97 夜、任せたるはどうしようもない流れ
「でえい!」
十分に声変わりしていない少年の声が、気合を叫ぶ。
それに合わせて白刃が一つ飛来し、俺はどうにか小太刀でそれを受ける。
小ぶりな剣を二本持ったアシュリーは、身を低くして突っ込んでくる。狙いは足か――!?
俺は下がりながら、矢継ぎ早に繰り出されるアシュリーの二刀を受けることしかできない。
防御で手一杯で、攻撃するまでの余裕が生まれない。
……つまるところアシュリーの用事は、真剣での手合わせだった。
場所は屋敷の裏庭のような場所。幹に傷のある木や練習用の木刀などが置いてあるところを見ると、アシュリーの鍛錬場のような場所なのだろう。
魔法の使用はなしで、当然寸止めの試合だ。
俺の使い魔たちは邪魔にならないところで立ち会ってもらっている。
しかし強い。腕力に頼らない柔軟で素早い攻撃と体の運びに翻弄されてしまう。
なまった腕を鍛え直すのに協力してほしいとのことだったが、むしろ魔法なしの条件では俺が鍛えてもらっているみたいになっている。
小太刀で俺自身の身体能力は上がっているはずだが、アシュリーの素早さはそれ以上かもしれない。
速さと手数で主導権を握りこちらの防御を上回ろうとする戦い方は、どことなく杏さんに似ていた。
杏さんの戦い方を見ていなかったら、わけがわからないうちにやられていただろう。でもこのままだとそれも時間の問題か。
俺はいったん大きく距離を取る。アシュリーは追って来ない。
アシュリーは息を整えながら、俺から目を離さないで口を開く。
「楽しいね。なかなか決定的な一撃を入れさせてもらえない」
「俺は家の中でごろごろしてるほうがいいな」
俺は動かない。アシュリーも額に浮かんだ汗をぬぐいながら俺が動くのを待っている様子だ。
「きみは何者なんだ? これだけ質問しても答えてくれない」
「ただの流れ者だよ、本当に」
間違ってはいないが的確ではない答えを返す。
「僕が勝ったら、お願い一つ聞いてくれない?」
「そんなに俺の正体が知りたいの?」
「いや、それは知りたいけど、そうじゃない。それとはべつのお願い」
俺の返答を待たずに、会話は唐突に終わった。
一瞬、アシュリーの右腕が力むのを見極めたのだ。
すぐにアシュリーが踏み込む。
右手に持つ剣の攻撃が来る!
俺はここでさらにアシュリーに踏み込み、その攻撃を受け流して肘打ちでのカウンターを仕掛けようとした。
が、アシュリーは舞うように軽やかな動きで、俺の思惑とは逆の方向に体を運んでいた。
――フェイントか!?
気付いたときには遅かった。
アシュリーの攻撃に合わせようとして、俺は小太刀を自分の左側に突き出していた。引き戻すが、間に合わない。
アシュリーの左手に持った剣が、俺のがら空きになった右胴に吸い込まれていき――寸前で刃は止まった。
俺の完敗だ。
「さすが、私兵団は違うね。しかし三味線なんてずるい」
俺はもろ手を上げて、武器をしまった。
アシュリーは微笑したあと、少し物足りなさそうに剣を鞘に戻した。
「フェイントのこと?」
「いや、さっきの口先のこと。思わせぶりなこと言って俺が返事する前に始めて……」
「そんなの卑怯のうちには入らないでしょ。ていうか稀名、手加減してない? これで雷侯を倒せたなんて思えないんだけど」
「魔法がないとこんなもんだよ、俺なんて」
俺はその場に腰を下ろした。待ち構えたように汗が噴き出てくる。
疲れた。バディを倒した後の連戦だったからか、なおさらだ。
「本当、剣だけだと心もとないわね」
チェルトが呆れたように言いながら近づいてくる。
もともと俺は素人だ。何年も剣を握っている者に、剣術だけで勝てるわけない。
「まあでも楽しかったよ! これならすぐにでも私兵団に復帰できそうだ」
「それはよかった」
「鍛錬、たまにでいいからまた付き合ってよ」
「俺でよかったらね……」
俺は苦笑しながら頷いて続けた。
「お願い、聞くよ。仕方ない」
アシュリーはそれを聞くと、子どものように笑いながら俺の隣りであぐらをかいた。
「僕にも鳥籠破りを協力させてほしい」
「アシュリーは私兵団としてこの町を守っていった方がいいだろ。この町の平和もいつまで続くかわからないんだから」
「もちろんそのつもりだけど、夜だって調査に行ってるんでしょ? 僕の空いている時間にでも手伝わせてほしい。僕らを気遣ってくれているのはわかってる。でもさ、除け者にはされたくないかな」
「除け者になんてしてるつもりはないけど……でもそういうことならいいよ。ただし、お父さんには内緒でね」
俺は頷きながら、アシュリーから目をそらした。
「なんで?」
「秘密にしてることあるから」
「そっか。大丈夫、言わないよ」
「なら助かる」
「……雷侯はもういなくなったけれど、雷侯の野心はまだ残っている。僕はそれを阻止したい。国のために、この町のために、きみに協力したい。それが僕の本心だ」
「アシュリーは立派だな……」
国のために、この町のために、か。
そんな理由で王都襲撃犯に協力したいとは、皮肉な話ではある。
「まあいいか。じゃあ明日はこき使わせてもらうよアシュリー」
「覚悟しておこう」
