069●第10章● 〃 1964年6月19日(金)夜⑦:銀座戦線とマサカド君
069●第10章●決戦の日本橋へ…1964年6月19日(金)夜⑦:銀座戦線とマサカド君
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麒麟と獅子が、踊っていた。
そのリズムはツイストかゴーゴーだと、魔法自衛隊の誰かが教えてくれだが、ツイストもゴーゴーも本物を見たことのない久にはわからない。が、ただならぬ危機感に、パニック状態であることは明白だ。
音もなくステップを踏んでいるのは、日本橋の橋桁の中央、左右の欄干に建つ、クラシックな街灯つきの照明塔に添えられている、翼の生えた四頭の麒麟の像。そして橋の四隅で、東亰都の紋章を前肢で構え、睨みを効かせているはずの獅子像が四頭。
いずれも鋳造の彫刻だが、今、そこには青白い霊界物質の霊体が重なるように憑りついていて、そいつが狂ったように暴れている。
麒麟は羽根をばたつかせ、獅子は全身の毛を逆立ててもがく。火にかけたフライパンの上に落ちた猫のようで、見るからに可哀そうだと、久は思った。
だが、どうすることもできない。麒麟も獅子も、その地点に“呪着”された地縛霊のガーゴイルだ。その場から逃れることはできず、人為的に引きはがすこともできない。ただ、危険を察知して暴れるその姿から、鬼象庁と魔法自衛隊は、この橋の上に魔物が出現する日時を、かなり正確に予報することができるのだ。
日本橋の頭上には、真新しい首都高速の二列の高架が覆いかぶさり、四谷プロのロケ隊が投光器で照射する光を照り返している。
橋の周りに配置された投光器は、二十、いや三十基はあるだろう。すべて、橋を渡って銀座方面へ南下する“中央通り”の、西側の歩道やビルの屋上に並べられている。
もう日付を超えた真夜中なのに、真昼間かと見紛うほどの明るさだ。東亰都の許可のもと、四谷プロが大規模な特撮ロケを行うという触れ込みで、街路の交通を遮断している。
ここが、戦場だ。
久は、橋の南側、中央通りに停車したTS特車の上から、橋を見ている。橋の入口までは二百メートルあまり、ここは島高屋百貨店の正面だ。
橋の向こう側、六越百貨店方面にはロケ隊はほとんどおらず、道路は力場結界門を備えた木製のバリケードで塞がれている。黄と黒の斜め虎縞で塗装された木の柵には立看板が結わえてあり、“ご迷惑をおかけします。ロケ撮影にご協力下さい。何卒御静粛にお願いします。…四谷プロダクション”などと、エクスキューズの決まり文句を大書している。
看板を見るだけならどこか呑気な印象だが、これから久が撮影するのは特撮の着ぐるみでなく、本物の怪獣だ。
冷たい緊張感が、膝のあたりから昇ってくる。
日本橋は封鎖されていた。
上空から見ると北東すなわち鬼門の方角を上にした、十字架の形となる道路が封鎖範囲だ。日本橋を十字架の天辺として、中央通りを南西へ数百メートル下がる。これを左右に横切る形で、十字架の横棒を描くのが永代通り。“横棒”の長さは中央通りから左右それぞれ百メートルほどだ。そこをバリケードが塞いでいる。
「この十字架エリアとその南の“中央通り”の一帯を、魔法自衛隊では“銀座戦線”と呼んでいる」
ヒル先生はTS特車に備え付けの道路地図を広げて説明する。「日本橋から出現する魔物たちは、決まって中央通りを南下、銀座方面へ走っていこうとする。連中の目的地は、銀座四丁目の、あの時計台のある交差点か、その先のどこかだね。理由はよくわからないが、北東の方角は鬼門だから、そっちへバックして戻りたくないようだ。それに、もうひとつ理由がある。橋の上にかかっている首都高速道路だよ。あれは絆創膏型の帯状結界なんだ。だから日本橋川の水面や水中へ逃げることはできない」
