073●第11章●“ガチンコ作戦”…1964年6月20日(土)未明①:一斉射撃
073●第11章●“ガチンコ作戦”…1964年6月20日(土)未明①:一斉射撃
●第11章●“ガチンコ作戦”…1964年6月20日(土)未明
最初、それは半透明のゼリーのような、もやもやとした存在だった。霊界すなわち“あの世”から、この世へと滲出してきた霊界物質の塊だ。
巨大なスライム……と久は感じた。
みるみるうちにそれは拡大した。橋の路面と首都高速の高架の橋桁にはさまれて、ぐにゃりと左右へ膨らんだと思っとたん、ずるずると前に進み始めた。
進みながらそれは、たちまち濃度を増していく。“この世”の重力子やヒッグス粒子と作用することで質量を獲得しているのだ。さらに、大気や湿気の構成分子、空中に漂う微粒子など、この世の物質を吸引して混ざり合い、“混合状態”となって、色彩をまとった生き物へ変貌していく。
蛇だ。ただし、それは角ばった顎と歯並びの良い牙を持ち、頭部には数本の角を生やし、ヒゲに似た触角を左右に振り、いわば竜に似た相貌の大蛇である。
蛇竜ダイハチ。
魔法自衛隊の分類では“甲種巨大魔物”。鬼象庁の分類では“怪獣”と称される自律行動霊体の一種だ。
一眼レフカメラ、ミコンFZのファインダーごしに、望遠レンズを通して、久は生まれて初めてダイハチと対面した。
戦慄する。
……あの大蛇、頭だけで三階建ての家一軒ほどの大きさがある!
夢中でシャッターを切る。パシャッ、パシャっと撮りながら、何度もピントを合わせ直す。
最初はピンボケかと思った。が、そうではなく、ダイハチ自身が“物質化”の途中だったからぼやけていたのだ。一分もすると、くっきりと細部まで、形が定まった。
ダイハチは投光器から数条の光芒を受け、ぎらぎらと輝く。
そのボディは緑がかった玉虫色で、虹色のうろこを纏っていた。うろこの一枚がマンホールの蓋ほどの大きさ……いや、畳一枚ほどあるのでは。
その顔面のうろこは銀色で、眼は金色だ。金目のダイハチ。しかし目玉を見たのは一瞬で、すぐに瞼が閉じられる。瞼は哺乳類のそれとは逆に、下から上へ閉じるのが不気味だ。
久は思い切り息を吸った。恐怖……というよりは、未知なるものへの畏怖というべき感覚が、全身をぞくっと震えさせる。
震えながら、感じた、思い出す。
こいつ……夢で逢った奴だ!
こちらの世界に来たその夜に見た夢、その中で、久に「この時代で死ぬか、それとも安全に家へ還るか、いずれかを選べ」と迫った、あの暗闇の怪物だ。
今、ダイハチは目をほとんど閉じている。斜め前方から浴びせられる、投光器の光が眩しいようだ。細目を開けた状態で、シューッとおぞましい振動音を放ちつつ、さらに前へ進み始めた。橋の欄干の麒麟と獅子のガーゴイルが恐怖のあまり失神状態でひくひくと痙攣するのを気にすることもなく、中央通りを銀座方面へと動きだす。
中央通りには都電の線路が走り、片側二車線の広い道路の頭上には、都電の電線を保持する空中線が、歩道の街灯や電柱から張り渡されて、グリッド状にかぶさっている。
ダイハチはそれらの空中線を無視して前進する。空中線のワイヤーはダイハチのボディをすんなりと通過する。うろこに覆われた虹色の胴体は環境に応じて固体にも液体にも、半ば気体にも相転移できるようだ。細かな障害物は、身体を部分的に流動化して、擦り抜けさせている。
ダイハチを構成する物質……“重光子”が、固体であり液体であり気体でもあることを物語っている。
数十メートル進むと、ダイハチの胴体が一段と太くなった。久の二十一世紀的な感覚で例えると、翼のない二階建て旅客機が、地面の上を這ってくるようなものだ。胴体の直径は十メートル以上あるだろう。
