時刻117 熱烈な歓迎
次の日の朝。システィアとの約束の時間までまだ余裕のあったトキヤは、高台の墓地で親友の墓に手を合わせていた。
王都からフローレンスの町へ。帰路を辿ることになるのはまだまだ先だが、離れてしまえば訪れる機会は極端に減る。だから今のうちに、時間が許す限りはここへ訪れようと決めたのだ。
「……トキヤ。来てたのか」
「! ガンズ隊長」
黙祷を止め、振り返れば一人の大男がそこにいた。
「早いですね。フリッツも喜んでそうだ」
少しだけ微笑みを浮かべトキヤは言うが、ガンズは答えず、横を通り過ぎると墓の前で膝を折った。
互いに無言のまま、数十秒に渡る祈りの時間。それ以上が経過しても、ガンズは立ち上がる素振りすらみせない。いたたまれなくなったトキヤは、何か話題はないかと模索を始めた。
「あー……そういえば調査隊の方とか、どうですか? 調子とか」
「……」
これにもガンズは答えない。あまりの返答のなさに困惑しながらも、話を続ける。
「そうだ。俺、今日はシスティと一緒にギルドの緊急依頼をこなしに行くんです。ジョシュアさんからの命令で……あ、いや命令だからってだけじゃなく、自分がやりたいから。自分が強くなるためにも、少しでもフリッツのような犠牲を出さないためにも」
「…………」
「ここに来るまでにも、いろんな敵と戦いました。黒犬の群れとか、変な草の化け物だとか、ゴーレムみたいな奴も……って、あいつとはちゃんと戦ってねぇか。そんで、戦いの中でやっぱ調査隊の人ってすげぇんだなって思ったんです。何かがあればそこへ遠征して、もしも敵がいたら討伐して。それで――」
「トキヤ」
今までの戦いで感じたことをトキヤが夢中で話していると、ガンズはスクッと立ち上がった。
「フリズから聞いてないのか? 俺に関わるなと」
「あ、まぁ……。言われは……しましたけど」
トキヤが歯切れ悪くそういうと、ガンズは切り捨てるように言い退ける。
「じゃあ、これからはそうしろ。俺はお前から隊長と呼ばれる筋合いもない。肩書きもな」
「え?」
「隊長ー!」
静かだった墓地に、突然大きな声が響き渡る。
聞き覚えのある声だ。トキヤは振り向くと、こちらへ走ってくる人物の姿が目に映った。
知っている人だ。調査隊メンバーのジョン。フリッツの同僚で、同時にガンズの部下でもある。だがガンズはその声を聞くや否や、厄介な奴が来たと言わんばかりに頭をガシガシと掻きむしった。
「! 君は、トキヤ君。王都へ来ていたのか……」
「あ、はい。ジョンさんもお元気そうで」
「ああ……まぁ」
表情は難色を示している。フリッツがいなくなった後、何かあったのか? そう思わせるほどの違和を、場の空気からトキヤは感じ取った。
またここに来ていたんですか、トキヤと話していたときとは明らかに声色が変わった。その一声を皮切りにジョンは激昂する。
「いい加減にしてください! いきなり調査隊を辞めると言い出したり、代わりに俺を隊長に抜擢したり! 悲しいのは分かります。亡くなったかつての戦友方々を忘れろとも言いません。が、貴方の行動はあまりにも度が過ぎている! この王都周辺で魔物等の被害が増えているのはご存じでしょう⁉ それなのにご自分だけは現実逃避ですか⁉」
ガンズが調査隊長を辞めた? トキヤは驚愕すると同時に、それが本当だとするならば先程の『隊長云々』の話も分かってくる。
「俺に戦う気力はもう残っていない。俺が剣を握れば、他の誰かが死ぬことになる」
「そんなの、どこの隊だって同じでしょう! かの雷神の隊ですら、最近は死者が出ている。ギルドの方も討伐ライセンス持ちに呼びかけているようですが、数が足りていない状況で――」
「数が足りていないのも被害が増えているのも、実際には国が祭をしたいだけで無理に魔物の討伐範囲を広げているからだろう? 被害は確かに例年よりも少々多いだろう。だからといって討伐範囲をいきなり二倍、三倍と伸ばせばそれだけ人員も必要となり、無駄に血も流れよう。そんな状況で俺が行ってどうなる? 兵士たちを鼓舞して、石の裏をひっくり返してでも魔物を皆殺しにしろと言えばいいのか? よせ、魔物の被害はどうせ収まらんよ。古来にも今以上の大きな討伐が行われたと記録にあるが、闇より生まれる魔物は姿を消すどころか今でも存在し続けている。つまりそういう世の中なんだ」
「仰りたいのはそれだけですか、ガンズ隊長っ! それでも俺たちは調査隊でしょう⁉」
「だから辞めたと言っている。後は隊長のお前がやってくれ」
ガンズはそれだけを言い残すと、二人の間を強引に通り過ぎていく。
