後編
そんな彼の腕に、そっと彼女の手が触れた。ゆっくりと、まるで慰めるように。
イヴォンは慌ててその手から逃れるように離れる。
「お部屋に戻りましょう。夜風は身体に悪いですから」
どうやって周りの従者の目を抜けてきたのやら、この女性は案外強いなと思った。
戻りかけた時、ふいに月が翳った。
「なに、その女。イヴォンから離れろ」
スレヴィの気配に気づけなかった。最近のスレヴィはイヴォンに近い実力を持っている。
そして何故かイヴォンに近づく女性を威嚇するのだ。
「止めろ!、彼女は妊婦だ」
「こんな時間にこんな場所で?、妊婦が?、はっ」
スレヴィの威圧がまともに向けられ、女性はその場に倒れこんだ。
イヴォンは慌てて彼女を抱き上げ部屋へ急いだ。
「スレヴィ、話は後だ!。王宮医師を呼んで来い!」
その日、急な出産となったが、無事に姫が誕生した。
スレヴィは族長から大目玉をくらったが、反省もなく、姿を眩ましたため追っ手がかかることになった。
仕方ないだろう。護衛対象である国王の愛人と姫の命を奪うところだったのだから。
「かわいいでしょう?」
数日後、国王が王族の居室に戻ってから、彼女はイヴォンに赤子を見せてくれた。
母親似の黒に近い茶色の髪と、誰かに似た青い瞳。
「ありがとう、守ってくれて」
イヴォンはただ首を横に振った。あれは自分が原因だ。彼女のお礼の言葉に、心から申し訳ないと思う。
彼女はその後、あまり体調が戻らず、ずっと寝付いたままだった。
子供の面倒を見れるわけでもない彼は、護衛から外れ、たまに彼女からの依頼で話し相手に部屋を訪れるくらいになった。
その子供はシャルネと名づけられた。
案外しっかりと育ち、周りに愛想を振りまき、国王はでれでれになっていた。
何も言わなかったが、庶民である彼女が王宮の中で王族と同じように生活するのはやはり無理があった。
普通の状態ならまだしも、出産を控えた女性は普通でも神経質になるという。
それが今までと全く違う環境に放り込まれたのだから、精神的に疲れていたのだろう。その上での、あのスレヴィの威圧である。一般の人族の女性なのだから無事出産出来たことの方が奇跡的だった。
姫が5歳になる年に、女性は亡くなった。静かな最後だった。
イヴォンは最後に彼女に会った時、「今までありがとう」という言葉をもらった。それ以外は無かった。
「娘を守って欲しい」という話が出ると思っていたが、それは彼女の口からは一切出なかった。
葬儀はひっそりと行われた。
娘を失った剣王の慟哭を、イヴォンはぼんやりと見ていた。しかしその嘆きに、自分自身を重ねていた。
涙さえ流せない自分の代わりに、あの男が泣いてくれているのだと勝手に思って見ていた。
イヴォンは護衛から外れても、遠くからその子供を見守っていた。
「まるで恋人を見る目だぞ」
と、たまに仲間にからかわれたりした。
何を馬鹿なことを、と思ったが、どうやらそれは的外れではなかったかも知れない。恋人ではなく愛娘のようなものだが。
イヴォンはシャルネが15歳になり、王宮を出ることが決まると、その護衛を申し出た。
「次の族長になる者が王都から出るつもりか!」
と高齢となった父親に怒鳴られたが、イヴォンは別にどうでもよかった。
「どこに住もうと自分はダークエルフであり、国王の忠実な臣下です」
何かあればどこにいても駆けつける。ただ、自分が側にいたいのは彼女なのだ。
国王の溺愛を利用し、うまくシャルネの護衛として同行することが決まった。
その時、スレヴィが再び王宮に姿を現した。
「王太子の護衛になりました」
族長にしれっと挨拶に来て、一族全員が驚いた。
王族に正式に雇われたとなると、いくら族長といえど勝手に処分が出来ない。
「……そうか」
スレヴィの処分は取り消しとなった。
15年間も姿を眩ましていたスレヴィは、どうやらずっと王太子の側近に匿われていたらしい。
ダークエルフはその特殊な仕事柄、任務の中身や種族全体の数など、不明な点が多い。
イヴォンは益々シャルネの護衛を強化する必要があると思った。
彼女は歳は若いが聡明で、何より国王の溺愛ぶりが酷い。
上の二人の兄を押しのけて王位に着いたとしても誰も驚かないだろう。
しかし庶子である彼女を王族として認めないという上流貴族も多く、国王は彼女の身を守るため、外戚とし、王位継承争いから外した。
「ふわぁ、やっと父王の束縛から解放されます」
うれしそうにシャルネが笑う。
この辺境の町に来て、彼女は伸び伸びとしている。実際に住めるようになるのはもう少し先になる。
与えられた白い壁の二階建ての館は教会前にある。彼女の護衛と監視のために聖騎士団が動いている証拠だ。
そしてイヴォンは、それに対抗するかのように、何人かの部下を伴ってこの町に来た。
何故こんなに警戒しているかというと、この町にはエルフ族が多いからである。
「新たに西側に高級住宅街を設置する方針です。文官でも安心して住めるようにすれば、高級官僚や王族でも立ち寄れるでしょう」
さすがに自分が危ないからとは言わない。
それにこの町は雪解けの頃にドラゴン討伐祭りが行われる。
「ドラゴンや妖精族に会いたい!」
シャルネの母親譲りの好奇心で、この町に領主として赴任が決まると、それから調査が開始された。
在住の実力者は魔術師が二人、そして聖騎士団に一人。
そのうちの一人はイヴォンのよく知る女性だった。
