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東京を出発して新幹線で三時間。そこから、一日に一度しか往復しないという離島への船に乗り、さらに一時間。瀬戸内海に浮ぶ小さな島に、私のじいちゃんの家はある。
「ここに来るのは何年ぶりだろう。じいちゃん元気かな」
船着場へ降り立つと足元がふらついてしまった。最近デスクワークばかりだったせいで体がだいぶなまっている。
「ぜんぜん変わらない。昔のまんまだ」
キャスター付きの旅行鞄を引っ張り、船着場のベンチに崩れ落ちるように腰を下ろす。
東京も暑いけど、ここもずいぶん暑い。海から吹いてくる島風はなまぬるく、潮を含んでベタついている。でも、それがかえって懐かしい。
ここは島民二千人にも満たない人々が暮らす小さな島だ。山や川の自然も豊かだが、観光客を呼ぶようなレジャーもなく、これと言って華やか行事もない。
外から来る者にとっては素っ気ない島だ。狐ではなく狸を祀る珍しい神社があるが、まったくといっていいほど宣伝もしていないので、やっぱり観光には向かない島なのだろう。
「小学生のころに来たときのままだ」
ベンチで休みながら船着場をぐるりと見渡す。古くなった自動販売機に、タバコの吸殻を入れるための一斗缶。記憶にある景色とまったく変わらない。まるで、ここだけ時間が流れていないみたいだ。
この島に長期滞在するのは二度目だ。一度目は私がまだ小学生だった頃、両親に無理を言ってひとりだけじいちゃんの家に一週間泊まりにいったときだ。
「あのときは楽しかったなあ。友達もたくさんできたし。今はみんな何してるんだろう」
汗でしっとりと濡れているティーシャツの胸元をパタパタと扇いでいると、白い軽トラックがエンジン音を響かせて船着場へ滑り込んできた。
「じいちゃん!」
私はそのトラックに向かって手を振った。運転しているのが私のじいちゃん、間宮長十郎だ。
「おう、久しぶりだな、優希」
じいちゃんが真っ黒に日焼けした手を窓から出して手を振り返してくる。六十を超えたとは思えないほど逞しい体つきのじいちゃんは、彫りの深い男前だ。さぞ若いときはモテたことだろう。
しかし残念かな、毛根も順調に年を重ねて衰え、いまではすっかり頭皮の面積の方が多くなってしまっている。
私は疲れも忘れてトラックに駆け寄った。
「お迎えありがとう。じいちゃん元気だった? 相変わらず真っ黒だね」
荷物を荷台に放り込んで、助手席に乗り込む。軽トラックは限界ギリギリのエンジン音とともにゆっくりと加速した。
「俺は相変わらずだ。血圧も尿酸値も異常なしだ。優希も仕事の方はどうなんだ? 忙しいんだろう」
「……今ちょうど仕事が一段落して、次の職場を探そうと思ってたところなんだ」
ついこの間まで勤めていた会社でとあるトラブルに巻き込まれ、辞めざるを得なくなってしまったのが先日のことだった。
そう説明すると、じいちゃんは悲しそうな顔をした。
「そうか……そんな大変なときに遠くまで呼び寄せて悪かったな」
「いいの。どうせ家にいても暇だし、島にいる間はのんびり羽伸ばすつもりだから。それに、久しぶりにじいちゃんに会いたかったから呼んでくれて嬉しいよ」
「そうか。それなら良かった。だが、この島に若いヤツが楽しめる場所があったかどうか……」
眉を寄せるじいちゃんに、私はにやりと笑って首を横に振った。
「いやいやいや、変わったお祭りがひとつあるじゃない!」
この島には観光客を呼び込むことができるほど派手な祭りは一切ないらしい。その代わり、世にも変わった祭りが存在するのだ。
