89 夕闇の遭遇戦(2)流動するパトリック
周囲がざわざわとしはじめる。
町の住民や衛兵たちが、遠巻きにこちらを見ている。
パトリック・ラザフォードらしき人物と、王都襲撃の凶悪犯神無月稀名らしき人物が対峙しているのを。
「もう先ほどのようにはいかん。神無月稀名――私の予定はすべて貴様を殺すために使わせてもらう」
「なぜ生きて……いや、それより、霊符を使って移動してきたのか?」
俺は小太刀を出して身構えた。
どう見ても『流動する髄』と融合しているように見える、その人物と対峙する。
「霊符? なぜそんなもの使わなければならない? 地下から地上へ上がってくるだけなのに、そんなものは必要ない」
「地下から地上へって、まさか――」
さっきの爆発音は、地上へ脱出するために地下の天井を破壊した音だったのか。
パトリックは返事をしなかったが、肯定するようににやりと口元を綻ばせた。
だとしたら、ウルたちのいた第一本部は、ここに、城の地下にあったっていうのか!?
「……どういうことだ? 本部で雷侯を倒したのではなかったのか?」
隊長さんが感情のない口調で質問をする。
疑いと殺気をはらんだ目だ。
「どうやら倒しそびれていました。そして教団の本部――定例集会が行われていた場所は、城の地下にあったようです。ウルが監禁されていた場所でもあって、幹部たちは霊符で移動してて……」
「なるほど。こんな近くに教団の本部がな。城の地下……道理で今まで見つからないわけだ。隠れるにはうってつけだな」
俺が事情を説明すると、隊長さんは納得してくれた。
少しホッとした。隊長さんは俺まで殺しそうな雰囲気だった。
「レルミットを証人に送り込むまでもなかったな。感謝するぞ神無月君。ここでパトリックを殺せば――我らの報復は実を結ぶ」
「隊長さんは逃げてください」
「ラフォルスがやられたんだ、黙っているわけにはいかない」
「そうはいっても――!」
話しているとパトリックの化け物のような左腕が伸びて来て、俺はとっさに隊長さんを突き飛ばした。
だが隊長さんの右手が、ドロドロの左腕の爪に一瞬触れた。
「ぐああっ!?」
隊長さんの顔が苦痛にゆがむ。
見ると、泥に触れた手首から先が、絞られたようにねじれていた。
指の先はほとんどねじ切れていて、ひどく出血している。
触れただけでもこれか……さっきまでの『流動する髄』とは違う!
「はははっ、これが完成された『流動する髄』の力か! 『愚臣』の魔力を取り込んでなくてもこの完成度……すばらしいぞ!」
パトリックは酔いしれたように笑った。
「……あの時の胸に刻んでいた魔法陣は、自爆ではなく『流動する髄』と同化するためのものだったのか?」
「人間を精霊化させることこそ、人工精霊研究の本質だからな!」
「永遠に近い命を欲してそこまで身をやつすか……おろかじゃな」
クーファが嘆息して言った。
「アシュリーはクローディアを連れて安全な場所へ逃げろ。俺は大丈夫だから」
「わ、わかった。任せるよ」
アシュリーはクローディアと一緒に素早く身をひるがえす。
「隊長さんもレルミットを連れて下がっていてください。パトリックはもう人間の手に負える相手じゃ――!」
言っているうちに追撃が来る。
避けようと思ったが、ふらついて思うように身体が動かないことに気付いた。
疲労しすぎている。俺は悲鳴を上げて苦しんでいるように震える膝を手で押さえた。パトリックの攻撃に、うまく反応できない。
「くそっ、本部での戦闘が祟ったか……!」
伸びる化け物の腕が迫りくる瞬間――目の前に黒い壁が突如聳え立って、化け物の腕と衝突した。
「!?」
化け物の腕は壁に激突した瞬間泥に戻ってはじけるも、またパトリックの腕の部分に同じような形状のものが生えてくる。