(元気かなー)というくらいの軽い気持ちで彼女の側を調べると、意外にも結婚していた。
しかも得体の知れない胡散臭いエルフの男性だ。
魔道具で変装し、評判を探る。こっそりと元・弟子であったその魔術師の女性にも会ってみる。
しかしよく分からない。
ドラゴン討伐祭りからこの夫婦はかなり注目を集めているのだ。
イヴォンの弟子である彼女は脳筋魔術師と呼ばれるくらい強い。それなのにその男性は弱いのだという。
そんな男に女性は惚れるのか?。ああ、顔か、エルフだしなーと思うと他のエルフに比べるとそうでもないのだという。
(こんな事は初めてだ)
イヴォンにはエルフ族が分からない。何故か彼らは古来より揉め事を起こす種族なのだ。
シャルネはこのふたりの事を調べ、そして出来るならば仲間、せめて友達になりたいと言い出し、イヴォンはため息をつく。
目の前でガタガタと震えるこの弱い生き物は何だ。
しかしやはりエルフだ、身のこなしは軽い。意外と魔道具や気配察知に聡いのはこの男性の臆病さ故か。
件のエルフを町の隠れ屋へ連れ込んで様子を見る。
ダークエルフを初めて見るのか、変装を解くとかなり驚いた顔をしている。
そしてかなり睨まれた。
敵対するつもりはなかったのだが、弟子の名を出すとさすがに自分の嫁に手を出すなと怒りを爆発させた。彼の中ではダークエルフは危険な種族なのだろう。
仕方なくその辺に転がしておく。
間もなく弟子である脳筋魔術師がやって来た。
弟子は再会を必ずしも喜んではくれない。何故ダークエルフがここにいるのか。不思議でたまらないという顔だった。
色々と事情があるんだよ、と説明し、しばらく護衛することを伝える。
それからイヴォンは、いやイヴォンを始めとするシャルネの護衛一同は、このおかしな夫婦に巻き込まれていくことになる。
ほんっとにエルフというのはやっかいな生き物だ。
「それで、どうしてシャルネ様がどうとかいう話になるのよ」
教会前のグループの館で、こそこそと女子会が行われていた。
フーニャがイヴォンの変貌ぶりに、シャルネの護衛である女性騎士ヨメイアを問い詰めたのである。
事情を知っているであろう同僚のカネルは、さっさと気配を消して姿を隠してしまっていた。下手にしゃべってイヴォンに睨まれることを恐れたのだろう。
「いやー、もうあの腹黒エルフの事は分からん」
脳筋騎士は考えることを放棄している。
フーニャはチッと舌打ちしたくなった。
イヴォン隊長が女性に対して本気にならないのは有名な話だった。
スレヴィという邪魔な存在がその理由だと思っていたが、それ以上にやっかいな存在が居たようだ。
でもまあ、フーニャもお陰で長かった恋心に一区切りつけそうだ。
決して諦めるわけではないが、浮き立つような、幼い気持ちでは決してない。
同じ傭兵の上司として、尊敬し、認められたいという気持ちに変わりは無いのだ。
「でも私ら人族とは違って、妖精族というのは長命なのだろう?」
ヨメイアはその辺りがよく分からない。
自分達の知らない時の流れを生きる彼らには、思いもよらない秘密があるのかも知れない。
「えー、そんなの関係ないんじゃないかなー。人族と同じよー」
怒り、笑い、恋もする。
「いやいや、だって、イヴォン隊長の子供の頃なんて、知ってる者が少ないんじゃないかー?」
そして彼が生きてきた時間の中で、どんな女性とどんな恋愛をしてきたか、誰が知るというのか。
「そこは、そう、ダークエルフだし、分かんないけど」
でもシャルネを見るイヴォンの目がやたらとやさしいのは、護衛対象だから、だけではないという話なのだ。
それをあの腹黒エルフが察知していた。
じゃあ、なんで私にはその辺を隠して、焚き付けるようなことをしたのか。フーニャはちょっと不満だった。
結果的には個人指導を受けることが出来たし、珍しい迷宮の中も探索出来た。
明らかに自分の技能や体力が上がった。
でも、彼はフーニャが失恋することまで想定内だったのかも。そう思うと何だか悔しいのである。
「やあ、ここに居たのかー」
勇者の血を引く人族の男性が突然窓から現れた。
見つけたーと満面の笑みでヨメイアを見る。
この男性はイヴォンと同等の力を持つ。女性の不幸を察知し、助けることが使命だという邪悪な正義心の持ち主なのだ。
「ひっどーい、それの何が悪いのさ」
勇者の血筋なのに邪悪と言われることが不満らしい。
彼は基本、男性には全く興味が無い。
「じゃあ、シャルネ様の事はどう思ってるの?」
王都で散々追い掛け回されたヨメイアは、彼にシャルネの評判を聞いてみることにした。
「誰にでも愛される姫でしょう?。興味ないなあ」
そうだろうね。
「でも彼女の母上なら知ってる。かわいそうな人だったからね」
そしてざっくりと、剣王の娘が国王に見初められた話を語る。そして子供が産まれ、そこにイヴォンが関わっていたことを話し出す。
「な、なんでそんな事まで知ってるの?」
シャルネの護衛の二人が目を丸くする。
「はあ?、うちって由緒正しい勇者の家系なんだけど?」
つまり家柄としては上流貴族に匹敵し、彼の身内には王宮内に顔が聞く者もいるという事である。
「なんかそれって」
「うーん、そうかもねー」
二人の女性の中で、イヴォンの「幼女好き」説が「母性好き」説に変わった瞬間であった。
「クシュン!」
イケメン傭兵隊長がどこかでくしゃみをしていた。
〜完〜