっ、えぇ? あ、いや、えーっと……私それ知らないんですよね。回復を任されてただけで」
途端、玄関が開かれ、ゴシックブーツを床で鳴らしミーティスが帰還する。
「……イザベラはトキヤの目が欲しいって言ってた」
ミーティスのその言葉にゾッとしたシスティアは、わなわなと震えながらトキヤの方を振り向いた。
「トキヤ君……ほんとなの?」
「……本当だよ。二日でランクBに届くようにしてくれって……頼んだ」
観念するようにトキヤが言葉を絞り出すと、へなへなとシスティアはその場に座り込んでしまう。
「…………イザベラ、トキヤ君の契約を白紙に戻して。ゼルならいくらでも払うから」
「何言ってんだシスティ! そんなの――」
「そうよ。何言ってるのシスティア。ゼルでは時間を買えないわ。トキヤの目も、同じくゼルでは買えないでしょ?」
ギリリッとシスティアが歯を軋ませる。それでも至って平静、冷静だと、水面下に怒りを落とし込み、今度は命令口調で語った。
「二度は言わないわ。契約を白紙に戻しなさい」
「嫌よ」
無機質な返答。システィアは白銀の鞘から剣を引き抜くと、二階から飛び降りるため手すりに手を掛けた。
だが、すんでのところでトキヤが止める。
「ごめん……全部、俺のせいだ……。俺が強くなりたいと願って、俺が引き起こした」
「トキヤ……君。っ……そうだよ! 強くなるのなんて、ゆっくりでも良かったのに! ディーナのことなら私が説得したのに! こんな無茶な契約までして強くなろうだなんて……!」
いつの間にかイザベラの手にも黒い短剣が握られている。
かの炎星姫と一戦交えられるかと思っていたのに――。イザベラはシスティアが止められたことで興醒めすると、短剣をスリットの奥へ戻し、エントランスのソファへ腰を掛けた。
「……けれど、弟子を取ると愛着が湧くというのは本当ね。トキヤも可愛く思えるし、同じ時間を共にしたこのおバカも、この子も……気づけば好きになって」
「……?」
「ちょ、イザベラさん。キモいんですけど」
一言多いのよと、イザベラがトキノの額にデコピンをする。
そんな光景をトキヤとシスティアは見て、もしかしたらイザベラはそこまで悪い人じゃないのかもという感情を抱いた。
「システィア。とりあえず、どこまでトキヤがやれるのか信じてみたらどう? 契約している以上、私も力を尽くさないといけないわけだし」
「やっぱり、契約を破棄するつもりはないのね……」
「それが大人としてのマナーでしょう? 契約があるから、人は約束を無碍にできない」
前言撤回。たとえ正しいことを言っていたとしても、システィアはやはりイザベラを好きにはなれそうになかった。
「で、どうするの? 泣いても笑っても今夜が最後。もしシスティアが介入するなら、これ以上の面倒は見きれないわ」
イザベラは手を掲げ、自身の爪を眺めている。彼女にとってはもうどちらでもいいのだろう。
システィアが心配そうにトキヤを見上げる。
「トキヤ君はどうしたい……? ――なんて言っても、無駄なんだよね」
「システィ、俺は……」
このまま継続し、イザベラに教えを乞うてもディーナの依頼を完了できるかどうかは怪しい。今日のランクCだって手こずったのだ。
けれども、辞めてしまえばそこまで。目が抉られることは確定している。できなくても同じ。ならばもう選択の余地などなく端から決まっている。
「トキヤ君が逃げたいって言うなら、私――」
「ありがとう……。でも、待っててほしい。今できる限りのことを、俺はしたい……。俺が招いてしまったことで、システィに剣を振ってほしくない」
トキヤの決断。システィアは覚束ない足で一歩、二歩と後ろへ下がると、イザベラが声を上げた。
「話は決まったかしら?」
「ああ、システィには待っててもらう。予定通りで」
「ま、そうとしか言えないわよね」
解散よ。イザベラが続ければ、彼女を筆頭にトキノ、そしてミーティスもその場から散っていく。
二階に残されたトキヤとシスティア。トキヤは無言で彼女の隣を通り過ぎようとすると、シャツの裾をキュッとつままれた。
「待ってるよ。帰ってくるの」
トキヤの背に、いなくなってしまったクレアたちの影を見るシスティア。
うっかり殺される可能性なんて大いにある。昨日も左腕を切り落とされそうになったのだ。けれども、それがトキヤを強くした。
「ああ、約束だ」
今日の深夜は今まで以上に危険が付きまとうことになるだろう。
トキヤは振り返り、システィアと小指を絡める。
「うん……約束」
これでもう帰ってこなければならなくなった。その契りが今、交わされたのだから。
そして、深夜――
「イザベラさんに……ミーティス? どうしてミーティスが?」
「今日はミーティスにも付き合ってもらおうかと思って」
月明かりが照らす草原で、ミーティスは草を毟るとじっと見つめて、また草を毟っている。
「大丈夫なんですか、もし魔物が現れたら――」
「そんなことより自分の心配をしたら? もう始まってるわ」
ひゅるるると音が聞こえた瞬間、トキヤの左肩に激痛が走る。
「ぐっ! くそ、なんだっ……⁉」
イザベラが左腕を正面に向けている。目をこらせば、そこから打ち出された紐と鋭利な刃がトキヤの肩と繋がっていた。
「おいで、トキヤ。今日も遊んであげるわ」
グッと体が引き寄せられる感覚。
やべぇ。そう思ったときには既に体が宙に浮いていた。イザベラから見て四十五度くらいの斜め上、否応なしに間合いが詰められる。
次の一撃を止めなければ、大ダメージは避けられない。もしくは――死。
イザベラが最短距離で短剣を突き入れてくる。それをトキヤは振り払おうと応戦するが、触れた短剣の感触はまるで無。トキヤの短剣は確かにイザベラの攻撃を捉えていたのに。
「何が起こったのか、多くの人は知らないまま死んだわ。けれど、トキヤは特別よ」
空を切った覚束ない感覚の後、頬に鋭利な痛みが走る。
勢い余った体はイザベラの後ろへと転がり、しゅるるるると音がすればトキヤの肩から刃が巻き取られ、カシャンと格納音が鳴った。
「がはっ! ぐっ……なんなんだ……一体」
見上げれば、イザベラの背がぼやけたように二重に見える。
「うふっ、闇魔法―幻影の舞―っていうの。そしてこっちは、短剣の間合いを補うこともできる暗器」
振り向きざまに左手の籠手を見せながら、血の付着した短剣をペロリと舐める二人のイザベラ。
中距離すらも間合いのうち、そして何らかの分身魔法。0日、一日目とは明らかに難易度が違う。
「魔法を使う以上、トキノを連れてこなかった理由はもう分かるわね。傷を負えば負うほど、不利になっていく。その中で私と影とこれの、多方向からの攻撃を死に物狂いで躱してみなさい。じゃないと」
――本当に目を抉るわ。
身震い、それは背に氷水を流し込まれたかのように。
イザベラは短剣を投げるとトキヤの足下からドロリと現れた影がそれを掴み、頭上から振り下ろした。
――キィィィィィン。
「あっっっぶねぇ……!」
「うふふ、よくできました。……いい目ね。好きよ、とても」
それが愛の告白ならどれだけよかったことか。
寒々しさすら感じるイザベラの囁き。こうしてトキヤの最終試練が始まった。




