時刻72 ワンスモア
微かな声の後、トキヤは息を吹き返すかの如く声を上げ、肩を跳ねさせた。
「あ、あれ……ここは」
辺りを見回せば、地下ではなくボロボロに砕かれた煉瓦の散らばる孤児院跡。すぐ側には驚いた顔をしたミリアが佇んでいた。
「トキヤお兄ちゃん、ガーロが呼んでるよ……。行かなくちゃ……」
「なんだったんだ今の……」
「……? トキヤお兄ちゃんが大きな声を出したこと?」
「い、いや……そうじゃなくて」
嫌な予感がしていた。そう、嫌な予感だ。先程と同じ、背筋を伝うただならぬ悪寒にトキヤは怯えていた。
地面にある、開かれた隠し扉。地下に広がる暗闇から、ガーロの呼ぶ声が聞こえてくる。
「どうすんの? 証を返して欲しいんじゃないわけ?」
「……ガーロ、悪いが俺たちは中に入らねぇ。話をするならここでもいいはずだ」
トキヤの要求にしばらく黙るガーロ。
この要求が飲めないということは、少なくとも地上に置いておきたくない理由があるのだろう。感情を逆撫でしないようにと考えていたが、今は状況が違う。
声が返ってくるまでの間、トキヤは辺りの様子を窺った。
嫌な予感がしていたときと変わらない風景、システィアたちの姿が見えないのもそのままだ。何かある、シグレの姿さえ確認できればトキヤの勘は確信に変わる。
一度、屋敷の執務室で見た白昼夢、あの惨劇のときとはまた違った何か。馬鹿げているだろう、しかし、あれほどのリアル、早々に切り捨てることはできない。
危機感か、ただの思い過ごしか。しかし、この言いようのない予感をトキヤは信じることにした。
「ガーロ、教えてくれ。なぜお前は貴族を嫌う?」
「……聞きたいのなら、中でだ」
要求は却下された。それはガーロが何者かに、システィアたちとトキヤたちを分断しろと命じられている可能性が高い。
動かないトキヤ、ミリアもそれに倣うように未だ待ち続ける。動くのはシスティアたちの姿を確認できてからでも遅くはない。
高台の建物。遠くからじっと見つめていた黒ローブの少女は、未だトキヤが動かないことに驚いていた。
「勘が鋭いだけ? それともこんなに早く具現し始めてる……?」
少々早いが意外ではないといった風に微笑むと、指先をトキヤの方、それよりもう少しだけ下に向ける。位置は孤児院地下。
「……なら、もう君は用済み。後は彼を殺さないように死んで」
これ以上の介入はしないかの如く、ローブを翻すと夜の帳へと消えていく。
「もう少し見物していたかったけど流石はフローレンス家、案外早かったね。ふふふ、あはははは!」
一歩遅れ、システィアとシグレがこの高台へと到着する。
「っ、逃げられました……」
「逃げ足が早いわね、あの黒ローブ……。何者だったかくらい掴めたらよかったのに……」
「随分と仕事熱心な衛兵さんでしたね」
「もう、言ってる場合? 魔法に掛かってるってすぐに気づけてたら」
システィアは悔しそうに足で地面を鳴らす。
彼女たちの姿がトキヤから見えなかったのは、ほとんど機能していないここマーカの町の衛兵に足止めを食らっていたからだ。
「……巧妙に魔力の痕跡を消しています。そう遠くには行ってないでしょうが、追うのは至難の技ですね」
「追わなくていいわ。離れたなら手出しもできないだろうし、今はトキヤ君たちの……ミリアの方が大事でしょ?」
「それは……」
シグレは焦ったように、トキヤたちの方へと目を向ける。とりあえずは何者かの介入は阻止したのだ、システィアも本来の目的へと戻れる。
そわそわと視線を動かしているトキヤを安心させるように、高台から手を振るシスティア。気づいたトキヤは、心底安堵した表情を作っていた。
「システィ、それにシグレ……! 良かった、無事だったんだな」
ミリアもそちらの方向を見ると、ほっとした表情を見せる。しかし、すぐに真剣な面持ちになると、トキヤの方へ向き直った。
「トキヤお兄ちゃん。わたし、ガーロを説得してみる……。お願い、着いてきて」
トキヤの正直な気持ちとしては、地下へ降りることに気乗りはしない。だが、今回は嫌な予感が見せた幻とは状況が違っている。
トキヤは目を瞑ると、その代わりとミリアに付け加えた。危険な賭けだ、夢幻とはいえ悲惨な光景を見たトキヤが臆病になるのも無理はない。だからこそ、守るために約束を付け加える。