「ただ俺たちも手を尽くしてるけど、正直なにもわからないんだ。鳥籠を破る手立ては、今のところ発見できていない。お手上げ状態だよ。これもお父さんには内緒ね」
このままバディを倒していくだけでは、根本的な解決にはならない。
アシュリーは少し俯いて考えたあと、ゆっくりと夜空を見上げた。
「……知り合いに聞いてみようか?」
「誰も知らないんだから無駄だよ」
「鳥籠を知ってそうな人物に、あてがあると言ったら?」
「あて!?」
ここ一週間、鳥籠そのものの検証、世論調査、バディ退治とやってきて、それでもほとんど手がかりなんて得られなかったのだ。
当然知っている者も皆無で、雷侯派の信者だって見つからなかった。
それが、アシュリーの知り合いにそんな人物がいるというのか。
「うん、たぶんもうそろそろ、会えると思う」
「雷侯派の信者に心当たりが? それとも、鳥籠を作った関係者でも?」
「そうじゃないんだけど……」
「?」
アシュリーは言葉を濁した。
それから少し考えるように間を置くと、
「どうする? なんなら、きみを連れてくこともできると思うけど」
詳しい説明のないまま俺に問う。
「連れてく?」
「うん、うまく説明できないんだけど……」
「いや、手がかりがあるなら、ぜひ会いたい。その人に会わせてくれ」
煮詰まっているのは確かなのだ。今は何にでもすがりたかった。
「わかった」
アシュリーは真剣な顔でうなずいた。
「じゃあ僕と一緒に寝て」
「もちろん!」
反射的に返事をしてから、言われた言葉を頭の中で理解して、
「…………え?」
俺は間抜けな声を上げた。
……どうしてこうなった?
俺は湯船にハーブかなんかを入れたいい匂いのする浴場で汗を流してから、アシュリーの部屋まで行った。
どうしてこうなった?
いや、俺が流れでホイホイ承諾しちゃったのもいけないんだろうけど。
あの提案は、べつに深い意味はないんだと思う。ないと思いたい。
頭の中で変なアスキーアートが大量発生している。やめろやめろ。アシュリーは友達だ。
何か積もる話とかでもあるのだろう。しかし怪訝に思わずにはいられない。アシュリーの提案の意図が読めない。
「チェルト、俺はどうしたらいいと思う?」
「私に言われても知らないわよ……」
チェルトは腕を組みながら困ったように言った。
彼女は案外喜んでそうだと思ったけどそうでもなかった。すこし呆れ気味でもある。
腐の波動に目覚めたんじゃなかったのか。それはそれで安心した。
アシュリーの部屋はすでに薄暗かった。月の光が部屋内を照らしている。
中は簡素なものだった。
部屋内は整然と片付いていて、必要なもの以外は置いていない。
ただ机の上には、十冊以上はあるだろうか、分厚い古そうな本が所狭しと重なっていた。
たぶん彼なりに鳥籠のことを調べてくれていたのだろう。
「その、寝る前にこれがどういう意味を持つのか教えてほしい。なぜ鳥籠についてアテのある人物に会うためにはアシュリーと一緒に寝なきゃいけないんだ?」
「ああ、そうだったね。ええと、どう説明していいのか……」
ベッドに腰かけるアシュリーの前で、俺は戦々恐々だった。
枕はしっかり二人分用意されていた。さきほどメイドさんに持ってきてもらったのだ。
俺は仲良く並んだ枕を見つめながら、覚悟を決めるまで、アシュリーの対面に立ったまま話す。
やはり、いや、まさかとは思うが、アシュリーはそういう趣味だったのか?
そうなのか?
違うと思いたい。
そんな俺の心情を知らないアシュリーは、言葉を選びながらゆっくりと答える。
「僕、眠っているあいだに精霊と話ができるんだよ。夢の中でね。その精霊はいろいろと物知りだから、もしかしたら鳥籠のことも知ってるかなって思ったんだ」
「精霊の夢?」
「そうそう。今日みたいに月の光が強い日に、見ることがあるんだ。しばらく会えなかったけど、そろそろ会えると思う」
「それはただの夢じゃなくて?」
「僕が教団に拉致された理由がそれなんだ。昔語りに登場するオクターヴ・ブランシャールは、夢で未来を見ることができた。予言者だったんだ。彼も、たぶん精霊に何か教えてもらっていたんだと思う」
「なるほど……」
彼の言いようなら本当に精霊に会っているのかもしれない。
よそ者の俺としては『まつろわぬ王と七人の家臣』の昔語りとか半分くらい脚色だろと思っていまいちピンとは来ないけれど。
でも俺も朦朧とする意識の中で会ったことあるからな……きのこの神様に。
俺が毒キノコを食べて生み出した幻覚じゃなければ、だけど。
「とにかく僕は夢で精霊に会うことができるんだけど、近くで寝ている人も一緒に連れていけるんだよ」
「そうなの?」
「せいぜい一人か二人だけどね」
「なるほど」
俺は納得したように言った。
少し安堵した。そういうことなら全然いいのだ。
それがアシュリーの特別な力なら、信じてみよう。おおいにその力を貸してもらうとしよう。
「そういえばクローディアも、ミル・グラードっていうのと能力が似ていたんだっけ。手を使わないで物を動かす力……?」
俺は昔語りを思い出しながら尋ねると、アシュリーは頷いた。
「元ネタのミル・グラードはもっといろんな魔法が使えたっていうけどね。箱の中に入った物が何か言い当てたり、その箱の中の物を別の物に変えたり……」
それは、魔法なのだろうか?
