081●第12章● 〃 1964年6月20日(土)黎明⑤:嫉妬と急転
081●第12章●危険と魅惑の夜間飛行…1964年6月20日(土)黎明⑤:嫉妬と急転
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数分後、久はカメラを手に中央通りを歩いていた。
ひび割れた歩道、散乱する瓦礫。
煙のように白濁した埃が周囲に漂い、夜空も見えない。
そのかわり、仄かに明るい。
周囲の第一印象は、市街戦の終わった戦場だ。
しかしよく見ると、あれほど発砲したのに、弾痕がどこにもない。
すべて、対魔戦用の重光子弾だったからだ。
祓魔弾も鎮魂弾も、弾頭部は金属でなく、“質量を持った光”にすぎない。“あの世”の魔物は破壊するが、“この世”の人体を殺傷する物理的な威力はゼロに等しい。
街の破壊は、おもに蛇竜ダイハチが暴れて、あたりかまわず発射した気圧差攻撃による。
だから、これらは戦争と言うよりも、巨大な台風や竜巻が襲来したときの被害状況に似ている。
ビルの窓ガラスや外壁は大半が割れていたし、車道はその破片に彩られ、歩道には看板やネオンサインの残骸が横たわる。
本来なら頭上に張り巡らされているはずの、都電や周辺の建物への送電ケーブルなどの空中線は地上に落ちており、気を付けてまたいで歩く。
魔法自衛隊がやったことは戦争そのものだ。銃器や戦車の発砲。神楽剣や渦巻カミソリともいえるバヨネットなど、魔法的な刃物による剣戟。砲撃戦と白兵戦。
しかしその結果は、ほぼ、自然災害。
これが対魔戦の特徴であることが、見てとれた。
全国の霊的な気脈と水脈の観測を管掌する鬼象庁によると、魔物による破壊活動は、“超自然災害”に分類されている。魔物は自然現象の一部とみなされるからだ。
ちなみに、鬼象庁の分局である気象庁が行っている普通人向けの“天気予報”は、本業でなく副業の一部にすぎない。
魔法自衛隊では“甲種巨大魔物”にカテゴライズされるダイハチだが、鬼象庁の法律用語では“怪獣”となる。人為的な戦争ではなく、あくまで自然が生み出した“災害”の一形態と、法的に解釈されている。
あくまで、自然災害。
でも……と、久は思い出す。隊内のどこかで、こんなことを耳にした気がする。
……この国に魔物を呼び入れている何者かがいる。それが“敵”だ……。
もしもそうだとしたら、魔物は単なる自然災害ではない。
“人災”だ。
それすなわち、“戦争”ってことじゃないのか?
この対魔戦の裏には、複雑な事情があるような気がする。
と、歩道と車道の境に並ぶ街灯が、次々に明かりを宿した。
へし曲がっていたものも多かったが、いつのまにか、修理されたのだ。
街路が照らされる。
見上げると、四谷プロの青いデニムシャツを着た隊員が、街灯のランタンの上にひとりずつ、足を揃えて立っている。制作部の“原状復帰メンバー”だ。
シュールな面白い風景だな、と思って、シャッターを切る。
「ああ、キュウ君だね。何枚か写真を撮ってくれると助かる。頼むよ」
現場の班長らしい男が声をかけてきたので、返事する。
「わかりました。どこを撮ればいいですか」
「全体の眺めを押さえてくれればいい。今後の作業の参考になるんだ。いつもなら万城さんと漆田さんにやってもらうんだが、他の仕事に回っているのでね」
「了解です」と撮影する。
そこに、街灯の上の女性スタッフから声がかかる。
「アテンション! 空中線を復帰します。地上のケーブルをまたがないよう、ご注意ください!」
全員に注意が行き渡ると、彼女はチームを代表して気合いを入れた。
「お父っちゃんのためなーら」
「エーンヤコーラ!」と全員が唱和。
いかにも“招和”なヨイトマケ音頭で、地上に横たわっていたケーブルが地引網よろしく、ズザッと音を立てて持ち上がった。街灯の上に立つ全員が紐を結ぶ動作をすると、ケーブル類はもとどおり、電柱や街灯の柱に支えられて、頭上に張り詰められている。
