時刻14 罪と罰
屋敷へと運び込まれたシグレ。容態は無事、山を越えた。
シグレとトキヤが守ろうとしたミリアも軽傷で済み、ここシグレの自室とは別の部屋で眠っている。
飾り気のない少女の部屋。机とベッドが置いてあるだけで、年頃の女の子とは思えないほどさっぱりとした内装だ。
まさかこんなことになろうとは……。そんな憂いの表情を浮かべているジョシュアが、シグレの柔らかな黒髪に触れる。
「ジョシュア様、この度は誠に申し訳ございませんでした……シグレさんがこのような目に」
代表としてこの場に残った二人の衛兵が深々と頭を下げる。
「いい、過ぎたことだ。今はこうしてシグレの命を繋ぎ止めてくれて、感謝の言葉しか出ないよ」
それでも、自分たち衛兵が不審者を町に入れなければ起こらなかった事件。悔やんでも悔やみきれない表情を見せている。
開いていた扉の向こう、衛兵たちに遅れて二人の人物がシグレの自室へとやってきた。
「兄様、ただいま戻ったわ」
「システィアか、トキヤも一緒だな」
「あ、あの……シグレは大丈夫なんですか」
トキヤは早々にジョシュアへと容態を聞く。ジョシュアは頷くと、シグレが寝かされているベッドまで道を通した。
「貴方たちもよくやってくれたわ。今はちょっと外してあげて」
「……はっ、失礼致します」
兄妹二人へ深々と礼をすると、衛兵たちが部屋を後にする。システィアはジョシュアの袖を掴むと、まだ懸念材料が残っていることをトキヤに聞こえないほどの声で耳打ちをした。
「兄様、今回の事件を起こした者とは違う賊も入り込んでいると情報があるの。私は今からそれを探しに――」
「心配するな、もう片付けた」
「……! ごめんなさい、兄様。……ありがとう」
頭を優しく撫でるとシスティアは片目を閉じ、安堵の表情を浮かべる。
ジョシュアは視線を移し、片膝をついたままのトキヤに目を向けた。未だ心配そうにシグレを見つめる。彼の身に何があったのか、ジョシュアには想像に容易かった。
「トキヤ、少し時間をもらえるかな?」
「あ……はい」
「兄様、私も……」
ジョシュアが頷く。今はもう問題ないとシグレをこの場へと寝かせ、二人を連れ出した。
§ フローレンスの屋敷 裏庭
トキヤが現れたここ、フローレンス家の裏庭。
屋敷に合わせ、それなりに広い裏庭は軽く歩くにはちょうどいい大きさ。現在は日が落ちてしまい暗闇が広がっているが、星々と月の輝きはこの場と彼らを優しく照らしていた。
ジョシュアが先行して歩き、トキヤとシスティアもその後ろを続く。
二人にとっては重い空気だったが、ジョシュア側としては叱りつけるためにこの場へと呼んだのではない。けれども、トキヤは先制するように謝罪の言葉を入れる。
「ジョシュアさん、申し訳――」
「それはもういい。衛兵たちとの会話で聞き飽きた」
そんなことを聞くために呼んだのではない、と斬り捨てられる。足はそのまま見晴らしのいい欄干まで伸びると、次第に全員は立ち止まる。
「シグレに頼んでおいたんだ。君を守ってくれとな」
「え……?」
「まぁ、シグレなら私の言葉が無くともお前を守っていたかもしれん。ただ様々な悪い状況が重なった。そして、あの事態を生んだ。お前に責任はない」
「……でも、俺は」
トキヤは上手く言葉を紡げず、俯いては黙ってしまう。
結果的にシグレは助かったが、それはシスティアの魔法と衛生兵の力があってのことだ。
「私が二人から離れたばっかりに……」
「それも終わったことだ。システィア、私の方こそ加勢に行けなくてすまなかったな」
「それは私があれを逃がしたから……」
それ以上は言うなとシスティアの頭にポンと触れ、トキヤたちへ向き直った。
「トキヤ、お前がシグレたちのために奮闘していたのは分かっている。だから――」
トキヤが顔を上げればジョシュアは優しく微笑んでいて、システィアと共に肩を叩かれる。
「システィア、トキヤ。シグレを救ってくれてありがとう」
