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魔法自衛隊1964  作者: 秋山 完
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039●第6章● 〃 1964年6月16日(火)深夜から翌未明⑥:黒ダコ

039●第6章●優しい治療と密談と夢…1964年6月16日(火)深夜から翌未明⑥:黒ダコ




       *


 久は眠っていた。

 眠りは深かったけれど、夢もしっかり見た。

 残念なことに、幸せな夢ではなかった。

 例えていえば、学校の始業のチャイムで夢が始まり、休憩もなく、窓の外をながめる余裕もなく、延々と苦手な授業だけが続くような夢だ。

 正面に教師が立ち、クラスメイトは全員が教科書か個人用タブレットを見つめている。

 しかし気付く、教科書のページは白紙で、タブレットの画面も真っ白だ。黒板にも、何も書かれていない。教師を見ると、真っ白な人型の看板が立っているだけだ。ただ、声だけが頭に響いてくる。

 “今の君は真っ白なキャンバスだ。さだめし、美しい純白の青春。しかしそこに絵を描くのは君ではない。君が君であることを決めるのは君ではない。君の人生を選ぶのは君ではない。君のクラスメイト、教師、学校、そして社会全体を支配する者が君を君たらしめる。支配されて生きよ、支配されて死ぬ、それが幸せなのだ”

 “上から目線”の説教に怒りがこみ上げる。何か叫ぼうと思うが、声が出ない。

 しかしようやく、片手だけが動く。

 机の上のノートは真っ白だ。何か書こうと思うが、鉛筆もペンもない。

 心がもがいた、ノートの真っ白なページに、必死で爪を立てる。

 ギリギリと引っ掻いて、書いた。

 “ぼくはぼくだ”と。

 突然、一瞬にして教師もクラスメイトも消えた。

 教室の暗がりの中に、何者かの気配。

『お前か?』

 呼びかけの声に、久は振り向いた。

 そこは闇だ。教室の窓はなく、果てしない闇が、いつのまにか広がっている。

 だが、何か、形のわからない、うごめくものが感じられた。

 そいつは教室の窓を占領する闇の境界から滲み出て、ゆらゆらとこちらに現れた。

 人間のように感じられたが、ワンボックスカーほどの大きさがある。

 といっても、姿は明瞭にとらえられない。蛸が水中に吐き出した墨のように、つかみどころのない形だが、どことなくその墨が形作る姿は、丸い頭部から八本の触手を延ばした蛸に似ているように思えた。

 『お前なのか?』と繰り返し、そいつは触手の一本を久の方へと振る。『あるはずのない霊的特異点、なにもない真空から突如出現した、ここにいるはずのない、お前。時空の断層から飛び出したのか? お前は何者だ、どこから来たのだ?』

 不気味な声。日本語には違いないが、水に溺れて死んだ肉体が、喉に何かをからめて口を開いたかのような、ドロドロとした、くぐもった物言いだ。

 言いようのない奇怪さに、ゾッと背筋が凍り付き、久はその場に縮こまった。声でも仕草でも、うっかり反応したら漆黒の粘着性の触手に捕えられてしまうだろう。息を殺して、ただそいつに注意を向ける。そいつはあてずっぽうにあたりを探す。

『そのあたりにいるのだろう? 出てきて名乗りなさい。悪いようにはしない。お前は貴重な新種の霊的特異点スピリチュアル・シンギュラリティなのだ。姿を見せ、心を開き、我に従うがよい。……そなたには力がある。この時間に存在していないはずの存在が持つ、無限大の可能性だ。英傑たるにふさわしい勇者の力だ。“普遍なる四つの力を束ねる者”よ、さあ、こちらへ来なさい。我々は歓迎しているのだ。我と共に理想を掲げ、邪悪なる夷狄いてきを打ち払い、世界を変革しようではないか』

 声は、強制的な圧迫感を弱め、説得調に変わった。何らかの目的で、久を探しているのだ。

 しかも、久を“霊的特異点”と呼んでいる。

 “霊的特異点”とは、“あの世”と“この世”の境界に開いた穴。“あの世”の膨大なエネルギーを“この世”へと“汲み降ろす”ことのできる、水道の蛇口のようなものだ。

 この漆黒の蛸のようなものは、久の中に、この時代に存在するはずのない“霊的特異点”を認識し、それを使って協力してくれと要望している。

 英傑たるにふさわしい勇者……って、それ、僕のことか?