東亰ピューテックに備えて、首都に新しい高速道路網を築く……というのが、首都高速の建設目的だ。が、目的はもう一つ隠されていた。魔物に対する霊的防御施設である。
この国の地下は、大地母神の“止辺留”様が鎮護していて、魔物の影響は、わずかな例外を除いて、ほぼ排除されているという。ほとんどの魔物は地下を移動することができない。
また、東亰湾の海中は、海洋女神の“乙姫”様が鎮護していて、こちらもわずかな例外を除いて、魔物を排除しているという。魔物は湾内の海中を移動することができない。ただし橋の上や船の上は魔物が移動可能だ。そして東亰湾を出た外海は、乙姫様の影響が薄まり、魔物が跳梁跋扈できる無法ゾーンとなる。
国内では、河川が問題になる。真水の水面や水中は乙姫様の支配域ではないので、魔物が移動できるのだ。丙級魔物の河童が自由に泳げることからも、わかる。
もしも、日本橋に潜む魔物が一斉に噴出するようなことになれば、首都に大規模災害級の破壊をもたらしかねない。とりわけ魔物たちに、日本橋川の水脈に沿って水面と水中を移動されたら、首都圏に被害を急速に拡散させてしまうだろう。魔物は霊界物質、つまり重光子でできている。これが水分子を大量に体内に取り込んで“混合”してしまったら、そこに、数百トン、数千トンの水でできた怪獣が出現してしまう、つまり、“水が暴れる”ことになる。それはそのまま狂暴な高潮や洪水の大水害と化してしまうのだ。
そのような事態の発生を防ぐため、統聖庁は首都高速道路を利用することにした。
建設される首都高の高架構造物に、帯状結界の機能を一体化させるのだ。
具体的には、高架の橋桁の中に、チベットから輸入した強力な魔除けの護符を収めた“祓魔匣”という名の筐体を等間隔に設置、首都高速道路の高架全体をひとつの巨大な護符として、まるでテープ状の絆創膏のように、都心部の河川の上に“ぺったりと貼り付けて”しまおうというわけだ。
ここ二年ばかりで、首都高の帯状結界化の工事が進み、とりわけ、日本橋川の上に覆いかぶさるように建設された首都高の祓魔力は重点的に強化されており、川の水面と水中から、魔物を弾き出している。
これによって、日本橋に噴出する魔物は、頭上の帯状結界によって頭を押さえられ、川の水面に沿って左右へ移動することもできなくなり、さらに北東の鬼門方向へは戻りたくないということで、おのずと、中央通りの地上を銀座方面へと南下するようになった……と、ヒル先生は解説する。
「そこであたしら魔法自衛隊は、橋の上に出てくる魔物を、橋の南側で待ち構えて、叩く。そうやって、やつらが銀座方面へ向かうのを、ここ二年ばかり、ずっと防いできたわけだ。だからここは“銀座戦線”なのさ。……で、なぜ日本橋が魔物の巣窟になってるのか、わかるかい?」
「はい」万城に聞いたことを思い出して、久はヒル先生に答える。「日本橋が、日本全国の道路の起点だから……ですね。道路は地脈の流れでもありますから……」
「グート!」一言誉めて、ヒル先生は説明を続けた。「すなわち、全国津々浦々の道路はすべて、この日本橋の橋桁の中心点に通じているってことだ。すべての道は日本橋へ通ず。だから、この国の中で、自分の居場所を失った魔物は、地脈に沿って流れ流れてさまよったあげく、結局のところ、どいつもこいつも日本橋へ集まってしまったという寸法さ。なぜかというと、日本橋のど真ん中には、かなりでっかい霊的特異点が浮かんでいるから。というより、その霊的特異点あるがゆえに、ここに日本橋が架けられ、全国の道路起点に定められたというのが、実情なんだけどね」
ヒル先生が指差す日本橋には、一九六四年現在、都電が往来している。すれ違う二条の線路が橋を渡り、レールに挟まれた橋の中心には、青銅の装飾を施した高さ八メートルほどの十字架の形をした鉄柱が立ち、“東亰市道路元標”と刻んである。