「っ……はい……」
「兄様、うん……」
それでも悔し涙は消えない。そんな俯いたトキヤを励ますように、システィアは彼の背を擦っていた。
「失礼します。ジョシュア様、こちらに居られましたか」
「どうした?」
屋敷の暗がりから現れた衛兵に促されるよう、ジョシュアは二人の元から離れ、そちらへ赴く。
内容は事件についての報告。だが、それはトキヤにとっての更なる試練となる。
「主犯格を含め、全員を確保できたのですが……その中の一人が死亡しています」
「原因は?」
「頭に打痕があり、それが原因だと思われます。恐らく、壁か何かに強く打ち付けたのでしょう」
「そ……そんな! 死んだ? 死んだんですか……?」
トキヤは覚束ない足取りで、ジョシュアと衛兵の二人の元へと歩み寄る。
頭に強い衝撃を受けた、壁に打ち付けたとすればもうあれしかない。トキヤがシグレを救うために全力で体当たりをぶつけた男。
彼が居た世界で、殺人は凶悪な犯罪だ。たとえそれが故意ではなかったにしろ、防衛の為だったにしろ、過剰という言葉がつく場合がある。生きている上で、多少トキヤも悪いことをしたことがあるだろう。しかし、一般的に見れば善良の域を出ないほどだ。
この異世界で、殺人を犯してしまうまでは。
ジョシュアは彼の顔色に気がつき、皆まで言われずとも察しがついた。
「……話さなくても分かる、お前は本気で殺そうとしてやったわけじゃない。ここにいる誰もがそれを理解している。仮にお前が殺らなかったらお前は死んでいたし、シグレも命を落としていた」
「…………」
「トキヤ君……」
人を殺す、まだそれはシスティアにはない経験。
フローレンス家に産まれた者となれば、上に立つものとして遅かれ早かれ重罪人を裁かなくてはいけなくなる場合もある。
だが、その経験がない以上、今のトキヤに掛けられる言葉を彼女は何一つ持っていなかった。何か励ませるような、元気づけるような言葉を探してはみるが、今はその全てが悪手となりチープな言葉へと変貌させるだろう。
だけど、それでもと――今ある正当だと思われる言葉を探して、言いかけては口を噤む。
「俺は……罰を受けなくちゃいけない、ですよね」
来る予定すらもなかった異世界に来て、誰かを助ける為に人を殺して投獄される。
なんて理不尽な話なのだろう。トキヤの現実でも暗い未来は広がっていたが、世界をどこに移したとしても結局は同じだということか。
だが、ジョシュアは首を横に振った。
「お前は優しいな。殺す、殺されるの瀬戸際だったというのに、悪人の死を尊ぶというのか」
「それは……」
俯くトキヤの顎を掴み、ジョシュアは彼の視線を上げさせた。
冷たいながらにも温もりを感じる蒼い目と、正義の心が宿る黒い目が交わる。
「そうは思ってない目だ、悪人を許せない目をしている。お前が抱いたその罪の意識はとても重要なものだ。自分の殺した者の死を忘れ、見ないふりはしない。何も感じなくなったときこそが、一番恐ろしいものだからな」
「な、何を……」
トキヤの顎から手が離されると、ジョシュアは背を向けた。
「お前は既に死という現実から目を逸らせない罰を受けている。忘れるなトキヤ、それがお前の罪だ」
衛兵から受け取った書類にジョシュアは所定の手続きを済ませる。衛兵もトキヤを捕らえるようなことはせず、一礼するとこの場を去って行った。
「こんな言葉ではお前の中にある物に対して、気休めにはならんかもしれんがな。とにかく、今は風呂にでも入って気持ちを落ち着けてくるといい」
「…………分かり、ました」
そんな気分でないかもしれない。そうジョシュアも分かっていたが、それを勧めるのは一度じっくりと考えるべき時間が必要だと思ったからだ。
トキヤは頂きます、と続けるとフラフラした足取りで屋敷の中へと戻っていく。それを見送ったシスティアは目を伏せるとジョシュアに疑問を投げかけていた。
