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84 ニンジャノゴトク

 触手のように伸びた無数の黒鱗を伝って、『流動するなずき』に流れていく血液。


「誇っていい。貴様の魔力も多少はバディの礎になるだろうからな」


 その血を眺めながら、雷侯は煩わしそうにつぶやいた。


「だが、くそっ、予定が大幅に狂った。すぐに『愚臣』どもを全員『流動する髄』の中に沈めなければ」


 しばし『流動する髄』がひっそり流れる音だけが響く静寂の中で、雷侯は右腕をがりがりとかきむしった。


「そうか……」


 間一髪難を逃れた俺は、雷侯のすぐ背後でつぶやいた。


 後ろを取ったところで、どうせ『流動する髄』のバシャバシャ音でバレるだろうしね。


「…………!」

「お前イライラすると右腕の義手についている黒い鱗をひっかいてはがそうとするのか」


 かゆいのか? 幻肢痛の一種みたいなやつか? それともかさぶたを剥がすような感覚なのか。……まあなんでもいいか。


 『流動する髄』に全身浸かって逃げたからか、体中が気持ち悪い。


「なぜ生きている……!?」


 振り返った雷侯は、目を見開いてさらに鱗をかきむしった。


「なぜって、下に潜って――」

「そういうことを言っているんじゃない! 確かに黒竜の鱗で潰したはずだ!」


 雷侯は、いまだ黒い触手が一点に集中している場所を指さして叫んだ。


 そこには今も触手を伝って、ぽたぽたと赤い血が滴っている。


「『森羅創生ロウダンデ』で竜血樹リュウケツジュを作った」

『……竜血樹? 私知らないわよそんな木』


 引き続き小太刀の中に入ってもらっていたチェルトに言われる。


「あー、俺のいた世界にある木だからね。探せばこっちの世界にも似たようなのあるんじゃない?」


 ドラセナ・ドラコともいわれている竜血樹は、血のような樹液を出すことで知られている。


『ようするに赤い樹液の木ってことね』


 そういうこと。


「竜血樹の樹木の一部で俺の体を形作り、竜血樹の樹液を抜いて作った『ヌルヌッチャル』と自分の血を混ぜて大量の出血を偽装した」


 よく見ると赤い血が滴る近くには、ミキサーで破砕したのかと思うくらいの細かい木片のようなものが所々に浮いていたのだった。

 まあこの奇抜なジャングルみたいな室内なら、いくら木屑が浮いていたところで不自然ではないのだが。


「骨の砕けるような音は木が砕かれたときに出た音だったってわけ。大量の出血っていっても、人ひとり圧搾したにしてはたぶんかなり量が足りてない」


 俺は間違えたら切断してたんじゃないかってくらい血だらけの左手首を見せる。


 いたたた……また自分を自分で刺すことになるなんて。


 しかも加護のおかげで中途半端な傷ではすぐ治ってしまう。

 手首を深々と切り付けて一気に大量の血を出さなければならなかった。


「私に対してわけがわからない説明をするんじゃない!」

「イライラしているなら俺の風でリラックスするといいよ」

「ふざけるな!」


 雷侯は黒竜を宿す右腕を向ける。


「遅い!」


 強い風を吹かせると、雷侯の動きが鈍った。


 怒っているとき、うれしいとき、恐怖しているとき……人は感情によって調子を左右される。

 いきなり今の調子を狂わされたら戸惑うに決まっている。


 一瞬の隙をついて、雷侯の周囲に『森羅創生ロウダンデ』を発動させる。

 生い茂る樹木は右腕の義手に絡みつき、し潰して砕いた。


 周囲に残っていた黒い鱗は、はじけるようにして一斉に砕け散って消える。


「まだだ……まだ私は……」


 ふらついた足取りで、それでも俺に敵意を向ける雷侯。


「貴様に殺されるくらいなら!」


 雷侯の胸のあたりがにわかに光りはじめた。

 よく見ると、魔法陣と文字のようなものが光って浮き出ている。


 自分の体に、何か文字を刻んでいるのか!?


 義手が二本なくなったときのための対策か?


 だとしたら、俺に殺されるくらいならってのは――


「自爆でもする気か!?」


 『流動する髄』の水位はすでに胸あたりにまで達してしまった。


「稀名……」


 ツルで天井にぶら下がりながら右腕の義手も回収してくれたチェルトは、不安そうに俺の名を呼んだ。


 何が来るんだ?

 有効射程はどのくらいだ?

