時刻7 昼下がりのお買い物
陽は正午を過ぎ、昼食を取り終えたトキヤは屋敷のエントランスへと赴いていた。午前中、システィアから買い物に付き合ってくれと言われていたからだ。
「なんか、他人の家だと思うと……やっぱ落ち着かねぇな……」
キョロキョロそわそわと左右に動いては二階へ続く階段や、辺りに見える扉へと目線を動かす。大富豪の家のようなとてつもないきらびやかさ、豪勢さはないが、屋敷と呼ばれるほどの建物にトキヤは招かれたことがなかった。
「トキヤ君、お待たせー」
間もなく、二階から用意ができたのかシスティアが降りてきた。
腰につけられた小さなポーチだけなら可愛いものだが、問題はもう一つのホルダーの方だ。現代少女には似つかわしくない華奢な剣が携えられている。
「は、はい……! じゃなくて、別に待ってませんよ!」
「あ、敬語!」
「っ……べ、別に待ってないッス」
「なにそれー! なーんか固いなぁ?」
首を傾げるシスティアの姿にトキヤは目を逸らすと、近場にあった両開きの扉、執務室から黒い和服の少女が現れた。
「トキヤさん、システィ。今からお出かけですか?」
「うん、ちょっとね。良かったらシグレも一緒に行く?」
「ん……どうしましょうか――」
シグレがチラリと目を配る。すぐに目線を反らすトキヤは、明らかに挙動不審といった具合だ。
異性同士の買い物。いわゆるデートと名付けられるものだが、相手はシスティア。挙動不審さは慣れていないからこそ、来るものであろうと受け取る。
シグレは意地悪そうに笑うと、こう告げた。
「食材の買い足しも必要なので、ご一緒させてください」
「おっけー! じゃあ、一緒に行こっ!」
無邪気な笑顔のシスティア。
彼女が玄関へ向かっていく間、シグレがトキヤに近づき呟いた。
「システィとのデートを邪魔してごめんなさいね」
「えっ、いや! そんなんじゃ!」
「んー? トキヤ君、どうかした?」
「な、なんでもねーです!」
クスクスと笑うシグレを横目に、トキヤは動揺を隠せないでいた。
玄関が開き、爽やかな風が入ってくる。
「ほらほら行くよー! 時間は待ってくれないんだからー!」
「はい、只今参ります!」
「システィは元気だなぁ……」
先に駆け出していたシスティアの後を追従するように急ぐ二人。そんな三人の後ろ姿を見送る、一つの影があった。
「頼んだぞ、シグレ」
鋭い蒼い瞳。
先程、シグレが出てきた部屋。執務室のカーテンを閉めるとそれだけを言い残し、ジョシュアは部屋の奥へと消えていった。
§ フローレンスの町 市場
三人は屋敷から続く石畳の坂を下っていくと、そこそこ大きな市場が見えてきた。
人通りの多い道沿いには様々な肉や野菜、果実がそろう食材の露店。他にも武器や鉱石、何に使うのかわからないような仮面などが売っている店も見受けられる。
初めて見る光景、場所にトキヤは目移りしていた。赤レンガで彩られた町並みは、中世、もしくはRPGの世界に潜り込んでしまったのかと彼を魅了する。
「すっげぇ……。それに結構、活気があるんだな……ん?」
トキヤが気づいたのは笑顔で会釈をする人々。それはまるで、道行く人々がトキヤに頭を下げているようにも見える。
「あれ? なんか頭下げてくる人がいるけど、もしかして俺って有名人? 何もした覚えはないんだが……」
「何を言ってるんですか。トキヤさんにではありませんよ、システィにです」
「あはは、この町ではちょっとした有名人なのですよー……」
少しだけ困ったかのようにシスティアが笑うと、トキヤは彼女がお嬢様だったのを思い出した。
「そ、それもそうか……。俺なんて、急に現れた不審者みたいなもんだしなぁ……」
「あの服ならばそうですね」
「ちょっとシグレ……! だ、大丈夫だよ? 今はビシっと決まってるから!」