一方で、箒に乗ってビルの壁面近くを飛ぶメンバーもいる。手には塗料を塗るローラー形の刷毛を持ち、一振りすると、割れたガラスが元に戻り、はがれた外壁と塗装が復旧する。それも、新しいものは新しく、古いものは古そうに“時代をつけた”高度な復元作業だ。
地上では、うちわや扇子を振るメンバー。これで風圧の吹き付けみたいに瓦礫や砂塵を片付ける。別のメンバーが箒で掃くと、凸凹になった歩道のコンクリートタイルがほぼ綺麗に整えられる。“ほぼ”というのは、綺麗にしすぎると、かえって怪しまれるからだ。
現場にBGMが流れはじめた。修理用の資材や廃棄するゴミを運ぶため、運搬ワゴンを牽いて歩道わきにやってきた薄青いガントラが、窓から拡声器を出して、エンドレステープで流す。
ガントラのドライバーに訊くと、『會議は踊る』というタイトルの昔の映画で有名な“ただ一度だけ”という曲だ。カントクが好きらしい。やや急ぐときはこの曲で、のんびりやっていいときは“美しく青きドナウ”を流し、特急で巻きを入れるときは“クシコスの郵便馬車”という曲だという。こりゃ運動会みたいなもんだね、とドライバーは笑っていた。
原状復帰作業は八重洲通りから日本橋へ北上する形で、着々と進められていく。
魔法自衛隊の活動がチームワークの産物であることがわかる。
SJTや“営業部隊”のように魔物と戦う対魔戦闘チーム、壊されたものを元に戻す原状復帰チーム、そしてもう一つ、司令所のスタッフなど管理兵站チームが全体の足並みを揃えているわけだ。
久の、どこかもやもやしていた気分が、いくらかすっきりする。
魔法自衛隊という職場は、“壊す魔法”だけではない。
“直す魔法”も使っている。
それも、かなり大きな役割を果たしている。
これは率直に、いいことだと思う。
怪獣退治という正義のためとはいえ、“壊しっぱなし”で、どこかへ帰宅してしまう特撮ヒーローはフィルムの中の絵空事。現実世界の魔自は、ちゃんと自分で後始末をする。
この点は、久も賛同できる。
壊れたものを直す魔法……というのは、習えるものなら習ってみたい。
きっと、実生活に、すごく役立つだろう。
とはいえ、この職場の労働形態はブラックに近く、正直、命の危険もあるのだが……
そう、僕にとっては命がけの、激しい戦闘だった。くるみちやんの健康状態が、まずは大丈夫とはいえ、気がかりだ。それに……
脳裏に焼き付いたイメージ。
薄桃色の、艶やかな光沢にきらめく布地に包まれた、きっと、つるっとした出来立てのゆでたまごを二つくっつけて並べたみたいな、くるみのお尻。
見てしまった……
うっとりと記憶を再現しようとしている自分を自覚して、自省する。
ダメだ駄目だ。人はこうやって、愚かな痴漢の鬼畜道に堕ちてゆくのだ。
なまじ、超高精細の霊写能力なんか持っているものだから、4K映像さながらに、細部までくっきりと脳内再生できる。
いけないこととは知りつつ……
自らの罪の意識に、しかしうっとりとさいなまれる少年は、そこで、ある大切なことに思い至った。
どうして、くるみちゃんは、スラックスを緩めたままにしていたんだ?
先日は寮の廊下ですてんと転んだり、学園の鉄扉を念力で開けてくれる余計なお世話とか、ドジっ子ぶりを謳歌するお花畑少女のくるみちゃんだけど、ダイハチが引き起こした爆風の中、僕を守ってくれた彼女は、油断のない立派な戦士だった。
そんな彼女が、“秋花”の座席の中とはいえ、戦闘中にスラックスのベルトやファスナーをだらしなく開けっ放しにしておくはずが……ない! 絶対にない!
とすると、わざとそのままにしていた?
彼女が気を失うことなく、“秋花”が無事なまま着陸していたとすれば、どうなっただろう?
