時刻31 霧の中の怪物
§ フローレンスの町近辺 森
その頃、トキヤは既にフローレンス近辺の森に到着していた。
心配そうに見上げていたミリアの顔。トキヤの胸はもう罪悪感で覆い尽くされている。
――なんで逃げたんだ。システィの名前を出されたからか?
そんなことを頭の中で考えつつも、かぶりを振った。
「帰ったら、謝らないとな……」
たとえ今が朝だったとしても、ここはトキヤの暮らしていた現代とは違う。危険な異世界であることには変わりはない。無事に帰り着けるとは限らないのだ。
トキヤは背中に回し、いつも装備している剣へと手を伸ばす。
「……マジ、か……」
ぞくりと冷や汗が吹き出る。その空間には何もないぞと言うように、手が空を切っていた。
ミリアから逃げることに必死になり、トキヤは剣と短剣を忘れてしまっていた。
痛恨のミス、こうなっては一刻も早く武器を探さなくてはいけない。ベア・ザ・クロウと相対したときに落とした槍を求め、彷徨い始めた。
「この辺りのはずだったんだけど……」
森の景色は外から見るのとは大違い。似ている場所、それが本当に知っている場所とは限らないのだ。迷いながらも茂みをかき分けてみると、一直線に木々が薙ぎ倒されている場所を見つける。トキヤがベア・ザ・クロウに飛ばされた際にできたもののようだ。
つまり、場所はここで合っていることになる。
「くそ、ねぇな……確か、ここだったはずなんだけど。どこに行ったんだ? まさか槍が一人で歩くわけ――」
「誰だっ⁉」
突然、大声が上がりトキヤは身を竦めてしまう。その恫喝するような声は、この場でベア・ザ・クロウから受けた恐怖の一撃の記憶を蘇らせるに容易かった。奴ではないと分かってはいても、声が出ず、体が硬直する。
――大丈夫……大丈夫だ。あいつはジョシュアさんたちが倒した。だから……もういない。
恐怖を押し込めようと必死に自己暗示をかけるトキヤの元へ、茂みの奥から現れたのは武器を持った三人の男。
「人か……?」
トキヤの姿を見て、最初に口を開いたのはクマかと見間違う程の大男。無造作な髪色は焦げ茶色をしていて、顎も無精髭が生えそろっている。
その左後ろには浅黒く、厳つい顔をしたショートヘアの男。
右隣後ろには二人とは異なる雰囲気。蒼海を思わせる瞳と流れる薄い金の髪の青年が、顔を覗かせていた。
何も言わないトキヤを見てか、大男が訝しみながらも続けて語る。
「……お前、なぜこんなところにいる?」
「あ……いや、その……この辺りに忘れ物をしてしまって」
敵意はないとトキヤは頭の位置まで両手をあげ、三人の姿を伺う。
いかにも手練れの戦士たちといった風貌。誰もが今のトキヤよりも遙かに強いだろう。
その中に一人、槍を持っている人物がいることに気がついた。まさしくそれは、トキヤが落としてしまった鉄の槍。システィアに用意され、シグレから渡されたそれは、今までずっと愛用していた武器。見間違えるはずがない。
しかし、トキヤの身なりを見て、大男は明らかに怪しんでいる様子だ。
「武器も持たずにか? それにその執事服……? 疑わしいものだ。お前、どこから来た? 名は?」
「えっとフローレンスの町から、名前はトキヤ・ホシヅキです。……あの、その! もしかして、その槍はここらへんで拾いませんでしたか?」
トキヤは後方にいる顔立ちの整った男へと尋ねる。
「これかい? 確かにここで拾ったけど、まさか君の――」
「その話はいい! それよりだ。お前、この辺りでベア・ザ・クロウという獣の死骸が消えたんだが、何か知らないか?」
ベア・ザ・クロウ、トキヤが瀕死の重傷を負わされた獣の名だ。
植え付けられた恐怖は簡単には拭えない。
ジョシュアの言葉通り、トキヤは過呼吸の症状に陥り、上手く言葉を発せなくなってしまう。彼の容態が変わったことを見て、左後ろにいた厳つい顔の男が大男へ告げた。
「隊長、何か様子がおかしいですよ……」
「何か知っているのかもしれんな……おい、お前。奴が消えたのと何か関係があるんじゃないのか⁉」
背中に携えた大剣に手をかけ、隊長と呼ばれた男は更に恫喝。恐怖に脅えたトキヤは、目を泳がせ、知らないと首を振ることしかできなかった。
あまりにも異常な怯え方に、トキヤの槍を持った男が止める。
「もう少し穏便にやりましょうよ。本当に森へ迷い込んでしまっただけかもしれませんし」
「…………そうだな。トキヤとか言ったか? お前は、こいつの持っている槍を探しにここへ来ただけ。そうだな?」
大男の隊長が聞くと、トキヤはコクコクと首を頷かせる。
