時刻84 強く、追いつけるくらいに
討伐を終えた夕方。緊急依頼だったこともあり、それなりのゼルをもらえたトキヤたち。
ゼルに困る生活は銀行の件もあり無くなったが、トキヤとしては初となる自分で稼いだ『ゼル』。システィアの財布に頼る一文無しとは、もう呼ばれない。
「なーにが『え? システィア、銀行のこと忘れてたの? あらららら、それはお気の毒に!』よ! 腹立つなーアリューザ! 馬鹿にした顔して!」
「まぁまぁ、そんなにプリプリしてもいいことないぜ? 俺もゼル貰えたんだしよ。なんでも好きなもの奢るぜ? なんたって異世界初の初任給だからな!」
「えっ⁉ いいの⁉ じゃあねー……甘い物食べたい!」
「おう! いいぜ!」
それが彼の初任給の最後だった。
§ 製錬街グランフリード 白黒猫の宿
イザベラの経営する宿へと戻ってきたトキヤたち。
店前には四つん這いの何かが描かれた看板らしき物が置いてあり、二人は「何これ」という感じのよそ目で扉を潜る。
「いらっしゃいませぇぇぇぇー! 白黒猫の宿へようこそぉぉぉぉーっ! って、システィとトキヤ君か」
「なんでそんなあからさまにテンション下がるんだよ……」
「ト、トキノ? 白黒猫の宿って? それにあの看板、何?」
ふふん、よく聞いてくれました! と言わんばかりに口角を上げるトキノ。ビシィ! とトキヤたちの目前に指が差される。
「新しいお客さんを入れようと思ってね! 白黒猫の宿っていうのはミーティスが考えたの! 私は犬派だなーって突っぱねたんだけど、トントン拍子で決まっちゃってねー? けど、せめて爪痕くらい残したいじゃん? で、勝手に描いて、勝手に置いたの!」
「あれ、犬なのかよ……」
「そ、そうなんだ……で、お客さんは入ったの?」
「ううん、全然! 二十万ゼルに単価あげて、百倍狙おうとしたのがいけなかったのかな?」
「この街一番の宿屋でもそんなにしねぇだろ!」
「え? じゃあこれでこの街一番の宿屋じゃない⁉ トキヤ君とシスティ泊まってくんだよね? 四十万ゼルでーす!」
「話聞けコラッ!」
「ちょ、ちょっときついけど払えるよ……?」
「システィ! 払わなくていいから! これぼったくりだからっ!」
ぎゃーぎゃー騒いでいると、扉が開き、ミーティスが帰ってくる。いつものように、コンコンと床でゴシックブーツを叩きながら。
「おかえりーミーティス! 二十万ゼルだよ!」
「?」
「まだ引っ張るのかよそれ! つーか、それ言うならトキノ。お前も払っとけよ」
笑顔のまま青ざめるトキノ。そんな貯金はありませんという顔だ。
結局、様々な弱みを握った影響か、その日も二千ゼルという破格で泊めてもらうことになった。しかし、そんな破格でもトキヤはシスティアの財布に頼る一文無しに戻ってしまう。
そして、その夜。部屋で休んでいたトキヤの元にコンコンとノックが鳴り、声が届く。
「ほーい、トキヤ君の服、ここに置いとくからねー」
「ああ、悪い。ありがとな、トキノ」
感謝を述べると勝手に合鍵を使われ、ニョキっと扉の間から首が生える。けれども、もうこれくらいでは動じない。
「チップ寄越してくれてもいいんですよぉー?」
「すまん、俺も渡したいところだけど……マジで金欠でな」
「ブー貧乏人めー!」
引っ込めた顔の後、スススと洗濯かごが入れられる。
「あ、そーだ。トキヤ君」
またもピョコと顔が出てくる。
「ん? まだ何か用か?」
「私、これから掃除とかやらなきゃなんです。良かったら、システィと一緒にミーティスの様子見に行ってくれたら嬉しいなーとか!」
「はいはい。安くしてもらってる分、それくらいはするよ」
「ありがとー! じゃ、鍵も置いとくからよろしくねー!」
バタン、ガチャガチャと、今から出るのにもかかわらず鍵まで丁寧に閉めていくトキノ。
「ほんと、トキノがいると飽きねぇな」
フローレンス家にはいなかったタイプの子だ。シグレとは真逆と言うほど性格が違う。
綺麗に畳まれた服の袖に手を通すと、システィアを誘うために隣部屋へ赴く。
扉を二度叩けば、少しして開かれるドア。中からは髪をしっとりと濡らした、白と淡い水色が彩る浴衣姿のシスティアが現れた。
「トキノ――あれ、トキヤ君?」
「お、おぉ……システィ、似合ってるな、それ」
「ん、ああ、浴衣? ふふ、いいでしょー?」
その場でくるりと回ってみせてくれるシスティア。思えば、今日が初めてシスティアの宿浴衣を見た日になる。
霊装も、浴衣でも、部屋着だって、彼女には似合いすぎていた。
「あ……ああ! そうだ、システィ。トキノからミーティスの様子を見てくれーって頼まれたんだけど、一緒に行かないか?」
「ミーティスの……あ、うーん……」
歯切れの悪い返答。都合が悪いのか訊ねてみると、システィアは申し訳なさそうな顔で頷いた。
「兄様宛てに近況報告をと思ってて。今、手紙を書いてたの。でもいざ書こうと思ったらいろいろ出てきちゃって、時間が掛かりそうだなーって」
「そっか、それじゃ仕方ないな。俺のことについても、書いててくれよ? かっこ悪いところ以外で!」
「あはっ、任せておいて。それじゃ、悪いけど……ミーティスのことお願いね」
「ああ、それじゃ」
最後にニコッとシスティアが笑い、閉じられる扉。
仕方ない、とトキヤは残念がったが、頼まれたことはちゃんとやる。先程、トキノが置いていった銀の鍵を握ると、エントランスへ。
「あら、トキヤ。お出かけかしら?」
「おわっ! イ、イザベラ……さん」
もう驚かれることにも慣れてきたわ。とカウンターの向こう側でイザベラが笑う。
「……? その鍵は……あぁ、トキノね。ミーティスのところに行ってくれるの?」
「あ、はい……やっぱ裏って不味いですか?」
「いいえ、助かるわ。どうもあの子、二人のこと気に入っているみたいだし」
ほとんど無表情で、何を考えているのか分からないミーティスだが、イザベラにはトキヤたちのことを何か話しているのだろうか?