考えると、すぐに俺がいた世界でも似たような能力があったことに気付いた。
「つまりはサイキッカーか……! いろんなのがいるな」
「サイキッカー?」
「俺のいた世界だと、クローディアの持つ力は魔法じゃなくてサイキック――正確にはサイコキネシスか――って言ってたんだ。箱のものを言い当てるのは透視で、箱の中身を入れ替えるのはテレポーテーションやアポートで……そういう力を操る人を超能力者とかいうんだ。まあこっちのことだから気にしないでいいよ」
「?」
超能力なんて俺は眉唾だとは思っていたけれど、この世界には実際にいてもおかしくはなさそうなんだよな。
「話がそれたね」
とアシュリーはベッドに腰を下ろしながら言った。
「早くベッドに上がりなよ。立ったままだと疲れるでしょ?」
「しかし何か納得がいかない」
「べつに男同士なんだから構わないだろ……まさか、稀名」
「いやいやいや、そんなわけない。だから引かないでくれ」
俺は苦笑しながら、いそいそとベッドに上がり仰向けになる。
「そういうことならさっさと寝よう」
「で、聞きたいんだけど」
俺がベッドに横になるや否や、同じように隣で横になったアシュリーからからかうような口調で質問が飛ばされた。
「……あの子たちの誰が稀名の恋人?」
「あのさ、なんでそんな話になるの?」
「だって気になるじゃない」
「寝る気ないだろアシュリー」
天井を見ていた俺は、ため息交じりにアシュリーを見た。
「っ!」
そして息をのんだ。
いたずらっぽく笑いながら艶のある瞳を向けてくるアシュリーは、月明かりに照らされて、あまりにきれいだったのだ。
枕の上でこぼれる短いブロンドの髪も、聞こえる息遣いも、やたらと色っぽい。いい匂いもする。
だが男だ!
「こっ」
今度女装してくれ。
言いそうになって、俺は口をつぐんだ。
そういえば魔法少女の衣装まだ取ってあるよな……着ないでしまったままにしておくのも荷物になるしもったいないな。
なぜ俺は今そんなことを考えているのか。やめとけ。これ以上は危険だ。
しかしそもそも美人のクローディアと似ているのだから、アシュリーも美人であることは否定できない事実だ。だからどうだってわけではないんだけれども。だから、どうだってわけではないんだけれどもね!
沈黙して考えを巡らせていると、
「ごめん。こんなに仲良くなった友達って初めてだから……少し調子に乗った」
声を落としたアシュリーの声が聞こえる。
「色恋とかじゃなくて、いろいろ事情があってきみたちが一緒にいるのはわかってるから」
「い、いや、俺もこういう話は全然したことないし、なんて言っていいかわからなくてさ。あと、彼女たちとは、そういうんじゃないんだ」
「え? そうなの? やっぱりきみ……」
「だから違うって」
ほかに選択肢がなかっただけだ。否応なく一緒にならざるを得なかったのだ。
もっとも、俺はそれで納得してるし、これからもこのままでいいと思っている。彼女らはどう思っているかわからないけれど。
ただクーファだけは、気まぐれで一緒にいるだけだろうな。
「いいから寝ようアシュリー」
戸惑っている顔を見られたくなくて、俺は仰向けになった。
天井を見ながら、俺は深呼吸する。
――寝れない。
圧倒的に寝れない。
緊張している。
いかん。
隣で横になっている友人の存在感が大きすぎる。
アシュリーがきれいすぎて――だめだ、きれいとかそういう発想はやめよう。
「なんか寝れない……」
アシュリーのつぶやきが聞こえた。
えっと、俺たち、なんで一緒に寝てるんだっけ?
そうだ、鳥籠に心当たりありそうな精霊に会うためだ。
目的を見失っていた。
「じゃあ、強制的に眠りにつかせます」
「強制的に?」
「はい」
相手を意識しすぎているせいか俺は妙にかしこまって、小太刀を召喚した。
俺とアシュリーに向けて風を吹かせて、緊張を解き、さらに意識の深度を下げていく。
「…………」
やがてアシュリーの寝息が聞こえてきたのがわかって、俺もまもなく眠りに落ちた。




