前編
(あの腹黒エルフはどこまで掴んでいるのか)
白い髪に褐色の肌、赤い瞳を持つ戦闘民族ダークエルフの男性・イヴォン。
この国を裏から支えるといわれるそのダークエルフの傭兵隊の長であり、実力者のひとりとしてその力を認められている。
その彼が、渋い、クールといわれるその顔を歪めて考え込んでいる。
「隊長、ご報告です」
部下の男性ダークエルフのカネルがすっと近くに寄って来た。
「何だ?、見つかったか?」
「いえ、あの、土産物店が長期休業の札を出しました」
くそ、先手を取られたか。
魔法剣士の女性と底知れないエルフの夫婦、そしてその二人の子供の双子。あの一家はどこかへ雲隠れしたようだ。
「イヴォン隊長、何があったんですか?」
ダークエルフ傭兵隊の中でただ一人の女性エルフのフーニャは、まだ事情を知らない。
いや、知らない方がいいのだが。
「なんでもない」
言えるか!。想い人をバラされて、逆恨みで探しているなど。
ダークエルフ族は産まれた時から人族の中で暮らしている。イヴォンが産まれた頃はすでに王城の塀の中だった。
その時、妖精族と人族との戦争の最中だった。
イヴォンは最強の戦士の子供として、後世に残すために、ある意味作られた子供だった。
そう、彼の両親には愛情というものが必要では無く、ただ単に力の後継者が必要なだけだった。
やがて長く続いた戦も終わり、大人達は戦争の後始末に追われていた。
王城の中のダークエルフの居住区で、子供達は一まとめにして育てられる。
皆、幼馴染で兄弟のようなものだ。
そしてしっかりと戦闘の基礎を叩き込まれる。
「なあ、次の仕事はいつなの?」
その高い壁から出るには、ある程度の実力が必要となる。
国のために働く、その実力と忠誠心がなければ外での仕事に使ってもらえない。
イヴォンは最年少でその資格を得た。
「あたしも行く!」
「スレヴィはお留守番!」
ぎゃーぎゃーわめく幼馴染のスレヴィを置いてイヴォンは早くから壁の向こうへ出向き、国のために働いていた。
そしてこっそりと、同じ妖精族の捕虜や、隠れている者達を王都から外へ逃がす手伝いをしていた。
その時、何度も罵声を浴びる同胞を見ていたが、彼らは一様に沈黙したまま、妖精族を解放し続けた。
イヴォンは父親である族長に聞いてみた事があった。
何故、理不尽に罵られながら彼らを助けなければならないのか、と。
厳しい指導者という印象しかない族長だったが、意外にもちゃんと答えてくれた。
「ある方からの依頼だからだ」
仕事として請け負ったのだから、それが最優先なのだと、イヴォンは納得した。
壁の向こうへ行くために、まだ見ぬ世界を見るために、子供達は毎日鍛錬する。
「はぁはぁはぁ」
スレヴィは身は軽いが、体力が無い。他の子供達からすぐに遅れる。
「まだまだあああ」
でも人一倍努力するその姿勢をイヴォンは嫌いではなかった。
それにイヴォンは約束したのだ。スレヴィの母親と。
「お願いイヴォン、あの子を守って」
まだ10歳くらいの子供だったイヴォンに、そんな言葉を残し、その女性は亡くなった。
人族は弱い。イヴォンはその時、そんな事を考えていた。
そしてその後、城壁の外へ出るようになると、さらにその思いは大きくなる。
自分達が幼い頃から鍛錬し、力を付けているのに、人族の者達は甘やかされて育つ。
(この差かー)
しかしそれは実は護衛対象となる王族や上流貴族の子弟に限ったことだと、後になって知った。それでもイヴォン達ダークエルフにとっては、普通の家庭さえ生温い。
イヴォンは彼らをうらやましいとは思わない。
何故ならダークエルフは自分の力を高めることを至上の喜びとするからだ。
その頃はまだ、彼はダークエルフと人族の関係をちゃんと理解していなかった。
ただ、弱い後輩のスレヴィを鍛え続けた。他の仲間の誰よりも強くするために。
「お前なら出来る。早く俺の所まで来い」
「うん!」
今思えば、スレヴィを鍛えたのは自分が楽になるから、それだけだった気がする。
イヴォンはダークエルフの青年に成長し、様々な依頼をこなし、国王からも実力者として認定を受けた。
彼の二つ名は『国王の代権者』である。まさに国を裏から動かしていると認定されたのだ。
この国の王はお茶目過ぎる。イヴォンは呆れるしかなかった。
しかしさすがに国民には影響が大き過ぎると、発表はされていない。彼の二つ名を知る者はこの国には僅かしかいないのである。
そんなある日、イヴォンはある人族の女性の護衛を頼まれた。しかも王宮の中で、である。
何故、王宮の中にいるのに自分のような攻撃的な護衛が必要なのか、その人に会うまで分からなかった。
黒に近い茶色のゆるく波打つ髪を肩の辺りで切りそろえ、明るい茶色の大きな瞳がイヴォンを見ていた。
(庶民の出か。それも身重で……)
国王の愛人だった。大きなお腹を抱えていた。
貴族というのはその生まれた家の格だけで上下が決まるそうで、あまり良く分からない。
イヴォンはそんなモノに興味はなかったが、仕事の関係ですべて把握している。
「剣王の娘でな」
当時の国王は40歳で、すでに後継の王子が二人いた。
