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魔法自衛隊1964  作者: 秋山 完
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096●間奏曲●巴里、古代神の夜⑥一八九一年秋。“神々と星々”

096●間奏曲インタールード●巴里、古代神の夜⑥一八九一年秋。“神々と星々”



 リシェはピエールに謎めいた視線を向けた。

 今から千五百年ほど昔の、ある年を最後に古代ピューテックが途切れ、歴史の表舞台から消え去ったのは事実だ。

 なぜ、続けられなかったのか。ピエールは知っていた。

「紀元前から紀元後にかけて、千年を超えて開催され続けたピューテックでしたが、時代の流れが変わりました。古代ギリシャ全域がローマ帝国の版図に組み入れられ、ローマ皇帝がキリスト教を公認し、異教をよこしまなものとみなして、排除するようになったことです」

 ピューテックだけでなくオリンピックもそうだったが、どちらも古代ギリシャの神々を戴く神事であり、キリスト教からみて、忌むべき“異教の祭祀”となってしまったのだ。

 紀元三九二年に皇帝テオドシウスはキリスト教を国教化し、“異教祭祀の全面禁止令”を発布した。これによって、デルフォイのピューテック、オリンピアのオリンピック、そのほか各地で行われていたギリシャ神に関わる祭祀は完全に息の根を断たれてしまった。

 ピエールはそういったことを説明した。

「古代ピューテックは、人類が新しい神の名を掲げて、古き神々を排斥することによって消滅したのです。そのことに対して古き神々が怒り狂うことはなかったようですが、相当に不本意なことだったと思います。歴史の遺恨となった可能性がないとはいえません」

 そう、その通りだよ、といった顔で、リシェは続けた。

「ならばピエール君、皇帝テオドシウスの勅令はいまだ撤回されておらず、その効力は生きていることになる。古代ピューテックを忌むべき祭祀として否定したまま、その状態が千五百年後の今日に至るまで連綿と続いているのだよ。そこで愚かなる人類の我々が、神様に断りもなく、勝手に古代ピューテックを復活していいものか? 数寄物の伊達や酔狂でできるものではない。古代ギリシャ人はオヒと答えるだろう。新しき神の名によって我々人類が否定してしまったピューテックは、否定された古き神々の承認なくして復活できるはずがない……とね。ということは……」

 エッフェルの言葉に、ピエールは、ごくりと生唾を呑み込んだ。リシェとエッフェルが彼を呼んだ理由がわかった。

 そういうことだったのだ。これは確かに、ゴールに達するために、避けて通れないハードルだ。

 そしてこれは、人間世界へ古代の神々を招喚しょうかんする理由として、神々の立場からしても、十分に納得できるものに違いない。

 ピエールは二人に答えた。

「古代ピューテック復活の是非を、天上の古き神々の全てに問い、満場一致で承認を受ける必要があります。そのために、古代の神々をこの地上へ呼ぶ儀式を執り行わなければなりません。“神寄せ”を。この塔と皆さんの力を借りて!」

 答えながら、ピエールはようやく合点がいった。

 自分がエッフェル塔に呼ばれた理由は、そういうことだったのだ。

 ピューテック復活のために、ここへ神々を呼ぶのだ。

「ということで」とリシェはテーブルに数枚の羊皮紙を並べた。

 端正なペン字で箇条書きされたその文書は、今後の計画書だった。

 リシェのかいつまんだ説明を聞いて、ピエールは落胆のため息をついた。これは壮大すぎるのではないか。

「ピューテック復興の国際会議に二千人も集めるなど、僕一人の手に余る大事業です。加えて、半円形劇場テアトルの造営や、世界的な祝祭管弦楽団の招聘といい、専用の発電船の建造まで……僕にはそこまでの資力がありません。恥ずかしながら、眩暈のするような話です」

「大丈夫だ。資金はある。しかも潤沢にある」とリシェは迷える若者に活を入れた。「ある匿名の篤志家が、すべての費用を拠出してくれる。まあ、本名を伏せてもすぐにばれるか。スウェーデンの大富豪で、あだ名は“死の商人”。彼が発明した新式の爆薬と砲弾と機雷は今世紀中に何万人かを殺し、来世紀には何百万人を殺すことになるのかわからん。だが彼は冷酷な守銭奴ではない。その莫大すぎる資産を、人類の平和的発展に使いたいと望んでいるのだ。罪滅ぼし、ということかもしれんが。彼はつい先日までパリに住んでいて、我々の企てに賛同してくれている。資金面はまったく心配無用だ。むしろわしが心配しとるのは、たった一人の英雄的な人材を確保することだ」

「と、おっしゃいますと?」

「神の降臨には、天下った神を心から受け入れ、その憑代よりしろとなって、神の言葉を人類語に翻訳する人間が必要だ。人と神の橋渡しをする人間だよ。古代の神託者シビュラ霊媒師シャーマンとか、ひょっとすると預言者メシアに近い役割だな。なに、特殊な技術や能力は必要としない。ただ体力と生理学の見地から、年寄り向きとはいえない仕事でなあ。できれば若者が望ましいのだが……」

