037●第6章● 〃 1964年6月16日(火)深夜から翌未明④:招喚者
037●第6章●優しい治療と密談と夢…1964年6月16日(火)深夜から翌未明④:招喚者
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その夜がさらに更けて、日付が六月十七日になったころ……。
四谷プロダクションの社長室は、一階の南端にある。
社長用の木の執務机、数人で打ち合わせのできる応接セット、ドアの脇には衝立を横に置いて、秘書用のスチールデスクとタイプライター、インターホンの端末。
真夜中の静寂。
天井の電灯は消してあり、執務机の蛍光灯スタンドの光を挟んで、秘書の真幌場はパイプ椅子に座り、社長席の丹賀と額を突き合わせるように座る。
真幌場が小声で報告する。
「キュウ君がスクールバスの“かるがも号”を降りて会議室に入るまでに、彼の脳内に妖精語のハミングを送り込んで遠隔催眠をかけまして、夢遊状態に誘導し、“三角ベース”の地下通路をぐるぐる回ってもらいました。夕方までの三時間ほど、バケツを被ったまま歩きっぱなしになったので、本人は疲れたでしょうが、記憶には残っていないはずです。基地に到着する直前、彼は精神的に不安定で極度の興奮状態に陥っていましたから、ピンクノイズ系のファジーパルスを脳幹に与えて、まずは安静な状態を作り出しました。それが、彼の思考探査に必要と判断いたしましたので」
「ふむ、いつもながら用意周到で言うことなしだ。妖精語の主要成分は超音波信号というから、さだめし超音波催眠術ということか」
「はい、私も瓢教授からお聞きしました。先日、東欧某国の魔法研究機関が、妖精語は超音波言語…スーパーソニック・ランゲージ…であることを検証したそうですね。といっても、趣味のよいご研究とは全く申しがたいですが」
「それは同感だな」と、丹賀は不満げな顔つきの真幌場に相槌を打った。「実験のやり方があまりにワイルドで非人道にすぎる」
その実験は、魔物の一種である吸血鬼を男女数十体捕獲して暗所に監禁、かれらが超音波でコウモリと対話して操る方法を解析し、それから十数日、血液を与えずにしっかり飢えさせたところで、死刑囚の普通人男女を次々と入室させ、吸血鬼たちが獲物の人間に超音波催眠をかけて茫洋とさせた上で首筋に食らいつく様子を記録したという。その血塗られた生々しい録音データから、吸血鬼が用いる超音波言語と妖精語との関連性を突き止めたということだ。
さすがにミス・ドラキュラと同列にされては嬉しくない。真幌場はコホンと咳払いすると、事務的に報告した。
「精神の安定を確かめたのち、キュウ君に、テレパシーによる精神探査を実施しました。妖精語は超音波ですが、テレパシーは電磁波、つまり電波を使いますので、能動的な思考探索を行えます」
テレパシーが、きわめて広い波長域の電波による人間の脳同士の心霊通信であること、その高度な応用魔法として、相手の脳内の思考を読み取る心霊電探が可能であることは、米国の電磁波研究家であり心霊科学研究協会の支部長であったニコラ・テスラ氏によって推論されている。
人間の脳内の思考は、物理的には脳神経を伝わる膨大な電気信号の複雑な組み合わせだ。そして脳の上半分は頭蓋骨のドームによって保護されている。真幌場のような有能なテレパスは、自身の脳から発振した電磁波の思考探査ビームを相手の人間の頭蓋骨の内部に集中投射して、脳内を走る電気信号のパターンや電位の変化をスキャンする。探査ビームは相手の頭蓋骨の内側に反射して真幌場の脳に戻り、そこで、まるでレーダースクリーンに映る反射像のように、相手の思考を“脳内の電気信号として”再現するわけだ。
そうやって、テレパスは相手の心を読む“読心術”を使いこなすのだが、その技量にはもちろん個人差があるし、距離の遠近や気象の変化による大気の帯電、また電磁波を妨げる障害物の有無によっても結果が左右される。そこで、コンクリートに囲まれた地下通路を催眠状態の久一人に歩かせて、真幌場はそのすぐ後ろについて歩きながら、テレパシーによる魔法の読心術を試みたのだが……
