030、031●第5章● 〃 1964年6月16日(火)夜 ⑥:バベルの塔と魔法遺伝子、⑦:魔法と戦争
030●第5章●霊写技師と痛い就活…1964年6月16日(火)夜⑥:バベルの塔と魔法遺伝子
「これは、俺たちのこの世界で最もメジャーな聖典の“創世記”第11章、その一部や偽典に残されているエピソードなんだが……」と万城は前置きして語る。
紀元前何千年だかわからない古代の昔、人類は共通言語を使用していた。聖典には“全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。”と明記されている。
一つの共通語で意思疎通を統一できた人類は、その文明力を集中して、神の世界に向かって巨大な塔の建設に着手した。天国に届けとばかりの、文字通りの摩天楼だ。
しかし神様はそのことを快く思わなかったらしい。神様は人類の言語をさまざまな種類に分散させ、種族同士で互いに言葉が通じないようにさせた。その結果、塔の建設は途中で挫折し、神様が強力な嵐を起こしたことで、すべてが崩れ去ってしまった……というのだ。
いくつかのアニメやライトノベルに引用されている伝説なので、久も概略は知っていた。
そして聖典の記述で“全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた”とされる言語こそ、妖精語だったという。
「この、バベルの塔が建設された場所は、大西洋に浮かんでいたアトランティス大陸だという説もある。高度な文明を実現していたというが、真偽は不明だ。なににせよ、はるかな昔のそのまた大昔、古代のまた超古代の人類は、全員もれなく、妖精語を使いこなしていたというわけだ。これを神様が、何らかの理由で“使えなくさせた”、というのが、この伝説の重要なポイントだよ。つまり……」と万城は意味ありげに強調する。「バベルの塔が崩れる以前の古代人は、誰もが多少ながら、妖精語を含めた“魔法”を使えたということになるよね。そう考えるのが合理的だ。“バベル以前”の人類はみな、魔法が使えたんだ。現代でも容易ではないバベルの塔の建設も、魔法力を駆使できれば、可能じゃないか?」
「しかし塔が完成する前に、神様のご意志で人類は魔法能力をほとんど封じられ、妖精語も使えなくされた。それを進化論的に解釈するならば“人類はその時、神の手によって進化の逆方向へ……すなわち、退化させられたのだ”ってのが、H・G・ウェルズ先生のご見解ってわけっすよ。だから十九世紀まで、妖精や精霊など、超霊界の存在と話すことのできる、“妖精語”とされていた魔法言語は、魔法学の先生たちによって、“バベルの塔の事件以前の言語”と言う意味で“前バベル語”とも呼ばれるようになったわけでして」と漆田が説明を継いだ。「……つまり、バベルの塔よりも昔の人類の言葉ってことっスね。このころの人々は、個人差はあるだろうけど、みんなある程度の魔法が使えた、ただし、《《バベル以来、人類の魔法力には神様の力でリミッターがかけられた》》んスけどね」
真幌場がつけ加えた。「だからキュウ君、自信を持っていいのよ。人は誰だって魔法能力を潜在的に秘めているの。ただ、その能力が目覚めるかどうか、そしてどのような種類の魔法力が目覚めるのか、個人によって違いがあるというだけなの!」
「そうなんですか、それはうれしいです!」と久も素直に喜んだ。「だって、魔法の能力って、特別な血筋と家柄の、貴族みたいな人にだけ遺伝するんだと思ってました。庶民の僕には、死ぬまで関係ないみたいな」
久の頭の中には、二十一世紀のアニメとライトノベルが渦巻いていた。描かれているのはどれも中世とよく似た環境の異世界で、すぐれた魔法を駆使できる勇者たちが、ドラゴンやゴーレムのような怪物や悪魔や魔王を討伐するのが定番だけれど、たいてい勝利して生き残るのは、優れた血筋と家柄のエリート勇者さんであって、自分みたいな、どこの馬の骨ともわからない庶民キャラは、せいぜい魔物に食われて死屍累々と重なる犠牲者の一人がいいところだ……と自覚していた。
