057●第9章● 〃 1964年6月17日(水)午後~18日(木)⑥:重なる世界と固有振動
057●第9章●秘密基地の人々…1964年6月17日(水)午後~18日(木)⑥:重なる世界と固有振動、初耳の暗黒物質
そこで漆田が説明を追加した。
「もうひとつ、第三の理由があるんスよ。なんとも突飛な、スケールのデカイお話になるからお覚悟を」
「覚悟いたします」と久は応じた。なんだか興味をそそられていた。世界のいろいろな宗教では、神様や幽霊や魔物の《《実在》》を前提としている。それを、宗教ではなく科学の視点から解読できるというのは、面白い。しかも、西暦二〇二四年の未来少年である久からみて、六十年も昔の人々が、その時代の科学力で語っていく。
漆田は、キャビネットの引き出しから、手持ち式の大型懐中電灯みたいな装置を出して机に置いた。ボディは黄色と黒の虎縞だ。何だろうと久が見ると、テレビのポータブル受像機である。
「全虎電器の“ちびくろテレビ3BO”」と、ロッドアンテナをしゅっと延ばしながら、製品名を紹介する漆田。「二年前の製品で、ブラウン管は六インチ、充電式で持ち運びに最適……だったんスけど、ソニーの五インチに負けて、全然売れんかったんス。あっちはフランク・ナシトラさんにもお買い上げいただいてアメリカで大人気の大ヒットなんスけどね。この“ちびくろテレビ”は売れ残りの、もらいものでして」と、電源をボチッと入れると、フワッと画面が明るくなり、数秒してぼやけたノイズ交じりの映像が立ち上がる。“ちびくろ”だけに、もちろん白黒。そこで万城が一メートル近く延ばしたロッドアンテナを前後左右に傾けて、画面が最も安定する位置で止める。
ふーん、と久は感心した。画面は4Kどころか0.04K並みに見えるほど荒っぽいが、アンテナを立てて電源を入れるだけで、とにかく映る、という手軽さは二十一世紀を上回る。映っているのはNHKで、“おかあさんといっしょ”という番組らしい。音声ボリュームは動かしていないので、無音だ。
「あの……受信料は……」と久が場の空気を忖度して小声で訊くと、万城も漆田も、人差し指を唇に当てて、しっ、とたしなめると、神妙な顔でチッチッと指を振った。視聴者の皆様の財布事情は、六十年前も同じらしい。
「これが1チャンネルの放送っス」と漆田。「この画面がおいらたちの“この世”だと仮定しやしょう」
「画面を構成する画像情報が、“この世”のすべてを構成する情報だと考えてみる」と補足する万城。受像機の上面のつまみを握って、ガチャガチャと回す。「で、チャンネルを変える。こちらは4チャンネルの民放だ。全く別番組が映っているだろ? こちらは、神様や幽霊や魔物が住んでいる“あの世”だとしよう」
野球中継のようだが、実況のアナウンスが聞こえないので、詳細は分からない。
「“この世”の1チャンネル、“あの世”の4チャンネル。どっちも、別の番組が映ってるっスね。つまり、別世界っス。しかるに、番組の素となる電波は、同じ東高タワーのてっぺんから発振されて、同じ三次元の空間を通って、同じ速さで、このテレビのアンテナに届いているんスよ。なのに1チャンの電波と4チャンの電波が、なぜか途中でぶつからず、押し合いへし合いのケンカもせずにそれぞれの画面にしっかりと映っているっスね。これってインド大魔法団のアーラ不思議?」
「だってそれは、放送電波の周波数が違うから」と、白けた調子で漆田の指摘に答える久。それくらい誰でも知っている。
「ご名答」と万城。「“この世”と“あの世”は、二つの別世界だ。これらがなぜ、同じ空間にゴチャッと混在して大混乱することなく、別々の世界を保っているのか、かれこれ半世紀以上、魔法をたしなむ人類は極秘で研究を続けてきた。かのアルベルト・イアンシュタイン先生をはじめ、偉い先生方が、それは四次元だとか十次元だとか、銀河鉄道が走る“不完全な幻想第四次”の空間だとか頭をずいぶん捻ってきたけれど、最近はどうやら、“あの世”の世界も、“この世”と同じ三次元空間を共有してるという見方が有力になっている」
漆田がうなずいて、「それ、“世界の固有振動の相違説”って考え方でして。ねえキュウ君、世界をとことん細かく砕いていくと、結局だいたい、どんな感じになると思うっスか?」
「……分子に原子……そして素粒子ですか」
NHKの科学特集番組“コスモフロンティア”をときどき視ておいて、よかったと思う久である。
