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時刻85 闇の中の修行

 蔦に足を取られ、大きく開かれた口へ今にも放り込まれそうになるトキヤ。それを誰もが(わら)いながら見ている。

 街に現れた食人花、トキヤはそれと戦い、不覚にも動けなくなっていた。


「た、助け――」


 か細い声で求めても、人々はただ嘲笑うだけ。誰も助けようとはしない。

 その中で一瞬の閃光が走る。それは瞬く間にトキヤの足を掴んでいた蔦を切り落としていた。


「トキヤ君、無事⁉」

「シ、システィ……ありが――」

「はい、これでアンタはシスティアの手を借りた」


 ディーナが残念そうに肩を竦める。同時にシスティアの体が食人花の蔓に覆われた。


「ひっ、トキヤ君! 助けて!」

「システィ! そんな……そんな!」


 立場が逆だ。トキヤの代わりに、今度はシスティアが巨大な口へと放り込まれそうになる。

 短剣を片手に無我夢中で飛び込むトキヤ。その『危険を顧みず』が、どれほどの悪手か。理解するのが少し遅かった。

 死角から現れた蔦がトキヤの足に絡みつき、後ろへと引っ張った。

 倒れる体。動けない、もう間に合わない。ただトキヤはシスティアに向かって手を伸ばすだけ。


「システィ! システィィィィィ!」

「トキヤ君! トキ――」


 肉と骨が砕ける音、巨大な口から鮮血が噴き出した。


「だから言いましたのに、ランクEの貴方では無理だと」

「システィアはアンタを助けて無駄死に。ジョッシュにどう説明つけるの」


 蹲ったトキヤの上から、冷ややかな瞳でリーザとディーナが見下ろす。


「俺は……俺は……。こんなことになるだなんて……」


 ひたり、ひたり。滴る水の音、血に染まった少女がトキヤの元に這い寄ってくる。そして蹲っていた背中に抱きつき、


「ひどいよ……トキヤ君。――今度は……こんなはずじゃなかった。か?」


 そう囁いた。


「っ……! ぐっ……う!」


 口元を押さえ、トキヤが飛び起きた。

 映る景色は暗く、自分がベッドの上にいることを認識する。


「はぁ……はぁ……夢、か……」


 嫌な夢だ、これ以上ないくらいに。そしてまたあの囁き声。


「何がそんなつもりじゃなかっただ、何がこんなはずじゃなかっただ……それを引き起こす可能性があったのは否めねぇじゃねぇか」


 額に手のひらを乗せ、自身を罵倒する。

 じっとりと浮かぶ汗、それほどまでに夢の中でも焦っていた。風に当たろうと窓枠に近寄ると、ふと誰かが走っていく姿が見える。

 金色の髪、小さな背丈。その姿にトキヤは慌てて声を掛けた。


「ミーティス⁉ ミーティス! クソ、なんでこの窓開かねぇんだ!」


 空はあまりにも暗い、時刻は深夜を回っていることだろう。安全な街中とはいえ、少女が出歩くには危険すぎる。


「イザベラさんやトキノは何をやって! おいどうする、どうする! おい!」


 部屋を左右に歩き回り慌てふためく。

 勝手な行動は慎むべきだ。けれども、今追わなければ確実にミーティスの足取りを失う。この街に来た日だって、そうだったのだから。


「ああぁぁっ! ごめんシスティ!」


 こんな深夜に異性の部屋を開けるなんてできるわけがない。起きてくるのを悠長に待っていられるほど、猶予もないのだ。

 短剣を腰に。最低限の装備を整えたトキヤは、微妙な明かりの付いたエントランスまで降りればすぐに夜の街へと繰り出す。

 肌に張り付く薄ら寒い空気。それを肺に取り込めば、途端に呼吸が苦しくなる。


「はぁ……はぁ……確かこっちへ」


 その焦りは、まるでミリアが攫われたときと同じような――けれども、今は誰もいない。完全な一人だ。

 不安に押し潰されそうな気持ちを押し殺し、それでもミーティスの姿を探し続ける。

 いない、いない。どこだ、どこにいる? 視線を果てしなく動かし、彼女が通ったはずの場所を、後ろ姿を探す。


「……! いた! ミーティス!」


 無情にもトキヤの声は届かない。ミーティスは恐れ気も無く、暗がりの路地裏へと入っていった。

 あの時と同じことが起きるんじゃないか。トキヤはその思考を必死に消し去るよう首を横に振ると、彼女が曲がったその道へと入る。


「っ……⁉ なんだ……このニオイは……」


 細い路地の先から、冷たい風に乗って流れてくる強い鉄の香り。その強烈な臭いにトキヤは顔をしかめた。

 この先には何かがある。そして、ミーティスがいるはず。一度は怖じ気で止めた足を、ゆっくりと一歩ずつ進ませていく。

 細い路地が更に細い路地へと繋がっているが、トキヤは目もくれない。目的の場所までは一直線だ。

 無音の中、自身の足音だけが響き、ようやく辿り着いたそこは――


「……! っな、ん……だよこれ……。こんなっ……こんな……っ!」


 袋小路に一面、おびただしいほどの血の海と、目を抉られた数体の死体が転がっている。

 あまりの恐怖にたたらを踏み、トキヤが後ずさりすると、


「ああ、見ちゃったのね」


 後ろから口を押さえられ、首に漆黒の短剣が突きつけられる。


「貴方は自分のナイフで自害しました。うふふ、ここで見たことを忘れるなら、生かしておいてあげてもいいけれど――」


 穏やかで、とても冷ややかな声。けれども、トキヤはその声に聞き覚えがあった。


「……トキヤ? なんでこんなところにいるのかしら」

「んーっ! んんーっ!」

「ああ、ごめんなさい。これじゃ喋れないわよね。けれど――」


 騒いだら殺すわ。本当よ?

 耳元で囁く声、心臓を氷のような冷たい手で鷲掴みにされた錯覚。

 トキヤはゆっくりと、そして何度もコクコク頷けば、ようやく口を解放される。


「イザ……ベラさん……一体なんで……」

「なんでって?」

「とぼけるんですか? この死体、どう考えてもイザベラさんが……」

「そうよ。だからなぁに?」

「何って……人を殺しておいて許されるはずが――」

「許されるのよ。私は」


 終わったわ。と一言、虚空に呟くと、顔を隠した数人がゾロゾロとこの路地に入ってきた。ビニール袋のような水分が漏れ出さない大袋を片手に、死体が詰め込まれていく。


「……ご苦労様、瞳抉りのイレーザ。……! トキヤさん⁉」

「! リ、リーザ?」


 最後に路地へと入ってきたのは、真っ黒なギルド服をその身に纏ったリーザ。

 厄介なことに、とリーザは顔をしかめるとイザベラに問いかける。


「……イレーザ、知り合いなの?」

「ええ、宿の泊まり客よ」

「そう……。トキヤさん、まさか裏の顔で会うことになるとは思いませんでした。どうやら説明が必要そうですわね」

「説明って……。なんでこんなこと……」

「ギルドの裏仕事なんです。勘違いしないで頂きたいのは、彼らは製錬街に潜伏していた犯罪集団なんですの。まだ公に賞金首としては出回っていませんが、今回その仕事を秘密裏にイレーザに請負ってもらったのですわ」