続けざまに腕が伸びてくるが、それも次々突き出す黒い壁が自動で防いでくれる。
「この壁は――黒い鱗か?」
俺は何もやっていない。
黒竜だ。黒竜が俺へ降りかかる危険を察知して、能動的に『黒妖鱗』で防御してくれているのだ。
黒い壁は鱗のようにごつごつした破片が一体化しているような形状で、群生する鉱物のように地面から生えていた。
「こいつを殺せばいいのだな、あるじよ」
俺の傍らには、いつの間にか長い黒髪の男が立っていた。人間バージョンの黒竜だった。
目の下にやや深いクマのようなものがあるが、寝不足とかではなくそういう顔つきなのだろう。
「なんていうか、頼もしいな」
「そうだろう」
さっきまでこの黒い鱗に殺されそうになっていたからか、すごく不思議な気分だった。
だからこそ心強いというのもあるけど。
「しゅわっ、しゅわっ!(マスター、こいつは我を奇怪な腕に閉じ込めた輩だ。我が相手をさせてもらう)」
しゅわちゃんも出てきて、身体じゅうに電気を帯電させながらパトリックをにらみつける。
「ふん、おぬしらは稀名を守っておれ。奴はわしがやる」とクーファ。
「なにゆえ貴様のようなものの言うことを聞かねばならん」
クーファの言いように、黒竜が反論した。
「お前よりわしのほうが強いからじゃ」
「ほう? ならばどちらが強いか比べてみるか?」
「今この場でか? アホかおぬしは」
クーファはなんだかイライラしている様子だ。
「わ、私だってやるわよ」
とチェルトも前に出ようとするが、その肩をしゅわちゃんが掴んで止めた。
「しゅわー(下がっていろ、かわゆきものよ)」
「なんか引っかかる言い方ね。私が役に立たないとでも?」
「しゅわしゅわ(ここは我が前衛にいた方が効率がいい)」
パトリックを誰がやるかでもめるクーファたちを見て取って、「おいおい」と青いツチノコの形をしたコルが呆れたようにかぶりを振った。
「お前らケンカしてる場合か? こんなときにしょうもねーぜ」
「蛇は黙ってろ」
「あ?」
「あ?」
「ケンカしないでくださいよう!」
ネミッサが全員を諫めようとするが、誰も聞いていない。
ウルはウルで黙ってパトリックを観察しながら打開策を練っていた。
協調性ないなぁ。
――泥の腕で攻撃していたパトリックに、突如巨大な剣が降り降ろされた。
クーファの『白銀の細工師』で作られた五メートルあまりの巨人が、巨大な剣を振り下ろしたのだ。
剣はパトリックを一刀両断した。
「無駄だ」
パトリックは縦半分に両断されたまま言うと、振り下ろされていた巨大な銀の剣を取り込んでバラバラにねじ切った。
「泥に銀は効かんようじゃな」
舌打ちしながら、クーファは呟いた。
「抜け駆けか白竜」
「やかましいわ」
黒竜がクーファに文句を垂れている。
「不本意だが、どうやらきみらに任せた方がいいらしいな」
立ち向かおうとするレルミットを押さえつけながら、隊長さんが下がっていく。
「パトリック様、ここは私が」
そうこうしているうちに、アデルバートさんが精霊兵器の武器を身に着けながらパトリックのもとに駆け付けた。
精霊兵器である剣のついた盾を両手に構える。
私兵団の兵たちも一緒だ。
兵たちは地面に広がる『流動する髄』を踏んでもなんともなさそうだった。どうやら泥の攻撃は敵味方を識別できるらしい。
「アベル様だ! アベル様も来てくれたぞ!」
「ではやはりパトリック様が賊を退治しようと!?」
遠巻きに見ていた民衆は、しだいに状況を把握してくるとパトリックに声援を送り始める。
「心配させてすまない! 賊は私が退治する! 皆は安全な場所へ逃げろ!」
パトリックが叫ぶと、さらに歓声が上がった。
「おおおっ!」
「パトリック様がんばれ!」
「悪い奴らをやっつけてください!」
逃げるものはわずか。誰もパトリックのことを疑わず、この場をすぐに収めてくれると信じている様子でとどまっている。
