88 夕闇の遭遇戦(1)いるはずのない者
陽光の強さは衰え、日は傾き、夕焼け空が見え始める。
空にたなびく雲にオレンジ色がうっすらかかる時刻に、俺たちはローコクまで戻ってきた。
アシュリーとクローディアも一緒だ。
二人には早く故郷へ送り返してあげたいが、今はそれもままならない。
なんでも、『門』の魔法は行きたい場所の正確な位置を知っていることが大前提らしい。そして空間がつながるかどうかは運の要素が強いらしかった。
安定していない魔法師の魔法の仕方のないところではある。
とはいっても魔力の高い者ほどつながりやすくなるようなのでネミッサならば大丈夫だろう。
コンスォの町の詳しい位置を把握しなければ開く門も開けないということであるならば、隊長さんへの報告を先に済ませてからだ。
俺は隊長さんが泊まっている宿への道すがら、小太刀を取り出して雷の能力を満喫していた。
「天光満つる処に我は在り。黄泉の門開く処に汝在り――」
ばっ、と小太刀を天に掲げる。
「――国破れて山河ありッ!」
小太刀が帯電すると、周囲に小さく放電した。電圧が低いので小太刀のほんの周りだけだ。
「いいじゃないかしゅわちゃん!」
『しゅわしゅわっ!(そうであろう。さあもっと我を使うがよい!)』
しゅわちゃんに小太刀から電撃を流してもらっているだけなのだが、全力で撃てば神のいかずちよろしくすごいのが出そうだ。
「仕方のないキモさじゃな」
例のごとく、クーファには白い目で見られていた。
「大丈夫、キモくないですよ! ただちょっとよくわからないだけで……」
ネミッサが慌ててフォローに入ってくれ、ウルがそれにうなずいている。
『あるじよ、俺もいつでも呼び掛けには応じる所存だぞ』
「ありがとう黒竜」
黒竜はシャッグ・ホール・デホトゴースという真名を持っているが、真名は知られたらまずいものらしいので、そのまま黒竜と呼ぶことにする。
「それで、なんでチェルトはそんなに機嫌悪いの?」
俺としゅわちゃんが示し合わせて神のいかずちの再現をやりだしたころから、チェルトはなんだか機嫌を損ねていた。
「悪くない」
チェルトは俺と顔を合わせず、口を曲げてつまらなそうにしていた。
「稀名君! みんな!」
宿の前まで来ると、入り口で右往左往していたレルミットと出くわした。
「遅かったから心配したよぉ! ウルちゃん帰ってきてくれてよかったよぉ!」
どうやら大人しく待てずにそわそわしていたらしい。レルミットは涙をこぼしながらウルにハグをする。
「えっと、その女の子は?」
とアシュリーが尋ねると、レルミットは背筋を伸ばして、いつもの挨拶。
「レルミット・レレミータ! 知ってると思うけど偽名だよ!」
「知らないよ」
もはや常識扱いになってしまった。
さすがに初対面の人は知らないだろ。
ようやく魔法少女の服を脱ぎ、ジャージのズボンとTシャツに着替えられた。
やはりスカートはだめだな。落ち着かない。やたらひらひらしてるデザインだからか、なおさらだ。
「馬鹿な……では魔族も魔王も魔王軍も存在せず、すべては教団による破壊工作だったと?」
宿に入って隊長さんに事情を話すと、隊長さんは険しい顔で俺を問い詰めた。
部屋の中には俺と隊長さんだけだ。向かい合って小さいテーブルを囲んでいる。
ほかの人たちには別にとってある部屋に控えてもらっていた。
「教団の指導者である雷侯本人から聞いたことなので間違いはないです。なんなら丸め込んだ信者の幹部を証人に連れてきても構いません」
「何か証拠でもあるのか?」
俺はテーブルの上に破壊した義手を置く。
「証拠になるかはわかりませんが、雷侯の義手を二本もぎ取ってきました。パトリック・ラザフォードがしているものと同じはずなので、見覚えはあると思います」
「!」
ほぼ残骸だが、原型はとどめている。
そして隊長さんも、この義手には見覚えがあるらしかった。
「まあ精霊はいなくなったのでちょっと様相は変わってますけど」
「パトリックが教団の親玉ならなぜ町を守る必要がある? 魔族と戦ったのは自作自演だったのか?」
「でしょうね。自作自演で騎士の地位を守っていたのは、その存在自体を隠れ蓑にできることと、たぶん教団に提供するための資金を確保したかったからでしょう」
ほかにもあるかもしれないけれど、騎士の立場ならできることは多いだろう。
「……ひとまずこの義手は私たち情報屋が預かってもいいか?」
「どうぞ」
「戻って少し協議させてくれ。時間はそれほどかからない。報酬はそのあとに支払わせてもらおう」