 ほめられると、嬉しい。

 ……なんだろう? そんな力が僕にあるのか? 万能の魔法力のようなものが?

 知りたい、と久は思った。

 自分が渇望していることを自覚する、“強くなりたい”と。

 訊けば、教えてくれるだろうか?

 僕の力とはなにか。そして僕は何のために、ここへ来たかを。

 そう考えたとたん、心臓の鼓動が乱れた。脈拍が高鳴る。

 油断が生んだ緊張のもつれが、自分を囲む闇を震わせ、相手にもわかる波紋を生んだ。

 ひゅっ、と触手が動き、気付くと首を掴まれていた。

『捕まえたぞ! ……お前か、お前か、お前か!』

 勝ち誇る声はしわがれ、そいつの丸い蛸頭たこあたまが縦に割れて、巨大な一つ目がぎょろりと現れたのがわかった。そこに人間味はなく、まるで夏休みの最終日、今夜中に大量の宿題を仕上げねばならないといった、ただ重苦しい焦燥感だけを宿した眼球が、落ち着きのない視線でじろじろと久を見つめる。

 久は一言も発することができず、首に巻き付いた触手をつかんで、引き剥がそうともがく。しかし動作はのろく、息が詰まるばかりだ。

 自分の腕も足も、見れば無数の光の粒でできた、点描画の人体だった。服を着ているかどうかもわからず、ディテールというものがない、もやもやとしたゼリーのような姿だ。 

 そうだ、あれと同じ! と直感する。あの魔物の怪獣、骨格恐竜スケルタルドンの半透明な筋肉、あるいは、女神アフロディテの姿と、どこか似ている。なぜ……

 にしても、力が足りない、相手の触手は微動だにしない。全くの無力だ。僕はこんなにも弱いのか?

『さあ来い、こちら側へ来るのだ。死神の炉にくべてやろう。我が勝利の業火を讃える燃料棒のにえとなるのだ。……栄えある“死号作戦”の人柱にな』

 “死号作戦”って何だ? と聞き返すことはできなかった。

 甘言に騙され、罠に掛けられた怒りに狂う余裕すらない。

 息ができない。

 久の心臓と肺は不規則に痙攣けいれんし、酸素を求める。……どうしてこんなことに? 僕は死ぬのか? これは夢だ、夢の中なんだ。目を覚ませ、目を覚ませばいいだけなんだろ!

 苦悶し、身体も心も締め付けるような疲労感に悶絶する、そのとき……

 白い何者かが背後から飛び出し、鋭い刃物のような光をふるった。

 久の首を締めあげていた触手がぴんと張ると、すんなりと切断され、粉々のすすに分解、四散する。刃物に見えたのはTの字の横棒が左右に尖って手前に湾曲した形の土木用具……鶴嘴つるはしだった。

 鶴嘴つるはしをふるったそいつは、久と同じように光の点描画で象られた白い人形ひとがたのようでもあり、白い翼を広げた鳥にも見えた。しかし白鳥のような優雅な動きではなく、むしろ猛々しい肉食の猛禽類だ。

 白い鷲か、コンドルか、あるいはフクロウにも見えるそれは、三羽現れていた。

 鶴嘴つるはしをふるった一羽のほかに、斧に似ているけれど刃長はちょうが大きいまさかりを振りかぶった一羽、そして工事現場で杭打ちができそうな大槌スレッジハンマーをかついだ一羽が続く。