 考えていると、雷侯がその場で不敵な笑みを浮かべる。


「さすが稀名じゃな。わしの殴る分を取っておいてくれるとは」


 逃げるための足を動かそうとしたとき、ふいに背後から聞こえてきた少女の声。


「クーファ……!」

「クーファ!」


 俺とチェルトは、その少女の名を呼んだ。


 応援に来てくれたのだ。ウルたちは、無事に合流できたらしい。


 クーファは銀細工で作った床の上を歩きながら、俺の隣に並んだ。


 俺は銀細工の床に掴まりながら、クーファと顔を見合わせて安堵する。


「……クーファのために、一番おいしいところは残しておいたよ」

「殊勝な心掛けじゃ」


 全身の脱力感。


 ゆっくり前に進み出るクーファ。


 それを雷侯は睨みつける。胸がさらに強く光る。


「覚悟はよいか歯を食いしば!」


 クーファは言い切る前に殴り抜いた。

 下段から中段へ、低めに打ち上げるような拳。


「ばあっ!?」


 雷侯は砕けた歯をまき散らしながら、水切りをするように『流動する髄』の水面をはねながら壁にぶつかり、それから泥の中に沈んでいく。


「せめて『れ』まで言ってから殴らないと忠告する意味なくない!?」


 絶対歯を食いしばる準備とかしてなかったぞ。砕けてたから食いしばる意味もなかったし。


 そしてしばらくしても、雷侯は浮かび上がってこなかった。


 まあ、えっと、雷侯は行方不明になったということで……。


「変な筋肉だるまはウルたちが抑えておるぞ。さっさと戻るのじゃ」

「わかった」


 天井に縛り付けている信者たちは、全員縛ったまま連れて行く。

 とにかく今はウルたちだ。




 二階はくまなく水没した。階段を使って三階の広間の入り口へ。


 広間の入り口では、アシュリーと名乗っていた金髪の少年を前衛にして、アデルバートさんと渡り合っていた。


 アシュリーは信者から奪ったのかナイフの霊符を武器にして、アデルバートさんと剣戟を響かせている。


 後衛にはウルと金髪の少女――クローディアが。


 ネミッサはいない。まだ広間の中だろうか。


「ウル!」

「馬鹿な――なぜ生きている!?」


 アデルバートさんはこちらを向いて叫んだ。


「ウル、俺の風に炎を!」


 俺はアデルバートさんを包み込むように風を渦巻かせる。


「はい!」


 ウルはそこに『イグニッション』の炎をまとわせた。


 炎の竜巻が上がる。


「こんな攻撃、あの盾でガードできるんじゃないの?」

「動かずにガードしてくれれば、それは狙い通りだよ」


 チェルトの問いに、俺は答えた。


 炎で中心部の酸素を薄くさせて酸欠にするという作戦なんだけど――


「甘いわ!」


 やはり精霊兵器の盾を使って炎から無理やり飛び出してきた。


 数での圧倒的劣勢を悟ったアデルバートさんは舌打ちをして、


「……いったん出直して戦力を整える! ラーガ教団万歳!」


 いちいち言わなくてもいいようなことを言って、空間を固めて足場を作るとウルたちの頭上を飛び越えて逃走する。


「待てっ!」

「いや、追わなくていい。全員で逃げる方が先だ」


 追おうとするアシュリーを俺は制した。


「泥が三階にも迫ってきている。すぐに霊符で脱出しよう」


 信者をだますとかして、ここ第一本部から、いったん最初に来た第二本部まで逃げ出そう。


「ここから直接外には逃げられない」

「どういうこと?」


 俺は屋敷の外に『流動するなずき』という魔族がいたことをウルたちに話した。

 ……隊長さんとの義理を通さなければいけないので、魔王軍が存在していなかったことはまだ黙っていた方がいいだろう。


「私たちは生贄だったわけですか」


 ウルは納得したようにつぶやいた。


「待って、『流動する髄』とかいう魔族に囲まれていたって、外はいったいどうなってるんだ?」


 アシュリーは眉間にしわを寄せて尋ねる。


「たぶん屋敷全部が地下かどこかにあるんだと思う」

「地下に?」

「そこに『流動する髄』と一緒に埋まっていたんだ。魔族は今、屋敷内を埋めつくすように流動している」

「……それはおかしい。じゃあこの窓の外の風景はどう説明するんだ?」


 とアシュリーは食い下がった。


 窓の外は深い森林の風景が広がっている。

 たしかに地下にあるくせに外の風景が映っているのはおかしな光景だ。


 ただ俺にとっては、あまり驚くような景観じゃない。


「ネミッサ――俺の友達が使っていた魔法師の魔法に、本当の風景を周囲の風景でごまかして見えなくするようなものがある。結界のやしろを隠していた魔法なんだけど、たぶん似たような魔法がかけられてるんじゃないかな」


 俺は試しに窓を小太刀の柄で割ってみた。


「うおおおおっ!?」


 窓の外にいたらしい『流動する髄』が中に勢いよく入ってきて、俺は慌てて『森羅創生ロウダンデ』の樹木で窓を塞いだ。


 一瞬だけ確認できた割れた窓からは、ヒビ割れた液晶のようにそこだけ風景が映らなかった。


 あぶなかった。ちょっと無計画すぎた。

 あやうく『流動する髄』でこの階もすぐに埋めつくされるところだ。


「えーと、こ、このように、どこかの自然の風景を窓に映しているだけだろうね」


 泥でまた全身汚れた俺は、笑ってごまかしながら説明した。


「ま、窓壊して逃げないでよかった……」


 アシュリーは青ざめた顔でつぶやいた。


「ところでネミッサはいないけど、まだ中に?」

「任せてきたのじゃ」


 クーファはうなずいた。

 広間からは騒がしい声が廊下まで響いている。


「信者の何人かはすでに霊符を使ってその場から逃げ出しておるぞ」

「好都合だね。俺たちも中に入ってどさくさに脱出しよう」

「……待ってください」


 珍しく、ウルがその考えに意見する。


「部屋にいたメイドを助けてきます。『ドロースフィア』のせいで、たぶん今すごくやる気をなくしてる状態だと思うので」

「……じゃ、ネミッサと合流したら屋敷にいる人たちを助けながら上に行って、それから霊符でここから出よう。チェルト、ネミッサと窓口の信者さんを連れてきてくれる?」


 俺が言うと、「わかった。待ってて」チェルトは素直にうなずいて広間の扉をあけた。


 広間の中には、扉を背に暴れる本来の――青い大蛇のような竜の姿に戻ったコルが。心なしか楽しそうである。


「とりあえず今のうちに休んでおくのじゃ」


 廊下に銀細工の壁を作るクーファ。これで『流動する髄』の流入はある程度防げるだろう。


「そうするよ」


 加護のおかげで傷はほとんど治ったけれど、体力がもう限界だ。

 俺は座り込んで束の間の休息をとることにした。

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