死骸消失に関して無関係だと悟った男はため息をつくと、返してやれと顎を突き出した。槍を持った男はそれに促されると、彼の持ち物だった武器を手渡す。
「はい、確かに返したよ。あの隊長、本当は優しいおっさんなんだけど、このところ物騒だからピリピリしちゃってて――」
「おい、聞こえてるぞ! 誰がおっさんだ! ったく、もういい。お前は、その男を町まで送ってやれ!」
隊長に怒られ、たははっと男は笑う。トキヤは申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません、調査とは知らず森に入ってしまって……」
「ははは。まぁ簡単な調査で、特に封鎖はしてなかったからね。とにかく君が無事ならそれでいいんだ。厳つい人たちだけど、みんなもそう思ってる」
「おい、聞こえてると言ってるのにお前は!」
「おおっと、怖い怖い!」
厳ついというフレーズに反応したのか、二人の視線がこちらへと向いている。
確かに悪い人たちじゃなさそうだ、トキヤはそんな印象を抱く。ただ本当にピリピリしていただけなんだと。
早くいけ! とどやされ、トキヤと金髪の男は森から出るために隊長らと別れることになる。
その道すがら、トキヤは何を話そうかと少し考え、悩みつつも口を開いた。
「あの……その、お兄さん――」
「あぁっ!」
男は急に大きな声を出して立ち止まり、ポンと手を叩いた。
「そういえば、名前を伝えてなかったね。僕の名前はフリッツ・レンズ。フリッツと呼んでくれ」
「フリッツ……さん」
ぎこちない感じでそう告げる。フリッツと名乗った男は、それをおかしく思ったのか笑っていた。
「『さん付け』だなんて。見たところ、君は僕と同じくらいの歳だろ? 同年代にそう呼ばれるのはむず痒いし、フリッツでいいよ。僕もトキヤって呼ばせてもらうから」
「え、あ、ああ……。じゃあ敬語とかもなしの方がいいのかな?」
「そうしてくれると助かる。まぁフローレンスの町までだけど、よろしく頼むよ。トキヤ」
「こちらこそ。よろしく、フリッツ」
前に突き出されたフリッツの手をトキヤは握る。その感覚をどこか少しだけ懐かしく感じて。
昔にもこんなことがあったような……。恐らく、学生時代の同い年の友達とこうやって友情を分かち合ったときの思い出が蘇ったのだろう。
それからはサクサク、パキパキと草の根や木の枝を踏みしだいては帰り道を歩いていく二人。その間にもフリッツから隊長と、もう一人の厳つい顔をした男の話を聞いていた。
髭面の大男はフリッツらからガンズ隊長と呼ばれていること。そしてもう一人はジョンという名前ということ。ベア・ザ・クロウの死骸消失の件について派遣されてきたという話までは聞いたが。
「しまった……職務の内容は一応、秘密だったんだ。ガンズ隊長には言わないでくれよ?」
こんな具合でフリッツはたははっと笑っていた。そんな彼にトキヤは好感触を得、先程までの恐怖を忘れたように釣られ笑った。
「そういえば、トキヤの服だけど……君はどこかの執事なのかい?」
執事服を着ているのでそう思われたのだろう。トキヤは左右に首を振って否定はしてみるが、実際のところ曖昧だ。
「いや、あー……うーん、どうなのかな? 俺の待遇って一体なんなんだろう」
「執事服を着てるのに、執事じゃないなんてトキヤは変なやつだな。まぁ、僕も英雄譚が好きで勇者だ! 英雄だ! なんて熱く語ってたら、隊長から変なやつ認定されたっけ」
「俺はフリッツの気持ち、分かるぞ! いいよな勇者!」
「トキヤは分かる口かい⁉ いやーまさかこんなところで仲間に巡り会うなんて!」
それからも熱く語るトキヤに、フリッツはうんうんと相槌を打つと、やがて神妙な顔を浮かべ「やっぱり君は変わったやつだな」と笑った。
「僕は勇者って柄じゃないけど、トキヤもそういった感じじゃないな」
「う、うっせーぞ! ……けどまぁ、俺よりフリッツの方があるかもな」
守りたい者を守れないで、逆に傷つける奴なんかが勇者を名乗るなんて烏滸がましい。力もない、頭もない。そんなないない尽くしの自分よりも、トキヤはフリッツの方が勇者に近いと思っていた。
ないない! フリッツはそう言ってまたも笑う。
現在のトキヤにとって、歳が近い男性というのはジョシュアしかいなかった。身分の差か、人を束ねる人物だからかそのジョシュアでも、トキヤとは距離が違う。しかし、フリッツはそれと異なった。