「雄田貫神社の祭りの夜に、氏子は絶対に外に出てはいけないっていう変な祭りがあるでしょう。たしか十五年に一度行われて、ちょうど明後日の夜にあるんでしょ。私、実際に体験するのは初めてだよ。楽しみだなあ」
興奮する私をよそに、じいちゃんは困った顔で頭を掻く。
「期待しとるとこ悪いが、あれはそんな面白いもんと違うぞ」
じいちゃんはそう言って、胸元のポケットからタバコを取り出してふかし始めた。
「それにな、正確に言えば外出しちゃいけないんじゃない。家を留守にしちゃいけないんだ」
「それってどう違うの? 外でどんなことしてるの?」
「さあな。俺には分からん。神社さんとその親族が全部を取り仕切ってるから、俺らのような普通の氏子にはなーんも知らされないんだ」
じいちゃんは興味もなさそうな顔で煙を吐き出す。
そのそっけなさが、遠まわしにこれ以上話すことはないと言われている気がした。
「そういや、篤志や幸枝さんは元気か」
じいちゃんが当たり障りのない質問をしてくる。もしかしたら、話題を変えたかったのかもしれない。
「父さんと母さん? 元気だよ。あ、そうだ。母さんからお土産渡されてたんだ。じいちゃんの好きな佃煮だよ」
「お、そりゃ嬉しいな。東京の佃煮は美味いからな」
佃煮と聞いてじいちゃんは嬉しそうに笑った。その笑顔を見るとこの島に来て良かったとつくづく思う。
私は自他ともに認めるじいちゃん子だと思う。会えばべったりとくっついて離れなかったし、山の遊びも川の遊びも、最初はすべてじいちゃんから教わった。
ひとりで島に遊びにきたときなど、自分の希望を通すことに夢中で、それに振り回される大人たちの都合なんて考えもしなかった。いまはちょっと反省している。
でも、そのおかげで島で友達もたくさんできた。初めはよそ者扱いされて意地悪もされたが、私が木登りも水泳も島の子どもたちに負けないくらい上手いことが分かると、彼らは私への扱いを改めてくれた。こいつは出来る奴だと認められたみたいで嬉しかった。
「そういえば、健吾は元気? あいつまだ島に残ってるのかな」
幼い日に一緒に遊んだ友達の顔が浮かんでくる。坊主頭で真っ黒に日焼けしていたやんちゃな男の子だ。体が大きくて顎が二重になるほど太っていたのに、私よりも走るのが速かったっけ。懐かしいな。
「健吾なら兄貴と一緒に酒屋を継いでもう立派に働いてるぞ。うちにもよく注文取りにくるからそのうち会えるだろう」
「へえ。すごいね、そういえばあいつ酒屋の息子だったもんね」
典型的なガキ大将だった友人がもう自分の道を見つけているだなんて、まだ定職に就いていない身としては少し焦る。
「まあ、優希は別に急ぐことはない。東京には選択肢がたくさんあるだろうから、ゆっくり自分の生き方を見つけろ」
将来に焦る私の気持ちを察したのか、じいちゃんはタバコの煙を吐き出しながらそう言った。
ひとっこひとり見えない静かな田舎道を、軽自動車でのんびりと走り続ける。人ごみに身を置く生活に慣れてしまった私には、この長閑な静けさが少しだけ怖く感じた。子どものころは平気だったのに、どうしてだろう。
窓から顔を覗かせながら、流れる島の風景をぼんやりと見送る。ここは本当に緑が綺麗だ。山に見下ろされる集落があり、山頂には雄他抜神社が社を構える。
海にも山にも恵まれているから、海産物も美味しいし、新鮮な山菜もたくさん取れる。
それにしても、本当に誰の姿も見かけない。ずいぶんと過疎化が進んだんじゃないかと尋ねると、じいちゃんは首を横に振った。
「人口はそんなに減っちゃいない。この時間に外にいたら暑いから、今は誰も出歩かないんだ」
男たちは海で仕事だし、日差しをまともに浴びると暑いから、子ども達は日の下に出てこないのだという。なるほど、照りつける太陽がアスファルトに反射して、上からも下からもじりじりと炙られているみたいだ。
