032●第5章● 〃 1964年6月16日(火)夜⑧:日本国憲法九条
032●第5章●霊写技師と痛い就活…1964年6月16日(火)夜⑧:日本国憲法九条
「そうはいっても、我々は決して遊びでやっているのではない、神聖な使命を帯びた、真剣な仕事なのだ」と丹賀。「これが当社の“社是”であり、我々の行動の基本理念となっている」
飛行するチョークが黒板に書き出したのは……
日本国憲法
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
丹賀は、これまでになく重々しく語った。
「日本国憲法第九条、それこそが、我ら魔法自衛隊の存在根拠だ。幸いなことに“魔法”は、法理論上、日本国憲法が想定する“戦力”や“武力”の範疇に入らない。だから、われらの存在はまぎれもなく合憲である。しかし魔法の戦力化は、やり方次第で可能になる。台所の包丁が、使い方次第でそのまま凶器になるようにね。魔法使いの軍団同士の戦闘は、その気になればすぐにでも可能であり、過去に世界各地で魔法戦争が行われたことも、知られざる歴史上の事実だ。したがって、われら魔法自衛隊が憲法九条を踏み砕くことは、チリ紙を破るよりも簡単である。しかしわれらは憲法を遵守することによってのみ、この国に存在を許されている。我々は魔法の底知れぬ力が戦争の道具に使われることを全力で阻まねばならない……という鉄則も、憲法九条の行間に含まれているのだよ」
丹賀はそこで、一息ついて、やや皮肉を込めて追加した。
「死は鴻毛よりも軽く、憲法はチリ紙よりも脆い。そのことを我々は肝に銘じておかねばならん。……まあしかし、小難しい説教はここまでにしておこう。ヒル先生に言わせれば、九条は国際紛争を“解決する”戦争は禁じているが、それなら国際紛争を“解決しない”戦争だったら、やらかしちまってもOKってことじゃないか……ってな。まあ冗談だろうが」
久は黙っていた。丹賀の態度に鉄壁の圧力を感じた。軽々しく受け流すことのできない“社是”である。それにしても、ずいぶんと重たい理念に直面させられたものだ。
自衛隊って、そういう組織なんだろうか。
そこで丹賀が、重々しく宣言した。
「魔自の一員として、キュウ君を歓迎する」
「入隊おめでとう! おめでとう!」と、真幌場、万城、漆田が景気づけた。
こよみはそっけなく、ぱち、ぱち、ぱちと気のない拍手をしてくれる。
ちょ、ちょ、ちょい待ち……と、たちまち久の脳裏でアラームが鳴り、椅子の上で身体を縮める。
しまった! これは罠だ。
誉めて、おだてて、条件をうやむやにして、ハッピーエンディングな美辞麗句で現実を押し流すことによって、自分たちに都合のいい形に決着をつけるつもりだ。
終わり方を見失ったアニメシリーズの、なんだか無理押しの最終回みたいだ。
強引な笑顔と拍手を武器に、丹賀たち魔法使いは、なんとしても、なし崩し的に僕を入隊させるつもりなんだ……
新手の詐欺にひっかかるまいと、脳裏の警戒灯が極彩色に明滅する。
おめでとう! に、ありがとう! ……で即答するほど、お人好しになれないのが二十一世紀少年である。
まずい、絶体絶命だ。逃げるなら今のうちだ。時間を稼ぐんだ……。
慌てて答える。
「だって……僕は、入社案内も見ていません」
「日本国憲法九条を読んだじゃないか。あれで十分だろう」と、丹賀はさらりと流す。
この、なんとも形容しがたいアバウトさは、この人の持ち味なのか、この時代の人々に共通する性格なのか、おそらく両方だ。久はジワリと追い詰められる。
「ということは……僕は、表向きは四谷プロ、実態は自衛隊に入隊することになるんですか」
「魔自だよ、“魔法”自衛隊だ」丹賀が、ちっちっと、人差し指を左右に振って言う。「陸さん海さん空さんとは、似て異なる。我々の相手は魔物なんだからな。悪い魔物をやっつけるだけだ」
しかしそれって、早い話が、戦闘行為じゃん!
