時刻21 黒いシミ
§ フローレンスの町 屋敷 書斎
二階の最奥にある書斎。あまり使われていない場所だが、埃はなくシグレがよく掃除していることが窺える。
本棚にはシスティアの母親が集めたとされる魔法書が多く敷き詰められていた。もちろん、母親のものだけではなく、システィアが譲り受けたものも保管されている。
青白く月明かりが照らす不思議な雰囲気の部屋で、システィアは本棚をなぞりながらあるものを探していた。
「魔法書の中に確か――これ……じゃないわね、これでもない。難度の高い魔法書には挟んでなかったはずなんだけど」
手に取っては開き、違うと片付け次の本へと移る。
四、五回それを繰り返している内、ようやくお目当てのものを見つけられた。
分厚い茶色の表紙、しっかりとした重量のある本。システィアが幼い頃に見ていた入門用の魔法書だ。しかし、目的の品物はこの本ではない。ペラペラとページを捲っていくと、ある箇所に四つ折りの古ぼけた紙が挟んであった。
「これだ。よし!」
誰がどう見ても普通の紙というよりくたびれた紙。過去にシスティアが栞代わりとして使っていたものだが、特別なものだと母親から聞かされたことがあったのだ。
システィアの読み通りならば、今のトキヤにはこれが必要かもしれない。パタンと魔法書を閉じると、半開きの出口へと向かう。
「ひゃっ!」
「わっ! と、ミリア?」
扉を開けると、部屋の前には肩を跳ね上げ驚いたミリアの姿があった。手には叩き棒を持っており、掃除の最中だったのだろう。
「し、システィア様! ごめんなさい! 扉が開いてたから閉めようと思って……」
「ふふ、構わないわ。私の方こそ、いきなり飛び出してしまってごめんなさい」
ニコリと笑うシスティアに「はわわ、とんでもないです!」とミリアは胸の辺りで両手を横に振っていた。
「そうだわ。お詫びと言ってはなんだけど、ミリアにちょうどいいものがあるの」
「ちょうどいいもの、ですか?」
きょとんと首を傾げる少女。
必要なのは本に挟んである古びた紙だけだ。システィアはそれを取り出すと、今は必要としなくなった魔法書をミリアへ差し出す。
「昔、私がミリアより幼いくらいのときに読んでた魔法書なの。初級程度のだけど光や闇も含めた六属性それぞれの魔法が載ってて、もしかしたら、ミリアに必要じゃないかと思ってね」
「魔法書ですか⁉ わたし、知ってます! 魔法書ってすっごく高いんです!」
入門用の魔法書くらいなら、そう高い値段ではない。だが、子どものお小遣い的な観点からみれば高いものの部類だ。特に例としてミリアを上げるならば尚更それは顕著となる。
「え? えぇっと、そうだったかしらね? でも、いいのよ。ミリアにならあげても惜しくないわ」
「だ、ダメです! 頂けません!」
「うーん、困ったわね……」
価値を誤魔化すように言ってはみたものの、ばっさりとミリアに断られる。システィアは親指を口に当てつつ少しだけ考えを巡らせると、じゃあこうしましょうと告げた。
「フローレンス家に奉仕してくれるミリアへの先行投資よ」
「と、とうし……? ですか?」
「ええ、未来のミリアへの投資。ミリアが魔法を使えるようになってくれたら、私もシグレも助かるわ」
このとき、上手く言い負かされたとミリアは悟った。そう言われて首を横に振るなんて到底できるはずもない。なぜならば、『フローレンス家の役に立つ、後悔はさせない』と大見得を既に切っていたからだ。
賞状を受け取るようにして、システィアから差し出された茶色い表紙の魔法書を掴む。
「せんこうとうし、システィア様がわたしを信じてくださるなら、わたし……頑張ります! まだまだ半人前ですけど、わたし、立派な魔導士になりたいです!」