「ここで育った子ども達は、滅多なことでは島を出たりしない。みんな生まれ育った島が好きだし、ここでの生活に満足している」
「そうなんだ」
島にある唯一の高校へ通った後は、大体この島で就職する若者が多いそうだ。一部の優秀な人たちは大学へ通うために本土へと渡るが、その後ひょっこりと島に戻ってくることも多いらしい。
やっぱり生まれ故郷が一番なのだろう。車窓に流れる長閑な景色を見ながら、そんな事を考えた。
二十分ほど走ったところで、トラックは一軒の家に到着した。じいちゃんの家は港町の集落から少し離れた林の中に建っており、すぐ裏には山の斜面が見える。
車を降りると、深い林に囲まれる。まるで巨大な緑の中にひと飲みにされてしまったような気分になる。
「そういや、優希はいくつになったんだ。もう酒くらい飲める年頃だろう、今夜はご馳走作るぞ」
私のスーツケースを荷台から下ろしながら、じいちゃんがこっちに声をかけてくる。その手には食材の入ったビニール袋と、大きな発泡スチロールがあった。
「ありがとう。でも私下戸なんだよ」
「優希も下戸だったか……。そんなところばっかり父親に似ちまったなあ。ああ残念だ、孫と一杯やるのが楽しみだったんだけどな。じゃあせめてジュースでも注文してやるか」
家の中に入ると、じいちゃんはポケットからスマホを取り出して電話をかけ始めた。チラリと見た限り、結構新しい機種だった。意外と機械に強いんだな。
「間宮だが……ああ、そうだ。さっき着いたばっかりだ。とりあえずなんか適当なジュースと麦茶を頼むよ。はははは、そう慌てんな。安全運転で来いよ!」
スマホ相手にじいちゃんは豪快に笑った。声がすごく大きいから、電話口の人は耳が痛いだろうなあ。
「よかったな優希。夕方には来るってよ」
「ん、誰が?」
「健吾だよ。さっきあいつの話がでたから、懐かしいかと思って呼んでやったぞ」
「本当! 小学生のとき以来だよ。あいつまだ私のこと覚えているかな」
「ははは、覚えてるなんてもんじゃないぞ!」
じいちゃんはハイテンションだ。
健吾とは、私の記憶の中で一番仲良くなった男の子だ。カブトムシの罠を仕掛けるためにふたりで夜遅くに山に入っていったり、近所の子どもたち集めて夜中に神社でこっそりと肝試しをして怒られたりもした。どれも東京ではやったことがなかったから、すごくスリリングで面白かった。
「それはそうとさ、私なんのために島に呼ばれたの?」
じいちゃんから電話を受けたのは七月に入ってすぐの事だった。ちょっと手伝いに島へ来ないかと誘いを受けたのだ。
私は久しぶりにじいちゃんの家に泊まれるのが嬉しくて、二つ返事で了承した。でも、よく考えたら何を手伝えばいいのか具体的な話は何一つ聞いていない。
すると、じいちゃんは妙に神妙な顔をして一枚の用紙を取り出してきた。それを受け取ってじっくり眺める。
「ん? 豪華客船で行くモルディブ二十日間の旅……なにこれ?」
「懸賞で当たったんだ」
類稀な引きの良さを自慢しているのか、じいちゃんはちょっと誇らしげに小鼻を膨らませている。
「去年懸賞に出したのをすっかり忘れていてな。まさか本当に当たるとは思わなかったんだ。運がいいんだか悪いんだか、ちょうど雄田貫神社の祭りの期間と重なってる。悪いが、俺が旅行に行っている間、うちで留守番をしていて欲しいんだ」
私はチラシとじいちゃんの顔を何度も見た。
え、何これ。じいちゃんが太平洋を回ってサイパンだの、バリ島だのと名だたるリゾート地を経由しながらゆっくりモルディブで楽しんでいる間に、私は家でお留守番しなきゃならないの?