常に貧しき庶民として身の程をわきまえていただけに、本当に魔法使いになれますよ! と宣言してもらえたのは、正直うれしい。母親は別として、他人に褒められた経験があまりにも少ないからだろう。
そうかそうか、と丹賀は笑顔で久に同意して、「まあ例外的だが、ヒル先生は正反対で、選民思想の立場だな。あの魔女さんはフォンがつくドイツ貴族階級のブルジョワなのでね。彼女が言うに、魔法能力はヴァルハラの帝王ヴォータン、すなわち戦の神様の偉いさんだな、そんな神様に選ばれた一族の血統で維持してきたのだそうだ。少なくとも西暦が始まってから二千年近くは、魔法貴族が遺伝的特質として世襲制で魔法戦闘力を奮い、世界平和に尽くしてきたんだとさ。……まあ、ヒル先生の頭の中はだいたい中世の封建制度のままだから、そういう考え方になるんだが、二十世紀にもなると科学が進歩して、遺伝子というものを研究するようになったからな。その研究成果として、ヒル先生の主張とは真逆の見解が、今や科学的通説となっておるのだ。……つまり、魔法能力の遺伝子は人類あまねく誰もが持っておる。ただ、遺伝子に特殊なリミッターがかかっていて、発現することを阻まれているだけなのだ……とね」
久は驚いた。考えてみればここは六十年前の古臭い昭和的異世界とはいえ、一九六四年であるならばロケットもレーダーも、核兵器も原子力発電所も存在するのだ。それほど科学が発達しているのなら、魔法という超常現象は“科学の力”で調査分析されていて当然であるし、むしろ、それがこの時代のトレンドらしい。
つまり、科学万能の時代。
「そうっすよ」とドヤ顔の漆田。リーゼントのチャラ男に見えながら、じつは科学的な分野に詳しいらしい。「魔法力の源泉を突き止めるのに、今どき遺伝子工学を使わない法はないっすよ。DNAの二重らせん構造を明らかにしたワトソンとクリック両博士の論文から十年余り、一昨年にはノーベル賞までかっさらったンですから、目下“おニュー”の最先端研究分野なのでやんす」
漆田の話によれば、十九世紀末あたりまでは、魔法力は先天的な特殊遺伝によるもと考えられ、魔法力を発揮できる血統はごく一部の人々に限られている……という見解が多数派だった。本音を言えば、中世の魔女狩りのイメージが色濃く残っていて、大多数の“まともな”人々は魔法なんかに関わりたくなかったのだ。しかし二十世紀に入ってすぐに、“魔法力の後天的獲得”を示す衝撃的な実例が現れた。
それは1903年12月17日に米国のノースカロライナ州キティホーク近郊にある“悪魔殺しの丘”で行われた、革命的な科学的実験だつた。ウィルバーとオービルのライト兄弟が、動力つきの飛行機を操縦して、公式記録に残る史上初の動力空中飛行に成功したのだ。
ただし実際には、この二人よりも一時間前に同じ場所で空中飛行をやってのけた人物がいた。ライト家の次女アリスン・ライトである。飛行実験を見物に来ていた当時十九歳の彼女は、二人の兄貴が失敗続きなのに業を煮やして、それならあたしが月まで飛んであげる!……と、木の骨材に布を張った凧を横にした感じで、そこに小さなガソリンエンジンをつけただけの粗末な飛行機に飛び乗って離陸した。
それから十数分もの長時間飛行で、8の字旋回や宙返り飛行、翼を振りながら地表近くを飛ぶビクトリー・ロールや、のちにインメルマン・ターンと呼ばれるアクロバットまで披露して、意気揚々と着陸してみせた。二人の兄貴は驚愕のあまり逆立ちするしかなかったとか……
その直後、可愛い妹に奮起を促されたライト兄弟は相次いで愛機に搭乗、四回の飛行実験を成功させたが、飛行時間もテクニックも、次女アリスンの足元にも及ばなかった。ともあれ公的な歴史に名をとどめたのは二人の兄貴の方で、アリスン嬢は奥ゆかしくも、兄貴たちに史上初の有人動力飛行の栄誉を譲ったとされる。
