序章
気にすんな
序
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ…」
皇紀2605年、うだるような暑さの正午、ほとんど壊れている鉱石ラジオからの音声にうなだれている面々がそこにあった。
「…米英支蘇四国ニ対シ其ノ…ヲ受諾スル旨通告セシメタリ…」
若い男の姿が割合少なく見えたのは気の所為ではない、実際に減ってしまっているのだから
「―ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ……主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ―」
ラジオからの割れた音声のせいである点も考慮すべきだが、
大抵の聴衆はその前に立っている腕章を嵌めた痩せこけた兵の睨みが恐ろしいというだけで
文語調のこの放送の内容を理解できてはいない。
そんな襤褸を纏った者たちの唖然とした表情の者達を悼むように録音された音声は続く
「―苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ…」
その真意はこの声を聴くものに届いたのだろうか
「朕ハ時運ノ趨ク所…堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…」
帽子を目深に被った兵士の顔からは汗とは異なるものが流れた。
…この数日後、大日本帝国は消滅した
1
「積めるだけ積み込め、持てるものは持て!」
「陛下より賜りし我らが生、出来うる限り多く積み込むのだ!」
その数日前の深夜、このような怒号が帝都より電文を受信した静岡某所にて飛び交っていた。
「要らぬ、そんなものは置いてゆけ出来得る限り積むのだ」
昇降口で待つ海軍士官は苛立った表情でそれを待っていた
#1
なにしろ時間がない、浜松にて出港を待つ存在しないはずの重巡「畝傍」の艦長は焦った表情でブリッジにて暗海を睨んでいた
「…遅い」
白い詰め襟を着た中年将校は神経質そうに足踏みをしながら口付けタバコ「朝日」をふかしていた。
3日前に急に出港しろと密命され、要請してきた肝心の陸の連中がまだ来ないのだ、焦るなというのが無理な注文だろう。
「陸の奴らが艦に到着するまであと何分だ」
吸い口紙を噛み潰し、逆三角形のようになった目で懐中時計を見つめる彼にやせぎすの部下は
「あと45分です。マルヒトマルゴまでには推参する、とのことです大佐」
と、震えた声で返答した。その不安を呼び寄せる種はは自身が‘陸式の通信で’もたらされたという密命の内容を知らされていないからではない。
半日前に急始動させたエンジンが土壇場で故障してしまうのではないかと危惧しているのだ。
#2
人っ子一人いないはずの「曹学校」の校舎は破壊され斧を振り下ろす音と木材が砕ける音が響いていた。
「それ以外は廃棄しろ、焼却処分だ!資料も一切残すな」
「輸送車は消灯しろ!決して‘これがあった’という事実は史実にあってはならんのだ」
マイクロフィルムが保管されている缶が次々車に積み込まれると同時に同じ内容が記された大量の書類の山に火が放たれた。
そのゴミ山の中には「詐欺術」「脅迫法」「忍術」「掏摸」「女装法」などの胡散臭いテキストが含まれていた。
「本日現時点をもって本学校は閉校だ、放棄する」
#3
「まだか」
「まもなくです」
くゆらせた紫煙が2箱目になった時、タイヤの擦る音と共に数十台の輸送車が埠頭に滑り込んだ。
横転寸前で停車した車両の内一台から土気色の服を着た兵士が駆けてきた。
「陸軍秘密中隊、只今到着せり。直ちに艦内に搭乗を望む」
猛スピードの輸送車が二俣の施設から発進し、午前1時には港に集結していた。
乗員800名、その二割を遥かに上回る人夫が艦に次々と押し寄せ二時間後には50km沖に消えていった
使い捨ての乱数表によってのみ複合できるその緊急電文の内容はたった二文
【皇國最早陥落迄僅カ】
【各員各国に散レ、健闘ヲ祈ル】
2
大日本帝国敗戦より十年の後…
本国日本では敗戦の傷跡よりようやく立ち直ろうとしていた。
我が祖国の民は仇敵であった米帝の懐に潜り、ようやく一度は絶やされかけた
血肉を吸い上げる力を取り戻しその根を張り始めたところであった。
そうしてあの夜に消えていった彼の者達もまたその歴史からも忘れ去られていった…
「我等亡国の修羅也」
「地獄にて死線を潜りし後にはやはり地獄」
「未だ泰平罷りならず」
「天帝在す世は我等が悲願」
「されど行く着く先は地獄がばかり」
「成れば之ぞ世の理也」
「我等が地獄」
「討ち滅ぼす事に一片の躊躇無し」
「我等理に弓弾かん」
「大願成就の後」
「天帝御座す國築く也」
大願成就の後
天帝御座す國築く也」
彼の者達にとっての十年の月日は灰燼に帰してはいなかった
両刃幅狭の洋剣が打ち合う攻防の音、駆け巡る鎖帷子の槍持ち、怒号と共に奔る早馬・・・
妖か、或いは陰陽のそれか…
文献にて覚えのある
西洋魔導か錬金術か…
かつて人々が想像し
或いは神の業とし畏れ戒めた世界
彼等は明日見えざる不退転の末に
遂には此世界に辿り着いた。
彼の時代に於いては英雄か…
現代に於いては英霊か…
或いは決して歴史の表舞台には上がらなかった陰の功績者であったのかもしれない。
その様な帝国精鋭一千人である。
彼等が新たなる未開の大地を踏み締めたのだ。
行うべき道はただ一つであろう?
「此処に新たなる大日本帝国を打ち立てる也」
「我等が天帝御座す玉座を此処に!!」
降り立ち日より十年が過ぎた…
彼等が持ち去った膨大な情報、培われた知識、国家としては少な過ぎた兵装、
そして祖先より受け継がれてきた魂
これだけで充分であった。
銃弾飛び交う前線、或いは疑心暗鬼の諜報戦、
ある者は人の道をも外れた臨床科学の場を越えてきた歴戦の猛者である。
その数一千余り
彼等は國が堕ちようとも、決して諦めてはいなかった。
例え異世界に迷い込もうとも。
何も変わらない、成すべき事は1つ。
敵を倒し、其処に國を創る。
彼等の血に刻まれた武の本懐である。
現代人から見れば、群雄割拠の中世建国時代であろうか?
この様な相手に帝国陸軍の猛者達が窮する訳が無かったのだ。
最初に流れ着いた海岸線より攻め入り、あっという間に近隣の集落を堕として回り、領主の首を取り、一大勢力となった。
そして運が味方したか、軍事行動に必要不可欠である兵器開発とその資源は、
領地内に現地人類亜種であるドワーフなる種族によって克服された。
鉱山資源を早々に手に入れたこと、兵站の確保を意図せずあっさりとやってのけたこと、
精神構造の近い彼らが邂逅したこと、これらは奇跡といっていい。
このドワーフと言う亜人達がなかなかに面白く、陸軍内の鍛冶屋の倅などとは気が合ったという。
酒を酌み交わし意気投合し、やがては国力の要ともなったのだ。
職人という生き物は行き着く先はどれも似た様な者なのだろう。
そして現在…
まだ有るよ