さあ、降りましょ、と立ち上がったその瞬間、僕の目の前数センチの距離でスラックスがはらりと落ちて、あの衝撃的な薄桃ピンクのパン……が、丸見えになっただろう。
となると即座に「きゃっ、キュウさま、いやん、見ちゃだめよ、エッチ!」……な展開になったはずだ。
そして僕の心臓は、薄桃色の衝撃に不意打ちされて、吹き飛んでしまっただろう。
しかも、狭いコクピットの中、他人に目撃されないハプニングだ。
「キュウさま、誰にも言わないでね、二人だけの秘密よ、ヒ・ミ・ツ……」と。
くるみちゃんは、ひょっとして、最初から、そうするつもりで……
そうだ。気を失った状態で長門なつみさんに抱かれたので、ピンクのそれを見せてしまった。そのとき、僕が目の前にいたのに、酒匂さきえさんは少し驚いただけで、僕に対して迷惑そうなイヤな顔をするわけでもなく、「見ちゃいけません!」とたしなめることもしなかった。
察したからだ。
くるみちゃんが、わざと見せようとしていたことを。
でも、そうだとすると、くるみちゃんは僕の前でベルトをゆるめ、ファスナーを降ろしたままにする理由が必要だ。
あ……、とすると、普段から自分の体形の美しさに自信がある彼女は、“お尻パッド”なんか着けないのが普通だけど、今回は、なぜかわざわざ着用してきて、“秋花”のコクピットで僕を尻の下に敷いたことで、パッドを外す必要性を作った。その状況を利用してベルトを緩め、ファスナーを下げたままにしたのだ。
でも、そんなことをするためには飛行箒から戦闘機の “秋花”に乗り換えなくてはならない。だから……
疲れ果ててフラフラと夜空を飛行するふりをして、“秋花”を操縦していた明石あかりさんの気を引いたのでは……
それって、やはり、最初から意図的に???
わからない、全部が僕の思い過しで、ただの偶然かもしれないし。
でも、おそらく何か思うところがあって、くるみちゃんはそうしたんだ。
僕にパン……をチラ見せするために……。
つまり、これって、仕組まれたパンチラ劇???
一枚の薄桃色の閃きがもたらした衝撃……おお猛烈って感じだ。
これぞ青春の蹉跌……ってか?
でも、そんなことを考えるのは、くるみちゃんへの冒涜では?
しまった、許されざるエロい推理にはまってしまった。
見るべきだったか、見ざるべきだったのか。
……と、失礼ながらハムレットな心境で苦悩の淵をさまよう、久。
頭を抱えようとして……
自分の髪をくしゃっとつかんでしまい、気が付いた。
ヘルメットが、ない。そういえば、さっきから、被っていなかった。
“秋花”がダイハチに激突したとき、空中に落としたんだ。
まあいいや、とあきらめる。もともとあの派手な紅白チェック柄と側面の変な自体……じつは“ゲバ字”というフォント……の“写”は、好きくなかったし。
できればおさらばして、“営業部隊”のようなメタリックなバイクヘルメットに替えてもらえるといいんだけどな……と思ったところで、コン、と頭を小突かれた。
顔を上げれば……
こよみだった。箒に乗って浮かび、紅白チェック柄のそいつを差し出している。
「はい、これ。落し物」
久がヘルメットを被っていないことに気づいて、捜してくれたのだろう。
さすがに靴で蹴ったのではなく、ヘルメットの縁で久の頭をノックしたわけだが、冷たい意志表示に変わりはない。
「あ……」
どうもありがとう! と喜べはよかったのだが、できればおさらばしてカッコいいものに新調したいと思っていた品なので、嬉しい顔をし損ね、寸秒のためらいが生じる。
すぐさま、こよみは久の頭に、ポン! とヘルメットを叩きつけるように被せると、早口で言った。
「くるみ……ちゃん!……は大丈夫よ。一日寝れば元気になるわ。そしたらまた、遊んでもらいなさい。くるみ……ちゃん!……にね、く、る、み……ちゃん!……に!」
“ちゃん”を、印刷なら超極太ゴシック並みに強調して久をねめつけると、久に何ひとつ言う間を与えず、一陣の風でスパッと姿を消す……はずだった、その瞬間。
「危ない!」
蹴とばされた。こよみの靴が久の肩に命中し、骨折を思わせる激痛が炸裂したと思ったら、近くのビルの壁に叩きつけられていた。
戸惑いと怒りで我を忘れた久の目に映ったのは……
こよみの胴を、背中から太い銛が貫いていた。