「えええー! 私もモルディブ行きたい」
「悪いな優希。お土産奮発してやるから、頼まれてくれよ」
釈然としない気持ちが残るが、今回はじいちゃんの手伝いに来た身だ。仕方ないのでおとなしく留守番を引き受ける。
しぶしぶ頷くと、じいちゃんはホッとした顔をした。
「それで、私はいつまで留守番していればいいの? じいちゃんが帰ってくるまで待ってればいい?」
「いや、祭りの間さえ居てくれればいいんだ」
「そっか。でも、せっかくだからじいちゃんが帰ってくるまで留守番してるよ。大して観光するとこなくて暇になるかもしれないけど」
「大して観光するところがなくて悪かったな」
じいちゃんは不機嫌そうに、ふんと鼻を鳴らした。この島の人たちはみんな自分たちの暮らしている島が大好きだ。彼らは、島の住民であることに誇りをもって暮らしている。
インターネットが普及してからは、島での暮らしはぐっと便利になったそうだ。昔ながらの連絡船を利用する人も少なくないが、ここ最近はお年寄りでもネットショッピングを利用しているのだとじいちゃんは言う。
届くまでに数日時間がかかることを除けば、地方にいてもさほど不便は感じないらしい。
「ねえじいちゃん、旅行に行くのに冷蔵庫こんなに一杯でいいの?」
「ああ、優希が使うだろうと思って特に整理はしてない。だから、なんでも好きに使え。お前車運転できないだろうから、商店の配達の番号メモしておいたぞ。なんか困ったら、ここか健吾のところに電話入れれば配達に来てもらえるからな」
冷蔵庫の目立つ所にメモ用紙が一枚貼られている。私はそれを見て了解、と返事を返した。
「ああ、そうだ」
何気ない口調でじいちゃんは私を振り返る。
「祭りの夜に誰かが訪ねてきたら、丁重に家に招いてくれ。そんで、彼らの話を聞いてから俺に連絡入れろ。多分誰も尋ねてこないとは思うが、念のためな」
じいちゃんは玄関の辺りに目を向ける。来客の予定があるのかないのかちょっと分からないが、まあお客さんが来たらちゃんと用件を聞いておけば間違いないだろう。
「分かった。誰か来たら電話する」
何気ない話しぶりだったにも関わらず、じいちゃんはなぜか怖い顔をしている。
私は不思議に思いながら、「祭り中にお客さんが来たら忘れずに電話」と冷蔵庫のメモ書きに付け加えた。
じいちゃんが夕飯のご馳走を作ってくれている間、私は客間で荷物を解くことにした。スーツケースに畳んで入れていた服をハンガーに吊るし、スマホの充電器をコンセントへ差し込む。畳の部屋は久しぶりだ。
私は、都内のアパートで一人暮らしをしている。部屋は狭いし、眺めは悪いしで良い物件とはいえないが、家賃が安いので文句は言えない。
間取りは1LKと小さな部屋だ。寝室にベッドを置いてしまえば、ほかには小さな食卓とテレビしか置けない。だから、じいちゃんの家の畳みの感触が懐かしくて、ついついゴロリと横になってその肌触りを堪能してしまう。
縁側の窓を開けると、蝉の大合唱とともに緑の香りを含んだ涼しい風が入ってくる。海から離れているお陰で、吹き込んでくる風に潮のべたつきはまったくない。
目の前の庭から山の麓の林が見えるので、縁側から見る景色は深い緑一色だ。
「あー、これぞ夏休みって感じー」
スカートの裾が捲くれるのも構わず、私は畳に頬を付けて目を閉じた。いつの間にかウトウトとまどろんでいたらしい。聞きなれない声がして目を覚ました。
「すいませーん、配達にうかがいました!」
目を開けると、そこにはダンボールを抱えて立っている男がいた。背が高くて、日焼けをした浅黒い肌をしている。短い髪を後ろに流して、大きな二重の目が驚きに見開かれている。彼の額には薄っすらと汗の玉が光っていた。
男はビールのケースとダンボールを手にこちらへ近づいてくる。その腕には血管が浮いていて、いかにも肉体労働をしていると言った体つきだ。精悍な顔立ちと相まって、爽やかな青年だ。
私はぼんやりしながら起き上がった。
「えっと、どちら様? 何か御用ですか」
目を擦りながら対応すると、男は一瞬ぎょっとした表情を作ったが、すぐに目じりに皺を作って笑った。
「配達だって言っただろう。優希」
「え」
「まだ分かんねえの? 酒屋の健吾だよ。昔一緒に遊んだだろう」