「私も……いつか人を殺めたら、トキヤ君みたいになっちゃうのかな……」
「どうだろうな。お前にはフローレンス家としての覚悟が既にある、民を守るためならばどんな者にも剣を振るえる。だが、優しい。だからこそ、トキヤの代わりに自分が背負えばよかったと心を痛めているのだろう?」
「……兄様にはお見通しね。でも、結局間に合わなかった。それどころか、トキヤ君に不必要な罪を背負わせてしまったわ」
「そう思っているのならフォローしてやれ。今のトキヤには……システィア、お前が必要だと思うからな」
「私が……?」
お前の優しさが、とまでは告げない。
首を傾げるシスティアにフッ――とジョシュアは笑うと、屋敷へと足を向ける。
「トキヤを頼むぞ。それと、客室で眠っている少女のケアも頼みたい」
「うん、分かった。……兄様はこの後どうするの?」
「事件の処理もだが、シグレの元へ行く。警戒は必要だが、もう敵襲はないだろう。システィアも直に休め。ご苦労だったな」
話が終わると、一足先にジョシュアは室内へと戻っていった。
「……平静を装ってるけど、兄様もシグレのこと心配してたのよね」
若干ジョシュアの足が急いでいたのだ。システィアも屋敷へと戻るとエントランスへと回り、二階の階段を上がる。客室にいるミリアの様子を見るために。
ドア前で警護していた衛兵に感謝し「ここはもういいわ」と告げると、まだ数人残っていた衛兵たちを完全に屋敷から撤収させた。
「ミリア、起きてる?」
コンコンとドアをノックするが、返事はない。
ガチャリとシスティアが扉を開けると、ベッドには枕を抱いて未だ眠っているミリアの姿。
「よかった……まだ眠ってるのね」
忍び足で近づき、ベッドの傍らに腰を掛けると金色の髪を撫でる。
「今日は怖い思いをさせてごめんね、ミリア」
「ん……んぅ……シグレお姉ちゃん……」
眠っているミリアは少しだけ微笑みを見せる。夢の中だけは怖い思いをしていないようで、システィアを安心させた。
「シグレも無事よ。最悪の瞬間を見ていなくて、本当に良かった……。トキヤ君にも感謝しなくちゃね」
今はゆっくり眠ってほしいと静かに語りかけ、システィアは立ち上がる。
次に向かうのはトキヤのいる脱衣所。そう時間は経ってなく、先の事件のことで考え事をしているのなら尚更上がってないだろう。
ミリアの眠る客室の明かりを消すと、システィアは部屋を後にした。
§ フローレンスの屋敷 脱衣所
システィアは脱衣所の明かりがついていることを確認し、中へと入る。鍵も掛かっていないのは、恐らくそんな余裕すらもなかったのだろう。
途中、取ってきたバスタオルを手に持って、まだ風呂の中にいるトキヤへと話しかけた。
「トキヤ君、大丈――」
「うわっ! システィ⁉ ご、ごめん……ちょっといろいろ考え事してた……」
反響するトキヤの声。驚きを隠せないその声は、システィアが脱衣所に入ってきたことにも気づいてなかった影響か。
彼の言葉は次第に力を失い、驚いた最初の声と後とではまったく違った。
裏庭では話しかけられなかった。しかし、ここでも何を言おうかと悩んでしまう。ジョシュアからの『トキヤにはシスティアが必要だ』という意味を、完全に理解していないままここに来てしまったからだ。
下手な言葉はトキヤを更に考え込ませてしまう、とはいえ沈黙も悪手だと気づいてはいた。ならば、あくまでも普通。今ある普通の励ましを、とシスティアは吹きかける。
「ト、トキヤ君! あの……さ? 上手くは言えないけれど、あんまり気を落とさないでね……?」
「……大丈夫さ、もう上がる」
相変わらず暗い声でトキヤは言い放つ。もう放っておいてくれと言わんばかりでとりつく島もないくらいに、淡々と。
――ダメ、だったよね。こんなのじゃ。
システィアは気を落としてしまい、近くの棚の上にバスタオルを置いた。今はそっとしておいた方がいいのかもしれない、そう考えながら。