「今はって……」
フォローになってないフォローを受け取ると、トキヤは自分が現れた時のことを思い出す。
ジャージ姿で町に現れたとあれば、辺りで巡回している衛兵に御用となっていただろう。そうなっていればこの異世界で誰にも頼ることができず、野垂れ死ぬ可能性すらあった。
トキヤは顔を少しだけ青くすると、屋敷の裏庭へ現れたことに心底感謝する。
ある建物の前へ辿り着くと、システィアがくるりと振り向いて店を指さした。
「今日はその服のことで買い物に来たの。動ける服って言っても執事服だけじゃ困るかもしれないでしょ?」
「え? で、でも……俺は金とか持ってな――」
「いいからいいから! さ、行くよー!」
「はいはい、参りますよー」
「ちょ、シグレさーん⁉」
システィアが店舗に入ると、シグレから背中を押されトキヤも続く。
新品の服の香りが漂う店内、来店に気がついた背の高い男性が三人の元へとやってくる。
「いらっしゃいませ、システィア様。今日はどのようなお召し物をお探しでしょうか?」
「男物の服を見たいの。彼に似合ういい服はあるかな?」
トキヤの方へ目を向けるシスティア。店主である男もまた、トキヤを見ると笑顔を作った。
「わかりました。ご用意します」
すぐさま店主はトキヤの背丈を図り、似合う服を用意するためにその場を後にする。
「ふんふふーん♪」
未だ落ち着かない様子のトキヤを置き去りに、鼻歌交じりで可愛いものはないかとシスティアは様々な服を物色している。
「落ち着きがないですね。トキヤさん」
「あ、当たり前だろ……お金も持ってないのに……」
ズボンのポケットの中を弄ると、かつてジャージの中に紛れ込んでいた百円玉を見つける。
――これじゃ買えねぇ……。
当たり前だ。ここが現代にある普通の洋服店だったとしても、百円程度で服は買えない。買えるとするならばセールが極限までかかってる靴下くらいだ。それでも買えるかは怪しい。自動販売機でジュースすら買えないくらいのお金なのだから。
そうこうしている内に、店主が男物の服を持ってシスティアへと語りかけた。
「お待たせしました。こちらでいかがでしょう? 人気の魔法糸をふんだんに使用し、流行も取り入れております。もしも引っ掛けてしまったり、擦り切れたりしても傷や破れが自動修復するスグレモノですよ」
「うん、いいわね。いくら?」
「上下合わせ、十五万ゼルとなります」
特に難色を見せず買おうとするシスティアと、その値段に不安を覚えるトキヤ。シグレの肩をちょんちょんと叩き、質問する。
「十五万ゼルって……どれくらいの値段なんだ……?」
「えっと、そうですね……かなり高い買い物だと思いますよ。ほらそこの」
店舗の外に見える、アイスクリームを売っている荷台に指をさす。
「あそこに見えるアイスクリームが三百ゼル――」
「ちょっと待ったああああぁぁぁぁああああっ!」
シグレが言い切る前に、トキヤが大声を上げる。他人に支払わせるにはとんでもない値段だ。
会計を終えようとしていたシスティアは肩を跳ねさせ、すぐに振り向く。
「ど、どうしたの?」
「い、いや……システィ、やっぱり俺が選んでいいかな⁉」
「……もしかして、気に入らなかった?」
「いやいやいや、滅相もございません! あ……いや、値段的にちょっと気に……ごにょごにょ……」
「もう……敬語。でも、確かにそうね。トキヤ君の意向も重要か」
納得するように頷いて、店主に選んでもらった服に断りを入れる。
「うん、分かった。それじゃ、トキヤ君が気に入ったものを選んで?」
「そ、そうするよ! ありがとう!」
現代の金とあまり価値が変わらないであろう『ゼル』というナインズティア独自の通貨。その十五万ゼルという大金を、トキヤは彼女に払わせるわけにはいかなかった。急いでこの店にある格安の服を物色し始める。
