072●第10章● 〃 1964年6月19日(金)夜⑩:本番開始!
072●第10章●決戦の日本橋へ…1964年6月19日(金)夜⑩:本番開始!
丹賀は何気ない風情で、久に声をかける。
「キュウ君、今夜の君の任務は、ダイハチの頭から尻尾まで、とにかくシャシンに撮ることだ。フィルムは何千枚でも好きなだけ使ってよろしい。頼むぞ!」
パン、と肩を叩かれる。ちょっと酒臭い上司だが、司令所のスタッフたちの前で、自分が期待されていることを示されると、率直に嬉しい。
「はい、頑張ります」
「お、なんだか奥ゆかしい声だな。もう一発、大声で返事してくれ」
「頑張ります!!」
「よおし、いい声だ、元気にやれよ!」
にかっと、目を細めて笑う丹賀。新人に対する激励を忘れないあたり、気の利いた司令官というべきか。基本的に、部下を大事にする人だと、久は感じる。
多少、ずぼらな俺だが、責任は全部取るから、お前は全力でやってみろ……という姿勢だ。昼行燈に夜日傘、真昼の夜泣きそば、白夜のドラキュラと異名を取っても、だからこそ部下に慕われるタイプなのだろう。
で、くるみはというと、先ほどの緊張はどこへやら、久の背中の陰に入り、楽しそうに身体を揺らして、何か小さく口ずさんでいる。シャンソンみたいだが、歌詞は聞き取れなかった。……それとも、自分の心を落ち着かせる、おまじないなのだろうか。
外の暗がりに目をやると、不意に、屋上の手すりと同じ高さの空中に、飛行箒に乗った魔法士たちの編隊が浮かび上がった。
男女比は2:1くらいで、男性はサドルつきの箒にまたがり、女性は柄にクッションを巻いて斜め座りしている。
全員がコバルトブルーの上下つなぎの制服で、半帽タイプのバイクヘルメットに透明ゴーグルを着装、制服の左肩から、たすきがけの要領で黄色いイナズマの図柄がプリントされていて、スタイルはクラシックながら、スーパー戦隊を思わせるかっこよさだ。二十一世紀のお年寄りが見たら“忍者部隊”と形容したかもしれない。
かれらの背には百式機関短銃、腰には南部十四年式拳銃。どちらも弾丸は同じ八ミリ南部弾改造の祓魔弾を共用できる。そして飛行箒の下には、箒の柄とほぼ同じ長さの、ほっそりした円筒形の樹脂製ケースを装着していた。何かを収めた鞘のようだ。
男性の一人が飛行箒に乗ったまま、丹賀の前に浮揚し、“ヘソ隠し”敬礼を送る。白い歯が清々しい、よく日焼けした闊達な青年だ。体躯もがっしりして、典型的な“いい男”である。
「社長、営業部の田山です。機動戦隊トリプルジャック、全員参加いたします」
トリプルジャックとは、四谷プロの営業部のメンバーで、SJTの向こうを張って……というか、SJTの戦闘を支援するために、リーダーの田山修造をはじめ営業部員の屈強な魔法力を誇る若手有志が集まって結成したコンバットチームだ。十一人を一単位とし、三単位三十三名で構成される。
丹賀はにこやかに手を振って応えた。
「おう、営業部隊の諸君だな。凛々《りり》しいぞ。真幌場君から聞いている。なんでも、担当業務外の、社内クラブ活動の一環というか」
「これでも真剣ですので、クラブ活動よばわりは不本意ですが」と田山は笑顔を崩さずに言う。「おかげさまで予算がつきまして、揃いのユニフォームが間に合いました。これなら世間の皆様に対しても、スタント担当の出演者で通ります。トリプルジャックとお呼び下さい」
「そうか、そうか。頑張ってくれたまえ。ええと……頼りにしているぞ、ええと、トラブルジャンク、いやトラベルチャック、トリップシャンク、ええと」
「……“営業部隊”で結構です」
せっかく張り切ってつけたネーミングだが、舶来風のカタカナ言葉には至極アバウトな中年世代の丹賀には、まず覚えてもらえそうにないことを知って、田山はさっさと妥協した。カタカナにこだわると、さらなる珍語が登場して混乱するだけだ。
