時刻6 ひとまずの休息場所
朝食を食べ終えたシスティアは、時間になっても食堂へとやってこなかったジョシュアと話をするために執務室へと向かっていた。
部屋をノックして、部屋にいる兄へと声を掛ける。
「システィアよ。兄様、時間いいかな?」
「ああ、空いている」
ドアノブを回し、ガチャリと音を立てて執務室へ入る。
部屋の片隅には本棚が置いてあり、他にも勲章などが飾られていた。そして、その中央隅、窓から光が差し込む執務机には、それなりの量の書類が山積みにされてある。そこにジョシュアはいた。
書類から目を離し、妹へと目を向けるジョシュア。
「どうした? システィア」
「食事好きな兄様が、朝食できてもやってこないんだもん。今朝は随分忙しいみたいね」
ジョシュアは苦笑すると、彼は窓から見える陽の光で時間を判断した。シグレから朝食の用意ができたと告げられ、それなりに時間が経っていることに気がつく。
「父上がいない間、ここを守るのは私の責務だからな。だが、せっかく朝食を作ってくれているシグレに悪いことをした」
「忙しいなら私も手伝うのに……後、悪いと思ってるなら、これからはちゃんと食べに来てね?」
「まぁ、そう忙しいわけではない。今度からはちゃんと出るさ。それよりもシスティア、そのためだけにここへ来たわけではないのだろう?」
「あ、うん。実は兄様に折り入って頼みがあってね?」
システィアは目を逸らし、両手を後ろで組むと、朝食後にトキヤから聞いた言葉を伝えることにした。
§ 少し前の食堂にて――
「ご馳走様。シグレ、美味しかったわ」
「はい。お口に合うようで良かったです」
「謙虚だねぇ、シグレは」
嬉々とした表情のシグレ。綺麗に食べ終えられた食器たちを片付けるため、キッチンへと運んでいく。システィアはその姿を見送ると、向かいの席に座っているトキヤへと語りかけた。
「そうだ、聞きたかったことがあるんだけど。トキヤ君はこの先、行く当て……とかあるの?」
「いえ、それが全く……ここがどこかも検討がつかなくて、俺のいた場所とは全然違うし、景色とかも……」
「そうね。私たちから見ても、トキヤ君は急に現れたみたいな感じだったし」
トキヤは俯いてそのまま黙り込んでしまう。
キッチンから戻ってきたシグレは、二人の話を聞いていたのか彼の様子を見兼ねて口を挟んだ。
「もしかして、トキヤさんはタイムスリップしてきたとか……」
「時を超えてきたってこと?」
【時遡】の伝説がこのナインズティアには存在するが、それを使わずそんなことができるとは到底思えない様子のシスティア。
その言葉を聞くや否や、トキヤは顔を上げると尋ね返した。
「この世界の人間じゃない……。そうだ、ここは西暦何年ですか? いや、そもそもタイムスリップなんかじゃなく、ここは異世界なのか……?」
「異世界……? っていうのはちょっと分かんないな。西暦っていうのも聞き覚えがないし、シグレは知ってる?」
「いえ、存じません。もしかして……王国歴みたいなものでしょうか? それなら今は、八百五年になりますが」
その言葉を聞いてトキヤは驚きと共に、項垂れた。
異世界にしろ、タイムスリップしたにしろ、彼にとっては同じ。行く当てもなければ、帰る当てもない。飛ばされた際に誰かから特殊な能力を授かった覚えもなかった。
徒手空拳。彼は何も持たぬまま、その身そのまま現代からここへと放り出されたのだ。
「もう……大丈夫です……。自分には行くとこなんてないかもしれません……」
シグレとシスティアが顔を見合わせる。
しかし、トキヤにもまだ残された道があった。飛ばされた場所が良かった。運が少しだけ、良かったのだ。
「そっか、うん……それなら私に任せておいて!」
「システィア……さん?」
「あーでも、その代わり! そのシスティアさんって言うのは禁止! 敬語も禁止! 私のことはシグレみたいにシスティって呼んで?」
「え、えっ……?」
システィアは目を閉じたまま、腰に両手を当てると「ふふん」と得意げな顔だ。トキヤはチラリとシグレへ目を向けると、また始まったと言わんばかりにため息をついている。
「また無茶を言って……」
「最大限の譲歩なんだけど!」
そんな譲歩、侍女の私ならば聞けません。と愚痴を零していたが、もしかしたらトキヤなら違うかもしれない。片目を開けて、シグレは彼の様子を覗く。
「わ、分かったよ……お願いしま……じゃなくて、頼んでもいいか? システィ」
ぎこちない言葉ではあったが、トキヤは普通の……同年代へと使う言葉で、システィアに言い切った。
「あはっ! もっちろん、任せておいて!」
要求が通り喜びを表すと、システィアは嬉々としたまま食堂を後にするのであった。
§
「――ということなの。兄様、トキヤ君を少しの間、この屋敷に住まわせてあげられないかな?」
多少端折っているところはあるが、トキヤが行く当てのないことを告げるとジョシュアは悩むまでもなく頷いた。
「ふむ、いいだろう。彼に伝えてくるといい」
「本当⁉ ありがとう、兄様!」
更なる要求が通りシスティアは喜び、執務室を飛び出していった。
執務室内にキィっと椅子が鳴る。リクライニングチェアに背を預け、ジョシュアは微かに呟いた。
「時のコンパスが一瞬だけ反応した後に現れた男だ……何か関係があるかもしれない」
机から取り出されたのは、チェス駒のポーンに似たアイテム。しかし、ヘッドの部分は通常の物とは違い、ガラス玉に差し替えられている。
内部には針が封入されており、南を指し示したままピクリとも動かない。
