時刻9 攫われた少女
トキヤ以外のそれぞれがアイスクリームを食べ終わり、空が夕に差し掛かる頃。しばらくの間、一緒にいた花売りの少女ミリアと別れることになる。
カゴの中に咲く花をもう少しだけ売らなくてはいけないと告げられ、ぺこりと一礼。パタパタと商店街の方へ走り去っていく金色の髪をトキヤたちは見送った。
「くそぅ、俺に金があったのなら全部の花を買い取ったのに」
「きっとミリアはトキヤさんに売りませんよ」
「な、なんでだよ?」
意地悪で言ったわけではない、シグレは難しい顔をして言葉を続ける。
「トキヤさんに『は』、とは言っていません。仮に売ってくれるのならば、私が全て買い取っています。そういうことなんですよ」
「……?」
もしも全てを買い取ってくれるというのなら、確かにミリアは助かるであろう。しかし、それは金が出せる者の偽善にすぎない。
シグレとミリアは親しい間柄だ。偽善であろうが、過去にシグレは出すと発言したことがある。しかし、ミリアは首を横に振った。
親しい間柄であるからこそ首を振るのだ。シグレの知り合いであるトキヤにも、同じことをしただろう。何もない、一期一会の関係ならばともかく、親しくなると目に見えない成約が生まれる。遠慮ではない、相手を慮る気持ちの心が。
だからこそシスティアは彼女の意を酌んで、意図的に一本だけしか買わなかった。
言葉を端折られたトキヤは、全ての意味を見いだせないまま首を傾げる。
「大丈夫だよ、トキヤ君の言ってることも間違いじゃないから。ふふっ、思った通り優しい人だね」
「そ、そっか。でも、優しいかって言われるとどうかな……」
システィアの笑顔に頭を掻きながら照れるトキヤ。同じ考えを持った彼がいることにシグレも少しだけ頬を綻ばせる。
そんなとき、広場が騒がしくなっていることに三人は気がついた。門の辺りに数名の衛兵が集結して、慌ただしくしているようだ。
「何かあったのか?」
「そのようですね。不穏なことでなければいいのですが……」
「ん、ちょっと行ってくる! あとで合流するから、二人は先に食材の買い出しに行ってて!」
走り際にシスティアはそう告げ、シグレたちは了解の合図を返した。
「では、システィにお任せして私たちは買い物を済ませましょう。荷物持ち、お願いしますね」
「お、よしきた! 任せてくれ!」
こうして二人はシスティアと別れ、商店街の方へと足を進めるのであった。
夕方になると買い物客で人通りが更に多くなるこの商店街。トキヤはシスティアと離れてしまったが、これはこれでデートなんじゃないかと頬を緩ませていた。
トキヤがこの異世界に転移して早くも一日が経過している。フローレンス家のおかげで特に不自由なく、馴染んでいけそうだという安心感もあった。
「もしかしたら俺には勇者の素質とかがあって、システィやシグレ、更には王国の危機を救って英雄になったり? 俺がここに来たってことは少なからず何かがあるんだろうし、俺って特別――」
「トキヤさん、ブツブツと何を言ってるんですか。ちゃんと前を見ないとぶつかりますよ?」
「おわっ! っと、いやー! 確かに人が多いなー!」
耳から伝達されたシグレの声で我に返り、恥ずかしいことを呟いていた自分を大きな声でかき消す。過去にトキヤはゲームの勇者に憧れていた時期がある。それは今でも心の奥底に刻み込まれているままだ。
――現実世界ではなぜかストーカー被害や、仕事場でゴミみたいな扱いを受けてたんだ。せめてこの夢ん中くらいなら、特別であってもいいよな。
「ぐふ、ぐふふ」
恥ずかしいとかき消したはずのものがまたぶり返す。傍から見たら変質者の笑いだろう。シグレから少しだけ白い目を向けられながらも、ようやく足が止まる場所へと辿り着く。
食料品が多く並んでいるお店。店主とシグレが話している間、妄想に耽っていたトキヤの目に映り込んだのは山ほどの食材。
シグレさん、やめてください、俺、死んじゃいます。そんな言葉が聞こえてくるような気がするほどの量だ。
「とりあえず、これだけお願いします。大丈夫ですよね?」
ドサドサとトキヤの腕に積まれていく荷物。それをなんとか、男の意地か何かで耐え忍ぶ。
「物理的に無理があるように見えるけど、勇者補正が効いてるのかなんかいけてるぜぇぇぇ! だ、大丈夫そうだ……っ!」
「男の人がいるとお買い物が捗りますね。まだまだいけるそうなので、次行きますよー」