私兵団がやってきたからか、数ではパトリック側が上回った。
「アベル――アデルバート様、でいいんですよね。……なんてこと」
俺から話を聞いていたネミッサは、教団に味方する故郷の騎士の息子をいまだに信じられないような目で見た。
「かかれ!」
号令とともに一斉に突撃する兵たち。
地面には、すでに黒い鱗がヒビのような筋をつけている。
そこにしゅわちゃんが電撃を流し、あっという間に筋を踏んでいた大多数を感電させた。
「しゅわしゅわ(なんだこの示し合わせたような合体技は)」
「俺も、まるで今までずっとこういうことをしてきたみたいに勝手に動くことができる。なぜだ」
互いに力を合わせて攻撃しておいて、しゅわちゃんも黒竜も信じられないといった風だ。
まあ今までそうやって使われてきたからね。
「殺してない?」
「しゅわー(動けなくしただけだ。生殺与奪の権利はマスターに委ねる)」
兵たちはその場に倒れて痙攣している。
残ったアデルバートとわずかな兵が、それでもこちらへ迫る。
「『心枢霊轄』――疾く成せ、獣王の爪牙!」
言葉の魔法を紡いだネミッサが、持っていたクォータースタッフを巨大な両手持ちの大剣へと変化させる。
白狼のバラムとの連携だろう。
心枢霊轄は使い魔を武器と融合させることによって真価を発揮する精霊兵器に似た魔法だ。
「稀名さん、この人は私が引導を渡します」
ネミッサが軽々持つ大剣から、白い靄のような塊が噴出する。
靄は、狼のような獣の形状に変化していく。何十匹にもなった白い獣が、兵士たちを次々襲う。
「効かぬ!」
それでも精霊兵器を使い、見えない壁を作りながら突出するアデルバートさん。
「『心枢霊轄』――疾く成せ、流水の刃」
次に変化したのは巨大な青い槍だった。
以前に見たことがある。河川の精霊であるコルとの連携だ。
彼女はこの瞬間を狙っていたのだ。アデルバートさんが突出する瞬間を。
アデルバートさんの盾付き剣が届く直前、足元を中心にして水柱が立ち上がった。
水柱は発生したそばから凍り付き、アデルバートさんを巻き込みながら氷結する。
できたのは巨大なオブジェのような氷の塊だ。
とっさに自分の周りに空気の壁を作ったアデルバートさんは、そこに閉じ込められたようにわずかな身動きしか取れなくなっている。
「あなたは責任をもってウィズヘーゼルの騎士ガルム様……あなたのお父上に引き渡します」
そして凍結はアデルバートさんのみならず、足元に流れつつあった『流動する髄』さえ凍らせていく。
「――!」
パトリックが反応したが、もう遅い。
瞬く間に『流動する髄』と化したパトリックを凍結させた。
「そんな……パトリック様!」
周囲から悲嘆の声が上がる。
「俺の出る幕はなかったね」
「わしの分はないかの」
「クーファはもう十分暴れたでしょ」
言いながら一息ついていると、
「たしかに私のほとんどは水分だ」
パトリックが、『流動する髄』の泥で氷を砕きながら口を開いた。どうやら凍っていたのは表面だけだったようだ。
「冷えれば凍りもするだろう。しかし忘れてはいないか――?」
「なんだ!? 膨れ上がってる!?」
地面を濡らしていた『流動する髄』が一点に集まると、氷を完全に砕いたパトリックは先ほどよりもいっそう巨大になっていく。
五メートル、いや、十メートルはあるだろうか、泥の部分がみるみるうちに増えていった。
いや、それも当然だろうか。
むしろ『流動する髄』があの屋敷すべてを埋めつくせるくらいの容積ならば、人間より一回り二回りでかいくらいの大きさでは全然足りない。
「――私は今、流動しているのだよ!」
やがてパトリックは今まで町を襲ってきた魔族――いや、人工精霊のような、人ならざる巨大な化け物に姿を成した。




