047●第8章● 〃 1964年6月17日(水)午前③:登校風景
047●第8章●四矢女学園、白き魂の少女たち…1964年6月17日(水)午前③:登校風景
そこで、気になった。万城に訊ねる。
「四矢女学園……の、神女挺心隊の皆さんって、全員、寮生活のはず……ですよね?」
「おっ、気付いたかね」と万城は、“さもありなん”と言いたげな……それが、どうやら万城氏のキャラの特色らしいが……そんな口調で久に答える。ただし小声で。
「四女は、寄宿生だけでなく、通学生もいるという設定なんだ。神女挺心隊の娘はここの生徒ということになっているが、全員で四十二人しかいない。ただでさえ人気がなくて、ご近所から“お通夜女学園”と気味悪がられるので、通学生もいますとアピールするために、手の空いた娘が、寄宿舎の裏口からこっそり出て、四谷プロの前をぐるっと回って校門に入るのを繰り返しているんだ。下校時には、その逆コース。まあ、彼女たちにすれば、朝夕の散歩で気分転換ってところか。あんなこともあるしね」
万城に促されて電話ボックスの陰からうかがうと、門の反対側に円筒形の真っ赤な郵便ポストがあり、ポストに並んで、お地蔵様みたいに立っていた白いカッターシャツと黒い学生ズボンの少年が、お目当ての少女を見つけて走り出た。封筒を差し出す。
「あの……おはようございます! これ、受け取ってください……ませんか」
わ、告りのレターだ。男の子の心情に共鳴して、久は内心ドキッとした。
少女は立ち止まったが、手紙を受け取ることはせず、両手を前に揃えて、恭しくお辞儀した。
「ごめんなさい。校則で、男女交際は絶対厳禁なんです。お電話もお手紙もダメなんです。いつか卒業したら、また改めて……ね」
ほんのり頬を赤らめて、少女は楚々として微笑み、「ごきげんよう」と一礼すると、校門の中へ歩み去る。少女にすべての感情を奪われた少年は言葉を忘れて、呆然と見送るばかり。
「うーん、何回見てもいいねえ。青春だなあ、若いって素晴らしい」
無責任な感慨にひたる万城。楽しいような、懐かしいような顔つきで腕組みをする。これで、彼の足元が波打ち際で、朝日でなく夕日を浴びていれは、古色ゆかしい青春ドラマのエンディングだ。
「よく、あるんですか。あんなこと」
「まあ、週に二、三回ってところかな。去年の正月映画で『青い山脈』がヒットしてから、“変しい変しい”と書くラヴ・レターがまたぞろ流行っているんだ。シラノ・ド・ベルジュラック以来の、人類の美風だよ。たとえヘタクソな文字でも、やはり直筆の恋文こそ美しいじゃないか。あの少年、学校には完全に遅刻だけど、それでも打ち明けたい思いがあるんだな。しかし、あの娘たちは、受け取ることができない。神女挺心隊は恋愛がご法度なんだ」
「どうしてですか?」
恋愛禁止だなんて、まるで二十一世紀の、アルファベット三文字か、“坂”の地名に二桁の数字を足したアイドルグループと同じだ、それとも強権的なブラック校則かな……といぶかしんで訊ねる久。
「神女挺心隊の使命は、魔物と戦うことだからね。恋に落ちると、戦を忘れたカナリアになってしまう。正式な規則で決めたわけじゃないが、彼女たちの自主的な申し合わせで、普通人との恋愛は固く禁じているんだ。まず何よりも、あの娘たちは学生ではない」
校門の、御影石の柱に掛けられたヒノキ板の表札には、“私立四矢女学園 高等部 〈寄宿制・通学制・定時制〉”と麗々しく墨書されている。それを見て、久は悟る。
……そうだよな。あの娘たちは女子高生《JK》のふりをしているだけで、戦うという職業を持った、働く魔法少女なんだから。
つまり、花も恥じらう乙女たちの通園風景はまるごと世を忍ぶ演技であって、ここは学舎でなく、じつのところは、魔法戦闘員の兵舎である、というわけだ。
いわば、“虚構の学園”。ここは青春を謳歌する楽園ではない。
「ごきげんよう、キュウさん。おかげん、いかが?」
優しい声がかけられた。大柄で黒い丸縁眼鏡の長門なつみと、ほっそりした色白の酒匂さきえ、神女挺心隊の衛生係ペアだ。
声をかけてくれたのは、酒匂さきえ。長身の長門なつみにしなだれかかって歩いている。よほど仲が良いらしい。
「あ、ありがとうごさいます。もう、すっかり快調、絶好調です!」
昨夜の恩義を思い出し、驚きと感謝で、またまたぺこぺこしてしまう久。長門の治癒魔法があまりにも気持ち良かったことを思い出す。あれなら毎日でもウェルカムだ。
「よがっただす」と、長門は柔らかい声で、久の耳に「お身体、大事だす。こよみ“お姉さま”はデストロイヤーさんより手強いだすから、うっかり4の字固めでお付き合いしない方がいいだすよ。お姉さまの空手チョップ、牛殺しとか言われて、要注意だす。生きててよかっただすね」
「え、ええっ?」何のことかわからず、うろたえる久。
「キュウさんは力道山さんじゃないですから、ね。プロレスごっこのお喧嘩はいいけれど、無理なさらなくていいんですよ」
酒匂がにっこり忠告して、“魔自のミス・ベン・ケーシー”と異名を取る衛生係二人組は校門をくぐっていった。
「ふうむ。どうやら、こよみ君は、君にプロレス勝負を吹っ掛けられて、対戦した結果、君の顎にやむをえず一発お見舞いしたことにしたらしい。4の字固めの攻撃に空手チョップで反撃したら、たまたま着弾点がキュウ君の顎だった……とか」
「な……」
万城の推理を聞いて、絶句する久。
青春の甘酸っぱい至福のひとときが、たちまち枯れ果てる。
あの美少女型閻魔大王、人を一方的に殴っておきながら、仲間うちには、僕が喧嘩を仕掛けて勝手に自滅したってことにしたらしい。4の字固めに空手チョップ?……嘘つき暴力女め!