にゅるにゅると、それは日本橋に開いた隠火路の入口から延びてきたが、百メートルを超えても終わらない。中央通りと永代通りの交差点、木白屋百貨店の前を通過する。
中央通りで待ち構えているTS特車四輌が、じりじりと後退した。といっても、車体は最初からダイハチの反対方向に向けていて、砲身のみ後方へ、すなわちダイハチの鼻先へと向けている。このままダイハチをおびき寄せながら、低速で中央通りを南下して、尻尾の先まで、隠火路の中から引き出させるつもりだ。
このあとダイハチが全身を出して、尻尾の先が永代通りとの交差点まで出てきたら、通りの西側に控えているTS特車四輌が一斉射撃、ダイハチの後半身を破壊し、そこへ、中央通りのさらに南、島高屋百貨店の前に配置している六〇式自走無反動砲の百六ミリ無反動砲と、その車体に載せている九七式自動砲の鎮魂弾を一気に浴びせて、ダイハチの鼻づらを叩く。そうやって前後から挟撃し、完璧に、この世から抹殺する手はずなのだが……
「でかいぞ! こいつは、でかすぎないか?」
双眼鏡から目を放した丹賀が、驚愕を込めて告げた。真幌場が応じる。
「まもなく全長二百メートルになります。前回の倍です。想定外のスケールです」
と言う間にも、ダイハチの胴体はずるずると延び、頭部が島高屋百貨店にせまる。
四輌の六〇式自走無反動砲が、ブルブルとエンジン音を上げて、後退を始めた。前からTS特車四輌が後退してきたからだ。こよみに率いられたSJTメンバーはマメタンのすぐ後ろに待機していたのだが、これも全員が、後ずさっていくしかない。
「ダイハチの尻尾は、まだ日本橋から出とらんのか」
丹賀の問いに、受話器を耳に当てた池ちゃんが、監視員からの報告を伝える。
「まだです。まだ胴体が継続して、隠火路の中に残っているそうです」
「成長したな、ダイハチの奴。すっかり太って、長くなった」と丹賀。
「なんてこと……」真幌場が悔しそうに唇を噛んで、丹賀に具申した。
「戦場想定域は八重洲通りまでです。そこを最終攻撃ラインとして、撃ち果たすしかないと考えます」
「そうしよう。八重洲通りを限界点として、攻撃せよ。同時に永代通りでダイハチの胴を断ち切るしかないな。尻尾を含めた完全殲滅はあきらめる」
「はい。八重洲通りで攻撃開始。同時に目標霊体の後部胴体を切断します」
真幌場が指示を飛ばす一方で、近くのスタッフは百式機関短銃を構え、司令所テントの周りに力場結界門を展張する。手すりのすぐ下が戦場になるからだ。
島高屋の屋上から写真を撮りまくる久は、カメラを真下に向けていることに気が付いた。ダイハチの頭部が島高屋百貨店の前に達したのだ。
自分の息が凍りそうな寒気に襲われる。霊気だ。ダイハチを包んでいる霊界物質の霧が異様な振動で震え、久の背筋に、言いようのない冷たい悪寒をもたらしてくる。
「ヒル先生、これって長すぎませんか。まるで超特大のサナダムシです」
低速で後退するTS特車隊の一号車アリスでは、後方に向けた砲身の照準鏡を睨む射撃手の来斗が、かすれた声でぼやいた。指揮官として同乗しているヒル先生も、さすがに困惑気味で言う。
「あの寄生虫は嫌いだよ。どうせならウナギの特上とお言い。……でも、なんてやつだろねェ。この前まではB-36の胴体をチョイと引っ張り延ばした感じだったじゃないか。長さも太さも顔つきも」
B-36とは、五年前に退役した米国の戦略爆撃機で、全長は五十メートルほどである。それでも“ビッグスティック”などと呼ばれ、世界最大級の爆撃機だ。
無線士も兼ねる装填手の倉臼が、片耳のヘッドセットに手を添えて報告する。
「司令所から伝達、全長三百メートルを超えますが、まだ尻尾が出てこないそうです」