「ええ!」
目を瞬かせて目の前の爽やかな青年をじっと見つめる。そう言われてみれば、目元が思い出の中の少年にちょっと似てるだろうか……? でも、その他はどこも似ても似つかない。
弛んで二重になっていた顎は立派な喉仏に代わっているし、ぽんと前に飛び出て柔らかそうだったお腹だって、目の前の青年には見当たらない。
「驚いた。ずいぶん変わったね」
すぐに体型のことを言われているのだと思ったのだろう。健吾は自分の体を見ながら苦笑いをした。
「ああ、中学に入ってから急に背が伸び始めたんだ。うちは結構でかくなる家系だから、食っても食っても栄養が背に取られたんだ。まあ、そのおかげで余分な肉が大分落ちたな」
大分どころではない、何もかもが違う。フルモデルチェンジだ。
「優希は雰囲気が変わらないな」
「そうかな。さすがに小学生のまま成長してないわけはないと思うんだけど」
あの頃は髪を短くしていたし、私はいつも半ズボンをはいていた。男の子に間違われることもしょっちゅうだったから、自分でも性別はかなり曖昧だった気がする。
「一目で優希だって分かったよ。……でも、髪が伸びて綺麗になったな」
さらりとそんな事を言われると対応に困る。
なんなのこの人、本当にあのガキ大将でいじめっ子だった健吾なんだろうか? 中身までまるで別人だ。
客商売は愛想が命。歯の浮くようなセリフも、彼にとっては売り上げアップに欠かせない処世術なんだろう。
私は笑ってお世辞をやり過ごし、健吾の持ってきた荷物を受け取ろうと両手を差し出した。
「荷物ご苦労様。サインとかいらないの」
「そんなにきっちりしなくても、この辺りのお客はみんな顔見知りだからな。ああ、お前は持たなくていいよ。重たいから家の中まで運んでやる」
健吾は「お邪魔しまーす」と一声かけてから縁側から上がりこみ、荷物を抱えてどんどん家の中へと入っていく。
勝手知ったる様子なのは、じいちゃんがちょくちょくお酒を頼んでいるからだろう。
「毎度さまでーす。間宮のじいちゃん、ジュース届けに来たよ」
「ああご苦労さん、冷蔵庫に何本か入れておいてくれよ」
二人はなんの違和感もなく台所で挨拶を交わす。どうやら、これがいつも通りのやり取りらしい。
「お、美味そうな刺身。優希が来たから今夜はご馳走なんだな。会うのは久しぶりなんだろう? 優希もゆっくりじいちゃん孝行していけよ」
ダンボールを下ろした健吾は、そう言って私の背を叩く。
「そうしたいのは山々だけどさ、じいちゃん明日から旅行に出かけるんだよ。私は留守番に呼ばれただけ」
「はあ? そうなの!」
健吾は目を剥いてじいちゃんを振り返る。あまりに驚いたためか、振り返った拍子に彼の首に巻きつけてあったタオルがバサリと床に落ちた。
「だって、明日から祭りだろ? 家空けたらまずいだろう」
「だから優希を呼んだんだろ。家を無人にするわけじゃあないし、大丈夫だ。それに、たぶんうちはもう当たらないはずだ」
健吾は腕を組んで考え込んでいる。彼らのやりとりは私にはさっぱりわからないが、二人の間では話がきちんと通じているらしい。
「もし仮に何かあったら、健吾が助けてやってくれないか?」
「俺は日中は仕事があるから、あんまり役に立たないよ。それでもいいか?」
「大丈夫だ。もしもの話だよ」
健吾が渋い顔で答えるのを、じいちゃんは満足そうに頷いた。
なんだろう、疎外感がハンパない。ふたりの間でどんな取り決めがなされたのかは知らないが、私のことを勝手に二人で決めるのはやめてほしい。居心地が悪い。
「じゃあ、留守番中に困ったことがあったら電話しろよ。これが俺の番号」
健吾はメモ用紙に自分の携帯の番号を残してから、落ちたタオルを首に巻き直し、また配達へ戻っていった。
私は電話番号がかかれたメモ用紙を冷蔵庫に貼り付けた。これで大事なメモは三つになった。
真剣な表情で冷蔵庫を眺めていると、じいちゃんが心配いらない、とばかりに明るい声を出した。
「さあ、早く荷解きしちまいな。もう少しで夕飯だぞ」
「はーい」
私は客間へ戻ってスーツケースの中身を引っ張り出し、それを部屋に納める。何だかとても変な感じがする。じいちゃんや健吾は、私に何を隠しているのだろう?