幕間~十六夜から長十郎への電話~
長十郎視点の閑話です
夜の甲板に上がり、海風に当たりながらのんびりと散歩している最中に携帯電話が鳴った。
「もしもし優希か? なにかあったか」
「孫娘じゃなくて悪かったな」
てっきり留守を任せている孫からだと思って取ったが、電話の相手は低い声で笑った。それは紛れもなく男のもので、しかも聞き覚えがある。
「十六夜か」
「久しぶりだな長十郎。いまお前の家にお邪魔している最中だ」
「まさか、当たったのか……」
嫌な予感ほど当たるらしい。俺は暗い海の波しぶきを見つめながらため息を吐いた。
「ああ、大当たりだぞ。優希に一通り説明して和子を預けた」
言葉も出なかった。まさか養い親に当選するだなんて思ってもみなかった。頭を抱えたが、優希の混乱はきっと俺の比ではないはずだ。余計な心配をさせまいとしてなにも教えなかったことが裏目に出てしまった。
「優希はどんな様子だ? さぞ驚いただろうな」
「俺たちの説明を聞いてポカンとしていたぞ。だが安心しろ。必要な説明は済ませてマニュアルも渡しておいた」
俺は十六夜の声を遠くに聞きながら眉間をぐりぐりと揉んだ。まったくなんていう引きの強さだ。これは日本に帰ったら宝くじでも買ってみるか。きっと少なくない金額が当たるような気がする。
「和子を育てるのは楽じゃない。俺だって経験者だから分かるさ。もしかすると、優希にとっては辛いバカンスになるかもしれないな」
優希が四苦八苦しながらこだぬきの世話をする様子が目に浮ぶ。きっと、愛情深いがゆえに妥協せず、たった一人ですべてを背負い込もうとするだろう。だが、それではストレスで世話をする人間のほうが参ってしまうのだ。子育てとは、人間の赤ん坊にしろたぬきの赤ん坊にしろ、周りの協力が必要不可欠だ。
「心配には及ぶまい。図太そうな娘だったから案外すぐに慣れるさ。それに、あの家から長十郎以外の人間の雄の匂いがした。協力してくれる人間を近くに手配しているのだろう」
「ああ、一応協力者は確保しといたが……さて、どうなるかな」
「心配しすぎるとまた髪が抜けるぞ。これ以上お前の頭が寂しくなるのを見るのは忍びないから、ゆっくりとバカンスでも楽しむがいい。――大丈夫だ、あの娘なら愛情を持って育ててくれるだろう。間抜けそうな面だが、雰囲気がどことなくお前に似ている」
十六夜が語る優希への評価は、良いんだか悪いんだかよく分からない。だが、この男は人を見る目がある。そうなるように、俺の妻が育てたのだ。
「ああ、そうだな。優希は俺に少し似ていると思うよ」
俺は心配するのはやめて、優希の元へ預けられたこだぬきに思いを馳せた。
「ところで、もう名前は決まったのか?」
「ああ、朔という名をつけたよ。優希は抜けている割には、名前のセンスはなかなかだな」
十六夜はそれだけ言って、こちらの返事も待たずに電話を切った。
「朔か。いい名前だ」
静江と俺とでつけた、月を連想させる名前。やっぱり狸には月の夜がよく似合う。俺は携帯電話を懐へしまい、船内へと戻って行った。