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79 とある屋敷にて(6)脱出

 時はほんの少しさかのぼる。


「はうっ!?」


 ウルは部屋内の女中を『ドロースフィア』で昏倒させた。


「すいません、よくしていただいたのに」


 時間は定例集会直前。

 脱走の決行日、決行時刻である。


 取り出した魔力の玉をしまうと、ウルはクローゼットを開けた。


 クローゼットの中には糸紡ぎの精ガーレが入っていた。

 昨晩からこっそり中に入ってもらい、しまっていた白系の服を仕立て直してくれていたのだ。


 ガーレは心なしか誇らしそうに、白いローブを三着ウルに渡した。


「一晩でよくやってくれましたね」


 ウルは物を受け取ると、ガーレの頭を優しく撫でた。


 ガーレは完璧に仕事をこなしてくれた。


「もうこの際だから言ってやるぜ。――本当にいいんだな?」


 河童は床に寝転がってくつろぎながら、真剣な表情でウルに問う。


「シリンの件で俺は確信したが、ウルっちはこの教団の中で信頼を勝ち取っていける実力が十分ある。今の地位からして、お咎めを受けることはあっても切り捨てられることはないだろ」

「グリンさん」

「いや、べつに勧めているわけじゃない。そういう安定した生き方だってあるってことだ。もちろん俺たちはウルっちの決定に従う」

「私のことを思って言ってくれているのはわかります。ですが、中止はありません」


 自分の居場所はここにはない。


 たとえどれだけいい生活をさせてもらっても、一番大事なものが欠けているならば無意味だ。


「わかった。じゃあ俺は最後のごろごろを堪能させてもらうぜ」


 あとはミルとオクターヴがこちらに合流する手はずになっている。


 だらける河童を横目に、廊下を窺う。

 人気はない。


 こちらから二人の部屋へ行った方がよかっただろうか。

 しかし集会の時は、雷侯はミルたちを先に迎えに行く確率が高かったはず。

 少しでも時間を稼ぐにはここで待っていたほうがいいというウルの判断だった。


 ドアを閉めて、廊下側の壁に耳をそばだてながらじっと待つ。


 無為に過ぎていく時間が、とてつもなく長く感じる。


 ――と。


 コンコンコンコン。

 静寂の中に、ドアを短く四回ノックする音が聞こえた。


 事前に相談していたノック音。

 ドアを開けると、少し息を切らしたミルとオクターヴが入ってきた。


「よかった……たどり着けた」

「さ、さっそく逃げよう」


 ミルは胸を撫で下ろし、オクターヴが心なしか涙ぐみながらウルを急かした。


「やっと来たか」


 河童はあくびをしながら二人を出迎える。


「オクターヴさん、どうしたんですか? 何かあったのですか」

「いや、べつに、なんでもない」


 オクターヴは手の甲で涙をぬぐいながら顔をそらす。


「オ、オクターヴね、シリンと戦ったあと、逃げた件で雷侯からお叱りを受けたみたいでね」


 ミルはウルに顔を近づけて、囁くように話した。


「雷侯超怖かったって泣いてたんだよ。ここまで雷侯に見つからないかビクビクしながら来て……」

「言うなよ!」

「オクターヴさん、声が大きいです」


 ウルはいさめながら二人に白のローブを渡した。


「災難でしたね。私も怒られましたが」

「レーシィさんもか。なんかやたらと心をえぐってくるんだよなぁ、あの人」


 三人は黒いローブを脱いで白いローブに着替える。

 フードを深くかぶって素顔をごまかす。


「い、いよいよ、だね」


 ミルは長い金髪をローブの中に収納しながら、震える声ではかなげに笑った。


「わ、私、レーシィちゃんに会えてよかったよ……」

「私もです」

「ここから出たあとも、友達でいてくれる?」

「それはもちろん。ですが、私はあなたたちのように裕福な生まれではなく、奴隷で……」

「関係ないよ、そんなの」


 ミルはまたにこりと笑い、ウルもそれにつられて微笑した。


 本当に彼らに会えてよかったと、そう思う。

 きっと一人ではもっと時間がかかっていただろうし、心も折れていたかもしれない。


 ……準備はできた。

 精霊を従えたウルが先頭になる。


「では事前に話した計画通りに逃げます」

「逃げる? 逃げられるとでも?」


 廊下に出ようとした瞬間、開けたドアから黒いローブを羽織った雷侯が入ってきた。


「――!」

「動くな」


 三人は身構えるも、雷侯は帯電させた左腕を構えて警告する。


「予定は予定通り行う。予定外のことには迅速に対処する。人生に必要なことは、たったそれだけだ」


 雷侯は三人をにらみつけたままで、


「……本日の予定通り、逃げずに集会に参加していただければあなた方を許しましょう。どうせ逃げられはしません」


 やや柔らかな調子で諭すように言った。


