時刻11 恐怖を、変えて
迸 るは赤き液体。
食材が地面へと落ちきったとき、体を押され倒れてしまったトキヤは、目の前にいる和服の少女の後ろ姿を見て絶叫した。
「あ、わ、うわあぁぁぁぁぁぁああ! シグレっ、シグレぇぇぇ!」
「かふっ……! ぐ、うっ……!」
シグレの腹部から背中へとかけて突き出た剣、左足を貫く刃。先ほどミリアだったはずの物からは突如二本の剣が生え、無慈悲に彼女を貫いていた。
止めどなく溢れてくる鮮血は、あまりにも現実離れした光景でありながら『嘘じゃないぞ』とトキヤの脳髄に叩き込んでいく。
脳が物事を処理できないにもかかわらず、現実は更なる絶望を突きつけてくる。剣の根元から人が現れたかと思うと、二本の剣を乱暴にシグレの体から引き抜いた。
「あぐっ! うっ……うぅ……っ」
ボタボタと血が吹き出し、地面が真っ赤に染まっていく。支えを失ったシグレの体はグラリと崩れ落ち、トキヤの前に立つものは敵以外の誰もいなくなった。
「馬鹿が、女の方を傷つけやがって……まさか、俺らに気づく奴がいるとはなぁ……」
トキヤの背後から声が聞こえる。辺りを見渡せば袋小路だったはずなのに、既に五人という数の人間がトキヤたちを取り囲んでいた。
うっすらと見え始めたその姿に、認識阻害という言葉を思い出す。
一度は見た、シグレからも聞いた。だが、そんな透明化できる魔法のようなものがあるとトキヤは信じ切ることができなかった。
それが迂闊を招く。絶対に誰かがいるであろう袋小路に、ミリアの偽装を施された物を見てノコノコと飛び込んでしまった。
偽装だったという証拠に、ミリアをずさんに模したと思われる土人形が転がっている。そして、闇から現れた五人の中の一人。ターバンを巻いた男の左肩には、ぐったりしたまま動かない本物のミリアが担がれていた。
「チッ、てめーがそんなガキを連れてくるから悪ぃんだろうが」
「仕方ねーだろ。このガキが思った以上に高価そうな物を持っていたんでな……へへへ」
ターバンの男は、右手で摘まんだ鈍く銀色に光る小さなコインを見てニヤニヤと笑っている。
それは見覚えのあるコイン、トキヤがミリアにあげた百円玉硬貨。
彼の世界では百円の価値しかないものだったが、ここナインズティアではそうではないということ。異世界では思いもよらないものに価値がつく可能性がある、そして実際についた。その価値にいち早くトキヤが気づければ幸運だっただろう。
だが、今ある現状は違う。これは誰のせいでもなくただ、たまたまトキヤの運が悪かっただけ、それだけのことだ。世の中の理不尽はどこに行っても変わらない。
「後で山分けだぞ。追っ手が来る前にさっさとこいつを始末して、次の町に行くぞ」
項垂れている場合ではない。トキヤ自身が引き起こしてしまった事態に、なんとかして考えを巡らせる。
――考えろ。どうする? どうする! ミリアとシグレを助けて、尚且つ、この五人から逃げられる方法を!