「え? 次? いや、流石に俺の許容重量が既にオーバー気味なんですが。ちょっとー? シグレさーん?」
大量の荷物を抱えたトキヤの声に気づいてるのか気づいていないのか、シグレは機嫌が良さそうにルンルン気分で次の店へと向かっていく。
そんな中、トキヤは荷物の隙間からある不穏な様子を見かけることになった。
「なんだ……?」
遠くで長い金色の髪が揺れ、誰かに腕を掴まれているようにも見えるそれ。
それは言葉通りで、何者かに掴まれているように見えるだけだ。不可解なことがあるとすれば掴んでいる人物の姿が曖昧で特定できないこと。男なのか女なのか、はたまた人ではないのか。言うなれば透明。透明だが、その場に何かがいる揺らぎをトキヤの目は観測した。
嫌がる少女は、透明から人通りの少ない路地へと引きずり込まれていってしまう。
「シグレ、大変だ。女の子が――」
「え? ちょっ、トキヤさん⁉」
異様な事態にトキヤは表情を変え、荷物を抱えたまま走り出す。買い物をしていたシグレもすぐに切り上げ、彼に追従を始めた。
人の波をくぐり抜け、飲んだくれの爺さんが眠っている側を通り過ぎ、少女が消えた路地へと曲がる。
大通りには人がたくさんいたにもかかわらず、犯行は堂々と行われていた。なのに町の人々は気づいていない。明らかに異常なことが起きているのに、誰も彼も。
後ろをついてきていたシグレがトキヤに追いつくと、何かに気がついたのか彼に告げる。
「認識阻害の魔力を感じます。この辺りで確かに何かが起きた……トキヤさん、よく気がつきましたね」
「よく気がついたって、流石にあれはおかしいだろ! 逆になんでみんなは気づいてないんだ? 俺がおかしいのか?」
「それは――いえ、もしかしたらトキヤさんが胸に挿しているフロリアローズの影響かもしれません。魔法に対する抵抗力が、ほんのわずかに上がるらしいと聞いたことがあります」
「ミリアに貰った花……ん?」
現代社会では聞き慣れない単語が飛び出した。
魔法、トキヤはその言葉に首を傾げる。魔法に対する抵抗力など常識はずれ、そもそも魔法という概念自体が論理を飛躍させていた。
「……! しまった、見失ったか?」
走っていたのは見渡しの悪い路地。突き当たったところで道が左右二手に分かれていた。道を違えば確実に追跡の手を失うだろう。
トキヤが辺りをキョロキョロと見回していると、幸いなことに壁になにやら汁のようなものが付着しているのに気がつく。
「……まだ遠くには行ってないはずだ。シグレ?」
地面に落ちている一枚の花びら、花が擦れた際についたと思われる壁のシミ。それを見たシグレの顔は青白く染まり、わなわなと震えていた。
「トキヤさんが言っていた女の子とは、まさか……」
トキヤが見た、少し汚れてしまったあの長い金色の髪。あれは紛れもなく――
「まさか。いや、でも……」
不安が加速する。名前までは告げない。できるならば、先ほどの光景をトキヤも信じたくはなかったのだ。
辺りは刻一刻と、暗くなっていく。最悪な状況でも時間は待つことを知らない。今できることは早く、連れ去られたあの子の元へと一秒でも早く向かうことだった。
「……急ぎましょう」
「ああ」
斜陽が沈み始める。空が紫へと変わる前に、何者かが通ったとされるこの路地を二人は足早に進んでいく。入り組んだ路地は、やがて一つの袋小路に通じていた。
何もない。いや、違う。確かにそこには誰かがいる。
目を凝らすトキヤが見つけたのは一人の少女。壁に背を付け、糸の途切れた操り人形のように項垂れた少女がそこにはいた。
「ミリア!」
シグレが呼ぶ。しかし、返事はない。怪我をしていて喋られないのか、はたまた気を失っているのか、判別するには距離がありすぎる。
「待ってろ、今助けてやるからな!」
トキヤは居ても立っても居られなくなり、傷ついた彼女へと歩み寄った。その時だ、怒声のようなシグレの声が響いたのは。
「違う! ミリアじゃない! トキヤさん近づいてはダメっ!」
「えっ――」
その一瞬は、刹那と表現するにふさわしい。
買っていた山ほどの荷物が宙を舞ったとき、紫空 が逆戻りするかのように目の前が真っ赤に燃える。
トキヤの『此処 』という現実は赤く、紅く染まった。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
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