 リシェは、さもありなんと言った顔で、わざとらしい流し目をよこした。

 目が合った。ピエールは苦笑すると、力強い笑顔を見せ、したたかだが憎めない心霊科学者に手を差し出した。

 二人は固い握手を交わした。


   *


 リシェとエッフェルに晩餐はどうかと誘われたが、ピエールは謝辞した。すぐにでも取り掛かりたい仕事が山ほどあることに気付いたからだ。

 事情を話し、いとまを告げてドアを開けたピエールは、ちょうど階段を昇ってきた女性と鉢合わせしそうになった。

 新たな客人にリシェが声をかける。

「やあ、マリア・スクロドフスカ」

「突然の訪問をお許し下さい。リシェ先生、エッフェルさん」と、歯切れのいい少女のような声が室内に響いた。「お預かり物の調査報告と、ワルプルギス同盟の信書をお届けにあがりました」

「ありがとう。どうぞ入りたまえ」

 リシェが招き入れた女性はピエールに一礼して、すれ違う形になった。自分からみれば妹のような感じの若い娘、二十歳を超えたところか。

 そうか、この娘が、リシェ先生の依頼でオリハルコンのレンズメダルを分析している女学生なんだ……とピエールは察した。

 しかし彼女のドレスはくたびれて黒ずんだぼろ布で、世界の最上階に君臨する瀟洒しょうしゃな離宮には、あまりにも不釣り合いで粗末な身なりだった。裏町の路地で出会ったら、失業中のやさぐれメイドに見えただろう。

 彼女はほんの一瞬、ピエールと視線を合わせた。くせのあるブロンドを無造作にひっつめた髪型は、お洒落とは無縁だったが、グレーの瞳が放つ恐ろしいほど知的で聡明な輝きが、背筋をぞくっとさせた。何者にもひるまない透明な威厳。

 彼女への畏怖と尊敬の呪縛から逃れるように、ピエールは足早に階段を降り始めた。

 が、細い階段の、屋外に突き出した踊り場に立ったとき、自分の足が釘付けになるのを感じた。

 パリが、日没を迎えていた。

 眼下三百メートルの大地から、視界360度近くに広がる夕暮れのパノラマ。

 さえぎるものなく広がる大都市と、きらめくセーヌの流れ。西の果てに金赤色の残照を萌え立たせて消えゆく夕日。あれは、神の聖なる火だ。

 晩秋の涼やかな風に誘われて東の地平に目をやれば、たそがれ、暗ずみゆく碧空に、ぽつり、ぽつりと星の瞬きが見えはじめていた。

 手すりを握り締め、ピエールは小さく震えながら、厳かな天空の交代劇に見惚れた。

 昼が夜に、明が暗に、その座を譲ろうとしている。

 下界から、教会の鐘の音が、無数に連なって空へ昇ってきた。

 祈りの時を告げる鐘……アンジェラス……の晩鐘。

 鐘に合わせて、明るい昼の光が抗うことなく退いて、星々の天蓋が降りてくる。

 ピエールの脳裏に、夜空に散りばめられる星座の名前が浮かんだ。

 オリオン、エリダヌス、ペルセウス、アンドロメダ、カシオペヤ、ケフェウス、ヘルクレス、おおぐま、こぐま、さそり、ペガスス、カストルにポルックス……

「ああ……」

 感動に打たれ、ただ、熱いため息が漏れる。

 みな、古代の神々の世界から生まれた星座ではないか。そして……

 月はアルテミス、水星はヘルメス、金星はアフロディテ、火星はアレス、木星はゼウス、土星はクロノス……

 惑星や衛星の名は、古代ギリシャの神々に由来している。

 そのためだろうか、キリスト教会の儀式は、おおむね昼間に執り行われる。

 夜まで行なわれる儀式は、せいぜい、生誕祭クリスマス復活祭イースターなのだが、それは、キリスト紀元以前の習俗の影響を受けているからだ……という見解もある。つまり、キリスト紀元前の異教の名残なごり、形を変えた古代神の祀りなのだから、と。

 だから、教会の権威は、常に明るい昼の光とともにある。

 しかし夕闇がせまり、グラスのシャンパンに無数の黄金の泡が湧き出るように、夜の星々が瞬き始めると、そこには……

 古代の神々が、静かによみがえるのだ。

 キリスト教会のステンドグラスには、昼の光を透かして、聖書の物語が浮かび上がる。

 そして夜空には……星々の光が瞬いて、古代の伝説が描き出される。

 夜の星空こそ、いにしえの神々を祀る、天空の大聖堂だ。

 古代の神々、古代の伝説……異教の祭祀を禁じる勅令によって、千五百年の昔に歴史からはじき出されたはずの神々と伝説は、ここに今も、なにひとつ朽ちることなく生きている。

 いや、かれらの方がむしろ、天空の主人公なのだ。

 なぜなら、明るい光に覆われる昼であっても、青い空のさらに上では、星々は変わらず灯り続けているではないか。

 星々の輝きは、より強い太陽の光に紛れているだけで、常に地上を照らしていることに変わりはないのだ。

 しかも、太陽ですら、その名はギリシャ神話のヘリオスに因んでいる。

 ピエールは片手を天にさしのべた。

 空の碧みはとろりと溶暗し、昼でもなく夜でもない。

 昼と夜が重なる時間。この世とあの世が重なるとき。

 ピエールは確信した。

 古代の神々は、何処いずこにも去っていない。

 そこに、おわすのだ。





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