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魔法自衛隊1964  作者: 秋山 完
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091●間奏曲●巴里、古代神の夜➀一八九四年六月十六日。“心霊科学”

091●間奏曲インタールード●巴里、古代神の夜➀一八九四年六月十六日。“心霊科学”



 西暦一八九四年六月十六日、土曜日。

 フランス共和国の首都、巴里パリ

 暖かく風のない夜だ。

 今日、この夜。人類史上まれにみる、挑戦的な神事が執り行われる。


    *


「ピエール、特別な夜だ。今宵こそ、神々と人類を結ぶ、真に記念すべき一夜となるのだよ。きみはその主役だ」

 痩せた顔に顎骨がっこつが目立ち、広い額と豊かな口髭に学者然とした風格を漂わせる四十代半ばの紳士が、ピエールという名の青年の肩を親しげに叩いて、激励する。

「これは冒険的で、危険をともなう任務だ。きみが志願してくれたことに心から感謝する。成功を祈っとるぞ。日付が明日に変わるころには、きみは心霊科学の英雄だ」

 ピエールは恭しく一礼して、このエネルギッシュな中年紳士に信頼の笑みを返す。

 パリ大学医学部の生理学教授シャルル・ロベール・リシェ。フランス医学界きっての切れ者だ。免疫学、とりわけ血清療法の第一人者で、人体のアレルギーに関する先駆的な研究に着手しつつある。

 そして、科学者としてのリシェにはもうひとつの顔があった。心霊現象の研究家だ。幽霊や霊媒といった心霊現象を科学の力で解明しようというのだ。ポルターガイストもプランシェット(こっくりさん)も、その現象には必ず科学的な因果関係が内在していると信じる立場である。

 彼は、まだ非公式ながら、ヨーロッパ大陸における心霊科学専門の研究組織を立ち上げたばかりだった。

 その名も心霊科学研究協会《PSRI》。なお英国と米国では、それぞれ別個に同様の組織が設立され活動している。

 リシェはすでに、イタリアで降霊現象の科学調査に取り組み、英国の研究仲間との間でテレパシー実験を試みていた。その過程で何人かの自称霊媒師のいかさまを暴いてもいたのだが……。

 本物の霊媒師は霊魂と通信し、“あの世”と“この世”の橋渡しをすることができるという。

 そのとき、あの世からこの世に開いた隙間を導かれ、なにもない空間に霊体スピリッツとして滲み出してくる、この世ならぬ物体……“霊界物質”をエクトプラズムと名付けたのがリシェであり、いまや、その物理的特性を探る科学者チームを率いて世界最先端の“心霊科学サイキック・サイエンス”の分野を拓こうとしていた。

 十九世紀末のこの時代、建築資材は木と石から鉄とコンクリートへ、動力源は石炭と蒸気に加えて石油と電気が登場し、照明もガス灯から電灯へと移行しつつあり、科学の力が文明のあらゆる局面を次なる革命的な段階へ押し上げようとしている。

 それでも人々を惑わせてやまない心霊の世界に斬り込んで“非科学を科学する”リシェ教授は、まさに時代の寵児だった。

 そしてこれから、青年ピエールは稀代の心霊科学者に導かれて、あの世とこの世の境界に足を踏み入れることになる。人類史上おそらく初めてとなる、“科学的手段”による“神寄せ”……それも、人類の側から、人類の意志によって半ば強制的に神々を地上へと引き寄せる“能動召喚:アクティブ・コーリング”に挑もうというのだ。

「ご期待に添えるとよいのですが」

 言葉少なに答えるピエールに、リシェは、内気な青年の実直さと、これから直面する未知の領域に対する不安を読み取って言う。

「なに心配するな、生還は保証する。きみを守るために、今世紀の科学と芸術のすいを極める分野の頭脳が結集しておる。それは最先端の金属建築学、電磁気学、神々を招喚しょうかんする魔曲“光神曲ゲッターフンケン”をもたらした振動科学、そしてわしの心霊科学……と、生理学だ」

