070●第10章● 〃 1964年6月19日(金)夜⑧:ダイハチの正体
070●第10章●決戦の日本橋へ…1964年6月19日(金)夜⑧:ダイハチの正体
ヒル先生は声を落とし、意味ありげに付け加える。
「問題は、一九二三年に日本橋の“隠火路”をこじ開けて関東大震災を引き起こしたのが何者であるか、ということ。そしてもう一つは、一九四五年の三月と五月、大戦中の東亰大空襲だよ。市街地の大半が焼け野原になって、十万を超す人々が殺された。あの惨劇も、何者かが魔物を操り、東亰へ呼び込んで引き起こした可能性がある。結局、そいつは日本橋の“隠火路”を二度にわたって開けたのかもしれない。いずれにしても人災だ。その犯人は不明だが、あたしたちは、そいつを“敵”と呼んでいるのさ」
ここで詳しい説明を聞く時間はないが、関東大震災と東亰大空襲には、いろいろと複雑な“裏事情”がある……ということがわかった。
あの巨大な悲劇の裏側には日本橋の魔物がからみ、魔物たちを呼び集めて、操ろうとする“敵”がその背後に隠れている。
魔法自衛隊は、その“敵”を探り出そうとしているのだ。
「そういうわけで、もうすぐ、日本橋の“隠火路”が口を開く。その中には、大小の魔物がひしめいている。パンドラの匣みたいにね。今夜、あたしたちが相手にするダイハチってやつは、そいつらのボスだ。おそらく国内で最もしぶとい“甲魔”といえるだろうさ」
ヒル先生が指差す日本橋には、ゆらゆらした陽炎のような、空間の歪みが見え隠れしていた。
もうすぐ、あそこに霊界の出入口が開く。
蛇竜ダイハチの由来については、万城から聞いていた。
すなわち、“八番目の大蛇”という意味だ。
神代の昔、この国を苦しめた大怪獣、八岐大蛇は、八頭八尾で胴体が一つにつながった、巨大な蛇、もしくは蛇状の竜だったと伝わっている。
スサノオという英雄的な神がオロチに挑戦した。その方法は、オロチが好む強い酒を八つの桶に用意し、オロチが八つの頭をそれぞれ桶に突っ込んで呑み、すっかり酔っぱらったところを一気に成敗したという。
オロチに強烈な火酒を大量に飲ませたのは、オロチに捧げる生贄に予定されていたクシナダ姫の発案だった。外皮の部分は鎧のように硬化した鱗に覆われていても、内臓は霊界物質であるオロチは、体内からアルコール漬けになってしまった。しかも、酒のつまみに供された鹿やイノシシの味噌漬けソーセージには、海外から輸入した貴重な爆薬が仕込んであった。酔っぱらったオロチたちを巧みに接待して、その胃袋や腸にアルコールと爆薬を浸透させたまま、夜明けまで寝込ませることに成功したことが、クシナダ姫に勝機を与えた。
クシナダは、生贄予定者の苦難に満ちた生活によって、魔法能力を開花させ、海にそそぐ大河の水を操る、水制の魔女となっていたのだ。夜明けとともに彼女は大量の清水を空中に浮かべるや、巨大な凸レンズを生成して太陽光を集束、泥酔するオロチに焦点を結ぶ。
寝ぼけた怪獣は爆薬とともに焼き払われた。
スサノオが活躍したのは、巨大な蒲焼きと化して断末魔となったオロチの首を落として絶命させる場面だった。しかし……
実は八つのうちの一頭は酒が苦手な“下戸オロチ”であって、他の七頭に付き合って、呑むふりをしていただけだった。スサノオが剣で斬首におよんだとき、素面であった一頭だけがするりと脱皮して逃げ出した。そいつがいちはやく日本橋に巣食って、この国の魔物のボスに君臨するようになったのだ。
以上は、ガチンコ作戦の打ち合わせの前に万城から聞いた“裏古事記”の伝説だが、八番目のオロチ……通称ダイハチを取り逃がしたことは、魔姫クシナダの千年を超える痛恨だったという。