 人を殺す仕事、これが。目の当たりにした惨状を見て、トキヤは嫌悪感を抱く。


「危うく、一人多く殺してしまうところだったけどね」

「イレーザ。民間人に手を出すことは国営ギルドとして頂けません」


 危うく。それはトキヤのことを言っているのだろう。

 しかし、トキヤの耳に届いてすらいなかった。こんなにも人が死んでいるのに、イザベラはおろか、リーザも顔色一つ変えない。

 事情は分かった。けれども、あまりにショッキングな光景。同時にこれがナインズティアの裏事情であると気づく。獣や魔物だけではない、人も同じなのだ。


「トキヤさん。今日のことは夢だったとお忘れになるのをおすすめしますわ。それが貴方のためでもありますの」


 しばらくして死体の回収が終わると、回収班共々、それ以上の何も語らずリーザは去っていく。――あまり見られたくはなかったのだろう。

 イザベラと共に残されたトキヤ。口封じを行うならば、リーザが消えたこの瞬間に行われるはずだが、イザベラは何をする気もなさそうだった。


「……イザベラさん、瞳抉りのイレーザって」

「コードネーム、もしくは悪名よ。賞金稼ぎをしていればそういった名も付くわ。それよりトキヤ、どうして――」

 いえ……と続ければ、イザベラが口元を覆う。

「ミーティスね」

「! そうだ、ミーティスを探さないと」


 暗闇の影からふわりとスカートを翻し、金色の髪の少女が現れる。


「ミーティス! 探したんだぞ、無事でよか――」

「ミーティス、どういうつもりかしら? トキヤをこんなところに連れ出して」


 割り込まれる言葉。

 連れ出した。いや、連れ出されたわけじゃないはずだ。ただ深夜に出歩いたミーティスを追いかけ、トキヤが飛び出しただけ。


「イザベラの仕事、トキヤに見せた」


 しかし、ミーティスは否定せず、ここに来ればトキヤがイザベラの裏家業を見るのを確信していたかのように話す。


「なぜ? 私への嫌悪感以外、得られるものはないはずだけど」

「イザベラ、トキヤを強くしてほしい。トキヤ、強くなりたいって。ランクBの依頼を完了したいって」

「ミ、ミーティス……それは……」


 イザベラの肩が震える。そんなことのためにここに来たのかという怒りか、それとも――


「プッ、あははははははははは! 強くぅ? 強くなりたいって?」


 失笑。イザベラは腹を抱えるように笑う。

 トキヤは短剣を投げ返されると、ワンテンポ遅れ目の前にイザベラが現れ、頭から真っ二つに叩き切るような剣閃が走った。

 ギリギリと短剣同士が火花を散らす。反応が一瞬でも遅れていたら文字通り真っ二つだった。

 目を大きく見開いたイザベラの顔はまるで悪魔のようで、口角をあげた口元は天使の微笑みにも見える。


「目が怯えてるわ、それは強くなれない目よ。けれど、あるんでしょ?」


 ヒトをコロしたことを。

 呟かれるセリフ。トキヤの表情が明らかに変わり、イザベラは歓声を上げた。


「やっぱり! うふっ! あはははは! 人を殺しておいて、濁っていない目は珍しいわ! とても、とても甘い世界で生きてきたのね!」

「なんで……! 俺は、何も言ってないのに」

「目はね、口ほどに物を言うの。死んでも、尚ね」


 突き飛ばされるようにトキヤは胸を押されると、イザベラは手の内でクルクルと短剣を回し、艶やかな腿に格納した。


「うふふ、一撃を止めたことに関しては褒めてあげる。けど、甘さを捨てきれないなら、どこまで行っても強くなんてなれないわ」


 無慈悲に叩きつけられる言葉。褒めてくれてはいるが、最初の一撃でさえ殺すつもりすらなかったのだろう。