「もう俺は躊躇しない。仮にミリアが危険な状況に陥って、もしシスティやシグレが間に合わなかったとしたら……俺はガーロを」
最後まで言い終わる前に、ミリアは悲しそうに俯いた。
「うん、ガーロからは少しだけ闇の魔力を感じるの。さっきまでは感じ取れなかったけど、今は何となく分かる」
「それは……」
「ガーロは多分、闇に囚われてるのかもしれない」
確信。トキヤが見た幻の光景は、まさにこれから起こる未来の出来事だったのだろう。しかし、もうそんな出来事は起こさせないと、トキヤはグッと拳を握りしめた。
「ミリア、行こう」
「ありがとう。トキヤお兄ちゃん」
説得できるかどうかは分からない。しかし、トキヤはミリアを信じた。
暗闇へと続く石階段をゆっくり、ゆっくりと二人は降りていく。その姿を見ていたシスティアとシグレもまた、隠し扉の入口まで歩みを進めていった。
暗い部屋、人の気配が確かにする場所でトキヤは声を上げる。
「待たせたな。そっちの要求は飲んだんだ、こっちからも言いたいことがある」
「……あんたからか?」
「いいや、違う。話すのは俺じゃない、ミリアだ」
その言葉と同時に、ガーロは部屋に火を灯す。それはトキヤが見た幻の光景と同じ、少年二人と少女一人。少女の両手からは魔力が強制的に放出され、炎が溢れ出している。
何度見てもおぞましい光景だ。トキヤはもちろん、ミリアも顔をしかめていた。
「酷い……」
「俺に刃向かった罰だよ。俺は力が欲しいだけだったのに止めやがるから」
「ガーロ、もうやめて。こんなことしてもどうにもならない」
「そんなことはねぇ。俺は力を手に入れた。この力で、俺をねじ伏せていた貴族共を殺す」
楽しそうに笑うガーロ。ミリアは表情を歪め、スカートを両手でキュッと握ると首を横に振る。
「貴族の人たちがいろいろ酷いことをしているというのは、わたしも知ってる。でも、良い人もいるんだよ?」
「そりゃお前が貴族だからだよ。貴族の思考が抜けてない証拠だ、貴族は自分のことを悪いなんて言わねぇからな。だけど、俺は違う。俺は自分が正義だなんて思っちゃいない。悪でなんだ? 正義で明日の飯が食えるってのか?」
「っ……でも! 人の物を奪っても、それはガーロの嫌いな貴族と一緒だよ! 本当に、本当にすごく良い人だっているの! ガーロは汚い貴族の人だけを見てしまってるの!」
ミリアの中に浮かんでくるフローレンス家のみんな。その誰もがミリアに優しく、人々のことを考えている貴族であった。
「それを言うためだけにお前はここへ戻ってきたの? 何を言っても、俺は変わることなんてない」
「言うつもりで来たんだよ。良い機会でもあったから、わたしの家族だったんだから」
だった。それは過去の家族として、それでもミリアは家族として見ていた。どんなに酷い事をされても、囮として使われても、みんなの為だと思っていた。
「俺は一度も家族だと思ったことはない。貴族と家族になるなんて、真っ平だ!」
「わたしは貴族じゃないっ! 同じ人間だよ!」
「はっ、人間……人間ね。じゃあ貴族はみんな人間の皮を被った悪魔だな!」
その言葉を火蓋にガーロの周りに暗い霧が現れ始め、骨格が変化していく。トキヤはミリアの前に出ようとすると、ミリアはそれを拒んだ。
「……わたしも戦う。せめて、わたしがガーロを止めないと」
危険だ、いいから後ろへとトキヤは言いたかっただろう。だが、それを喉の奥へと押し返し、彼女の気持ちを汲む。
「……分かった。けどな、俺にだって譲れないことがある。俺はミリアを守りたい、だからせめて前で守らせてくれ」
「トキヤお兄ちゃん……」
……うん、守って。
微かな声が背中を押す、何があろうと迷いはしない。
もうガーロは完全に包囲されている。トキヤとミリアの後ろ、部屋へと入る階段でシスティアたちも配置についている。何かがあれば二人もすぐに飛び出す準備ができていた。
「ミリア、俺はお前が憎かった。孤児院に入ってきて、俺の平穏を奪ったお前が!」
「ガーロ、わたしは感謝してる。ガーロがいなかったら生きていけなかったから!」
想いと想いがぶつかる。人狼へと変化したガーロは腕を振りかぶり、目の前の二人へと襲いかかった。