腑抜けてしまわれたか! ジョンが隊長だった人に対して咆哮を上げるも、ガンズは反応すら示さなかった。
諦めという文字が滲んだ背中。小さくなっていく後ろ姿に何か言葉をと、手を伸ばして探してはみるが、今のトキヤでは宙に浮かんだ拳を固めて落とすだけ。見つけることなどできはしなかった。
§ 王都ブルーインズ・リブレリーフ 大通り
「――キヤ君! トキヤ君! 危ない!」
「……んあ? ぐあっ!」
トキヤは何かにぶつかると、尻餅をついて倒れてしまう。ゆっくりと顔を上げれば、そこには強面の男が。
「あぁん? なんだぁ? てめぇら」
「ご、ごめんなさい! 彼には言い聞かせておきますので! ほら、ボーッとしてちゃダメだよ! 人通り多いんだから!」
「わ、悪い……。すみません、ぶつかっちゃって……」
「チッ、気をつけろ」
システィアのおかげで、特に因縁を付けられることもなく事なきことを得る。
約束通り、システィアと合流したまではよかったが、墓地での一件で頭がいっぱいになっていたせいか前すら見えていなかったようだ。
「トキヤ君、大丈夫? さっきからずーっと上の空だよ……もしかして今日、本当はダメな日だった……?」
「あっ、いやいやいや! そんなことねぇよ! ただちょっと考え事してて」
「考え事? それってこの前のこと……だったり?」
「この前?」
「うん。この前、クロード君と話してたときの……あれ」
「あ。あー!」
システィアが差している言葉は例の『貴族と平民の違い』のことだろう。というか、クロードとの因縁はそれしかない。
「あれね! 別に俺は気にしてねぇよ。実際、俺が出過ぎた真似してたってのは本当のことだったし。システィにもメンツって物があるだろうから、その……悪かった! この通り!」
「あ、謝らないで! 私、本当はあんなこと言うつもりなんてなかったのに……傷つけたんじゃないかって、ずっと」
ごめんね。システィアは俯きながらぽつりと言葉を零すと、その瞳にはじんわりと涙を浮かべていた。
「だだだ大丈夫だって! いや、少し考えることはあったけど……俺は平気だからさ、うん。つーか、もうどんどん言っちゃって! 本当はシスティ、そんなこと思ってねぇって勝手に解釈するから!」
「う、うん……? じゃあ、お言葉に甘えて……? じゃなくて、言わないようにするから!」
本当にごめんね。重ねてそう言われると、申し訳なくなる。トキヤが困り顔をしていると、システィアはもう一つだけ言葉を零した。
「貴族だとかそういう偉そうな立場にいなきゃいけないの、本当嫌い」
聞き間違えではない。ガヤガヤと多くの人が行き交う中でも、トキヤにだけははっきりそう聞こえた。そんな言葉を、貴族のトップであるこの子が言ってしまうのだ。
きっと本心だとしても、言えはしない。どの世界でも嫉妬の炎は燃え尽きることを知らないからだ。大貴族になりたくても、なれない者たちがいる。そんな人たちがこの言葉を知れば、糾弾を免れることはできない。
それでも、トキヤにだけはそう言ってしまった。それは本心だと言うことをトキヤにだけは知っていてもらいたくて、『誰とでも平等に』を愛するシスティアだからだろう。彼女の本質は出会った頃から変わっていない。
それが聞けただけでトキヤは嬉しかった。王都に来て、システィアは変わってしまったわけではないと。そんな当たり前のことなのに、その当たり前に気づけたことがとても嬉しかった。
システィアの本音を聞いてからしばらくして、トキヤたちは目的の場所へと辿り着くことになる。
白と淡い青が基調の建物。ちょっとしたお屋敷……どころかフローレンス家の屋敷よりも大きい。けれども、両開きの玄関扉の上に付けられた剣と杖が斜めに交差したエンブレムから、紛れもなくここはギルドなのだと分かる。
製錬街の支部とは雲泥の差だ。流石は王都、流石は本部。三階くらいはあろうか? それほどにデカい。
やはりこういうのを前にすると心が躍る。トキヤはゴクリと喉を鳴らした。
「じゃあ、入ろっか」
「お、おお!」
両扉に手をかけ、いざ中に。すると――
ワイワイガヤガヤと、多くの冒険者風の人だかりがそこにはあった。まるで本物のRPGにでも紛れ込んでしまったかのような。
「それじゃトキヤ君、ちょっと待ってて。緊急性が高い依頼を受けてくるから」
「あ、ああ。じゃあ、俺はその辺で待ってるよ」
システィアはそう言い残すと、窓口の列に並びに行ってしまう。
もう少し時間がありそうだと、支部でもやったようにキョロキョロしていると、やはりというかギロリと睨まれてしまった。