アリスン嬢の飛行は心霊科学研究協会の知るところとなり、このとき米国支部長だったニコラ・テスラ氏によって調査された結果、彼女がこの飛行によって飛行魔法の能力を開眼させたことが確認された。先祖からの遺伝でなく、後天的な魔法力の獲得である。彼女は飛行箒の代わりに飛行機を、ある日突然に魔法で操ったことになる。
その要因のひとつとして、飛行実験が行われた“悪魔殺しの丘”はその名の通りいわくつきの心霊スポットで、“あの世”すなわち“三大霊界”と現世とをつなぐ霊的特異点が開いていたのだという。アリスン・ライトは体外の霊的特異点から体内の細胞に格納されていた自身の霊的特異点へと強力な霊界エネルギーの供給を受けて、一瞬にして飛行魔法の能力を開花させたというのだ。
こののち、“後天的な魔法力の獲得”らしき事例が目立ちはじめた。女流飛行家では米国のアメリア・イヤハート、ドイツのハンナ・ライチェ、ソ連のリディア・リトヴァク……、また、男性ではニコラ・テスラ自身もそうであり、医学の分野では英国のディヴィッド・リヴィングストンや日本人の野口英世も没後の調査対象となった。
そして、十五世紀フランスの英雄的な聖女ジャンヌ・ダルクが、バチカンに秘匿されていた文献を調査したうえ、“神の恩寵によって後天的に魔法力を獲得した稀有の事例”であると認められるに至り、「魔法力は特殊な血筋のみに遺伝する」という見解は聖職者の側からも否定されることとなった。
「これは魔法能力に対する常識の、コペルニクス的転回ってやつでして」と漆田。「なんせ、それまでは“魔法を使えるのは特別な人”だと考えられていたのが、じつは“人類は誰でも魔法能力を持っている。何らかの理由で使えたり、使えなかったりしているだけだ”に変わったんスからね」
そして一九五二年に英国の科学者ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、人間の遺伝情報が収められているデオキシリボ核酸……DNAの構造が二重らせんであることを発表し、同時にDNA繊維のエックス線写真が公開されたことをもって、遺伝子に関わる研究が一挙に前進、各国でさまざまな研究が急ピッチで展開されるようになった。
細胞に格納されたDNAの構造と、そこに秘められた遺伝情報の暗号をすべて解読すれば、そこにきっと、魔法能力の源泉となっている遺伝子の正体が浮かび上がるはずだ……
「魔法と遺伝子って、本当に関係あるんですか?」
これまた素朴な疑問を口走ってしまう久。人類古来の魔法と、ここ十年の最新の遺伝子工学が、どのように結びつく? そもそもまともな研究テーマになるのだろうか。
「ああそれね」と軽く応じる真幌場。「じゃ、基本的な質問を返しませう。……人類はそもそも、何者によって創造されたと思いますか? キュウ君」
またも、語尾の“せう”を強調して、当てられてしまった。美人女教師のいぢくりターゲットにされる劣等生の気分で答える。ただし今度は明快な答えがあった。魔法自衛隊を称するこのヘンテコな連中は、神様と幽霊と魔物の実在を強く信じている。
「人は神様によって創られたんでしょう? なら、最初の人間はアダムだよ……ってことで、そのアダムの細胞は樹脂で固めてどこかで保存しているとか」
「ピンポーン! 大正解!」真幌場はキラリと銀縁メガネを輝かせ、なんだ、ちゃんと知ってるじゃない……といったリスペクトの視線を久の眼差しに送る。「そうなのです。あの聖典の“創世記”第一章に明記されているのです。“神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。”……って。これ、遺伝子工学の見地から、どう解釈します?」
魔法のチョークが板書した“神は言われた……”で始まる文字列を見つめる久の頭の中には、同じ聖典の福音書にインスパイアされたと思われる超有名ロボットアニメがイメージされていた。そのためか、すんなりと回答が出る。
「神は言われた……我々の《《遺伝子を》》かたどって、我々に似せて、人を造ろう」
「そう、そういうことなの!」と真幌場。妖精語で、質問が続く。……神様は具体的に、どうなさったの?