 三羽は一斉に、ギョロ目の黒蛸くろだこに襲い掛かった。

 鶴嘴つるはしが穿孔し、まさかりが断裁し、大槌スレッジハンマーが叩き潰す……が、黒蛸は防御せず、あっさりと身を翻し、水墨画の世界ににじみ込むかのように消えてしまった。

 久はようやく自力で立ち上がる。

 ありがとう、助かったよ! と、お礼を言いたいが、喉が潰れた感じで声が出ない。

『ふん、あなたが馬鹿なのよ、ぼーっと油断してるから変なおだてに乗せられて、あんな嘘つきのオトナに言い寄られるのよ』と、鶴嘴つるはしを持つ白い鳥が久をなじると、忠告した。『用心するのよ、東亰は生き馬の目を抜く地獄なんだから』

『でも、いい気味だ(ユーシッタイ)……魔物マジムンにしちゃ、小物だったね。あっさり逃げ出したよ』と、まさかりを持つ白い鳥が久を向くと、『|いいさ、まかしときな《ジョートー、マカチョーケー》!』と明るい語調で励ますように言った。

『ああ、無事でよかったわ、なのです。キュウさま、ほっとしましたのです』と、大槌スレッジハンマーを肩に掛けた白い鳥が、訥々《とつとつ》とした喋り方ながら、久を優しく思いやった。とびきりの、可愛い……猫なで声で。

 三羽、いや、三人のその声は……

 久は三羽の声の主を思い出そうと、うつろな意識を振り絞る。何か言おうと思うが言葉が出ない。言葉が出ないのは、恐怖のせいだと気が付いた。恐いからだ。

『ここは……どこなんだ?』と心の中でつぶやく。『いったいなぜ、こんなことに? 僕が悪かったのか……どうすればいいんだ?』

『ドンマイ、ドンマイ……』と、まさかりの白い鳥が、屈託のない声で答える。

『みんな夢だよ、ここは夢の中。夢の世界はね、“この世”と“あの世”の境目にあるんだ。まあ、夢見の仕方にもよるね。普通人ふつうじんはたいてい、自分の頭の中だけでつくられた、その場限りの夢。けれどね、頭の中の“第六感覚野シックスセンサー”を開いている霊能者サイキックは、もっと大きくて奥の深い夢の世界に入ることができるんだ。妖精語フェアリッシュ精神感応テレパシーの届く範囲なら、夢を見ている何人もの人の心が、同じ夢の世界でつながることもできる。今がそう。……って、これ、万城マンさんのSF科学講座の受け売りなんだけどね』

『そうなのですわ』と、大槌スレッジハンマーを肩にかつぐ白い鳥が愛らしくさえずる。『あたしたちにお礼なんか、ぜーんぜんいりませんのです。キュウさまの、今のお気持ちだけで十分なのです。だってここは、うるわしい夢の中なのですから』

『そうだよ』と再び、まさかりの白い鳥が続ける。『気にしなくていいって。これは夢だよ。目が醒めたら、みんな、何があったのか、だいたい忘れてしまうってさ。あたしたちも目が醒めたらきっと、忘れてるからさ』

 まるで暗転した舞台の上で演じられる、セリフだけの朗読劇だ。しかし、自分の心と、そして幽霊みたいにふわふわした身体感覚には、それでも不思議な存在感がある。まるで、究極のフルダイブ型VRゲームというか。

 たしかに、ここは夢の中……。

 じゃ、君たちは?……と、久は思い至る。

 三羽とも、少女の声だ。たぶん、僕よりもずっと勇敢な女の子たちの魂の声。

 君たちは、いったい?

 三羽の白い鳥は揃って答える。

神女挺心隊しんじょていしんたい!』

 一九六四年の魔法少女たちの、意気軒高なときの声。

 しかしその声を受けて、舞台風ぶたいかぜに膨らむ緞帳どんちょうのように、重たい闇が黒々と不気味に揺れるのがわかった。


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