 また遠い距離を見せつけられる。その分、怒りがこみ上げてくる。

 自分への、トキヤ自身の怒りが。


「イザベラさん、俺を鍛えてください……」

「聞こえなかったの? トキヤじゃ――」

「俺は今すぐ強くならなくちゃいけないんだ! 少なくともランクBの、あの依頼をこなせるくらいには! すぐに!」


 イザベラを貫く、力強い意思を秘めた瞳。

 彼女は少しだけ驚いた表情を見せると、トキヤは続けた。


「一週間……いや長すぎる。三日、二日でもいい! イザベラさん、せめてランクBを受けられるくらいにして欲しい! そのためにはなんだってする! どんなに辛い修行だって受ける! 頼む、俺に力を! 強く……! 強く、してください……」


 土下座をするように懇願するトキヤ。イザベラはミーティスの方を見ると、彼女もじっとイザベラを見ていた。


「ミーティスがここまで執心するのも珍しいし、そこまで懇願するのなら、二日でランクBの依頼がこなせるくらいには鍛えてあげてもいいわ」

「本当ですか⁉」


 ガバっと立ち上がるトキヤ。その顔にはこれ以上ないほどの希望が灯っている。

 それをどうへし折ろうか。イザベラは聖母のような顔で微笑んだ。


「ええ、けれど無償ってわけじゃない」


 トキヤの目の前にいたイザベラがフッと消え、ドンと背に柔らかな何かがのしかかる。


「二日でトキヤがその域に辿り着けなかったら、目を抉らせて? その不思議と澄んだ目のうちに」


 私の貴重な時間を使うのだから、それくらいは受け入れてもらわないと。

 耳元でざわついた声には、本気としか受け取れないものをトキヤは感じ取った。

 瞳抉りのイレーザと呼ばれる理由。その貼り付けた笑顔の裏側には、自身の欲求を満たす何かが存在しているのだろう。


「私は焦らされるのが得意ではないの。今すぐ答えをもらわないと嫌よ」


 イザベラが事を急かす。トキヤは目を閉じ、今一度考えた。

 彼女は暗殺者(アサシン)だ、それも凄腕の。そして、トキヤが今必要としている短剣術に精通もしているだろう。

 強くなるために代償は不可欠だ。今まではその代償がなく、緩やかにレベルアップしていただけ。急を要するときが来たのだ。最終的にランクBのあの依頼を終わらせられるほど強くなれば、イザベラに瞳を抉られることはない。

 だが、本当に信用できるのか? 手を抜かないと本当に信じられるのか?


 ――『歩み寄ろうぜ』。そういったのは俺だったはず。強くなるには信じるしかないんだ。こっちには目が掛かってる。死に物狂いで強くなって、イザベラさんが手を抜けないように俺が食いつけばいいだけ。


「……頼む。その結果、俺が至れなかったら目を抉ればいい」


 トキヤの返答に、聖母のようなイザベラの笑みが変わっていく。それは美しいままに、裏では渦巻くような醜悪さを隠しながら。


「契約成立。うふふ、逃げようとは思わないことね」

「逃げないさ。俺は、俺を強くしてくれるイザベラさんを信じてるからな」


 これにて全てが終わり、始まりが告げられる。

 イザベラはフラフラしていたミーティスを抱きかかえると、暗闇の中で振り返った。


「ふふ、ミーティスにお礼を言っておきなさい。彼女を寝かせたら、この深夜を0日目として今から始めるわよ」

「……っはい! お願いします!」


 深夜の路地裏で響いたトキヤの声。

 そして、想像を絶する彼の修行が幕を開けた。

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