同年代で気さく。整った顔立ちに髪色から、第一印象はチャラ男認定していたが、話してみれば普通にいい人物だ。変わっているのは、この年齢になっても勇者や英雄が大好きという性格か。だが、それはトキヤの心に共鳴した。
フリッツは異世界に来てから、初めてできた同性の友人だ。
「けど、そんなどこの武器屋でも買えそうな槍一本のために、無手でこんなところに来るなんて。勇気というかなんというか……」
「いつもだったら忘れたりしねーよ! けど、今日はちょっと……。それにこの槍は俺のすげぇ大事なものでさ」
初めて手に取った武器で思い入れというのもあるが、それ以上にシスティアからもらったものだから。彼女との修行の思い出がこれに詰まっている。
しかし、ベア・ザ・クロウとの相対後、システィアとは喧嘩別れしてしまった。
相対したときの恐怖も拭えていない。それを拭いたいがために、ここへ訪れたのもある。
ベア・ザ・クロウが倒された今、魔物にしろ、獣にしろ、実戦をするにはここが一番だ。それは自分のわがままで、今となってはミリアに心配をかけてしまって――いや、もしくはもっと……フローレンス家全体に。
「そうか。それじゃ、見つけたんだから早く戻らないとな」
トキヤの辛そうな表情を見て、フリッツは察したのかそう告げる。
「ああ、この槍さえ戻ればとりあえずは安心だ。急ごう」
消失事件が起こっている以上、ここはもう安全とは程遠い。森の出口を目指し、二人は道を進んでいく。
それから数分、歩けど歩けど一向に出口が見当たらず、二人は顔を曇らせた。
「こんなに大きな森だったかな……そろそろ出てもいいはずなんだけど道に迷ったか?」
「いや、俺もこっちで合ってると思う……おかしいな」
不安に思いながら、そのまま二人が森を進んでいくと前方に人影を発見した。フリッツがトキヤの前に手を出し、進むなと指示する。
相手は一人、トキヤのように森へ好き好んで入る者はそうそういない。二人はその場で屈むと、息を潜めた。
警戒は怠らない。フリッツは腰に携えた剣に手をかけると、そのまま人影が近づくのを待つ。
だんだんと人影が二人の元へ近づいてくる。後、五歩……四、三、二、一――
人影が間合いに入った瞬間フリッツは抜剣し、その人物に剣を向けた。
「うおっ! な、なんだ!」
「えっ――た、隊長⁉」
フリッツは驚き戸惑っていると、先程別れたはずのガンズ隊長から、頭へ思い切り拳骨を食らう。
「馬鹿野郎! 誰に剣を向けてんだ! と言うか、お前らまだいたのか!」
「ぐぅぅぅぅ……隊長とは思わず、すみません。なんか森から出ようとはしてたんですけど、気がついたらここに――」
フリッツは頭を押さえながらもガンズに弁解する。が、もう一度殴られると、地面に転げ回った。
「全く、こいつときたら……。あートキヤだったか? フリッツの奴が迷惑をかけた。だが、どうやらこいつの言っていることもあながち間違いではないのかもしれん」
そう言うと、遠くから声が聞こえてくる。どうやら先程、隊長の右後ろにいたジョンという男のようだ。はぁはぁと息を切らしながら、走ってくる。
「間違いありません! どうやら何者かにこの森へ閉じ込められたようです!」
「そうか……。ならば、その原因を作ったやつを探さ――」
「っ――ぐああああああっ!」
ガンズの言葉を遮るようにジョンが叫び声を上げる。
うつ伏せで倒れてしまった彼の背には、何者かから撃たれたように血がドクドクと流れ出て、すぐにでも治療しないと命が危ないほどの血だまりを作っていく。
「くそ! フリッツ、構えろ!」
「ジョンが……! 一体、何が!」
背に携えた大剣をガンズが前方で構え、フリッツもすぐに剣を構え直す。
肌に張り付く、冷たい空気をこの場にいる誰もが感じていた。
霧が現れ始める。濃く真っ黒な霧が辺りを漆黒で包んでいく、それはまるで昨日の夜のように。
遅れてトキヤも槍を構え、目を凝らす。
漆黒の霧の向こうに何かいる。トキヤよりも強いはずのジョンを、一度の攻撃で地面に沈めたほどの何かが。
トキヤの目に映った途端、これ以上ないほどの戦慄が走る。
できれば、二度と会いたくなかった。いや、これは違う個体なのか? カチカチと噛み合うトキヤの歯が、恐怖の旋律を奏でていた。
「う……そ……だろ……?」
霧の中に現れたそれは、
首がなく、おぞましい大熊の姿だった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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