柱の頂上から二メートルほど下には、青銅の透かし彫りで飾られた横棒が左右に伸びて、それが、都電の送電線を支える架線支柱を兼ねている。その上下には、上に三個、下に四個の提灯が掲げられ、全体としては、神秘的な彫刻に飾られた、十字架形の燭台といった感じだ。
「あそこから、ニッポンのすべての道路が始まる。あの柱、まるで黒魔術の十字架に見えるだろ? ズバリ、あそこに国内最大級の霊的特異点がある。トンネルタイプの魔界隧道だ。“日本橋魔界隧道”、これには“隠火路”という国際名称もついている」
ヒル先生の話によると、そもそも中世の昔、欧羅巴の悪魔祓いや魔女狩りや吸血鬼退治で人類に迫害された魔物が、百年、二百年かけて、ユーラシア大陸を東へ東へと逃亡し、行き着いた果てがここニッポン。江戸時代末期に鎖国を解いたとたん、「難民化した西欧の魔物が、待ってましたとばかりにワンサカ上陸してしまい、強弱硬軟あらゆる面倒な連中が日本橋に巣食ってしまったンだ」という。
当然、帝都は荒れた。街のど真ん中に魔物の巨大アジトが出来上がったのだから。
そこで、明治政府の裏政庁として機能していた帝国退魔庁は、日本橋の架け替えに踏み切った。
西暦一九一一年、明治四十四年に完成した最新式の石橋には、橋上に出現する魔物を“鎮静”するために、麒麟と獅子のガーゴイルを配し、当時としてはかなり堅固な力場結界門を構築したのだが……
「何者かによって結界門が破られ、そのため国産だけでなく外国産の魔物もどっとあふれ出し、関東大震災が勃発したってわけだ」とヒル先生。「帝国退魔庁は、平将門の怨霊の仕業ってことにしたが、それは嘘っぱちで、誰かが人為的に結界に穴を開けやがったのさ」
「た、たいらのまさかど、ですか?」
「マサカド君が、どうかしたのかい?」とヒル先生。
出ター!……というのが久の心境だ。
この首都が江戸と呼ばれるさらに昔、平安時代に関東一円を支配するに至った豪族が平将門。彼は京都の朝廷に歯向かって独立戦争を仕掛けるが、朝廷の討伐軍に敗れて処刑され、その首は平安京まで運ばれて晒し首とされた。しかしある日、将門の首は関東に向かって魔力で飛び戻り、現在“将門の首塚”とされる場所へ落ちたという。なんとしても故郷へ帰りたい一念だったのだろうか。……というのが、久が聞き知る“将門の首”伝説だが、陰陽師がらみの都市伝説があれこれと付け加わって、久の時代では、首都を代表する怨霊のスーパースターに君臨している。
以上、久の補足説明を聞いて、ヒル先生は笑った。
「ああ、マサやんは心配ないよ。若い頃はやんちゃだったけど、今はすっかりカドが取れて、霊界のジェントルマンさ。“神多明神”を別荘にして悠々自適に暮らしているよ」
「祟ったり……しないんですか?」
ご近所のお友達みたいに、“マサやん”呼ばわりして、大丈夫なんだろうか? まあ、ヒル先生は老舗の本物魔女なんだから、他人に祟る方が専門で、祟られる側には回らないと思うが。
「気にしない、気にしない。そんな昔の怨霊の祟りなんて、とっくに時効になってるよ。なにせ千年前の話なんだし。そもそもマサやんは幽霊であって、最初から魔物に堕落しちゃいないのさ。六百年ほど前に神多明神に祀られて、地場の神様に昇格しちゃったし。しかもここはマサやんの故郷なんだ。首塚もちゃんと保存されて、本人は喜んでいるはずだし、今更、この街に災いをもたらす気にはならないよ。……ああ、ちなみに首塚のところには、中型の霊的特異点があって、魔界隧道が京都まで通じている。マサやんの首は、その霊界トンネルを通って、京都からこっちへ帰って来たわけさ」
その後、首塚の魔界隧道には、小型の霊的石碑の“重石”を載せて、霊的結界で閉鎖しているとのこと。神多明神に祀られているという“マサやん”の神霊も、都民に崇敬されこそすれ、憎まれてなどいないので、祟ることなく落ち着いた余生を送っているらしい。一安心といったところだ。