そんなことを考えて一生懸命になっているとはつゆ知らず、システィアはトキヤにニコリと笑いかけシグレの隣へ歩み寄った。
「なんだかやる気に満ちてる……? 急にどうしちゃったのかな?」
「さぁ、どうしたんでしょうね?」
シグレはクスクス笑いながら、システィアの疑問へとぼけるように答えるのであった。
そして数分後――
「システィ! こ、これでどうかな? 俺に似合うと思うんだけど……」
目の前に取り出してきたのは、質の良くない服と茶色のズボンだ。
どう見てもジャージのほうがまだマシで、なぜこの店に置いてあるのか疑問に思うくらいのレベル。
「似合ってるかどうかは置いておいて、トキヤ君、本当にこれでいいの?」
「いいッス! これだけあれば充分ですよ!」
「……もしかして、値段とか気にしてる?」
怪しむ目線をじっとりと送られるトキヤ。まったくの図星である。明らかに動揺し始めたところでシグレが助け舟を出した。
「これなんかどうです? システィの隣に立っても、それほど変ではありませんよ?」
チラリと値札を見ると、最初の物と比べて安い。だが、無銭者からすれば安いとは言いにくい。すぐにシグレへ目線を返す。
「シグレさん……気持ちはありがたいんですが――うぐっ!」
そんなトキヤの横腹に肘打ちを入れ、蹲ったところへそのまま囁きかけた。
「安さを追求するのは褒めてあげます。しかし、そんな不相応な服でシスティの隣に立ち、恥をかかせるつもりですか? 少しは考えてください……!」
「っ……た、確かにそうだな……」
ヨロヨロと立ち上がるとシグレから白いワイシャツと、革紐で胸部を結ばれた青いベスト。ベージュ色のチノパンに似ているが伸縮自在で動きを阻害しないボトム、そしてフローレンスレッドと呼ばれる特殊な製法で染められた、一枚の燃えるような赤い布を受け取った。
「そ、それじゃ……これで……」
「う、うん……。それじゃ私は会計してくるから、待ってて」
トキヤからそれらを受け取ると、システィアは店主のいるカウンターへと向かっていった。
「シグレさん、ありがとう。おかげで助かったよ」
「当然のことをしたまでです。トキヤさんのせいでシスティが恥をかかされたとあっては、堪ったものではありません」
「ぐうの音も出ねぇ……」
遠慮には輪をかければいいというものではない。そもそも、トキヤは遠慮ができるほど満足な状態にあるわけではないのだ。
憎まれ口の影でそう教えてくれたシグレに感謝する。そして、それ以上に――
「お待たせー! はい、どうぞトキヤ君!」
「……システィ、何から何までありがとうございます」
身元の分からない自分へこんなに優しくしてくれるシスティアに感謝を述べる。そして、袋を受け取ろうと手を伸ばした瞬間。
「ん」
パッとトキヤの手を避けるように、袋が翻される。
「もー。ずっとだよ? 本当に感謝してくれてるなら、敬語はなし。ね?」
「あ、そ、そうだな……! わかったよ、システィ」
「うん、よろしい!」
にぱっと笑うと、今度こそ袋を手渡してもらえるトキヤ。コホンと咳払いをして、シグレが付け加えるように言った。
「トキヤさん、私のことも呼び捨てでよろしいですからね?」
「やー……シグレさんはやっぱシグレさんかなぁ」
「なっ! どうしてですか⁉」
そんな冗談を交えつつ談笑が弾む。用を終えたトキヤたちは服屋を後にし、結局のところシグレの要望はちゃんと通ることとなる。それは三人の仲が少しだけ進展したときのことだった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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