「ふふっ、良かった。もし分からないところがあれば、私やシグレに聞いて? 期待してるわよ、未来の魔導士さん!」
くしゃくしゃと金色の柔らかい髪を撫でると、システィアはトキヤを待たせている裏庭へと向かっていく。その場に残されたミリアは、胸の辺りでギュッと叩き棒と一緒に魔法書を抱きしめ、「明日から本格的な勉強だ!」と笑顔を浮かべていた。
§ フローレンスの屋敷 裏庭
「お待たせ、トキヤ君」
「ああ、おかえり。少し遅かったけど、何を探しに行ってたんだ?」
「ちょっとミリアとね」
詳しいことは言わず、先ほど魔法書から抜き取ってきた古びた紙を取り出す。それを少し、魔法紙の付箋くらいに千切るとトキヤへ手渡した。
「これはね、今では使われていない属性に反応する特殊な魔法紙なの。もしかしたら、本当にもしかしたらだけど……これならと思って」
もちろん、反応しない可能性だってあり得る。だが、システィアは諦めてはいない。トキヤもそれは同じだった。
「システィ、わざわざありがとな。やってみるぜ」
「うん……」
お願い。声には出さず、システィアは両手を組んで見守った。
クシャリ、トキヤが紙を握る。
集中、今日一番の集中だ。祈るようにして、トキヤも両手でそれを握る。
信じないと魔法は使えないんだよ。その言葉を信じて、すぅ、はぁ……と三度の深呼吸。
数秒後、その手を開けば答えが分かる。迷わない。ゆっくりとトキヤは手を開いていく。
「どう……かな?」
心配そうな瞳でシスティアは尋ねる。だが、トキヤは何も言うことはなく、システィアに結果を見せた。
黄ばんだ白。先ほどとまったく色の変わっていない古い魔法紙がそこにはあった。それを見たシスティアは、まるで自分のことのように肩を落としてしまう。
「ダメ……だったのね。ごめんねトキヤ君、期待させるようなこと言っちゃって」
「いや、いいさ。もしかしたら俺って特別かな? なんて思い込んでたけど、実際こんなもんだよなぁって」
明らかに声のトーンが下がっている。一番、残念で悔しく思っているのは紛れもなくトキヤだった。
急に強くなった夜の風が、不意にトキヤの手から魔法紙を奪い去っていく。
「あっ、ごめん……魔法紙、飛ばされちまった……」
「ううん。それよりもトキヤ君、本当に大丈夫?」
「……あぁ、でも今日は戻ろう。少し寒くなってきたしな」
夜の風に当たり続けるのは体に悪い。システィアも頷くと、二人は屋敷へと戻っていく。
とてつもなく大きな挫折感をトキヤは味わった。誰かを守るために使いたかった魔法を、使えないと宣言されたような感じだった。
一つ年下のシスティア、二つ年下のシグレ、更には七歳も下のミリアにさえ魔法才能の違いを見せつけられてしまう。せっかくフローレンス家の家族となれたのに、焦りと不安が彼を押しつぶそうとしていた。
だが、システィアもトキヤもこのときは知らなかった。
辺りが暗くなっていたせいもあるが、あの後、風に飛ばされた古い魔法紙に少しだけトキヤの魔力が反応していたことを。
宙を舞っていた魔法紙はひらり、ひらりと行方を彷徨わせ、窓を開けていたある部屋へと吸い込まれた。
「ん?」
部屋で執務を行っていたジョシュアの視界にそれは映り、導かれるようにして机の上へと落ちる。手に取ってみると、黄ばんだ紙には黒い模様が滲み出ていることに気がつく。同時にそれが特殊な魔法紙だということも。
「これは……。そうか、トキヤ。やはりお前は――」
その先の言葉は紡がれない。
ジョシュアは懐のポケットへとそれをしまうと、また忙しい執務に追われていく。
どんな属性を使う? どんな魔法が使える? この話をトキヤが知らされるのは、後の話となる。
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