「バスタオル、置いてるから……それじゃ!」
自身の声が暗くなっていることに気づいたのか、語尾だけに元気を入れる。そして、返事を待つわけでもなく、この脱衣所から姿を消した。
「…………何やってんだ俺は……ごめん、システィ」
トキヤの声が響く。
心配して来てくれて、話をしに来てくれたのにも関わらずどうしてと自己嫌悪が募る。
呟いた謝罪の言葉。しかし、それはもうシスティアの耳には届いていなかった。
§ フローレンスの屋敷 シグレの部屋
トキヤから逃げ出すようにこの部屋の前へ来たシスティア。
ジョシュアならば良い解決方法、もしくは助言をくれるかもしれないと思ったから。それともう一つある、未だ目を覚まさないシグレのことが心配だったからだ。
扉をノックすると、ジョシュアの声が返ってくる。
ドアノブを回し部屋へ入ると、眠るシグレの傍らに座った兄の姿が目に映った。
「ごめん兄様……お邪魔だったかな?」
「いいや、大丈夫だ。どうかしたのか?」
システィアは顎を引き、表情は少しだけ落ち込みを見せている。ジョシュアがそんな顔を見ていることに気づくと、システィアは取り繕ったように笑ってみせた。
「シグレ、大丈夫かなーって思って……でも、うん。よく眠ってる、大丈夫そうね」
システィアもシグレの側にまで近づくと椅子へ座る。そして戸惑いながらも、側にいるジョシュアへと尋ねてみた。
「ねぇ、兄様。人を殺めたときってどんな気持ちなの……?」
「トキヤのことか、さては先の話を実践して失敗したか?」
「う……茶化さないで、真面目に答えてよ」
ジョシュアは少しだけ笑い、表情を無へと戻すと空の右手を握る。
数時間も経っていない先の戦闘。その中で殺めた、元は人間だった者のことを思い出す。
あれに対して思うことは何もない。だが、システィアが望んでいるのはそんな言葉ではないことも気づいていた。
「そうだな、あまり気分が良いものではないな」
過去を遡って、殺めた記憶を辿ればそれが適切。多少濁してはいたが、伝えるならばそれが一番だった。
「そうよね……。私も考えただけで胸が苦しくなる。それにトキヤ君は戦い慣れなんてまったくしてなかった」
胸の辺りを押さえ苦々しい顔を表立たせる妹、それに対して今度はジョシュアが尋ねた。
「トキヤは謎の歪みから現れたのだろう?」
「えっ……? 兄様、なんでそれを」
「フッ――やはりな」
「あっ……もうっ!」
言葉を上手く誘導されたシスティアは腕を組みプイッと顔を背けると、ジョシュアは軽く笑う。
「システィアの友達というには、少々無理な言い訳だったからな。だが、直接トキヤが出現する姿を見たわけじゃない。推測の域は出ないがトキヤは平和なところから来たのだろう……今とはまったく違う、どこか平和な」
ジョシュアの虚ろな瞳は、現在のナインズティアを見ていた。トキヤやシグレ、そしてミリアが事件に巻き込まれ、ジョシュア自身も賊に襲われたこと。
お世辞にも平和な世の中とは言い切れない、現代と比べて危険は数多く存在する。人に危害を加える魔物や獣、手配書に載る犯罪者。ないのは戦争くらいだ。
「過去か未来か、それともまた別か。人が死ぬというのが日常的にないところなのは確かかもしれんな」
平和なところから、それも一人で。トキヤはどうしてか分からないまま、このナインズティアにやってきてしまったのだ。
歪みは消え去ってしまい、現在では彼を元の世界に返すことも困難。しかし、支えるだけならばシスティアでもできる。できるはずだ。
意思を持った面持ちでシスティアは椅子から立ち上がる。
「行くのか?」
「うん。私、もう一回トキヤ君と話してみるよ」
「そうか……行ってこい」
ジョシュアの微笑みを背に、システィアは足早にトキヤの元へと向かうのであった。
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