少女たちの機関銃、機関砲、そして、“特車”と言いながら、どうみても戦車そのものの砲撃、あれが映画のロケでなく、“映画のロケに偽装した本物”ということなんだから、その実体は戦争と、どこが違うのだろう。
久は恐る恐る、確かめるように訊いた。
「あの……もしかして、本物の戦争って……しませんよね」
わっはっはと丹賀は笑い飛ばし、「我々も広い意味で自衛隊の変種だから、憲法九条のもとで戦争することはありえない。魔物相手の作戦は、災害出動の範囲ということで、法的な条件を整えている。普通人にとって、魔物は天災の一種だからな。我々の敵は、人間でなく自然災害なのだ。だから間違いなく“戦争”ではない」
真幌場が猫なで声で補足する。
「それに、私たちが使用する弾丸は、ほとんどが霊界物質を結晶化して固めたものなの。霊界物質って、“あの世”から“この世”に沁み込んできた重光子、すなわち“あの世”の物質で造った弾丸。それは“あの世”から現れた魔物に対して破壊的な威力を発揮するけれど、“この世”の普通人に対しては、ちょっとお熱い突風程度の衝撃しか与えないのです。“対人”の殺傷兵器は基本的に使用しないのよ。ね、健全な平和団体でしょ。だから戦争にはなりえないのよ」
久は、クラスの誰かが言っていたのを思い出した“自衛隊が赴くところ、世界のどこであっても、戦争に出くわさない”ことになっている。国会ならそれで通っても、国際常識ではどうなんだろう”と……。
魔法自衛隊の場合、相手にする魔物は人ではないから戦争でなく、魔法は兵器ではないから戦争ではない。けれど、実際にやっていることは、どうみても……
それって、いかにも詭弁っぽい。
「信じてはくれんのか」と、丹賀は落胆を露わにする。いかにもガックリ感が伝わる顔つきで、久は見ていて可哀そうになったが、ここでほだされて入隊をOKしてしまったら、それも相手の作戦かもしれない。心を鬼にして反論する。
「……普通、まともな人は信じないと思います。だって本物の機関銃や戦車を使って戦っていたし、やはり危ないし、……だって、戦っていた女の子のみなさん、怪我してたじゃないですか。それに魔法で自衛隊するなんて、やっぱり変ですよ」
「そうか」丹賀は怒ることなく、立って、久を覗き込むように顔を近づけた。「危険性が全く無いとは言えない。しかし、世の中の現業は何であれ多少の危険性は伴っている。完璧に安全な工事現場は現実には存在しえないだろう? そこで魔法自衛隊の隊司令として、君に頼みたい。我々の任務は、我が国土から有害な魔物を追い出すことだ。なあ久君、君も知っての通り、東亰ピューテック大会の開催が迫っている。開会式は十月十日だ。残り四か月を切っている。百日と少しだよ。じつはこの開会式の前夜、わが国は西欧の古代神を数千柱、いや数万かもしれないが、盛大な団体さんでこの東亰にお招きすることになっておるんだ。国立競技場が神様で満席になるのだよ。日本の歴史始まって以来の、大規模な“神寄せ《アクティブ・コーリング》”を実施するのだ。しかるに、国内に発生する魔物たちは、日毎に威力も規模も増している。東亰ピューテックの開会式の前夜に、魑魅魍魎や魔物悪霊が都内を跳梁跋扈していたら、何もかも台無しになりかねない。我が国で初めてのピューテック大会なのだ。戦前からの国民的悲願なのだ。平和憲法のもとに生まれ変わったこの国が初めて迎える、四年に一度しか開かれない汎地球的な平和と文化と体育の祭典だよ。なんとしても成功させたい。首都東亰から有害な魔物を完全排除して、“神寄せ《コーリング》”を成功させ、安全かつ安心にピューテック大会を開催する環境を整える。それが我々、魔法自衛隊の目下最大の使命なのだ……」
久は目を白黒させたが、違和感のある言葉に慣れてきたことにも気づいた。“ピューテック大会”は、自分がいた二〇二四年世界の“オリンピック”と、そっくり置き換えて理解すればいい。
どうだね、と丹賀は真剣味のあふれる眼光で久をじっと見つめ、深々と九十度のお辞儀で久に敬意を示すと顔を戻し、穏やかに言葉を続けた。
「しかし我々には、日々戦う状況を正確に撮影して後世に残すことのできる、映像記録手段が欠けている。記録無き戦いは歴史を作れない。我々は、みずからの行いに責任を持つためにも、客観的な記録を残したいのだ。しかし、魔物や神様をフィルムに撮影できる霊写技師をどれほど探しても探しても、これぞという人材が見つけられなかった。今日、キュウ君に出会うまではな。……これまで万城君が撮影係として頑張ってきてくれたが、どれほど工夫してもピンボケになってしまうのだ。……どうかね、これもひとつの縁だ。無理にとは言わんが、君も、東亰ピューテックを成功させたいだろう? ここはひとつ、一肌脱ぐ気になってくれまいか。危険性がゼロとは言わん、しかし安全には最大の配慮を払う。断じて、特攻兵器に乗せて片道切符などという外道の真似はさせん」