「そうそう、それでさ、世界を構成する素粒子はみんな、エネルギーを持っていて、振動を続けているんスよ。ブルブルブルブル……って。だから“この世”を構成する物質は万物がすべからく振動しているっス。それをぜーんぶ、銀河系から銀河団から大銀河宇宙の境界まですべてひっくるめて、一万年だか一億年だか、そんな、ながーいタイムスパンでとらえれば、おいらたちの“この世”の全振動を合成した“世界の固有振動”という概念が生まれるってことっスよ。としたら、神様と幽霊と魔物が住んでいる“あの世”も同じこと、二つの世界はそれぞれの“固有振動”でブルブルブルブルと震え続けている。ただし、その“振動の性質”が異なるものだから、つまり、放送電波の周波数がチャンネルによって異なるのと同じようなもので、二つの世界はひとつの三次元空間に、まるで重なるように位置しながら、ぶつかることも、こすれあうことも、こんがらかることもなく、整然と存在しているのである……と、それが最新の学説なのでありんス」
「右手が“この世”、左手が“あの世”としよう」万城。「二つの世界は完全に遠く離れているのではなく、部分的に重なり、くっつきもしている。つまり、こんな風になっているのさ」と、左右の手のひらを合わせながら、十本の指を交互に嚙み合わせる。
「それって……」久は万城の手の握り方に注目して言った。「教会で、神様に祈りを捧げるときの形ですよね」
「そうなんだ。単なる偶然なんだろうが、象徴的には、そういうことだよ。祈りの手の形が、世界を解明しているんだ。ふたつの世界の関係って、こういう姿だってね」
「丹賀社長さんも言ってまスよ。……神界、幽界、魔界の三大霊界はすぐそこにある。そこの襖を開ければ、ホラ、霊界だったりする。たとえ遠くても、隣町ていどの距離しか離れていない……ってね」
「でも、“三大霊界ご近所説”は、学術的な大問題を抱えている」と悩まし気に語る万城。「“質量問題”ってやつだよ。俺たちの“この世”と同じ三次元空間を共有しているのだから、“あの世”はこの銀河宇宙のどこかにあるはずなのだが、その質量が観測できないんだ。“あの世”は“この世”と同じように、“世界の固有振動”を有している。振動って、エネルギーだよ。エネルギーって質量だよな。しかしパロマ天文台が徹夜で働いても、プエルトリコのマンモス電波望遠鏡が昼寝抜きで働いても、銀河宇宙のどこにも、そんなに巨大な、謎の質量は発見できていないんだ」
謎の質量……
久は思い当たった。
「あ、それってもしかして、暗黒物質とか暗黒エネルギーのことじゃないですか? 宇宙にいっぱい、どっさりあるって……」
二人の招和青年は椅子から飛びあがる勢いで驚いた。
「ダーク……なんだって? それってSF? “キャプテン・フューチャー”に暗黒大魔王って、出てなかったっけ?」
「あ、いえいえ」と久はどこか興奮気味な万城をたしなめて答えた。「NHKの“コスモフロンティア”って特集番組で観ただけですから。詳しいことは覚えてなくて、申し訳ないんですけど、……この宇宙で人類が観測できている質量は宇宙全体の5%くらいでしかない。そして27%は暗黒物質、残る68%は暗黒エネルギー。どちらも正体は明らかじゃないけれど、宇宙にいっぱい、どっさりある……」
数字も化学記号も苦手な久だが、5、27、68……と、語呂がよさそうで、憶えていたのだ。
「おおっ、もう一度言っておくんなまし!」と漆田がリーゼントを逆立てると、手を合わせて久を拝んだ。「二十一世紀の天体物理は、それが常識っスか! 人類に見えている“この世”は宇宙全体の5パーにすぎないんスね! そんじゃ、残りの95パーで、“あの世”の質量なんか余裕のヨッちゃんでまかなえるっスよ! ……ええと、さっきの比率は!」
“冗談はヨシ子ちゃん”と“余裕のヨッちゃん”は、この時代では定番の人気ギャグ姉妹のようだ。あ、ヨッちゃンは弟かな……と久は余計なことを思いつつ答える。
「通常物質5%、暗黒物質27%、暗黒エネルギーが68%」
そうか、六十年前のこの時代、二十一世紀なら天文少年でなくてもたいてい知っている、宇宙の暗黒物質のこと、みんな初耳なんだ……と、憶えている数値を述べながら、久は驚いた。漆田たちにとっては、歴史的に未発見の新事実、いわば青天の霹靂なのだ。これはちょっと面白いかも……と、下手をすればタイムパラドックスを生みかねない危険な未来知識であることを忘れて、なんだかワクワクする久であった。
「ゴー・ニーナ・ロッパでやんスね」と語呂合わせみたいにレポート用紙にメモった漆田は、「今からちょっくら、長沢の科学センターへ行ってきやす。ねえキュウ君、これ以外に知ってることは……」
「いや、TV番組の聞きかじり程度で……」
「まあいいっス、キュウ君ありがとう! 恩に着るっスよ。詳しいことは後ほど!」と、メモを収めた書類ケースを脇に挟んで言い残す漆田。「瓢先生に報告して、この数値を予測値として裏付け観測するんス! 鬼象庁が先日極秘で進水させた洋上電波天文台の“天網恢恢号”、今から予約を押さえておかなきゃ! ……おおお、血がたぎるっス、観測で証明できたら間違いなくノー《《ヘ》》ル賞、ワォ!」
もはやだれにも止められない知的興奮、いや知的狂気というのか、漆田はマッドな足取りで四谷プロ本社を飛び出していった。
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