9 水浴びと余計な先入観における衝撃の事実
降り立つとそこは案外荘厳な空間だった。
陽光をキラキラ乱反射する水面、むせかえるくらいの濃厚な緑と土のにおい。
樹齢何年だってくらい太い幹の樹木が点在していて、鳥か何かのさえずりがどこかで聞こえる。
湖の水も澄んでいて、きれいな紺碧色をしている。
ここでバーベキューとかしたら最高だろうなぁ友達いないけど、と思っていると、ふいに巨大な塊が水の中へ飛び込んでいった。
静かな空間をつんざくバッシャバッシャとした水の音。
驚いた鳥たちが休んでいた木々からバサバサッと慌てながら空へ舞い上がって行く。
「――水じゃー水じゃー!」
「おい千十八歳! その巨体ではしゃがないでくれます!? 大人気ないってレベルじゃない!」
波立って水めっちゃあふれてるし。
跳ねた飛沫が豪雨みたいになっちゃってるんですが。
「あーもうビシャビシャだよ……」
全身ずぶぬれで気持ち悪い。
「ウルもあれだったら遊んで来れば?」
提案しながらウルを見て、俺は全身硬直した。
ウルも俺同様濡れてしまっている。
濡れそぼった布が肌に張り付いて、体の輪郭を際立たせていていた。
着ているのが薄い布一枚しかないから、うっすらと透けてもいる。
「いえ、私は離れて見ていますので……」
しかも本人はまったく気付くそぶりはない。
正直裸よりもエロかった。
異世界に来てよかった!
「私の体で水を穢してしまったら申し訳ないですから」
「大丈夫でしょ。せっかくだし体洗ってくれば?」
感動しながら、俺はおもむろに着ているシャツを脱ぐ。
どこか木の枝か何かに吊るして……俺の剣の風で乾かせばいいな。
茂みに入ろうとすると、はしゃいでいる巨体から野太い声。
「――稀名よ、わしは今すこぶる機嫌がいいぞ!」
「うん、見りゃわかる! ドン引きするくらい機嫌いいね!」
一番年配の奴が一番騒いでいるというこのダメさ加減。
遠慮とか自重とかそういう考えはないのか。
「――せっかくじゃから、わしのとっておきの魔法を見せてやろう」
「あー銀が形変えるやつ? たしかに応用次第では宴会芸にもなりそうだけど」
「――いや、それとは違う魔法じゃ。今からやるのは回復魔法じゃ」
「ほおー、回復魔法。そんなのもあるんだ」
「――ただしその辺の精霊の『ヒーリング』とは比べ物にならぬ回復魔法じゃがな」
「おおっ、なんかすごそう」
調子をよくしたクーファはウルに顔を向けた。
「――ウルよ、こちらに来るのじゃ」
「……? なんですか?」
兵士に捕まっていた時についたのか、ウルの体には細かい擦り傷がついていた。
あと両親から虐待でもされていたのか、細かい傷跡もある。
治してくれるならすごくありがたいな。
「――『天国の露』!」
クーファが魔法を唱えると、ウルの周りに細かい水の粒がいくつも現れた。
見慣れない光景に、ウルはぎゅっと目をつむる。
水の粒はウルの体じゅうの表面へ、結露がつくように無数に張り付くと、一斉にはじけた。
「……おおっ! 傷が癒えていく!」
水の粒ひとつひとつからほのかに心地よい光が瞬くと、ウルの負っていた傷はたちどころに治ってしまった。
「いっ、いや、違う! これは!」
「……?」
ウルはまだ自分に起こった変化に気づいていない。
治ったのは、傷だけじゃなかった。
体の汚れも払われていて、髪もトリートメントをしたようにきらきらと輝いていたのだ。
「――見よ、このよみがえった色つや!」
「す、すげえ! 髪の毛のキューティクルも復活した!? お肌も心なしかトゥルントゥルンに!」
俺は思わずウルのたおやかな髪に触れ、肌に指を這わせていた。
ずっと撫でていたいほど触り心地がいい。
「……あうっ。ど、どうかされましたかご主人様……?」
「どうされたも何も、かなり見違えたよ!」
さらふわのストレートに、うるおいを取り戻したすべすべの肌。
すり傷や垢で汚れた奴隷の風情なんてどこにもない、かわいらしい美少女がそこにいた。
化粧なんてしてないのでナチュラル百パーセントの美しさ!
いや、やはり元のかわいさを完全に取り戻したといったほうが正しいか。
「――あらゆる傷を癒し最高のコンディションに持っていく水の粒、それが『天国の露』じゃ!」
「竜さんすごい! 肉体的な怪我はもちろん、ダメージヘアもカサカサお肌も、これ一発でおさらばできる!
「――そう、これが白竜の超絶ヤバい魔法じゃ! ほかに使えるものはこの世におらんぞ、讃えよ人間!」
「ははぁーっ」
史上最大級のドヤ顔を見せるクーファに、全力のDOGEZAで返す俺。
ウルはというと反応に困っていた。
「――では水浴びの続きじゃ!」
「よっしゃー!」
ノリでクーファと水をかけ合う。
ばっしゃばっしゃと水が無秩序に跳ねる。
なんだろう。
なんかすごく楽しくなってきたよ。
水浴びってこんな楽しかったっけ?
あ……でも俺無一文だった。思い出した。
テンション高くても悲惨な現実を実感するととたんに萎えるな。
「そうだ、その回復魔法俺に教えてよ。一攫千金狙えそうな気がする」
異世界初美容エステで大儲け……うん、悪くないな。
「――いや、人間のおぬしに教えても発動はできんじゃろ。基本人間は魔法使えんからの」
「へえ~そうなんだ…………へ? 今なんて?」
「――いや、昔はある程度使えたが、今の人間は魔法使えんじゃろ」
「はああああ!? それ本当!?」
嘘だと言ってくれ!
ここは剣と魔法と夢と希望のRPGライクな異世界じゃなかったのか。
いや、こっち来てこのかた夢と希望は全然見当たらないんですけどね!
「――精霊や幻獣を使い魔にできれば、そこから力を借りて魔法を使わせてもらうとかならできなくもないじゃろう。じゃが何の力も借りず自力で習得することはほぼ不可能じゃ」
「精霊ってどこにいるの」
「――そのへんにいるぞ。使い魔になってくれるかどうかは知らぬが」
「よし、あとで探しに行こう」
町を確認しに行ってからね。
俺は水から上がった。
茂みに隠れて下のジャージも脱ぎ、枝にかけて小太刀の風を当てる。
うん、陽の光のおかげで早く乾きそうだ。