「よろしくお願いします」
「私がトンズラこかないように、より詳しい情報はまだ渡さない方がいいぞ。報酬と引き換えということにしよう」
「えっ!? ……もしかして騙そうとしてたんですか?」
さすが闇ギルド。ていうかもうだいたいのことは話してしまったけれども。
言ってないことといったら教団を乗っ取ったことくらいだろうか。
「そうじゃないが、全部話してしまって私が報酬を払わず二度ときみの前に姿を現さなかったらどうするんだ」
「そ、そうですよね。気をつけます」
こんないい人そうな人も誰かを騙すんだろうな。
世の中って怖い。
一刻も早く引きこもらないと。
「まあなんにしても無事に帰ってきてよかった。宿はこのままにしておくから私が戻るまで使うといい。金も少しだが、前金代わりに置いていこう」
「それは助かります」
「今後もお互いいいパートナーでいたいものだな」
「そうですね」
「ところで私たちから報酬をもらったらその後はどうするんだ?」
「まあ無職のままふらふらしてると思います」
しばらくは教団でニート生活の土台を作らなくてはならないだろう。
「教団の本部の場所はわかったのかい?」
「あ、はい。バンナッハ――ネミッサの使い魔が調べていたはずなので……すいません、隊長さんは本部についての情報を知りたかったのに肝心なところを報告してませんでした」
雷侯のことを話すのに夢中で、本部の情報はお留守だった。あとでバンナッハから聞いておこう。
本部が二か所あったことも含めて、ちゃんと隊長さんに説明しないと。
「では報酬を受け取るときに教えてもらうとする。教団は一刻も早く潰さなくてはならないからな」
「いや、えっと……そうですね」
――しまった。これも失念していた。
魔族がいないとなると、レルミットや隊長さんの国を滅ぼした仇はそのままラーガ教団ということになるんだ。
「それも、俺たちに任せてはくれませんか?」
「きみたちに?」
「教団に出入りできるのは俺たちだけだし、あっという間にやっつけてしまいましょう」
「そうか。なら助かるが――その時はレルミットを同行させよう。戦闘力だけは高いから役に立つはずだ。証人にもなる」
「で、ですね」
隊長さんたちと教団が戦闘になるような事態を回避するようにしないと……。
あれ?
なんやかんやでやることがいっぱいあるんじゃないか?
ごろごろ生活なんてできるのか?
「どうした? 顔色が悪いようだが」
「いえ、なんでも」
やがて来るだろうやらねばならない事に重圧を感じ逃げ出したい衝動にかられたとき――
ドガアッ!
地響きとともに何か硬いものが爆発するような音が響いた。
「なんだ!?」
外を見ると、城の方から土煙が上がっているように見える。
「……まずいな」
夕焼け空に照らされた隊長さんの顔が、城の方を見やりながらこわばっているのがわかった。
「何がです?」
「ちょうど今ラフォルスに――私たちの仲間にパトリック・ラザフォードのことを探らせていた。もしかしたら……」
城の中に侵入していたとしたら、見つかって攻撃されたのだろうか。
「戦闘であれだけの大規模な攻撃を仕掛けられるのは……パトリックくらいだろう。私の仲間と戦闘しているとしか思えん」
「いや、それはないでしょう。パトリック――いや、雷侯は『流動する髄』の中に沈んだはずだ」
「別人だったらどうするんだ?」
「証拠の義手を持ってきたでしょう。それに、あなたの仲間とは関係のないトラブルの可能性もある」
言いはしたが、なにかただ事ではないことが起こっているのは確かだ。
町全体の空気がざわついている。
「しゅわしゅわ、しゅわー(我が空から様子を見に行ってやろうか?)」
「うおっ、びっくりした」
いきなり現れた背の高い金髪の美女――しゅわちゃんに、隊長さんは飛び上がった。
「うん……いや、もう少し様子を見ようかしゅわちゃん。騒ぎはこれで収まるかもしれないし」
「私は行こう」
隊長さんが隠していた投げナイフを身に着ける。
「慎重そうな隊長さんが動くなんて……何か理由でもあるんですか?」
「下を見ろ」
なんだろう。俺は部屋から通りを見渡す。
――レルミットが、外に出て城に向けて走り出していた。
「あれの暴走を止めねばならん」
「あー……」
「レルミットのやつ、仲間を助け出すために城に乗り込むつもりだろう。関係しているかどうかなどわからないのに……」
考えるより先に体がってやつだろう。
俺は腕を組んでため息をついた。