久は答えた。「神様は自分の遺伝子をコピーして、人類を造った?」
「はい、それが、“人類における魔法の起源”について、現代の私たちが追究している重要な仮説なのです。神様は全知全能です。もちろん魔法が使えます。その神様が人類を創造するときにどうなさったのか。武蔵野のキャベツ畑の土をこねて固めるだけで、できるはずがありませんね。神様ご自身の遺伝子を複製して……」
そこですかさず漆田が、「そうなんス、人類が神様によって、“神様に似せて”創られたというのなら、神様はどうやったのか? ……自身の細胞核に格納していた自分の遺伝子をコピーして、原始的な地球に生息していた生物の体内の、なるべく多様な器官に分岐可能な、万能性のある細胞に挿入した。…それはアメーバみたいな単細胞生物か、それとも原始魚類の未授精の卵だったかもしれませんがね…そこで、神様のDNAの遺伝情報をRNAに託して意図的に蛋白質を生産させることで肉体を生成し、進化の過程で最初の人類を生み出したンすよ。はい、これが最初の人間、アダムだよ……ってね」
そうして誕生した人類はめでたく繁殖し、地に満ちた。
神様の遺伝子をコピーしてつくられた人類は、だれもが魔法を使うことができた。
そして、“バベルの塔”の事件が起こったんス……と、漆田は語った。
「理由はさっぱりわかんないスが、人類が神様並みに魔法を使って巨大な塔を造り始めたのが、神様自身を不愉快にさせたんンすね。そこで当時の人類の遺伝子に手を加えて、魔法力を封印してしまったンすよ。魔法力を発揮させる遺伝子に、ほかの遺伝子を使ってリミッターをかけたみたいっス。でもまあ、完璧かつ永久に封印することは神様でも無理だったみたいっスね。遺伝子は世代が進むごとにコピーミスが発生して、そこで偶発的にリミッターが解けるケースがあったようで、そのあと、ごくごく一部の人間は魔法力を発現できるようになった……ってことッス。とどのつまり、それが二十世紀のおいらたちってことで」
「未来人のキュウ君には、すでに承知のことと思うが、DNAに記録された人類の遺伝情報には、無駄な部分が多い。今のところヒトDNAの暗号解読は始まったばかりなのでアバウトな推定にすぎないが、おれたち人間の身体を作り上げている遺伝情報は、DNA全体が持つ全遺伝情報の一割にも満たないらしい。もっと少なくて、数%という先生もいる」と、万城が続けた。「でも、この世に全く無駄なものがあるはずがないと思うし、DNAの九割がゴミ同然のジャンク遺伝子というのは不自然すぎるよな。本当に無駄だというなら、進化の過程で捨て去られて、DNAの塩基鎖はもっと短くなっているだろう? ということは、この、無駄とされている部分にこそ、魔法遺伝子が潜んでいるんだ。同時に、魔法遺伝子に鍵をかけるリミッター遺伝子も潜んでいる。塩基鎖のどの部分が魔法遺伝子で、とこがリミッター遺伝子なのか解明すれば……」
妖精語で、万城の思いが久の脳にこだました。同時に答える。
「人は、誰でも魔法を自由に操れるようになる!」
……と口にして、久は首を傾げた。「でも、どうやって魔法遺伝子とリミッター遺伝子を区別して見極めるんですか?」
「心配ご無用、方法はある。しかも実にシンプルなテクニックだ」と笑顔に自信を見せる万城。「さっき、キュウ君が“樹脂で固めて保存している”と言った、それだよ。琥珀だ。有機鉱物で、宝石の一種とされるが、それほど高価ではない。それに透明で綺麗で高価なものには最初から用がない。探すのは、琥珀の中に閉じ込められた古代の吸血生物、蚊とかダニだね、大きなものでヒルとかがあればさらに望ましい。そこから古代に吸血された人類の血液サンプルを取り出す」