 精霊たちがウルを守るように前に出ている。

 いざとなったら俺たちを盾にして逃げろ、と河童たちは目でウルに訴えていた。


 ウルは雷侯の威圧感にやや委縮しながら小さく首を振った。絶対に犠牲は出さない。全員でここから出る。


「いやだ……わ、私たちは、逃げる……!」


 ウルの心を代弁するようにつぶやいたのは、ミルだった。


 瞬間、


「何っ!」


 ちょうど雷侯が背にしていたクローゼットが、まるで誰かの手で倒されたかのように雷侯めがけて倒れてきた。


 クローゼットに押しつぶされるようにして膝を曲げる雷侯。

 しかし右の義手の黒い鱗がせり上がって、クローゼットを砕く。


 これで雷侯が倒せるとは思えないが――


「今のうちに!」


 隙はできた。


 ミルの言葉に促され、何が起こっているかわからないまま廊下に出る。


「さっきのは魔法ですか?」


 あらかじめ決めていた逃走経路を走りながら、ウルはミルに尋ねた。

 見たこともない力だった。

 ミルはうなずいた。


「う、うん。手を使わなくても物を動かしたりできる……物心ついたときからできる、唯一の魔法なの」

「精霊はいないのですか」

「いないよ。たぶん生まれつきで……昔のミル・グラードも同じような不思議な力を持っていたみたい」

「それが、あなたが連れ去られてきた理由ですか」

「うん」


 背後を振り向くと、ゆっくりと雷侯が廊下に姿を現したところだった。

 絶対に逃げられないという自信があるのか、急いでは追って来ない。

 不幸中の幸いだ。


「ではオクターヴさんは?」

「僕はミルと比べると全然大したことないよ。たまに精霊と話す夢を見るだけ」


 昔語りに出てくるオクターヴ・ブランシャールは、夢で未来のことを予言していた。

 とんだこじつけもあったものだ。


 階段を降りる。

 信者たちが集まる広間は三階にある。


 階段のすぐそばにある広間に続くドアからは、何やら信者のざわめきが聞こえてきた。


 彼らに紛れてやり過ごしてもいいが、それでは雷侯が確認しに来た時に見つかってしまうだろう。


 ここは脱出を強行するという姿勢を見せなければならない。


 二階へと降りる。

 吹き抜けのエントランスになっている場所へと来る。


 階段を降りれば、すぐそこには木で作られた両開きの扉がある。


「やはり扉には、内側からかんぬきがかけられているのみです」


 下見をした通りだ。


 扉には外側から開かないよう閂がされている。こちら側から開けるのは造作もない。


「その分外に罠はあるでしょうが、私たちの計画の通りにいけば問題ありません」


 そう、大事なのは扉を開けることだ。


 扉は開けるが、外には出ない――というのが、ウルたちの計画だった。


 いったん物陰に隠れて、外に出たように見せかける。

 勘違いして外へと探しに行く信者たちに紛れて外に出て、そのまま遠くへ逃げる。


 白いローブがあれば、信者たちの集団に紛れ込める。

 信者たちと一緒に行動すれば、外にあるかもしれない罠は確認しながら進める。


 時間がすべてだ。想定している制限時間は五分以内。

 誰かに見つかってしまっては、計画は終わる。


「俺たちが周囲を見張っているから早くしろよ!」


 ウルの使い魔たちが散らばっていく。


 急いで閂を外し、オクターヴは扉の取っ手に手をかける。


 ――が、取っ手を押し引きするオクターヴの目が見開かれた。


 扉がびくともしなかったのだ。


「ぐっ、扉が開かない……!?」

「もう鍵が掛かっている様子はないですよ」


 何度も押し引きするも、扉は少しも動かない。


「まさか外側から鍵がかかってるんじゃ?」

「そんな……では隠された出入り口があるということですか?」


 散歩をするふりをして屋敷内を探し回って下見をしたが、それらしいものはなかったはずだ。


「いや、でもどこからか風が流れてきている気がする」


 オクターヴに言われて、確かにウルもそよ風が流れてきているのがわかった。

 しかしそれも、出所がわからないと意味がない。少なくとも扉から来ている風ではなかった。


「くそっ、硬い! やっぱりこの扉は偽物なんじゃないのか!?」


 オクターヴが扉に体当たりをするも、やはり扉はびくともしない。


「ど、ど、どうするの……?」

「誰か来たぞ!」


 そうこうしているうちに信者が一人こちらに駆け寄ってきた。


 雷侯ではない。

 ならば信者には倒れてもらって、脱出は強行できる。


「もたもたしている時間はありません。――扉を焼き払います」


 自分自身の居場所のために、絶対にここからは逃げなければならない。


 ウルは『イグニッション』の炎をその身にまとう。

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