055●第9章● 〃 1964年6月17日(水)午後~18日(木)④:鬼《き》象庁と世界の解明
055●第9章●秘密基地の人々…1964年6月17日(水)午後~18日(木)④:鬼象庁と世界の解明
万城は、わかったとうなずいた。「やはりね。鬼象庁の予報も、そんな感じだ。敵は明後日あたりに出てくるとか。今度は出現予測が的中しそうだな」
「最近は精度が段違いに良くなってきましたからね。秋の東亰ピューテックのおかげで、鬼象庁の予算が十倍になったと、怪獣課の森さんが大喜びっス」
「昔はいいかげんだったからなあ。“不吉、ときどき怪獣《BEM》”とか“吉、ところにより怪獣《BEM》”とか……」
「“凶、百鬼夜行のち怪獣《BEM》”なんて予報されても、どこへ出撃すればいいのやら、でしたスけどね」と笑う漆田。
この時代、天気予報の類いは、非常に信用度が低いらしい。漆田は鬼象庁発行の“怪獣日報《デイリーBEM》”なるB4の“天鬼図”とにらめっこする。子供の落書きみたいな手描きの一枚ものだが、久が鼻をつまみそうなほどの化学的異臭を放っている。
「あ、この臭い、気になるかな?」と万城、「ファクシミリの感熱紙だよ。感光の薬品が強烈でね。鬼象庁から電送で受けているんだ」
電話は有線のダイヤル方式だけど、ファックスは当たり前のように使われている。
へえ、と感心する久に、漆田が手元の“天鬼図”の内容を解説する。
「全国的には各管区とも低鬼圧で、魔物指数も減退気味っスけど、関東地方つまり首都圏だけが高鬼圧で高止まりなんス。株ならストップ高の状態っスね」漆田が指さす箇所には、まさに首都東亰の真上に円で囲んだ“高”のマーク、全国の霊気の濃度と圧を示すこの等圧線図では、“高”こそが魔物出現の危険度をあらわす。首都圏の東と西、九十九里浜の東と八王子の西側には、梅雨前線みたいな“鬼圧の境界”が描かれていて、東西方向から攻めてくる魔物に注意、ということだ。
「今、南の方は安定しているようにみえるっスけど、実はいつ台風が侵攻してくるかわからないので、海上保安庁さんの巡視船で観測してもらってるんス。台風って、世間的には暴風雨のカタマリだけど、霊的には魔物の一種、れっきとした“甲種巨大魔物”、すなわち鬼象庁さんが言うところの“怪獣《BEM》”なんスからネ」
「そ、そうなんですか……」
霊的には“魔物の出現”なんだけど、普通人には魔物など見えるはずがなく、猛烈な風と雨、そして竜巻や落雷などとして認識される。その異変の大きな要素は“気圧の差”だ。大規模魔物のベーシックな攻撃手段は“気圧差攻撃”、それも甲魔になると、家屋を吹き飛ばし、人間なんか軽く引き裂いて食べてしまう。漆田の話によると、台風の行方不明者の数は実際よりもかなり少なく発表されているらしく、原因不明の神隠しの如く、“魔物に食われた”ケースが多いとのこと。
「みんなに魔物が見えれば、いち早く逃げられるのに……」と呟く久に、「確かにキュウ君の言うとおりだな。俺たちのように頭の中にある霊的特異点のエネルギーの蛇口を開いて魔法力を発現させ、“第六感覚野”を活性化すればちゃんと見えるようになるんだがね。それができるようになった人間、つまり魔法使い……正式には“霊能者”と言うんだが……、それは人口比ではごくわずかだ。数十万人に一人というからね」
「どうして、魔物って、普通の人には見えないんですか?」
基本的すぎて、ちょっと恥ずかしい質問に思えたけれど、敢えて久は訊いてみた。今、聞いておかなくては、と思う。そういえば世界的に超有名な魔法ファンタジーの大長編ラノベを読んでも、「魔法使いには魔物が見えるのに、どうして普通の一般市民には見えないのか?」という素朴な疑問に正面から理詰めで答えてくれる場面はなかったと思う。魔法の呪文は無数に紹介されていたけど、実際に唱えても、スプーン一つ曲げられなかったし。
「お、いい質問だぞ」
万城は、さもありなん、という表情で、漆田に目配せを送った。と、久の視界が真っ暗になった。後ろから両手で塞がれたからだ。
「だーれだ、背後霊かな?」と万城。
「漆田さんでしょ。わかってますよ、もったいぶらなくても」と笑う久。あーびっくりした、の気分である。一瞬、こよみかと思ってゾッとしたのだが、じつは椅子に掛けている久の背後に漆田がひゅっと高速移動して、手で目隠しをしたことが感覚的にわかったのだ。
「ご明察」と、久の顔面から両手を放す漆田。「僕が後ろに回ったの、すぐにわかったっスよね。これ、キュウ君が霊能者だから、体の真後ろの気配も、かなり感じ取れるようになっているってこと。普通の人なら背後が見えていないから、ギョッとしたりするんスね。ただし、あっしも霊能者でやんすから、自分の気配を消すことができるんス。こうっすね」