「残念ですが、アクティブ、パッシブともに、サイコ・レーダーサーチに感なし。テレパシー反応は全面陰性です」
丹賀の眼差しに、驚きが見え隠れする。
「読めなかったのか、あの少年の心の中が」
「はい。電話交換の玉由良さんにも協力してもらいましたが……あの少年の魂は、私たちの読心術を全く受け付けませんでした」
「“魔法自衛隊に汎用美人型ウソ発見器あり”と讃えられる剛腕の“伝心師”が二人がかりで、歯が立たんとはなあ。強力な精神結界かね? だとすれば、“敵”のスパイの一員なのか」
「いいえ、尋問に対抗するためにスパイが使う、対読心者精神場によるシャドーゾーン形成は確認できませんでした。会議室の対話では、しばしば意味のない突っ込みを入れて心の隙を探ってみたのですが、ここでも人為的なサイコバリアは認められません。なんと言うか、魂のチューニングが“時間的に”同期してくれないのです。合うはずの波長が、なぜか合いません」
「ラジオでいえば、“未知の周波数”ってところか」
「ええ、玉由良さんは、手を差し伸べれば遠ざかる蜃気楼、逃げ水みたいな感じ……とおっしゃっていました」
「とすると、やはりこの時代の人間ではないと?」
「私にはわかりかねます。ただ……」
「ただ?」と、問い返す丹賀。
「キュウ君の存在は、“あの娘たち”にとって、かけがえのない福音になるかもしれませんね。東亰ピューテック大会が近づくにつれて、出現する魔物が数を増し、日々凶悪化して、“あの娘たち”はここしばらく戦いに疲れ切って、統制を乱していました」
「それはわかる」と丹賀。真幌場たち魔法自衛隊の幹部はしばしば、こよみたち“神女挺心隊”のことを“あの娘たち”と呼ぶ。「こよみくんの桜組二十一名と、はてるかくんの菊組二十一名が、互いに反目し、感情がささくれ立って、些細なことで喧嘩をする。武器の扱いもぞんざいになり、昨日は九七式自動砲で肩を痛め、六〇式自走無反動砲で狙いを外すなど、かつてなら事前に改善し、防止できたはずのミスを犯してしまう。それは肉体的よりも精神的な原因によるものと、きみだけでなく、ヒル先生からも報告を受けた。身体的なトレーニングでは解決できないとも……」
「そう考えています。 “健全な精神は健全な肉体に宿る”などと巷の体育教師がほざいているのは全くの嘘っぱちですわ。まず精神が健康でなくては、肉体の健康が得られません。けれど、“あの娘たち”の苦しみは、私たちの手が届かないところにあります。それも、ハムレットの“生きるべきか死すべきか?”の命題に等しい、“あの娘たち”の存在意義の根本にかかわる苦悩なんです」
そこで真幌場は一息置いて語調を強めた。「あの娘たちは、《《自分たちが何のために何をしているのか、わからなくなりかけています。》》確固たる目的と使命感を、見失っているのです。日々戦っている相手が一般の人々には見えないので、彼女たちの戦闘行為は、外見的には、まるで“命がけの盆踊り”なのですから。……これは、戦術指導のヒル先生も同じ意見です。しかし昨日、突然に、キュウ君がふらりと現れました。これはただの偶然でなく、なにか必然的な超自然の力によって、彼が私たちの一九六四年に招かれた……招喚されたのだと思います」
「ふむ、それは卓見だ」丹賀は真幌場に同意して引き出しを開けると、封蝋を破って間もない封筒から、大判の写真を取り出した。
「これを見たまえ、さきほど、米軍横田基地のセイレム魔女団日本支部から託されたと言って、米国大使館の特使が届けてくれた航空写真だ。昨日午後一時半頃、我々が骨格恐竜スケルタルドンを撃破する直前の時点を捉えている。緊急で、横田エアベースからU2型偵察機を飛ばしたらしい」
“セイレム魔女団”とは、北米大陸の魔女結社で、世界最強の魔法軍事力を誇る非公然団体だ。米軍の一部を裏から牛耳っているとされる。
「偵察機を飛ばすなんて、大げさな……」と、写真に見入る真幌場は、はっと息を呑んだ。