今夜、そいつに魔法自衛隊が決戦を挑む。
何年にもわたって戦っては逃げられてきた宿敵だ。
そして未だに、その全容を鮮明に撮影した者はいない。
久は緊張する、しかし、やり遂げたいという意志が勝る。武者震いしたい気分だ。
ヒル先生が促した。
「そろそろ時間だね。未来少年、余分な持ち物はホテルと戦車の中へ預けたかい?」
「はい」と久はうなずいた。
「なら、司令所へ行って挨拶しよう……ブリッツ!」
女主人に名を呼ばれた虎縞の大型飛行箒がしゅっと現れ、ぐい、と二人の身体が持ち上がる。
うわっ……と叫びたくなるのを久はこらえた。
ヒル先生と並んで、尻は箒の柄の上にあるが……
足の下には、何もない。たちまち、するすると上昇した。
地上八階の島高屋百貨店、その屋上へ。
屋上は、子供が楽しむ遊園地! というのが、昭和のデパートの定番だった……と、民放の昭和レトロ懐古番組で聞いたことのある久だったが、島高屋のそこには子供用の遊具はわずかで、低木の植え込みと芝生の間にベンチを配して“空中庭園”の趣となっていた。“大人セレブの上流デパート”というコンセプトだろう。
この界隈では最も背が高く巨大な建物なので、薄暗く背の低い都市の夜景を見下して、本当に夜空に浮かんでいる気分になる。
いや、実際、ヒル先生と一緒に、飛行箒に乗って空に昇っているのだが……
正直なところ、下を見るとぞっとするほど怖いのだが、意地を張ってやせ我慢する。この程度でびびっていたら先が思いやられるし、ヒル先生からの評価も下がるだろう……と考えたとたん、屋上に着いてしまった。ふわりと降りる。
見ると、屋上庭園の一角に迷彩色を施した布テントが張ってある。運動会で本部席などに使われるテントと同じもので、屋根の縁が波形にカットされているのがレトロだ。
とはいえ、久が学んだ二十一世紀の小学校でも、ほぼ同じぼろぼろのテントを使っていた。壊れない限り交換してもらえない備品のひとつである。せいぜい年に一、二回しか使わず、あとは倉庫で眠っているので、世紀を超えて長持ちしているわけだ。
そんなテントの下に、折り畳みの机とパイプ椅子を並べて、魔法自衛隊の司令所が設営されている。机の上には無線機とマイク、ハンディトーキー、黒電話が十台ほど、そして地図が広げてある。救急箱もあるので、そのまま運動会の本部席だ。
ウグイス嬢よろしくマイクを握るのは総務課の池条ちゃんこと池条イリカ。隣に立つのは真幌場女史。“池条ちゃん”は他のスタッフと同じクロマキー・ブルーのデニムシャツにスラックス。真幌場女史はこれが魔法自衛隊のお局のプライドとばかりに、あえて戦場にそぐわない、白ブラウスに濃紺のタイトスカート、ハイヒールというОLスタイルだ。
両名ともヘルメットは被らずに椅子の上に置いているが、白ヘルの正面には“YOTSUYA PRO.”のロゴ。同じ文字がテント屋根にも大きくプリントしてある。
テントの背後には二十挺ばかりの百式機関短銃が、弾薬の入った木箱に立てかけてあるが、もちろんこれらの武器も、表向きは撮影用の小道具であり、弾薬箱も、“四谷プロ制作部 特殊効果火薬”と書いてある。
世間向きには、あくまで戦闘でなく、撮影という建前である。
さらに電信のアンテナ線がロープに沿って、夜空へ昇っていた。その先には、目立たないクロマキー・ブルーの気球……と思えたが、ヒル先生が教えてくれた。
「アドバルーンだよ。通信アンテナになっている。風船の下にはカンテラが吊るしてあって、発光信号を送る。あれで戦闘を指揮するんだ」
司令所の設置場所は屋上の南西の隅で、ここから北に向けば、中央通りと日本橋がよく見渡せる。
