92 次なる潜伏先
クーファの進路は、アシュリーたちの故郷コンスォへと向けていた。
「わけがわからないけれど、とにかく落ち着きたい場所を探すなら僕らの家に来ればいいよ」
というアシュリーの提案からだった。
ローコクの騎士パトリックがクーデターの首謀者で、今まで信じていた魔族などはどこにもいなくて、隕石が降ってきたのかと思ったら巨大な人工精霊で、いきなり空に鳥籠みたいな黒い檻が出現して……そんな天変地異みたいな出来事が立て続けに起こったらもはやわけがわからないとしかいえないだろう。
いったん休める場所がほしかった俺たちは、アシュリーの提案に甘えることにした。
到着は翌日の明け方になった。
コンスォはローコクと王都の中間ほどにある小さな町だった。
どうやらこの町はまだバディの襲撃を受けていないらしい。
ただ町全体は緊迫していて、人通りは少ない。
空の異変に誰もが怯えている。日常生活なんて遅れるはずがない。
アシュリーについていくと、明らかに周りとは違う豪邸たちが立ち並ぶ住宅街の一角に来る。
道も整備されていて、通りを行く人たちもどこか上品だ。
やがて広い中庭と木々に囲まれた、ひときわ大きな石造りの屋敷の前に到着する。
「着いたよ」
なんて当たり前のように言うアシュリーのあどけなさが、どこか憎たらしくなった。
なんつう裕福そうな家に住んでいるんだ、こいつは。
いきなり行方不明だった二人が朝っぱらに帰って来て、屋敷はにわかに騒がしくなる。
「アシュリー? クローディアなのか? よく無事で戻ってきてくれた。どこも怪我はないか?」
立派な口ひげを蓄えた男の人が、自宅に帰ってきた二人を泣きながら抱きしめた。
どうやらお父さんのようだ。心なしかやつれているように見える。
「彼らが助けてくれたんだよ」
アシュリーは俺たちを父親に紹介する。
「ど、どうも……」
父親は俺たちを見て目を丸くしたが、やがて笑顔に戻り、
「ダレン・コルドウェルです。うちの子を救ってくださってありがとうござます」
頭を下げた。
「ひとまずは中へどうぞ」
アシュリーたちの父親……コルドウェルさんは、俺たちを中へ招き入れた。
使用人たちに挨拶されながら、屋敷内の広間へと案内される。
食事をするような場所なのか、中心には大きなテーブルが置かれ、周りには高価そうな椅子が並んでいる。
壁沿いに置かれている外国の物産品らしき壺や地球儀のような球体の置物がお金持ち感を引き立てる。
「クローディアさん、こんなにいい家の生まれだったのですね」
「い、いちおうお父さんが役人だから……」
ウルが感心しながら言うと、クローディアは取り繕うように答えた。
「これからどうするつもりだ?」
なりゆきでついてきた隊長さんが声を潜めて俺に確認する。
「とにかく、あの鳥籠みたいな檻をどうにかしないことには始まりませんよ」
ラーガ教団の信者たちのいる第二本部とも連絡が途絶えてしまった。
どうやら本部は鳥籠の外にあるらしい。
鳥籠の外へは、魔法での移動や、直接的な移動も不可能だ。
本部と連絡が取れなければ、俺の考えていたニート計画も実行できない。
なんとしても外へ出なければ。そう、なんとしてもだ。
「どうにかしてくれなければこちらも困る。国へ帰れないし、きみに報酬を支払うこともできない」
隊長さんは、何やらトゲのある口調だ。言葉のあちこちに、憤りのような感情がみられた。
「とりあえずはアシュリーの家で休ませてもらいます。それから檻を破壊して外に出ましょう」
「そうだな、そうしてくれ」
「……なんか怒ってます?」
「すまない、違うんだ。焦っているんだよ。なにもできない自分が憎い」
隊長さんは眉間にしわを寄せながらかぶりを振った。
そりゃこんな状況で、平静でなんていられるわけがないか。
「みてみて! この前ローコクで買ったポーチ!」
弾む声がした方向を見ると、レルミットは腰に付けたポーチを楽しそうにネミッサたちに見せていた。
隊長さんとは違って、レルミットは気楽そうだな。
「この色違いのやつもあってね、それも買っちゃった! いやー、ウィズヘーゼルにいたときにある筋から臨時収入が入ったもんだからさ、奮発しちゃったよ!」
ある筋……? 臨時収入ってなんだ?
ウィズヘーゼルにいたとき……?
って、情報料として差し出した俺たちの初給料じゃないか!