「あ、それ知ってます」と久、「恐竜とかマンモスの遺伝子を取り出して培養して、実物を現代に復元する話……」
「お、それそれ、二十一世紀は凄いじゃないか。恐竜まで復元したのか!」
いや、映画です、作り話です、SFですと説明しても、信じてくれない様子だ。万城はすっかり本気にしている。興奮気味に続ける。
「しかしおれたちが求めている血液サンプルは、恐竜よりももっと最近の時代のものだ。おそらくせいぜい数万年の昔、“バベル以前”の人類の血液だよ。当時の人類を復元する必要もない、その遺伝情報を解析できればいいんだ。“バベル以前”の人類は魔法遺伝子に神様のリミッターがかけられていない。そこから得られたデータを、現代の人類の、リミッターをかけられた魔法遺伝子のデータと比較照合すれば、リミッター遺伝子の情報を割り出せる。そうすれば、リミッター遺伝子の“外し方”を解明できるだろう。神様が仕組んだリミッターを解除することができれば、人類は再び魔法能力を普遍的に手にすることができる!」
「人類は変革するだろう」と丹賀が予言する。「本来、人類はだれもが魔法を自在に操り、互いに本心を通じ合って一つになり、バベルの塔を建設しようとしたのだ。つまり当時の人類は、平和な合一体だったのだ。それが、いかなる過ちか、魔法力をほぼ失ってしまった。失った魔法力を補完してやり、人類があまねく魔法力を取り戻せば、世界は必ず平和な状態に戻る。そして人類は進歩し、偉大な進化のステップを駆けのぼる……それが我々と、我々の上位組織である統聖庁と、さらにその上位にある“組織”……ソキウスの遠大な計画なのだ」
久は神妙にうなずいた。世界平和と人類の進歩を謳う理想論は、現実離れしているけれど、その信条には同意できるし、できれば応援してあげたい。
「ということで我らニッポンの魔法界も、知恵と汗、努力と根性でDNAから魔法遺伝子の暗号を解読すべく、日夜研究に精進している次第でして」と、漆田は鼻高々で自慢げに、付け加えた。「ニッポンの魔法界が世界に誇る長沢の科学センターで、戦後随一の頭脳、志村博士、平田博士、若き俊英の宝田助教授が魔法遺伝子工学に身も心も捧げておられるところでっス」
031●第5章●霊写技師と痛い就活…1964年6月16日(火)夜⑦:魔法と戦争
「あの……」と久。「長沢の科学センター……というのは?」
さっきからしばしば丹賀たちの言葉に出てくるので、気になっていたのだ。
これには丹賀が答えた。
「ああ、あそこは神奈川県川崎市の長沢だ。でっかい浄水場になっているが、それは世を忍ぶ仮の姿、じつはその地下数十メートルに我々が科学研究を行う科学センターが設置されているのだ。五年前に完成した新しい秘密研究施設でね。魔法自衛隊の傘下ではなくて、我々の上位組織の統聖庁が直轄で管理している。念押ししておくが、秘密だぞ、我々、魔自の大切な秘密なのだ」
あ、やばい……と久の脳裏に赤信号が灯る。口外してはならない秘密を知った以上、生きて組織から出られないぞ……というのが、いけないことをする危ない組織が仲間を増やす常套句である。闇バイトの勧誘を受ける純真な十代少年の心境で、丹賀の言葉を拝聴する。
しかし……と丹賀は首をすくめ、脱力して、ぼやいた。
「アメリカさんはもっと凄くてな、あちらの魔法科学センターはアリゾナ砂漠の地下数千メートルにもうすぐ完成だそうだ。ビルなら千階近くになりそうなスケールだぞ、我々がじたばたチョロチョロしてもかなわんなあ」
「よくご存じですね、それってあちらの陸軍さんの秘密情報でしょう?」と真幌場が尋ねる。