ヒル先生のTS特車隊が遠距離の曲射でスケルタルドンを殲滅する少し前の状態を、ほぼ真上から撮影している。普通人のパイロットが撮影したので、霊写ではなく普通のフィルムに感光されたものだ。だから“あの世”の物質でできたスケルタルドンは写っておらず、荒らされた樹々と、その合間から見える怪獣の足跡、そして破壊された歩道が認められる。
しかし、一キロ四方ほどの広範囲を捉えたモノクロの画面は、ある図形を浮き立たせていた。
スケルタルドンが暴れ、こよみたち“神女挺心隊”の応戦もあいまって、戦場同然となった国立西欧美術館の前庭。そこにはさまざまな破片や瓦礫が飛び散り、ひび割れも走っている。それらが地表に重なって、地面に凹凸をつくり、ぼんやりとレリーフ状の図形を描いていることが分かった。あまりにも大きいので、地表にいたら視認できない。
「これ……七輪紋の一部ですね。半径百メートル以上、七輪紋の図形の三分の一ほどが、美術館の前庭に出現しています」
「その中心には、何があるかね」と確認を促す丹賀。真幌場は銀縁眼鏡のレンズ越しでは足りず、その手に魔法で拡大鏡を出す。ちょうどラウンドケーキやピザを扇形にカットしたかのように、部分的に表れている七輪紋の中央、六つの円環を俵積み状に並べた中心点に目を凝らして言った。
「ゴミ箱です」そして正確に言い直した。「キュウ君の出現地点です」
「そういうことだ。キュウ君が現れたとき、七輪紋の力場が断続的に発生して、美術館の庭の破片やら瓦礫類を、同じ図形に“吹き寄せた”と思われる。このあとスケルタルドンを殲滅してすぐに、四谷プロのロケ隊を偽装した我々がさっさと片付けてしまったので、まったく気付けなかったがね……」
「ここに大型の七輪紋が力場の形で顕現したことは、おそらく、新たな霊的特異点が、無から有が生まれるが如くに、突発的に発生したことを意味するのでは……」
「儂もそう思う。キュウ君はどうやら、只者ではなさそうだ」と丹賀は結論を述べた。
真幌場は写真から顔を上げて、確信を込めて言った。
「キュウ君が本当に未来世界からやってきたかどうかは、まだ判断できませんが、これだけは信じたいと思います……キュウ君は、“あの娘たち”を救うために、神様が私たちに使わされたのではないかと。……この七輪紋は、きっと神様の御意思です」
「そうだとすれば、キュウ君は貴重な“まれびと”であり、我々の賓客でもある。しかし、こよみくんは彼を念力びんたでメッタ打ちにしてしまったぞ、やれやれ……」丹賀は、美少女であり誠心誠意だが直情径行な“桜組級長”の将来を慮って、表情を曇らせた。「少年の未来を決めた鉄拳制裁……危うく殺しはしないかと、ゾッとしたものだ」
「同感です、こよみちゃんはきっと、これまでにずっと、たまりにたまったストレスで自制心が破裂してしまったんです。あの直後、泣いて反省していました。こよみちゃんは内心では、きっとキュウ君が来たことを喜んでいます。ほかの“あの娘たち”も間違いなく、キュウ君を大歓迎です。キュウ君の正体は不明ですが、“あの娘たち”の行き詰まった絶望感を解決する特効薬になるのでは……。それだけでも、キュウ君をスカウトしたことは、魔法自衛隊にとって、正しい判断だったと存じますわ」
「それはすばらしい! 真幌場くんがそこまで持ち上げてくれるなら、キュウ君には、大いに期待するとしよう。とはいえまだ十六歳の少年だ。つまらぬことでからかったり、いじめたりしないように、社内に徹底しておいてくれたまえ。あの未来少年、“あの娘たち”に引っ張りだこのモテモテになるかもなァ」
ふっ、と真幌場は微笑んでいた。「あら、隊司令、お羨ましいですか?」
「まあ、多少はな」と丹賀は自嘲ぎみに笑った。「儂は立場上、“あの娘たち”の父親役になるのだが、父親らしいことは何一つできていない」と、慢性的なダメ親父を自認する丹賀に、いえいえ、そんなことは……と同情と慈愛に満ちた顔つきの真幌場に対して、丹賀は魔法自衛隊の隊司令として冷徹な表情に戻り、続けた。
「もうひとつ、情報がある。“敵”の存在だ」