“営業部隊”の面々が道路向かいの建物の上に陣取るのを見て、丹賀は真幌場に訊ねた。
「ところで、桜田門の皆様は、どんな具合かな」
“桜田門”とは、旧江戸城の桜田門の向かいにある警視庁を指す符丁であり、つまるところ“警察は監視に来ているのかい?”という意味だ。
「はい、パトカーは六台、バリケードの外の路地裏に潜んでいます。私服組が二十人ばかり酔客のふりをしてうろつき、制服組はパトカーの中です。いずれもバリケードの外でして、魔法使いはいません。全員が普通人です」
「わかった。いつもの特撮偽装で誤魔化せるか。カドを立てずにやれそうかね」
「はい、これなら楽勝と、カントクもおっしゃってました」
「了解だ」丹賀は自分の左腕を真幌場の左腕と隣り合わせにして、互いの腕時計の現時刻に狂いがないことを確かめる。「始めるとしよう」
「始めます」と真幌場は答えるとマイクを取って、丹賀に渡す。
「まず四谷プロ社長として、一言お願いします」
丹賀はマイクを手に声を張り上げた。
「あー、あー、社長の丹賀です。ええと、今夜の撮影は大仕事ですが、社員諸君の一層の奮励努力を望みます!」
どこからともなく拍手が湧いた。表向きは一般企業なので、鬨の声などを上げると、物々しい雰囲気となって目立ちすぎる。ここにいる者はあくまで四谷プロ社員と特撮俳優……という建前だ。丹賀が部下たちに、軍隊式の敬礼をさせない理由のひとつでもある。
丹賀は付け加えた。
「カントク、あとはよろしく!」
同時に池条ちゃんがマイクを握り、アナウンスする。
「まもなく撮影を始めます。まもなく撮影を始めます。皆さん、スタンバイ宜しく願います」
島高屋の屋上に備え付けたラウドスピーカーから中央通りへ流れる美声をバックに、ハンチングにサングラスの小男が、トコトコと道路の中央、都電のレールの間に歩み出た。
カントクだ。特大のメガホンと、特大のカチンコを持っている。
まず彼は、日本橋に背を向けると、宗教の司祭者のように、おもむろに両腕を広げ、気合いを込めて唱えた。
「伏せよ柳!」
ざあああっ……と、葉擦れの音が遠くまで響くと、歩道に影を落とす柳の並木が一本残らず膝丈のあたりで折れ曲がり、まるでドミノ倒しのように、日本橋の反対、南西の方角へ倒れていった。
すべて本物の木と取り換えたそっくりのレプリカ柳で、カントクの念動力を受けて、ジョイント機構によって倒れたのだ。魔物が暴れ回った後の、原状復帰の手間を省くための工夫である。
そして道路に冴え渡る、静寂。
カントクは回れ右をすると、メガホンを日本橋へ向けて、声を張り上げた。
「題名は“ガチンコ作戦”、撮影シーン、ナンバー4649、……本番用意せよ!」
その一言で、あたりの空気が変わった。ぴりっとした緊張感ととともに、カチャッ、という無数の金属音が、ビルの谷間に木霊する。
空中に浮揚している“営業部隊”をはじめ、対魔戦闘に参加する全員が、百式機関短銃の安全装置を外した音だ。
路上のTS特車は永代通りの四輌と中央通りの四輌、その後方に控える六〇式自走無反動砲四輌では、射撃手が撃鉄に指をかける。
久もごくりと唾を呑み込み、屋上の手すり越しにカメラを構える。
カントクは特大カチンコを掲げ、号令をかけた。
「アクション!」
声とともに、カァン! とカチンコの打音が響き渡る。
この瞬間、日本橋の中心にある、装飾十字架に似た姿の“東京市道路元標”が、ぶるっ、と悶えた。日本橋の大型魔界隧道“隠火路”に厳重な蓋をしていたチベット製の力場結界が解除されたのだ。
くにゃっ、と“東京市道路元標”が曲がり、たちまちそこに球形の空間の歪みが現れた。
それは、直径数メートルの水晶の珠のように見えるが、ふるふると蠕動し、周囲の空間を溶融させていく。
液体? と久は感じた。あれは液体だ。
空間そのものが相転移して、液化している。
液状の空間。無重量の宇宙船の内部に水滴を浮かべたかのようで……
それが、はじけた。