「……では俺も行きます。しゅわちゃん、俺と隊長さんを乗せていってもらえる?」
「しゅわーしゅわしゅわしゅわー(我は羽ばたくと、しこたま電気を生んでしまう。そういう体質なのだ。生んだ電気は体内にある程度貯めこめるが、羽ばたいている間は体中が帯電する。普通の人間は乗せられない)」
「そうなんだ」
「しゅわしゅわ、しゅわしゅわ(マスターは我の加護のおかげで雷への耐性がついているからいいが、その男は飛んだ瞬間に感電死するだろう。我はそれでもかまわんが)」
ほう、俺はついに新たな加護を手に入れてしまったか。これで雷に打たれても大丈夫だな! そんな機会遭遇したくはないけど。
いや、そんなことはあとだ。
「彼女が神無月君の知り合いのようで安心したが……何と言っているんだ?」
「空路で行くという提案がありましたが、やはり地上からにします。俺も隊長さんと一緒に走ってレルミットを追います」
そもそも黒竜やしゅわちゃんじゃ目立ちすぎる。
事を荒立たせないために、とりあえずは身一つでこそこそ様子を見に行った方がいいだろう。
クーファたちと合流し、宿を出てレルミットの走っていった方角を追う。
町の人たちも何事かと家から顔を出したり、通りで足を止めて城の方を眺めたりしていた。
「――いた!」
町の中にある城に近い城壁へ近づいてきたとき、レルミットが立ち止まっているのがようやく見えた。
正面には、レルミットと対峙するように、何か巨大な岩のような塊がそびえている。
二メートルちょっとはあるだろうか、何か黒い水のような泥の塊のようなものに思えた。
その泥に埋め込まれるようにして、一人の男がもがいている。
泥に飲み込まれまいと抵抗して手や足をばたつかせているが、もがくほど泥が体に絡みついて深みにはまっていく。
少し癖のある髪の、二十代後半ほどの男の人だった。
「ラフォルス!」
隊長さんが叫んだ。
どうやら泥の塊に飲み込まれそうになっているのは隊長さんの仲間のようだ。
そしてその泥は、どう見ても第一本部で見た『流動する髄』の一部分に思えた。
レルミットはナイフを構えたまま、しかしそれ以上どうすることもできずに立ち尽くしている。
「逃げろ、レルミット!」
顔の一部と右腕がかろうじて泥から出ている状態で、必死の形相で男の人は叫んだ。
レルミットは泣きながら首を振った。
「いやだ、いやだよ!」
「逃げろぉっ!」
ラフォルスと呼ばれた男の人は、ついに全身泥に飲み込まれた。
「下がれレルミット!」
隊長さんは取り乱すレルミットの腕を掴んで後退させる。
「これは――『流動する髄』?」
「なんでこれがローコクにあるんですかぁっ?」
ウルとネミッサが目を丸くした。
よく見ると泥は二メートルほどの塊のほかに地面一帯を濡らしていた。
こじんまりした湿地帯が意思をもって蠢いているかのような不気味さだ。
泥の塊はぐにぐにと動き出し、ある人間の形に変化した。
色も形も変わっているそれは、『流動する髄』と人間が融合したような姿だった。
日没後の空のような藍色の髪は、半分ほどが泥のような液体と化している。
髪と一体化しているそれがドロドロに溶けたかのような様相で白い肌の顔の半分あたりまで覆うようにして流動している。
赤い眼光は鋭く、足元まで伸びる両腕は泥なのか腕なのか化け物の爪なのか見分けがつかないほど崩れていて、明らかに人間のそれではなかった。
原型は半分ほどしか留めていないが、それが誰かは一目瞭然だった。
さっきまで見ていた顔だ。忘れもしない。
そいつは俺たちをウジ虫を見るような軽蔑的な視線で見下ろすと、恭しく口を開く。
「これはこれは……ようこそ我が町へ。クソ野郎御一行が何の用だ?」
「雷侯……いや、パトリック・ラザフォード!」
どうやらまだ生きていたらしい。
いや、これは生きているといえるのかどうか怪しい。
完全に『流動する髄』の一部になっているように見受けられる。
「まだ殴られたりんようじゃな」
とクーファ。
しかしなぜローコクにいるのだ。
第一本部で『流動する髄』に沈んだはずなのに、なぜここに。
「私の城を嗅ぎまわっている者は始末した。そして、ちょうどいい――」
化け物のような巨大な腕は泥の中から何かを掴んだ。
それはいつもパトリック・ラザフォードがしている顔半分が隠れる仮面だった。
「殺したい者どもが雁首そろえて一斉にやってきてくれた。これは思わぬ僥倖だ」
雷侯、いや、パトリックはその仮面を自分の顔に装着し、嬉しそうに口元をゆがめた。




