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時刻99 それが課せられた者の使命

 充分な眠りは取れなかったが、頭は思った以上に冴えている。これ以上ここに留まっていても、寝過ごす心配の方が遙かに大きい。

 少し外の空気でも吸いに行こうか。出発にはまだ早い時間だが、トキヤは旅支度を整えると宿の外へ向かう。


「今日も良い天気だな」


 朝日を手で隠しながら、蒼空を仰ぐ。ひんやりとした空気を肺いっぱいに取り込めば、体が活性化するのを感じる。

 とても静かだ。車の音もなく僅かに感じる音と言えば、パッカラパッカラと馬が走るような音だけ。

 トキヤがぼーっと茶畑を眺めていると、段々とそれは近づき――


「ん? うおわっ!」


 目標が自分だと気づいたときには、トキヤは驚いて尻餅をついていた。


「どうどう!」


 馬の大きないななき。前足を大きく振り上げ、竿立ちになった馬を華奢な女性が上手く取り回していた。

 馬の前足がドスンと地面に降りれば、続く笑い声。


「あはは! ごめんなさい、驚かせちゃったかしら?」

「レ、レナ⁉ ってか、でっか! なんだその馬!」

「わたくしの火車馬(ひしゃうま)よ! 大きいでしょう?」


 軽く見積もっても、体高三メートル近くはあるだろうか? 普通の馬と比べても規格外だ。赤く輝く体毛にも目を奪われるが、筋肉質な足は目を見張るほどの太さ。競走馬などで知られるサラブレッドとは訳が違う。

 荷台を引くための力も備えているのか? 後ろ足で一蹴りされでもしたら、気持ちよくあの世行きだろう。


「もう一頭いるのだけど、どうかしら? 一緒に走ってみない?」

「いやいやいや! 無理だって! そもそも俺、馬とかほぼ乗ったことないし!」


 単車ならそれなりに扱える自信はあったが、馬となるとそうはいかない。子どもの頃、僅かに乗ったくらいで、それもインストラクター同伴だった。


「そう……それなら確かに危険ね。じゃあ、わたくしの後ろにならどうかしら?」

「えっ、いや、それも」

「昨日から否定ばかりの殿方ねぇ。いいから! わたくしの命令よ!」

「へ、ちょ! うわっ!」


 レナが指先をくるくると回しトキヤに向けると、彼女の背後から打ち出されたのは光り輝く布。すぐに捕まったトキヤは為す術もなく引き寄せられ、気づけばストンとレナの後ろに座らされた。