テントの前に降りざま、ヒル先生は、よっ、と気軽に手を振って真幌場に挨拶した。
「特車隊、配置完了。ダイハチ顕現は、もうすぐかい?」
「あと半時間あまりですね。よろしく願います」と真幌場。久に視線をやると、にっこり微笑んで「よろしくね。キュウ君。くれぐれも、大怪我しないように。小さいケガなら、すぐに池条ちゃんが魔法で直してくれるから」
真幌場は、机に並んだ黒電話の受話器を次々と持ち替えて、指示を飛ばす。無線電話もあるが、可能な限り有線を使い、電波障害と超音波障害に備えている。普通のОLならてんてこまいの忙しさだが、真幌場はいつもの笑顔を絶やさず、千手観音と勝負しますとばかりに手際よく仕事をこなす。
「で、隊司令はどこに?」とヒル先生は尋ねた。池条ちゃんが答える。
「まもなく到着されます。こちらへ飛行中……の、はずですけど」
「おいおい、まさか遅刻じゃないだろうね。昼行燈っつーか、夜日傘っつーか、真昼の夜泣きそば、白夜のドラキュラみたいな人だからね。真幌場さん、夜と昼、間違えてたら一大事だよ」
「大丈夫ですっ」
本気で心配されて、思わず意地を張った隊司令の秘書兼作戦部長だが、ひょいと星空を指さして、笑顔を取り戻した。
「ほら、爆音です」
久も見上げた。夜空にきらりと、銀灰色のプロペラ機が現れ、あっという間に頭上に達した。単発の水冷エンジンで機首がほっそりと絞られており、主翼も左右に細長く、風防は涙滴型だ。いかにも流線形といった感じにリファインされた、優美な機体。
大戦中に陸軍が運用した三式戦闘機“飛燕”として知られている中でも、終戦間近にごくわずか生産された希少なタイプで、正式には“川崎キ-61Ⅱ改”という機体がある。魔法自衛隊ではそれをさらに改造したスペシャル版を一機だけ入手し、隊司令、丹賀鉄虎の専用機としている。隊内ではもっぱら“飛燕改”と呼ばれている。
ほぼ二十年前の飛行機なので、かなりの部分を新規パーツに交換している。エンジンの“ハ-140”には排気タービンを追加して高空性能をアップ、無線通信機を新型に換装して、アンテナ線とマストを廃止、武装はすべて降ろして翼内燃料タンクの容積を増している。
そのかわりに座席後部の胴体燃料タンクを廃止して、そこに窮屈ながら予備座席を一席、タンデム方式で増設していた。旧来の風防は窓枠が多くて視界が悪く、建付けもガタガタして良くなかったので、米国の戦闘機P-51ムスタングの滑らかなノンフレームのキャノピーに交換してある。これが外見上の大きな特徴で、日本機ばなれしたスマートさだ。
機体の塗装は全面的に銀灰色で、目立ったマーキングは一切していない。正体不明の隠密機となっている。ただし、よく見れば胴体後部に小さく“四谷プロダクション 自家用”と書いてある。
無給油で東亰と新潟を往復するため、主翼の下に二個の増槽タンクを提げた“飛燕改”は、島高屋百貨店の屋上を行き過ぎると思いきや、戦車の超信地旋回なみに、その場でくるっと百八十度ターンすると速度を殺し、脚を出してエンジンを切り、プロペラを空回りさせながら、ゆらゆらと垂直に降りてきた。
まるでオスプレイだと久は思った。水平飛行はエンジンを利用するが、垂直着陸は魔法の念動力でコントロールしている。
とはいえ、どこかふらつき気味で、エレベータの機械室を収めた塔屋の煙突に翼を引っ掛けそうになりながらも、その向こう側にヘロヘロと無事着地したようだ。
真幌場がウサギのように飛び跳ねて、機体へ駆け寄っていく。
搭乗している人物は隊司令の丹賀一人だけで、背広にネクタイ姿だ。イメージ的には大戦中の飛行服が機体に合うのだろうが、それは昔の話である。