「ゲッ、そんなバナナ……」
絶句するヒル先生、左目の黒眼帯をずらして汗をぬぐう。操縦手の半須が混ぜ返した。
「でも先生、いつぞやは、太くて長くて硬いものは大好きだとおっしゃっていたではないですか。ダイハチもあれはあれで、結構お好みではありませんか?」
「てやんでェ、それァ、うっとこの大砲のことだよ。ダイハチは好かんの。あ奴は太くて長いが、フニャだからね。しかも中に直径八十八ミリの穴が通っていない。捌いて煮ても、かば焼きにしても食えんしナ」
「おっしゃる通りです」
“生き物”を“食い物”に換算する習慣を常とする戦車男たちは、食器を洗うスポンジを咥えさせられた顔つきで、まずそうにダイハチを見つめる。
「野郎ども!」ヒル先生はインカムで八輌の特車隊員に檄を飛ばした。「テメーラは男だ! 男なら八十八ミリ砲の如く太くて長くて硬くあれ! フニャは許さん、フニャな奴は、芯からあたいがシゴいてやるよ!」
「かしこまりやした!」と、どことなく陶酔を漂わせて下腹に気合を入れる戦車男たち。そこで操縦手の半須が報せる。
「……おっと、すぐに八重洲通りです」
「発射用意。隊司令の許可あり次第、砲撃する」とヒル先生。
その数瞬後、司令所テントでは、受話器を持ちマイクに向かう真幌場が、背を向けた丹賀を注視していた。丹賀の腕が伸び、頭上に、旧日本軍が使っていた“十年式信号銃”を構えている。
「攻撃開始」
丹賀が宣言し、引鉄を絞った。
パン! と発射音が響き、赤い火の玉が打ちあがった。
真幌場女史と池条ちゃんが、受話器とマイクに叫ぶ。
「攻撃開始! 攻撃開始!」
同時に、ヒル先生も特車の砲塔で号令していた。
「撃て!」
その瞬間、切り立ったビルの間の峡谷ともいえる中央通りは、発射音と爆発と閃光の坩堝と化した。
TS特車隊の四門の八十八ミリ砲が咆哮する。また咆哮する。
SJTメンバーと“営業部隊”の百式機関短銃、合わせて六十挺あまりが、滝のように火を噴く。
そして無数の炸裂。
数百数千のジャズドラムを、シンバルもまとめて猛烈な力で打ちまくるかのような、壮絶な騒音が鼓膜を殴り、なにもかもまとめて、グワッ!……と全身に叩きつけてくる。
全て祓魔弾の発砲音だ。
ダイハチの頭部が砕けた。首が、胴が粉砕される。うろこが飛び散り、ゼリー状の肉がちぎれ、空中を舞い、膨らみ弾けて吹きあがる。
だが、ダイハチも砕けながら反撃した。不意の攻撃に身をよじり、のたうち、跳ねて、鞭のようにしなり、空を打った。
それは、無駄なあがきではなかった。
破壊されながらも、ダイハチはそこに、自らの武器である“気圧差”を瞬間的に作り出したのだ。
大気のハンマー。
通りに面したビルの窓がことごとく、歪んで割れ、星屑の輝きをきらめかせて空に舞う。
看板が、街灯が、くしゃくしゃに潰れて、空中のダンスに加わる。
構造の弱い建物の外壁タイルがはがれ、崩れ落ち、砂塵となる。
魔法自衛隊の第一撃が終わり、刹那、静寂が訪れたとき……
「いかん!」丹賀が叫んだ。「やつは再生している。しかも早い!」
最初の猛攻撃で胴体の上半分をグシャグシャのミンチ状態に潰されたダイハチだが、ぶるぶると震えて、しぼんだ風船に空気を送り込むかのように、身体を再生していく。
苦し気に身をよじりながら、胴体の直径こそ一回り小さいが、元の大蛇の姿に戻っていくのだ。
粉々になった頭部には肉球が膨らみ、うろこが形成され、眼、口、鼻、牙と角が生えていく。再生される大蛇の肉体には、周囲の建物を破壊したことで降り積もった瓦礫すら、半透明の筋肉の一部に取り込んでいる。
むくむく、ぶくぶくと蠢きつつ、霊界物質の怪物は態勢を立て直す。
「サンダーネット、使用許可を!」
真幌場が具申した。