 布からは解放されたが、一体どこを掴めば――


「行っくわよー!」

「うわっ、ちょぉぉ! うわぁぁぁぁっ!」


 またしても馬は竿立ちになり、トキヤは考える暇などなく咄嗟にレナの腹部へと手を回すしかなかった。

 パカラパカラと二人を乗せ、走っていく火車馬。

 その様子を宿の二階窓から覗いていたシスティアは、顔を伏せると机の上に目を移す。

 小さな黒い箱。フローレンスの屋敷から持ってきたそれに、ゆっくりと手を伸ばすのだった。


 § メイヤの村はずれ


 いつしか風斬り音は止み、ゆったりとした速度に落ち着いた火車馬。

 辺りには陽光を反射する茶畑が広がっている。

 かなりの速度で走っていたはずなのに、不思議と尻が痛くないのは特殊な馬だからか、それともレナが何かをしてくれていたからか。


「トキヤさん」

「は、はいっ?」

「ふふ、声が上擦ってるわ。わたくしみたいな美しい女性と、時間を共にできて緊張しているのかしら?」

「そ、それは……まぁ確かにあるというか」

「否定はしないのね。嬉しい」


 昨日の今日だ、意識しない方が難しい。

 今でもあの答えは間違いではなかったと言える。けれども、拒否はあまりにも一方的だった。


「あのさ……昨日のことは」

「撤回なさる?」

「いや、そうじゃなくて! ……レナとは会って間もないだろ? だから友達から始めるとか、できねぇのかなって」

「ふぅん……。トキヤさんって、随分乙女のようなことを言うのね」


 立ち止まった火車馬。長いスカートを翻しレナが降りると、トキヤも同じように降りる。

 火車馬の尻をレナが二度叩けば、馬は元の道を足早に去っていく。

 それを見送れば、レナはゆっくりと芝生の上に腰を下ろし、トキヤもそれに倣った。


「ノブレス・オブリージュという言葉を知っているかしら?」

「……聞いたことくらいは。確か高貴さはなんとかって」

「貴族でもないのに博識ね。そう、高貴さは義務を強制されるという意よ。わたくしは大貴族であり、人を導く使命がある。この白の領地を守り、人を人として導く義務が」

「あ、ああ……」

「この村を見て?」


 言われるがまま、トキヤは辺りを見回す。

 茶畑の中から顔を覗かせるのは、年老いた人々。だが、疲れ切っていた昨日の顔が嘘のように生き生きとしている。

 気づいた人々がレナに軽く会釈をすれば、レナは手を振り返す。


「ここはかつて、例の魔導士(ソーサラー)に襲われ壊滅したの」

「例の魔導士(ソーサラー)って……まさか黒の姫君⁉」

「しっ」


 人差し指で唇を押さえられ、トキヤは黙る。

 黒の姫君という単語は、今のナインズティアでタブーとして扱われていることが多い。あまり口に出すべきではないことを思い出す。


「恐れ気もなく名を出すなんて、貴方は変わってるわね」

「いや、迂闊だっただけだ」

「そう? 忘れていたと言いたげな顔だったけど」


 観察眼が鋭い。「まぁ、いいけど」とレナは続け、微笑む。


「それでもここまで復興させたのよ。白に、わたくしに大貴族としての誇りがあったから。そんなわたくしをトキヤさんはどう思うかしら?」

 それを聞いてトキヤは、自分の発した言葉の愚かさに気がついた。

 友達だなんて烏滸がましい。そもそも住む世界が違うのだと。


「困らせてしまったわね、ごめんなさい。たとえ縛られていたとしても足掻く、シアやジョッシュ兄がわたくしは羨ましいのかもね」

「レナ、俺は――」

「わたくしに負い目を感じているというのなら、気にしないで頂戴? 惜しいとは思うけど追わない主義なの、わたくしは」


 こんなこと言ってしまったヒロインとしては負けかしら? と、冗談を添えるレナ。

 だが次の瞬間、彼女の表情は消え失せ、代わりに真面目な面持ちに変わる。


「貴方には貴方の世界がある、同様にわたくしにも。だからこそ、今だけは友人として忠告しておくわ、トキヤ(・・・)。大貴族と、中途半端に関わるとロクでもないことになるわよ」


 会話を打ち切るようにして、レナが立ち上がる。

 それに釣られてトキヤが顔を上げると、二人の元に歩いてくるシスティアの姿が目に入った。


「レナ、トキヤ君。そろそろ出発したいんだけど、いい?」

「ええ、もちろん。それじゃ先に行ってるわね」


 システィアとすれ違ったレナは、後ろを向いたまま一度だけ手を振ると宿屋の方へ歩いていく。

 残されたトキヤはシスティアと目が合うと、決まりが悪く、目が勝手に逸れてしまう。

 昨日の今日とで、とても重苦しい空気だ。レナと二人きりになっていたせいで、更に拍車が掛かっている。

 なんと言うべきか、まずは弁解か? それとも謝罪か?

 そんなトキヤの空回りした思考は、ある言葉を境に止められる。


「ほーら、トキヤ君! 早く行かないと、みんな待ってるよ?」

「えっ? あ! 悪い!」


 システィアは思いのほか笑顔で、トキヤを拍子抜けさせるには充分だった。

 立ち上がると、すぐにシスティアと共に歩き出す。その中でふとシスティアが見慣れない手袋を付けているのが目に入る。


「あーその! システィ、手袋着けたんだな」

「え? あ……うん」


 一瞬、驚いたような顔をするシスティア。両手を隠すように背へ回すと、後ろ向きに歩き始める。


「なんで隠すんだよー。似合ってるのに」

「そう言われるかも、と思ったから。もう……早速ご機嫌取り?」

「ち、違うって! ホントのことだし!」

「うふふ、はいはい。受け取っておきまーす」


 もう昨日のことは忘れたというように、冗談を交えながら話してくれる。

 システィアが前を向くと、またその白い手袋は見えなくなって。


「でもありがと。すごく嬉しいよ」

「ああ。へへ……」


 鼻の頭を掻きながら、トキヤは照れる。

 システィアの笑顔を見ると、安心する自分がいる。昨日のような悲しい顔はもう見たくない。だから今も、彼女が喜んでくれていると信じていた。


「あ、シスちゃんたちや。おーい!」

「早く来ないと置いていきま――いーや、レナちゃん! 先に着いた方を乗せたら即刻出発しましょ!」

「それいいわね。どっちが早いかしら?」


 白く、豪華な荷台から顔を出した三人が笑っている。それに便乗して、システィアは地面を蹴ると――


「トキヤ君、おっ先!」

「システィ⁉ ちょ、魔法使うなんてせこいぞーっ!」

「知らないもーん!」


 足には自信があったトキヤだが、もちろん惨敗。ゆっくりと走り出した火車にやっとの思いで捕まると、荷台へと乗り込んだ。

 大貴族と中途半端に関わればロクでもないことになる。今のトキヤにはまだ、それを理解するには早すぎた。

 レナとは違い、システィアとはそれなりの時間を過ごしている。だからこそ、自分とシスティアは近い位置にいるはずだと思っていたのかもしれない。

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