「引き留めてごめんなさい、よろしくねトキヤ」
「は、はい……」
不思議な人だ。イザベラも何を考えているのか、あまり読めない。
そんなイザベラに見送られながら、昨夜と同じように裏口へと回る。
「お邪魔……しまーす」
二度目だが、やはり忍び込んでいる気しかしない。ソロソロと忍び足で廊下を歩き、続くミーティスがいた部屋。
その扉を開けようとドアノブに手を伸ばすと、扉の方が先に開いた。
「いらっしゃい。トキヤ」
「ミ、ミーティス……気づいてたのか」
「うん。トキノがそろそろ来るってあっちのドアから」
「そこの扉、開けれるようになったんかい」
いつの間にスペアキーを、そしてわざわざなんで裏口の鍵を渡すんだあいつは。とトキヤが悪態をついていると、ミーティスはトタトタ歩き、いつもの定位置に座り込んでいた。
円状に広がるスカートはまるで絨毯の上に咲く、一輪の花のようで。
「トキヤ、おいで。ここ」
「あ、ああ……」
ミーティスが前方向の絨毯をポンポンとすると、トキノのことを忘れるかのようにトキヤが対面に座る。
「……」
「……」
互いに無言。
じっと、輝くような赤い目に見られトキヤは気恥ずかしさからか、ふいっと目を逸らした。
相手が幼子だろうが、少女から見つめられるのは慣れていない。
「トキヤ、何かお話して」
「あ……そ、そうだな! ……そう、だな。何か……」
システィアがいればもっと上手い話ができただろうか? トキヤの頭を駆け巡るのは常に今日のことだった。ディーナの依頼を受けられなかったこと、システィアの気持ちを知っていたのに無理を通そうとしたこと、そして自分がどれほど無力かということ。
「今日な、ギルドである依頼を受ける予定だったんだけど……それが受けられなくて、大事な槍を取られちゃったんだ。ある人からもらったすげぇ大切な物だったのに、システィのため以外なら無くしちゃいけないと思ってたのに……」
「……」
ミーティスは何も言わず、じっと見つめたまま聞いていた。
「それを無くして今日、たくさんの魔物と戦ったんだ。そこで、どれくらい自分が槍のリーチに甘えて、頼ってたのか痛感した。どんなにこの短剣が一級品だったとしても、俺にはまったくと言っていいほど扱い切れてない。これで戦うのは勇気が要りすぎるんだ。一歩も二歩も先に進んで、敵に斬り込む。たかがランクDの依頼だったのに……いつも以上に手こずって、システィは何十体も倒してたのに、俺なんて一桁で……もし今日Bなんて受けてたら、俺は……」
「……トキヤ、よしよし」
頭を撫でられ、トキヤが蹲っていく。悔し涙を見せないように、絨毯に頭をこすりつけて。
「強く……なりたい……俺、強くなりたい……。もっと……もっと……」
「トキヤは強くなりたい。分かった、トキヤは……強く……なりたい」
ふと撫でられていた感覚が頭から消える。
「ミーティス……?」
「……すぅ、すぅ」
まるで眠り姫のように横に倒れ、寝息を立て始めるミーティス。
「寝ちゃったか。ごめんな、面白い話をしてあげられなくて……」
無様な話だった。せめて、起きたときにミーティスが覚えてないことを祈る。
今日のノルマは終えた。トキヤは照明に手をかざすと光は消え、昨日と同じようにこの場から去っていく。
強くなりたい。せめて、守りたいと思える人を守れるくらいに。追いつけるくらいに。けれども、いくら願ったところでトキヤには今すぐなんて手に入れられない。
部屋に戻ったトキヤはベッドへ横になると、とても疲れていたのか、あっという間に眠りへと落ちていった。