しかし、そう簡単に妙案は思いつかない。
当たり前だ。五人の男から囲まれている上、その内の三人は武器を所持している。
対してトキヤは完全な丸腰。相手は躊躇なくシグレを刺し倒した者であり、これ以上ないくらいの劣勢なのにミリアの身柄まで奪われている。
勇者でもなく、チート的な何かを持っているわけでもない。今、この場を切り抜けられる方法を、残念ながら彼は持ち合わせていなかった。
「それじゃあ、この男は用なしだな。まずはこいつを殺すぜ」
「さっさとしろ。時間がねぇんだからよ」
「っ……マジか……よ……」
シグレを瀕死へと追いやった人物とは違う男が前へと歩み出る。鞘から黒い剣を抜きだし、一歩一歩トキヤの方へ。
氷のような絶望と心臓が焼け付きそうなほどの鼓動。死がトキヤのすぐそこまで這い寄ってきている。
死ぬ、殺される。何か行動を起こさねば、本当に死が待っている。だが、死はある人物を前にその歩みを止めた。
「なっ……! まだ動けるのか⁉」
目の前の男が声を上げる。
男とトキヤの目線の間、血に塗れた黒装束の少女が小さな体を立ち上がらせていた。
「ぐ……ゲホッ! ゲホッ! ふっ……はぁ、はぁ……大丈夫、です。私が守りますから。トキヤさんも、ミリア……もっ!」
咳に血が混じる。
動けるような体ではない。満身創痍、それでも今ある命を守るために立ち塞がっていた。
「シグレ、無茶だ……そんな体じゃ……」
シグレは首を回すと、言葉の代わりに横顔だけで微笑みを返す。血で濡れてしまった右手が、空 を一閃するとどこから現れたのかその手には刀が握られていた。
戦うつもりだ。このまま戦わせれば、最悪のことになりかねない。
なのに、トキヤは震えを収めることができず、力を入れることを忘れてしまったように体が動かない。
「どうして……! どうしてだ、なんで体が動かねぇ……んだよ……!」
何もできない、何もしていない。
何が勇者か、何がシスティアやシグレを守るか。威勢だけはよくて、実際に何かが起これば震える子犬のように何もすることができない。そんな自分の弱さにトキヤは苛立ちを覚えた。
「はぁ……はぁっ……ん」
ゆっくりと視線を前へ戻すシグレ。
整わぬ喘鳴を押さえ込み、やがて刀をその両手に構えた。
「……なんだこの威圧感は? おい!」
「あ、ああ……だが、所詮は死にかけだ。二人でかかれば怖くねぇ」
死に染め衣装の少女。
その異様な雰囲気に押され、ターバンを巻いた男の前に立つ者が二人へと増えた。
シグレを仕留めたと思っていた双刃を持つ者と、トキヤを殺そうとした者。痺れを切らしたのかターバン男は大きな声をあげる。
「こ、殺せ!」
開戦の合図。
共に小さく、そして力強くシグレが言葉を紡いだ。
「ふ……ぅ。シグレ・アサミヤ、推して……参ります……!」
すり足から、瞬時に地面を蹴り、ミリアを取り戻すためターバンの男へと距離を詰める。
歩みは至って直線的、言ってしまえばまともに二人を相手にする愚直な行為だ。その突進速度は、後ろで見ていたトキヤの目にも捉えられないほどではない。つまり、目の前の二人にも容易く捉えられているということ。
シグレへと襲いかかる三本の剣、打ち合いは避けられない。
「ぐっ……⁉」
「がっ……!」
そう、避けられないはずだった。
トキヤの目に映ったのは二つの剣閃。そして、硬直した男二人の姿。
一人の少女を前に、二人の男がグラリと倒れていく。己の重傷と人数差、それを物ともせず、打ち合いもなしにシグレは男共を地面へと斬り伏せたのだ。
信じられない光景。シグレの刀身は確かに男二人の刃に阻まれていた。あれをどうやって切り抜けたのか、トキヤには理解が及ばない。ただ言えるとするならば、まさかという状況を一人の少女が生み出し、希望への活路を繋いだということだ。
だが直後、シグレの体がよろめき、たたらを踏んだ。
絶望的な状況はすぐに変わるわけではない。退路を断っていた男がトキヤの横を通り過ぎ、彼女の後ろから迫る。
「っ――! シグレ、後ろだ!」
「このクソアマ!」
「……! くっ……!」
武器を持つ三人目、振り上げられた剣がシグレを狙う。
トキヤの声で気づいたシグレは痛む体に顔を歪めつつも懐へと飛び込み、柄頭をみぞおちへとねじ込んだ。
「おぐぅ! ご……」
息の止まる一撃。
人体の弱点へめり込むほどの攻撃は、どんな大男でも気絶へと追い込むには容易い。そこまではよかった。
次の瞬間、シグレの目には全身を覆い尽くすような影が広がる。
「っ⁉ しまっ――」
「ぐ……う……」
気を失った男の全体重が、満身創痍の少女へと襲いかかる。
血を多く流してしまった体では、到底持ちこたえられない。シグレは為す術なく下敷きにされてしまった。
「あ……いっ、あぐ……あぁっあああっ!」
裂帛の叫び。
あれだけの傷で更にのしかかられている状態では、もう動こうにも動けない。
「くそ……! シグレ!」
――動け、動けよ! 俺の体!