えっ、と驚いて久は周りを見回してきょろきょろした。漆田の姿が消えている。
「上だよ。真上」
万城の指摘で顔を上げると、漆田は空中で胡坐をかいて、久の頭上に浮かんでいた。すぐに気配を戻して、“営繕課”の自分の席に収まったのを見て、万城は続ける。
「で、何が言いたいかというと、普通人の視界は非常に限られているという事実だ。一般的に“よく見えている”のは、だいたい前方十時方向から二時方向の範囲でしかない。魔物に限らず、神様も幽霊も、つまり“あの世”の存在はみんなそうなんだが、普通人の視界の外側近くに位置していれば、たとえ姿を現していても、ぼんやりしていて、見えていないも同然なんだ」
「でも、それは当たり前のことで……」と久は首を振って上下左右を確認する。この部屋には、魔物も神様も幽霊も、今のところはいないようだ。
「いやしかし、その“当たり前”を確認しておくことに意味があるんだよ。人間、何かと見落としが多いんだが、本人はそのことに気づいていない。目の前に何かがいても、てんで見ていないケースもありうるってことさ。それから、これを見ろよ」
万城は片手を突き出して、久に手のひらを向けた。そのまま手首を軸にして扇形に振る。自動車のワイパーみたいに。
「ブルブルブルブルッ……パッ」と止める。「どうだい、今、振っているときの俺の指の一本一本、きちんと見分けられたかな?」
「見えませんよ、普通、当然ですよね」と久。当たり前……と思ったところで、気づく。「そういえば、ボーッとして、半透明に見えましたね。扇風機の翅とか、プロペラが回った時に見えなくなるのと同じで、不思議といえば、不思議、そういえば、幽霊に出会ったときも、最初はそんな感じで、ブルブル震えた半透明に見えました」
「そうでやんしょ」と、ニヤける漆田。「高速で移動しているものが“目にも止まらない”状態になる理由は、身体生理学的に複雑な説明があるんでやんスが、それはそれとして、素直に不思議な現象なんスよね。ブルブル振った時の指先のスピードなんて、せいぜい自転車並みっスよ、しかるに人間の眼の網膜は、対象物が反射した光を常に検知しているっス。つまり、光の速さイコール光速で視覚情報を受信し、そいつを脳でテキパキと処理しているんスね。なのに、おいらたちの視覚は自転車並みの移動物体すら、ハッキリと見分けられないっていう、情けない現実があるんスよ」
「そうですね、言われてみれば不思議ですね。ということは……」と久は考えて、「つまり、通常の視界のエリアの外にいるとか、かなりのスピードで振動しているから、神様や幽霊や魔物が見えないってことですか?」
「まず、それが第一だ」と万城。「それら“あの世”の存在は光子の状態で“この世”に入り込んでくる。そこですぐさま重力子やヒッグス粒子の影響を受けて質量を獲得してゆき、“重光子”に変化する。それが霊界物質だ。そのあとは“この世”の物質を取り込んで“混合状態”になり、混合の濃度が高まると、普通人の眼にも見えるほどに実体化していく。あるいは、“混合”でなく何かに乗り移って“憑依”する場合もある。その全過程を通じて、そいつは“あの世”特有の振動エネルギーをそのまま保持しているんだ……」
「あ、だから骨格恐竜のスケルタルドンなんか、輪郭が曖昧で、半透明のもやもやゼリーみたいな体に見えたんですね」
「そう。俺たち魔法使い、すなわち霊能者ならば、その程度には見分けられるけど、普通人にはほぼ透明、せいぜい、蜃気楼みたいに背景が揺らいで見える程度だね。“この世”に現れた“あの世”の魔物も幽霊も神様も、みんな不可解な振動パターンを有している。そのため、ゆらゆらと揺らいでいて、よく見えない。で、振動といえば……」
「波長、でやんスね」と漆田が説明を継ぐ。「人間の視覚が可視光としてとらえられる電磁波の波長は、赤外線と紫外線の間の、ごく狭い領域に限られてまっス。これ常識。てことは、“この世”に現れた魔物や神様や幽霊の体が反射して俺たち人間の眼に届く光の波長が、人類の可視光の範囲外、たとえば赤外線の領域だったりしたら、これ、見えなくて当然なんス。で、米軍さんのノクトビジョンとか、赤外線を感知する特殊なスターライト・スコープを用いたら見えるかも……と、科学センターの瓢先生が試してみたら、見えるやつもいたそうです。墓場で燃える鬼火、いわゆるヒトダマでしたけどね」
なるほど、いかにも赤外線的な炎といった印象である。
そりゃあ、可視光の外側の波長域に存在していたら、確かに見えなくて当然だよな……と納得する久。幽霊なんて、東亰では道を歩くと数分ですれ違うほどいっぱいいるのに、普通人は驚かない。幽霊は可視光線の領域の外側にいたり、奇妙な振動を続けることで、ぼやけているから……ということだ。