「少々、様子を伺わせてもらおうか。トキヤ」
陽の光が当たり、ガラス玉がキラリと輝く。中にある針はもうトキヤを指してはいなかったが、ジョシュアの口角は少しだけ上がっていた。
§ 客室 トキヤの部屋
「男性服はこちらしかないですが、まぁ、仕方ないでしょう」
「すみません……シグレさん」
「いいえ、これも侍女たる者の仕事ですので。それにシスティと外出するというのに、その服装は少々 見窄らしくも見えます」
「ははは……部屋着だしなぁ……」
上下ねずみ色のジャージ、それは寝巻きと言っても過言ではない。もっと、まともな服を着てくれば良かったと思うのも後の祭りというものだ。
後ろを向いているからと言われ、トキヤは用意された服を……とりあえず下から着する。
「あの、シグレさん……聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「システィって、どうしてあんな条件を俺に言い渡したんでしょう?」
「それは敬語をやめること、そして愛称で呼んでくれと頼まれたことでしょうか?」
用意されたワイシャツに手を通しながらトキヤが頷く。
背中を向けていたシグレに頷きが見えることはなかったが、返事をするように語り始めた。
「貴族と平民とでは様々なことで難しいのですよ。システィにとって、対等にお話しができる方はそうそういません。私もこの屋敷で雇われている身、どんなにシスティからお願いされたとしても愛称で呼ぶのがやっとです。しかし、トキヤさんなら――」
「……俺、なら?」
首につけるクロスタイに手間取っていると、音で感じ取ったのかシグレが振り向き、スッと綺麗につけられる。
「対等に話をしてくれるかも……と思ったのかもしれませんね。しかし、それは私の主観であり実際には分かりませんよ?」
「……そう、ですか」
焦げ茶色のベストを受け取るとトキヤはそれも身に付け、腹部にあるボタンを止めていった。
直後、扉をノックする音が部屋に響き、噂をすればなんとやらシスティアの声が続く。
「トキヤ君、いるー?」
「システィア様、少々お待ち頂いてよろしいでしょうか? まだ準備が整っていないので」
「あれ、シグレ? ん、分かったわ」
トキヤが返事をしようとする前にシグレが遮り、システィアを静止させる。最後に黒い上着を渡すと、シグレは小さな声で告げる。
「システィから形だけだったとしても『対等に話して』と言われているのに、私に敬語というのはおかしいですね。私にも同じように接してください」
「え……で、ですけど」
主には対等で話しているのに、侍女であるシグレには敬語。それでは体裁が悪いというものだ。しかし、急に言われても難しいか、と目を伏せシグレは悩む。
そして少しの思考の後、こう付け加えた。
「私は貴方よりも年下です。それならどうですか?」
「そ、そういうことじゃない気がするんですけど……でも、わ、分かったよ……」
「ご協力感謝します。よろしくお願いしますね」
トキヤが受け入れると、彼女は安心したかのように微笑んだ。
着替えが終わる。部屋の外へとシグレが声を掛ければ扉は開き、アイボリー色の長い髪を持つ少女が室内へと入ってきた。
「すみません、システィ。あの格好のまま外出させるのはどうかと思ってしまい、急遽、執事服を用意致しました」
「あーだからシグレもここにいたのね。執事を雇う予定は今のところなかったし、余ってるものなら何でも使ってくれていいわ。それにしても――」
ジャージ姿とは一転、シグレに仕立ててもらった執事服姿のトキヤを見ると、システィアは頬を緩ませる。
「へぇぇ、似合ってるじゃない」
「な、なんかこういう服着るのは初めてで……恥ずかしいな」
少しだけ頬を赤らめトキヤが後頭部を掻いていると、本題といった具合にシスティアが語る。
「そうそうトキヤ君、兄様から承諾をもらってきたわ。とりあえずここがトキヤ君の過ごせる場所になると思う」
「え、マジですか……?」
「うん! マジマジ!」
彼の口調に釣られるようにシスティアは言うと彼女の両手を握り、頭を下げていた。
「っ……本当に何から何までありがとうございます! なんてお礼を言ったらいいか……」
「へ? あっ、うん! 喜んでもらえたのなら良かったけど……敬語……」
感激のあまり、先ほどから敬語に戻ってしまっている。そして、トキヤとシスティアの間に握られた両手。じっとシグレはそれを見つめていた。
「トキヤさん、対等とは存じ上げておりましたが、システィにお触りはちょっと違うと思いませんか?」
「はっ……いや、これはっ! つい……」
「つい、なんでしょうね?」
トキヤは瞬時に手を離したが、時既に遅し。
シグレは帯から取り出したはたき棒を持つと、それを掲げ、逃げるトキヤをまたしても追い回すのであった。
その様子を止めるようなことはせず、システィアはクスクスと笑っている。
「とりあえず、シグレが刀を振り回さなくなっただけ上出来ね」
「ちょっ! 笑ってないで助けてくれよ! システィ!」
「ふふふっ! リクエストとあればお見せしますよ、私の剣術!」
「ぎゃああああああああ! やっぱりシグレさん怖えぇぇぇぇええ!」
別にリクエストされてない刀が抜かれると更にトキヤは追いかけられ、システィアは慌ててそれを止めに入るのであった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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