新人は睨まれる宿命にあるのだろうか? 慌ててトキヤは目を逸らすがどうやら一歩遅かったようで、先輩風を吹かすかの如く、ズカズカとある男が向かってくる。
「お? 誰かと思えば、さっきの小僧か」
「あ、どうも……」
無精髭面の顔を見て気がつく、先程大通りでぶつかってしまった男だ。ここにいるということは、目的はトキヤたちと同じか、またはただ単に依頼を達成して報酬を得たい人間かだ。
男は手で髭を揉むと、下品な笑みを浮かべている。
「こんなところでまた出会うとはな。学生の分際で小遣い稼ぎか?」
「いや、小遣い稼ぎとかじゃないですけど。普通に緊急性の高い依頼を受けに――」
「緊急性の高い依頼? お前、ランクはいくつなんだ?」
「Eですけど……」
「E⁉」
男は驚いたかのように目を丸くしたと思えば、次の瞬間、ゲラゲラと大声で笑い始めた。
「がはははははっ! 聞いたかよお前ら! Eだってよ! そんなランクじゃ緊急依頼どころか、草むしり程度の依頼しか受けれねぇだろ!」
それに呼応してか、髭面の男の後ろで机に座っていたパーティ連中も笑い始める。
「なんだったら嬢ちゃんと一緒になら、パーティに入れてやらんこともないぞ? お前みたいな奴でも囮くらいにはなるだろうからな!」
その言葉を聞いて、男の目的が分かる。目当てはシスティアだ。パーティには誰一人女性がいない。紅一点としてシスティアを入れたいわけじゃないだろう。狙いはもっと邪悪な――
人間の醜悪さは、嫌というほど知っている。街の外へ出れば、危険なのは魔物や獣だけじゃない。自分だけが分かっている地雷原に、システィアを巻き込むことができようか。
「わ、悪いんですけど、遠慮しときます。正直、俺じゃ役に立てそうもないん――ぐっ!」
「……んなこたぁ分かってんだよ。お前みたいなのはどうでもいいんだ。いいから、女を説得して来いっつってんだよ」
肩を組まれたと同時に、脇腹へゴツンと鈍い痛みが走る。どうやら最初から拒否は許されていないらしい。
臭い息だ。不良と呼ばれる人間から、こういう圧をかけられたことはよくある。強い人の悪意。ギルドがあると著しく治安が悪くなると言ってはいたが、こんなにまで。
振りほどくか? いや、あっちは四人だ。勝てるビジョンが見えない。そもそもギルドの中で揉め事を起こせばどうなる? まとめて出入り禁止か? それならまだいいが、先に手を出してきたのはこちらじゃないと言われれば、民主主義の法則上、四対一。絶対的数の暴力で一方的に悪くされるのは分かりきっている。否応なしにそんなことになろうならば、システィアに大きな迷惑がかかってしまうだろう。
トキヤがこんな状況になっているのにもかかわらず、ギルド嬢も、他の人たちも気づいてはくれない。それもそのはず、今ギルド内は多忙を極めており、パンク気味だったからだ。
そして今、トキヤがこのように捕まっていたとしても、他人の目からはじゃれ合いにしか映らない。そう見せられているのだ。
――何もできねぇ。結局、またシスティの力に頼ることになんのか。
いつの間にか、組まれた肩はヘッドロックの域に達している。
システィアが帰ってくるまで、この状態に耐え抜けば、追っ払ってもらうことも可能だろう。この男に嘘をついて、システィアが戻ってくる時間を稼ぐのも手だ。
だが、どちらに転んだとしても、そこにはシスティアの力が必要になる。そう、システィアの『大貴族』という産まれの力が。
――嫌いって言ってたのに。結局、俺もそれを当てにすんのかよ……。
貴族と平民の違いが胸を叩く。確かに貴族と平民とじゃできることに差がありすぎる。システィアやクロードにはできても、トキヤに同じことはできない。
だから諦めるのか?
――違ぇだろ、平民でもやれる方法くらいあんだろ。たとえここで俺が暴れたとして、システィとの関係性を否定すりゃ、最悪俺だけギルドから追放で、システィには迷惑かからねぇ!
どんなに最低の状況でも、幸いなことに人はいる。この場には先日、製錬街から異動になったギルド嬢のリーザだっているかもしれない。善意を持った人ならもしかしたら仲間になってくれる可能性だって充分にあり得る。
やるぞ、やってやる! 思い立ったが吉日だ! と、トキヤは大きく息を吸い込んだ。力の限り叫んで、暴れてやると。
その時だった。頭を固めている力がふと消える。
「いでっ! いでででで!」
システィが戻ってきてくれたのか? それともリーザが気づいてくれたのか?
だが、解放され、振り向いたトキヤの瞳に映ったのは、思い描いた現実と全く違う絵柄。
そこには例の。昏冥王ゼフォンに付き従っていた白銀のフルメイルが、髭面の腕を捻り上げていた。