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魔法自衛隊1964  作者: 秋山 完
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088●【解説5】『魔法自衛隊1964』の作品意図について…『終末のイゼッタ』が遺したアンチテーゼ…

088●【解説5】『魔法自衛隊1964』の作品意図について…『終末のイゼッタ』が遺したアンチテーゼ…




 『魔法自衛隊1964』を書き始めてから、何年も経過してしまいました。

 ようやく2024年の2月時点になって、「第一部 邂逅編」が「これでひとまず完成かな」といった形にまとまりました。

 お読み下さった皆様に感謝申し上げます!


 どうして、こんなに手間取ったかと言いますと、もちろん私の能力不足が最大の原因でありますが……


       *


 今から四半世紀前、25年ほど昔の、20世紀末のころ……

 ニッポンのファンタジー世界に、「魔法」の大ブームが巻き起こりました。

 言わずと知れた、あの国際的に超有名な、額に傷を持つメガネ少年を主人公とする大長編ファンタジーの超大々ヒットが大津波の始まりとなります。

 私、一巻目の途中で早々に挫折した「非科学的すぎてついていけない」組だったのですが、世の多くの人々はなぜかワクワクドキドキしてお読みになったようですね。

 このブームはもう疾風怒濤みたいなもの、それまでのライトノベルはSF・ミステリ・ファンタジー・推理・恋愛など様々な種類が並立した多様性のあるジャンルでしたが、あのハ〇ポタ以降は、とにかく「魔法ありき」の一辺倒に傾いてゆきました。


 もうひとつ、あの国際的に超有名な、光る剣でチャンバラする青年を主人公とする大長編スペースオペラ映画の大々ヒットも、「魔法ありき」を後押ししました。

 20世紀のエピソード4~6は、まだ魔法よりも科学的な香りを放つSFだったのですが、21世紀のエピソード1~3&7~9は、もう魔法もしくは超能力を使っていなくては説明できないような、トンデモなストーリー展開となってしまったわけで。


 ということで……

 いまや、魔法or魔法的要素のないラノベ作品は、探すのに苦労するほどですね。


      *


 しかし、それら「魔法ありき」を前提とする物語を読むにつけ、私には、次なる素朴な疑問が付きまとってきたわけです。


 「魔法って、何なんだ?」


 困ったことに、魔法とは何か、作品中で最も重要なはずのソレをまず定義して、そのパワーの源泉はどこにあるのか、どのようにしてそのパワーを行使するのか、パワーには限界があるのか、これまでの過去で魔法はどのように研究されてきたのか…… 

 そういった要素を論理的に整理した作品は、まず皆無と言ってよいでしょう。


       *


 私の知る範囲で、この疑問に対する合理的なアプローチを構築した作品は、TVアニメの『終末のイゼッタ』(2016)です。


 パラレルワールドながら、西暦1939年という、現在に比較的近い時代の、しかも戦争状態において「魔法」を活躍させるため必要な理論武装を備えた稀有の作品だったわけです。

 時代設定が中世ならば、まあ説明抜きで魔法が出てきても許容されるでしょうが、この作品では大戦中の三号戦車やメッサーシュミット、あるいは空母のグラーフ・ツェッペリンなどと白き魔女イゼッタが互角以上の戦いを展開し、しかもその事実が、欧米各国の首脳に公開され、彼らに魔法の存在とその効用…とりわけ、「近代戦争に適合した戦闘魔法」として…を確信させる必要があったのですから。


 近い設定のお話として、『ストライクウィッチーズ』(ОVAが2007)、『戦場のヴァルキュリア』(アニメは2009)、『幼女戦記』(アニメは2017~)がありますが、わずか12話のワンクール完結作でありながら、中世以来の魔法の在り方と、その原理を説明した『終末のイゼッタ』の偉業は讃えられるべきかと思います。魔法の背景説明がなかったら、『終末のイゼッタ』はありきたりな魔法ファンタジーとして埋没していたかもしれませんね。


 それゆえに『終末のイゼッタ』が、ニッポンの魔法ブームの先駆けとなった『魔女の宅急便』(アニメは1989)に対する強烈なアンチテーゼとなったことも注目したいところです。

 魔女っのキキが箒の代わりに対戦車砲に跨って飛行する……みたいな図式なのですから。むしろ世界史のリアリティに沿うならば「近現代の魔法は宅配便よりも、まず戦争に活用される」のが当然であるからです。


 そのことは、SFとファンタジーを見事に結合させた小説作品『大魔王作戦』(ポール・アンダースン著、国内出版は1983)を嚆矢とするでしょう。早川文庫のあの表紙画、戦闘服を着て、武装した飛行箒に跨った美貌の魔女のイラストは、まさにイゼッタですね。

 でも、スターウォーズやスタートレックなど、スペオペ映画で盛り上がった時代において、魔女物の小説はあまり顧みられなかったようです。今の若い人たち、『大魔王作戦』って、読んだことないだろうなア。


       *


 ということで、「魔法って、何なんだ?」です。


 この命題に悩んでいるうちに、世のラノベは一段と変貌して、主人公の皆さんが、物語の冒頭でとりあえず死んで、異世界に転生するようになりました。


 これって、大変なことです。

 素朴な疑問がまたまた増えました。

 「異世界って、何なんだ?」

 一読者としては、理屈に合うように説明してほしいものです。

 だって、あんなに簡単に「転生ありき」とするなら、すでに21世紀の私たちのこのリアル世界の人間たちは、みんな「転生した結果、ここに生まれた」ことになってしまいませんか?

 非常に重大な作品設定なので、やはりキッチリ説明してほしいと思うものです。


 しかも転生の過程で「神様」が登場して、主人公の転生後について親切にガイダンスしてくれます。

 さらに転生先の中世風異世界では、主人公はドラゴンや魔王といった「魔物」と闘います。

 つまり「神様と魔物ありき」なのです。


 神様と魔物がいて、幽霊はなぜかあまり出てきません。

 これも変です。「神様と魔物」はだいたい“あの世”の出身です。

 “あの世”があるのなら、「幽霊」もアリじゃないですか。

 宗教的なホラーの世界では、「神様・幽霊・魔物」はセットで語られることが多いのでは?


 それに、死んだ自分がいったん幽霊にならなくては、転生もできませんしね。


 となると、「神様・幽霊・魔物」は、“あの世”の三点セットなのです。


 なのに、あのハリ〇タでは、「魔物はアリ、幽霊は都合の良いときだけアリ、神様は無し」というヘンテコな設定がまかり通っております。

 映画は全部観ましたが、部分部分で、「どうしてここで神様が介入しない?」とか「タンブル戸が幽霊になってんなら、ヴォル出モートも幽霊になって、“あの世”で二人がケンカしなきゃ収まらんのでは?」とか、つまらぬ素朴な疑問も湧いて来ようというもの。

 そもそも、悪魔は天使の成れの果てなんだから、神様と天使が作者からまるきりシカトされてんのは、どうなんだか……


 いやそれは、そもそも魔法なんてものは異教の産物、キリスト教に支配された社会では、排斥されるべき反社会的行為のはずなんですが……

 


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