何度念じても、体の震えが収まらない。完全に力の抜けた体を奮い立たせようにも、トキヤの思いに反して体は全く動こうとしなかった。
下敷きとなり、動けない彼女の元へ四人目の男が近づいていく。守られていたターバンの男は焦り顔を一転、勝ちを確信したのか気持ち悪いほどのニタリ顔を醸し出していた。
「よし、随分やられたがいいぞ! トドメをさせ!」
「言われなくても分かってる。手間かけさせやがってせっかくの上物だったが、ここまでやられてはな。これで終わりだ」
「……ぅ……ぁぅ……」
痛みと押し倒されたときの衝撃、衰弱しきっていたシグレにもう意識はなかった。
ターバンの男に言われるがまま、男は落ちていた剣を拾う。――もう時間がない。
下敷きとなってしまって顔しか見えないシグレに一歩、また一歩と男が近寄る。――もう動く、動けないの問題ではない。
剣が構えられる、狙いはシグレの喉元へ。――ここで動かなければシグレの命は奪われ、ミリアは連れて行かれ、トキヤもここで殺される。
覚悟を決めたわけじゃない。
だが、剣が振り下ろされる一瞬の隙、気がつけばトキヤの体は動いていた。
「動け……! 動け! 動けぇぇぇぇええあぁぁあああああっ!」
「……! なにっ⁉」
震える恐怖を、渾身の力に変えて。トキヤはシグレの首を狙う男に、一心不乱の体当たりをぶちかました。
「うっおぉぉぉおおおぉぉ――」
「このっ……!」
闘牛のような決死の一撃、虚を突かれた者にその突進を止められる術など最早何もない。トキヤは容易く男を押しやり、バランスを崩させる。
「――おおぉぉおおおおっ!」
「ぐっ……なん、だ……こいつはっ!」
高速で倒れる二人の体、男の頭が壁へと吸い込まれていく。
「ガッ……!」
まるで首を絞められたアヒルのような声。男はそのままの勢いで壁に頭を打ち付けられ、鈍い音を発した後、動かなくなった。
「うっぐ……くっ……シグレ、シグレ!」
倒れた男の上からすぐにトキヤは起き上がり、シグレを助け出すため、彼女に覆い被さっている男を退かした。
顔も服も血で染まり、意識もない。腹部からは血が止まらず、左足もひどい惨状だ。
「血が……こんな……。し、止血だ。止血をしないと……」
トキヤは慌てて地面を探り、散りばめてしまった荷物から一枚の赤い布を取り出す。シグレから選んでもらったときにはこんなことになると、思いもよらなかっただろう。
適度な長さに布を破ると、特に出血の酷い腹部へと巻き付け、力強くギュッと結んだ。
「血が止まらねぇ……シグレ! 返事をしてくれ、死んじゃダメだ!」
「クソ、使えない奴らめ……!」
ターバンの男はそう吐き捨て、必死で止血を試みるトキヤへと背中を向ける。
仲間だったはずの四人を置いて、そそくさとこの場を立ち去ろうとしている姿をトキヤは睨み続けることしかできなかった。
逃げる、逃げられる。このままではミリアが連れて行かれてしまう。そう分かっているのに、為す術がない。目の前にいるシグレの傷口を、これ以上の血が溢れないように押さえているだけで精一杯だった。
――諦めたくねぇ、諦められねぇ。でもこの傷を塞がなきゃシグレが……。だからってミリアがこのまま連れて行かれてもいいのか⁉ くそ、くそっ!
どちらか一方だけしか助けられない自分の力を恨み、今以上の何かを変えることもできない自分に涙し、俯いて歯を食いしばる。
もう少し早く動けていたら、あのとき迂闊に近づかなければ、そう思っても後の祭りだ。
けれども、振り絞ったトキヤの勇気は決して無駄には終わらなかった。
「ぐあっ!」
ドゴォという音と共に、ターバンの男がトキヤの近くへと吹き飛んでくる。
何事かと顔を上げ振り向くと、そこには――
「トキヤ君、シグレ! 無事⁉」
懐かしい声。
先ほど別れたばかりだというのに、耳に響いたのはとても懐かしく思ってしまうほどの優しい声だ。それほどまでに今という現状はトキヤの精神をすり減らしていた。
「シス……ティ……」
ぼやけた視界の先に浮かぶのはトキヤが諦めたくなかったミリアを抱きかかえる、白く美しいアイボリーの髪を揺らす少女。
それはまさしくシグレとトキヤが繋いだ、希望を体現したかのようなシスティア・フローレンスの姿だった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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