「かわいい。これはどっちの柄もほしくなっちゃいますね……」
ネミッサもポーチをまじまじ見て頷いている。
いや、同じの二つもいらなくない? 一つあればいいじゃん。
しかし俺たちの初給料がこんなところで消えていたのか……衝撃の事実だった。
「私もあいつのようにお気楽な頭でいられればいいんだが」
「いや、隊長さんは隊長さんのいいところがあるんですから、そのままでいてください……」
ショックを受けながら目をそらすと、クーファはお疲れのようで横になって床に突っ伏すように眠り込んでいた。
ウルはクローディアやアシュリーと何やら話している。
周りには使用人が何人か立っていた。
「――神無月稀名さんは少しこちらへ」
名乗ってもいないのに、コルドウェルさんは俺を呼んで別室へ促す。
ウルとネミッサが気付いてこちらを見たが、俺は「大丈夫」と言うかわりに頷いた。
コルドウェルさんの私室か書斎か何かだろうか、大きなデスクと本棚が置かれた十畳くらいの部屋だ。
「狙いはなんでしょうか。うちの財産ですか? うちの子たちには、なにもしてないでしょうね?」
顔色の悪いコルドウェルさんは、俺と二人きりになると恐る恐る尋ねた。
『殺すか?』
印の中に入ってくれていた黒竜は物騒なことを提案したけど、もちろん却下だ。
「やはりわかりますか、俺のこと」
「有名人ですからね。あの子たちはまだあなたのことを知らないでしょう?」
「知らないですね」
ただまあ時間の問題ではある。
「こんな非常事態に、なぜかうちの子があなたに助けられて帰ってきた。わけがわかりませんが、好意的にはとらえられません」
「アシュリーたちは友達です。何もしていません。安心してください」
俺はとっさに言いつくろった。
「この家に対して、俺たちは何もする気はありません。事情をお話しします。ですから、本当に、休息のための一日だけでいいので、ここに置いてくれませんか。信じてくれ、なんておこがましいかもしれませんけど」
「……こんな状況ですから、私が黙っていればおそらく問題はないでしょう。さらわれたあの子たちを助けてくれたのは本当のようですし」
とコルドウェルさんは、少し考えた後に答えた。
「ありがとうございます」
「幸いなことに、国は混乱中で『神無月稀名』どころではありません。町の者たちは世界の終わりだと絶望しています。ほかの町や王都からの連絡を待たないと、何が起こっているか把握するのもままならない。私もすぐ仕事に出なければならない。ここはまだ平和ですが、いつ暴動が起きるか……」
「確かに、たぶん、ほかの町はもっとひどいことになってると思います」
「とにかく、うちの者には危害を加えないこと、騒ぎを起こさないことと、町中に出ないこと――この三つを守っていただければ、私たちはあなたの勝手を止めることなどできません」
コルドウェルさんはぐったりしたように、もたれかかるように椅子に座ってうつむいた。
勝手を止めることはできない、という言い回しはせめてもの皮肉だろうか。
「この国は、今バディ――魔族に襲撃されている最中です」
俺はコルドウェルさんをどうにか安心させようと続ける。
「何が起こっても不思議はないでしょうが、もしこの町が襲われるようなら、滞在中に俺たちが守ることだってできます」
「お気持ちだけ、受け取っておきます。確認ですが、」
とコルドウェルさんは俺に目を向ける。
「あなたの仕業ではないんですね?」
「それはもう断固として否定します。俺たちだって何が起きているのか、半分もわかりませんので」
厳密にいうと一枚噛んでます、とは言えなかった。
「とにかく、俺たちはあの鳥籠を破るすべを探すつもりです。俺たちだってあんなのが出てきて困っているんです」
「あの鳥籠を破る? 可能なのですか?」
「ここで休ませてもらったあと、方法を探りに行くつもりです」
コルドウェルさんの顔が、生き返ったかのように引き締まっていく。
「神無月さん、提案なんですが」
「な、なんですか?」
なんだ? 何かスイッチを入れてしまったのか? また俺は余計なことを言ってしまったのか?
頼りなさそうなおじさんから一変、コルドウェルさんは目をぎらつかせて俺に言った。
「ここにはいくらでもいてもらって構いません。ぜひ私もその鳥籠破りに協力させていただきたい」
「へ?」
やっぱり何かスイッチを押してしまったみたいだ。
「いや、俺を置いておくって意味を理解してますか? デメリットしかないような……」
下手をしたらコルドウェルさんも犯罪者扱いになってしまうのではないだろうか。
「リスキーなのは承知の上です。しかしこんな事態だ、いくらでもごまかしは効きますよ。あなたはここを拠点として、鳥籠破りに臨んでほしい。衣食住の保障に、必要なら資料や資金の提供もしましょう」
「……なるほど、そういうことですか」
宿と必要なものは用意する。その代わり国の危機を救うという手柄をわけてほしいと、そういうことなのだろう。
手配犯神無月稀名の悪名は知れ渡っている。
白竜をそそのかして王都を襲撃し、魔女ネミッサと協力してウィズヘーゼルを滅ぼした、その実力をコルドウェルさんは利用しようとしている。
もし鳥籠破りに成功すれば、コルドウェルさんは国を救った偉業を讃えられることになる。俺の力で鳥籠が破れなければ、すぐに俺を追い出せばいい。アシュリー達を人質に取られていたと言えば言い訳も効く。
「ただし情報の共有を条件にしましょう。この状況ゆえの共同戦線ということで、どうです神無月さん?」
「衛兵が来てもかくまってくれます?」
「もちろん。あらゆる手を使ってあなた方を守ります」
コルドウェルさんは即答した。なんというしたたかで欲深な人だろうか。
会った直後のやつれたような弱々しさはもうどこにもない。
コルドウェルさんは立ち上がると、俺に握手を求めてきた。
俺は迷わずコルドウェルさんの手を取る。
できる限りお互いを利用し合う。
契約の成立だ。