女性はまだ20歳で、父親は「剣王」と呼ばれる実力者ではあったが庶民である。
それがどうしてこうなったのかは知らないが、どこかの晩餐会で会った覚えがあった。もちろん、イヴォンは警護の仕事としてその場にいた。
庶民である彼女が王宮に入る。しかも国王の子を身ごもっている。
おそらく、他の上流貴族や高位官僚達から狙われる事は分かっていたのだろう。下手をすれば襲ってくるのは同じダークエルフかも知れない。
それがイヴォンが適任とされた理由だった。
よくここまで持ったな、とイヴォンは思った。あの剣王がよく許したものだ。きっと怒り狂ったんじゃないだろうか。
イヴォンは王城の認定の儀で会った、頑固そうな剣士の姿を思い出していた。
普通、貴族以外の女性がこの王宮に入るには、兵士、または使用人として入るしかない。いや、兵士といっても庶民出身の者はかなりの功績がなければ入ることは出来ない。
この女性が王宮で苦労するのは目に見えている。
「イヴォン、彼女の護衛を頼む」
彼は頷くしかなかった。
城壁の内部には町のように、あちこちに兵舎や、行政のための館や、使用人達が住む館などが点在する。
そして一番奥に王族の居住する王宮があり、庭と湖に囲まれていた。
王宮の庭は美しい。大きな戦の間でさえ、その美しさは失われなかった。
「言い伝えでは、あの湖には神が住んでいるそうですよ」
イヴォンは毎日の日課として、彼女と庭を散策する。
「まあ、それは本当ですか?」
見た目は大人しいが、興味のある事についてはキラキラとした目をする、好奇心旺盛な女性だった。
イヴォンは彼女が退屈しないように、色々と興味がありそうな事を調べていた。
脳筋だけでは族長の後継者として相応しくないという理由で、訓練の合間に勉強もしている。
彼女は神秘的なものがお好きなようで、ダークエルフという種族にもかなり興味を示していた。時折、色々と細かいことまで質問され閉口した。
「エルフや他の妖精族も見たことはあるのですか?」
二人だけの時はあまり堅苦しい言葉は使わないと決めていた。
「ええ、色々と」
イヴォンにとっては大戦後に開放していた時の記憶しかない。
当時、彼らは虐待されていたり、牢屋に閉じ込められていたりで、あまり良い姿ではなかった。人族に対する恨みや恐れで表情は暗かった。
そんな事を彼女に話すわけにはいかないので、適当に誤魔化しておく。
「うらやましいです。私ももっと早く産まれていれば会えたかしら」
「きっといつか、ダークエルフ以外の妖精族にも会えるでしょう」
エルフ族なら多少森に残っていたはずだ。
「まあ、本当?。楽しみだわ。ふふ、この子もうれしそうよ」
そういってお腹をさすりながら微笑んだ。
母親と言うのはこういう顔をするのかとイヴォンは不思議に思った。
彼の母親はダークエルフの戦士のひとりであり、父親の部下だ。家も一緒に住んでいるわけでもなく、出会っても話をする事もあまりない。
この人族の女性が、まだ産まれもしないお腹の子供に、やたらと話しかけたり、唄って聞かせたりしているのを見ていると、イヴォンは何やら少し切ない気持ちになった。
同じ王宮の庭にいるのだから、母親に会おうと思えば会えるが、なにやら恥ずかしい気がした。
ただ聞いてみたかった。「母にとって自分はどんな子供だったのか」を。
……彼女のように、愛情を注いだことはあったのか、を。
しかし、それは叶わなかった。
数日後、イヴォンの母親が仕事中の戦闘で命を落としたと知らせが入ったのである。
妖精族であるダークエルフは、その死体を残すことは無い。
自然より生まれ自然に戻っていく。光の残滓となって。
だから人族のような葬儀もない。一族で静かに酒を飲むだけである。
月が昇っていた。
イヴォンは湖の岸辺でひとり酒を飲んでいた。父親である族長のように、一族に囲まれて鎮魂の酒を飲む気にもなれなかった。
供養のための酒など美味しいはずはない。
ぼんやりと湖に映る月を眺めていると、ここに居てはいけない女性の気配がした。
イヴォンが振り向くと、大きなお腹を抱えた女性は罰が悪そうに微笑んだ。冷たい月の光が、そこだけがまるで昼間のように柔らかく見えた。
「えっと、お聞きしました。お母様が亡くなられたと」
イヴォンは立ち上がり、上着を脱いで彼女に掛ける。
「人族と妖精族では死の概念が違います。そんなに哀しいものではないですよ」
彼女は充分長生きだった。尊敬していた族長の子を産み、その子が立派に成長した姿も見ることが出来た。
幸せだったはずだ、と同じ父親の部下である男性ダークエルフから聞いた。
「ただ……、自分自身が母に何もしてあげられなかったなあと」
居住区でよく顔を合わせたのに、挨拶も碌にしなかった。仕事で一緒になっても、ただの上司と部下の立場でしか話をしなかった。
長い、長い時間があったのに。
イヴォンは何故か今頃になってそんな事ばかりを思い出す。
「お母様ですもの、きっと何も言わなくても分かっていたと思いますよ」
そうだろうか。
イヴォンは苦笑いを浮かべるしかなかった。