と、被害者として至極当然の義憤が盛り上がったところで……
「ごきげんよう」
同じ言葉でも、この娘の挨拶は、天国を一瞬にして地獄に塗り変える、負のパワーに満ち満ちていた。
美少女型閻魔大王。それとも汎用人型の死神王女か。
振り向けば、東風こよみが、むすっとして、久の背後に歩みを止めたところだった。
うわっ!
久の心の叫びをしっかり聞き取ったようで、阿修羅王がしゃっくりを我慢するかのように、不自然に口元を曲げ、厳格なる困惑……といった表情で、こわばる、こよみ。
その印象は、“立てばドクダミ、座ればモウセンゴケ、歩く姿はウツボカズラ”……と、失礼な連想が脳裏をよぎってしまう久だったが……
この刹那、対面した二人……昨夜の念力びんたの加害者と被害者のリアクションは、次の四文字に尽きていた。
……ど・ぎ・ま・ぎ。
怒るべきか逃げるべきか、冷や汗が背中にぞわっと滲み出す寸前……
「おはよ! キュウちん!」
どかん! と背中をブッ叩かれ、うえっ! と、胃袋が食道へ裏返るのをこらえると、元気一杯の体育少女が、満面の笑みで、よっ、と顔を出した。背中を叩いたその手で肩をつかんで引き戻してくれなければ、久は電話ボックスに顔面を強打していたはずである。
「は……はてるかさん」
びっくらほい……な顔で、久は、はてるかを向く、というより、肩をつかんだその手でぐいっと振り向かされたというのが正しい。紫がかった黒髪ショートカットで、よく日焼けした彼女は、ベレー帽をねじって、セーラーカラーの左肩のショルダーループに挟んでいる。走ってきたらしく汗ばんだ額と、好奇心に輝く黒い瞳と、真っ白な歯が、まぶしい。
「嬉しい!、名前覚えてくれたね。あたしの苗字は“南風”と書いて“はえ”と読むんだよ。南風はてるか。よろしく、キュウちん!」
「……チン?」
面食らって、ご焼香の“おりん”みたいに鸚鵡返ししてしまった久に、はてるかは、「気に入らない? じゃ、キュウぴん、キュウぺん、キュウぽん、キュウべえ、キュウたろう、キュウたん、キュウのすけ、キュウまん、キュウきゅうしゃ、キュウかんちょう」
「あ、あの……」と、返答を見失う、久。
「どれがいい?」と、容赦なく選択を迫る、はてるか。
「ど、どれでもいいです」
はてるかの勢いに押され、のけぞり気味で久は答える。こんなことで、しかも道端で議論なんかできるものか。自分の個体識別さえしてもらえるなら、もう、ポチでもタマでも結構です……の心境だ。
「じゃね、キュウちん、またね《マタヤー》!」
おいおい、結局、“キュウちん”で固定かよ……
と絶望する久をさておいて、はてるかは挨拶するように片手を上げ、ひゅっと身体を回した。
フルスカートが遠心力でふわっと翻り、素足を限界ラインまで露出すると、万城へ跳ね寄る。
「ハイタイ、マンさん、アイラブユー!」
「おお、ジュテーム!」
万城も片手を上げて答えたので、バチン! と強烈なハイタッチを交わして、はてるかは校門の中へ走り去った。
な、なんですかそれは……と見送る久。万城に訊ねる。
「い、いつも、あの調子なんですか?」
「ああ、そうだよ」と苦笑いする万城は、「はてるか君とは、同じ南方出身でね。いつのまにか、あんな挨拶が普通になってしまった。まあ、同郷の親近感というところで……」
痛テテ……とばかりに、はてるかとハイタッチした手のひらをさする万城。毎朝ではなさそうだが、いちいち力一杯に親近感を表現されると、大変だろうなと同情してしまう。
それにしても、久の目に焼き付いたのは、はてるかの野性的なまでに逞しい美脚の、流麗な動きだった。まるで、フィギュアスケートのアクセルジャンプ。あのスカートの危ういまでにきわどいはためきは……。
久は直感した。
……わざと僕に見せた!?