「若かったころ、真珠湾奇襲の開戦直前にハワイの日本領事館でアメさんの魔法科学センターの若手科学者と出会ったんだ。その時何かと懇意にして情報を仕入れておいたのだよ。もう二十年以上も前のことだが、そのころすでに詳細な計画が出来上がっていたのには驚いた。アメリカ恐るべしだよ。大戦中から着工していたわけだ」
太平洋戦争が始まったのは一九四一年だ。丹賀は二十歳そこそこの若者だったはずだが、その時点からすでに、魔法力にからんだ国際的なスパイ行為に加担していたようである。つまり、そういうことは……
「まあしかし、魔法遺伝子の研究と、人類に魔法力を補完する計画なんて、これから何十年かかるかわからない遠大な夢物語でもある。話を現実に戻そう。キュウ君もそろそろ気付いていることと思うが、二十世紀の魔法は科学と結びついたがゆえに、科学と同じ矛盾と危険性を備えてしまった。……戦争の道具としてな」
*
「はい」と真幌場は魔法と戦争の関わりについて語り始めた。「二十世紀を迎えて、一九一四年に第一次世界大戦が勃発します。ここで、それまで禁忌とされていた、邪悪な魔法の分野が一気に現実のものとなったわけです。つまり、“魔法戦争”…ツァオバークリーク…。魔法を使って戦争に勝利するという概念です」
真幌場の表情に苦渋の影が落ちる。一九一四年といえば一九六四年の五十年前だ。そんなに昔のことではない。高齢の近親者なら、生々しい記憶も残っていることだろう。
このときヨーロッパで、人を救うのでなく、人を殺すために、魔法が“戦略的”に使われたのだった。普通人の歴史記録には残されていないが、戦争の裏側で、魔法使いや魔女たちが魔法を武器に暗闘を繰り広げた。
魔法戦争の近代戦術への応用はドイツ帝国が先行したのだが、どこかでやり方を誤って自滅したらしい、とされる。詳しい記録は秘密裏に廃棄された。そして第二次世界大戦が勃発する。新たな独裁者ヒトラーに支配されたドイツの第三帝国は世界を相手に魔法戦争を仕掛けたのだった。
丹賀が口を挟んだ。
「このとき、ドイツと軍事同盟を結んでいた大日本帝国でもようやく“魔法の戦争応用”に取り組み始めた。細々とだが、軍事力としての魔法に注目して、国内の魔法使いを探し出し、戦争に活用する試みがなされたのだ。すなわち、陸軍中野学校の魔法分校、同・登戸研究所の魔法室、同・小倉造兵廠の魔法少女鑑別所がそうだ」
「あの」と久は黒板に書かれた“魔法少女鑑別所”の文字を見て、質問した。「人権……って面から、いろいろと問題が……」
「大ありだよ」と万城が答えた。「しかし戦時中ってことで、誰も気にしなかったようだね。当時の大本営は、男性の魔法使いよりも、女性の魔法少女を戦力として重視したんだ、なぜなら……」
神代の昔に八岐大蛇を殲滅したのはスサノオでなく、実はクシナダ姫だった。卑弥呼はもともと魔法少女だった。鎌倉時代の元寇で、神風を呼んで蒙古軍を海に沈めたのは少女祈祷師団の魔力によるものだった……そういった、黒歴史の世界で伝承されてきた古代文献が根拠にされたという。この国では、最も強力な魔法力を発揮できるのは、少女であると。
そして、少数ながら魔法戦術をトレーニングされた、魔法少女兵の戦闘部隊が編制された。とはいえ、魔法で人を殺すことを学んだ少女たちが実戦に出撃したかどうかは不明のままだ。それらの関連資料はみな、一九四五年八月の終戦で焼却されてしまった。
一方、いずれ将来に、国家の防衛には魔法力が不可欠と考えた人々がおり、占領軍司令官のマッカーサー元帥が敗戦国の日本へ進駐してきた同年八月三十日、国内で密かに“闇政庁”のひとつ、“統聖庁”が設立され、日本独自の魔法研究を引き継いだという。“闇政庁”というのは、国家の特別予算の使途不明部分、つまり裏金によって維持運営される、非公然の政庁組織である。