 リシェは悪戯っぽく口元で笑うと、念を押すように続けた。

「とはいえ、神に憑依された状態から、この世への生還を保証できるのは一度きりだ。神に憑依されるのは、一度なら“極上の苦痛を伴う至高の快楽”だが、二度目以降は、多くの場合、死に直結する。“自己免疫によるショック死”のリスクが発生するのだ。自分の免疫力が自分を殺そうとする作用を、わしはアナフィラキシー・ショックと名付けた。最初の憑依によって、神に対する心霊的抗体が肉体の中に形作られる。二度目の憑依で、この抗体は神という異物に対して猛烈な拒絶反応を示す。そうなったら、きみは自らの免疫力によって、自らの命を失いかねない。おそらく高率で死亡する。フォーレ師の話によれば、神との交感に一度成功したモーツァルトは、おそらく二度目に“神免疫”のアナフィラキシー・ショックで死んだと思われる。モーツァルトだけではない。ハイドン然り、ベートーヴェン然り、ワーグナー然りじゃ。音楽家だけではない。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、レンブラント、ルーベンス、ミレー、最近では、ファン・ゴッホとかいう変人も、その一人らしい。文豪ならシェイクスピアもゲーテもシラーもそうだ。偉大な芸術家や孤高の求道者は、自らの肉体と精神に神が宿ることを夢見る。一度ならそれが許される。しかし二度目にやってくるのは死神だ。よいな、肝に銘じておきたまえ。一度なら、我々はきみを安全に人間の世界へ呼び戻すことができる。しかし二度目は絶対に望んではならぬ。“神との合一”は至福の体験、至高の快楽だ。かならずきみは、もう一度そうなりたいと欲する。きみは、その誘惑に打ち勝たねばならない。きみが尊敬しているデルフォイの古代ピューテックとかいうスポーツの神事を最初に創り出した巫女たちも、おそらくそうだったのだ」

 リシェ教授は青年ピエールに、心霊パワーを送り込むかのように、鋭い眼光を浴びせて続けた。

「よいな、“二度目は禁じられている”ことを、絶対に忘れるでないぞ……。さあ、そろそろ始まりだ。舞台へ行こう。わしが開式の口上を述べたら合図するから、開会宣言をよろしく頼む」

 ピエールは深くうなずいた。


       *


 舞台へ昇りながら、ピエールは楽屋裏でくどいほど繰り返されたリシェの忠告を、胸中で反芻する。

 ここは、古代ギリシャの半円形劇場テアトルを思わせる、特設の屋外コンサートホールだ。

 壁面も床面も真っ白に塗装した半擂鉢状の観客席には、華やかに正装した紳士淑女が鈴なりに集まっている。その数、二千人。

 ものものしい口髭をたくわえた紳士たち、その燕尾服がつくる黒々とした森に、淑女たちの艶やかなシルクのドレスが装飾過剰な帽子を載せて花開く。伝統と格式を重んじるヨーロッパ貴族の社交界が、ここに凝縮されていた。

 二千人の観客は、本日より始まった“パリ国際スポーツ連合会議”の参加者だ。スポーツとは、金と時間にゆとりがある貴族と富裕市民のたしなみであり娯楽だ。それはまだ一般庶民に普及しているとは言い難い。貧しい庶民はスポーツで汗をかくよりも、労働に汗してその日の糧を得る方を優先するだろう。

 華やかな客席から降り注ぐ視線を気にかけながら、ピエールは猫足の椅子にかけてステージの脇に控える。

 緊張が高まる。自分自身は観客のお歴々に張り合うかのように勇壮な口髭を生やしており、この会議では“総理事”という、年齢に似合わない重々しい肩書を持っている。

 しかし客席を埋め尽くす二千人の参加者は、ほとんどが貴族かそれに類する特権階級だ。英・仏・独・米はもとより、ロシア、イタリア、スペイン、スウェーデンにベルギー、ハンガリー、そしてギリシャなど欧米主要国の王族や公式使節をはじめ、公爵、侯爵、伯爵がずらりと並ぶ。

 この二千人が動けば、欧米が動く。

 この二千人を説得すれば、世界を説得できる。

 当地フランスの男爵の家系ではあるものの、まだ三十一歳で有力な政治的公職を持たないピエールは序列が低く、圧倒的な地位と権力をふるう各国の重鎮二千人の中では、事実上の末席だ。

 この日のために奔走した過去数年の旅路で、自身の政治力の無さは痛感してきた。

 最初は、二千人どころかただ一人ですら、満足に耳を傾けてくれなかったのだ。

 ピエールはこの日までの労苦あふれる道程を思い返し、自らを奮い立たせるかのように背筋を伸ばし、頭上を仰いだ。

 半円形劇場の四方を囲んで、上空に向かって、夜の闇を追い払うかのように煌びやかな金色のイルミネーションを纏った、巨大な、赤に近い錆色さびいろに塗られた鉄骨のトラス構造がそびえている。

 ここは、エッフェル塔の真下なのだ。




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