丹賀は語る。
「戦後の日本に組織された“警察予備隊”と“警備隊”が陸海空の自衛隊に改組されたのは、今から十年前の一九五四年のことだ。陸・海・空を担当する三つの自衛隊は関係者の隠語として“三つの矢”と呼ばれたが、それに加えて、“魔界”を担当する“第四の矢”、すなわち“第四の自衛隊”として、我ら魔法自衛隊が秘密裏に誕生した。民主主義国家の平和憲法のもとで生まれ変わった、魔法自衛組織だよ。目下、我々の使命は、魔界から侵略してきて日本をおびやかす魔物たちの脅威に対峙して、魔法力を行使することで国民の生命と財産を守り、国家の主権を保持することにある」
……と、重々しくおっしゃられても、やっていることは、怪獣と闘う特撮戦隊のドタバタなロケ撮影、なんですね……と思った久に応えるように、真幌場が尋ねた。
「ちょうど同じ一九五四年の秋、歴史的な国産怪獣映画が公開され、たちまち大ヒットしました。キュウ君、ご存じ?」
これは知っていた。小学校の低学年だったとき、国内で大ヒットした数々の怪獣映画や特撮ドラマに興味を持ち、ネットで大人向けの怪獣図鑑を読みふけったことがあったからだ。しかも久にとっては昨年の、つまり二〇二三年に最新作が公開されていた。
「知ってますよ、原子力怪獣ゴランジ。一作目のファーストゴランジで、初めて国会議事堂を壊したんでしょ、あの時はまだ東京タワーが建ってなかったから、倒したのはNHKのテレビ塔だって」
「ピンポーン! ウルトラご名答! 凄いね、物知りなんだ、いい歳した高校生だというのに怪獣に詳しいなんて、珍しいよ!」
真幌場の妙なおだてに、丹賀たちは、はっはっと笑う。
この時代、一般社会では怪獣なんて小学生以下のお子様がたしなむチャチな嗜好品とみなされているようである。真幌場に馬鹿にされたみたいで消沈する久だったが、それなら、いい歳した大の大人が怪獣退治を演じている四谷プロの面々は何だというのだろう。
「それって、どの口がおっしゃるのですか……と思うのですが」と返してやる。
丹賀は笑顔を崩さず、笑って久のツッコミをごまかすと、「そりゃそうだ。キュウ君のおっしゃる通り、我々も怪獣で商売する、珍奇な大人の一種なのだ。ということで、十年前のこと、怪獣映画なるものが世の中に認知されたので、我々、魔法自衛隊はブームに便乗したという次第である。つまるところ、普通人には見えない魔物を相手に戦う我々の活動は、“そこで怪獣が暴れている”と仮定して戦っているように演技する特撮映画の俳優さんたちと、見た目は同じと言うことに気づいたわけでね。そこで株式会社四谷プロダクションを設立し、“世を忍ぶ仮の姿”としているわけだ。実物の機関銃あり戦車ありだが、みな撮影用の小道具大道具という触れ込みにすれば、世間のお堅い常識人の皆様から、頭のおかしい反社会的暴力ギャング団と誤解されずに済むわけだ」
確かに名案ですね……とうなずく久。こよみたち白いセーラー少女たちが都心で機関銃を撃ちまくり、戦車を走らせる場面に遭遇したら一般市民はビックリドッキリもいいところだし、たちまち警察に通報されてしまうだろう。久自身もすっかりうろたえたのだから。
しかし、「特撮のロケですよ」と告知されてしまえば、ああ、あの怪獣映画の……と納得されて、怪しまれることはない。物見遊山の見物人が集まってくるのは面倒だが、「お静かに、撮影にご協力お願いします」と伝えて遠ざけることができる。
本日の上野公園の事件がまさにそうだったわけだ。




