77 幕間
ルパンデュは一人宿に戻ると、目の前の光景に呆れて立ち尽くした。
「なんでこいつら私の泊まる部屋で寝てるんだ……」
ふかふかそうなツインベッドを占領するクーファとネミッサとレルミット。
狭そうに身を寄せ合って、しかし安らかな寝息を立てている。
床には、神無月稀名が自分の鞄を枕にしてすやすやと眠っていた。
「さてはちゃんと金払ってないな、貧乏人どもめ……。仕方ない、こいつらの代金払って、私は新しく部屋を取ってそこで休むか……」
ため息交じりに引き返すと、廊下でくせっけのある髪を肩くらいまで伸ばした野暮ったそうな男に出くわした。
この男も情報屋ギルドの仲間だ。
「ラフォルス・ラフォルツァか」
「ルパンデュ、少しいいか?」
「ああ、ちょうどいい」
二人は新しく部屋を借りて、そこに備え付けてあったテーブルを囲った。
ランプの明かりが薄っすらと室内を照らす。
「調子はどうだルパンデュ」
「上々だ」
テーブルに肘をつきながら、ルパンデュは口元をほころばせた。
腕を組むラフォルスは懸念のある瞳でルパンデュを見つめる。
「上々なのは結構なことだが、レルミットを放っておいていいのか? そばに置いておかないと何をしでかすかわかったものではないぞ」
「まあ確かにレルミットはああだが、神無月君の監視はよくやってくれている。それに本当に大事なことはちゃんとわかっている娘だ。いくら口が軽いとはいえ、我々が他国から潜入したスパイであることまでは話すまい」
「なんだかんだいって隊長はレルミットのことが好きだな」
「腕は確かだからな。あと隊長言うな」
「ふん。……話がそれたな。本題の方を聞こう」
「思惑通り神無月君たちが教団に侵入してくれるおかげで、もう一つの仕事に集中できている」
ルパンデュは答えた。
やや引っかかるところがあり、ルパンデュはビルザールのことを調べていたのだ。ラフォルスも同じだ。
「ローコク近くにあるスイ湖を魔力源とした社は正常に機能しているようだ。結界は問題なく張られている。それでも近くで魔族が転移してくるのは、ローコクがちょうど結界の境界ギリギリ内側にあるからだと思われる」
ルパンデュは少しの間ローコクに留まって調べていたことをラフォルスに報告した。
「なるほど、結界の範囲外から来ることもあるのか。ローコクの奴らは大変だな」
「今まで調べた結界の範囲と照らし合わせると――」
ルパンデュはテーブルに地図を広げて、結界の範囲を指でなぞっていく。
大陸の大部分を占めるビルザール王国の、六割ほどをカバーできる範囲であった。故郷であるクィンタイルの何倍もの広さだ。
「だいたいこうなる。一時期教団の破壊活動で結界がほころんで東の範囲が狭くなった時期はあったが、最近持ち直したようだ」
「結界はビルザール全土を覆っているわけではないにしても、その有効範囲は広いな」
ラフォルスが口をとがらせて言うと、ルパンデュはうなずいた。
「ああ、やはりこの国はおかしい。これほどまでに膨大で広大な結界を作るなんて、地域ごとに社を作って土地の魔力を借りてもおそらく不可能だ。そもそも魔法師がまともに機能していない状態で、国を守るような大規模な結界が維持できるのか?」
ううむ、とうなりながらラフォルスが地図を指で軽くたたき、
「『教団』の魔法師から得た情報によると、結界の社は二百年ほど前、この国ができた時に建てられたらしい」
彼が今まで調べていたことを報告しだした。
「承知の上だ。以後休みなく結界は稼働し続けているんだろう?」
「魔法師の力が衰えだしたのもそのころだ」
「二つが何か関係していると?」
ルパンデュが質問をするとラフォルスは自信ありげにうなずいた。
彼には今まで、この国の王立図書館で調べ物をしてもらっていたのだ。何か新しい発見があったらしい。
「……二百年前の歴史は、王立図書館に所蔵されている書物からある程度わかるが――なぜか社に関する資料と魔法師の衰退に関する資料はほとんど残っていなかった。馬鹿みたいに高い入館料を払って調べた結果がこれだ」
「情報統制をしているとでも? なんのために?」
「それこそ、この国の抱える一番重大な秘密ではないのか? そして結界の形成と魔法師の衰退が関係している証左でもある」
「ふうむ」
「まだ確信は持てないが、それをなした犯人ならわかる」
「それは私も見当くらいついてる」
「そうだ、おそらく犯人はこいつ――」
ラフォルスは持っていた書物をテーブルに広げると、あるページに描かれていたイラストを示した。
『まつろわぬ王と七人の家臣』の物語である。
ラフォルスは、そこに描かれているある人物……エール王を指さしていた。
「初代国王エールがビルザールを建国するときに何かをやった」
「それにより大陸中の魔法師の力が消え、魔法攻撃に対し堅牢な結界がビルザールに張られ、そしてそれに関する情報が隠匿されたと?」
ラフォルスは、少し口惜しそうにうなずいた。
「だとしたら、何をやればそんなことができる? エール王は建国時、何をやったんだ?」
「大昔の話なんだ。見当もつかん」
ラフォルスは舌打ちして頭をかいた。
「……まだわからないことだらけだ。俺は俺で引き続き調査を続行する。信者や個人の金持ちの家になら資料は残っているかもしれないからな」
「ああ、頼んだ。それとな、面白い話を聞いたんだが……」
ルパンデュはついでに、稀名から聞いた話をラフォルスにしゃべってみた。
「ローコクの騎士パトリックが教団の幹部ねえ……それは確かな話なのか?」
ラフォルスは思案顔でぼさぼさの頭をかいた。あまり頷ける話ではなかったようだ。
「まだそうと決まったわけではないな」
「だとしたらローコクに魔族が来るのはおかしいだろう」
「神無月君の予想だと、魔族同士でも派閥があり、教団と仲間ではない魔族がローコクを襲ってきているのではないかということだった」
「派閥か。だったらいいんだがな」
「またよからぬことを考えていないか?」
「いや、良いことだぞ。派閥同士が敵対していたら、もしかしたら教団をつぶそうとする魔族もいるんじゃないか?」
「それはいい。敵同士で戦っていてくれてたらこちらは大いに助かる」
もっともそんな都合のいい話はそうそうないがな、とルパンデュは肩をすくめた。
「……まあ教団については神無月君に任せておこう。我々は結界の秘密を暴く」
「秘密を知ることができれば、その力を利用できれば、祖国もきっと救える」
ラフォルスの言葉に、ルパンデュはうなずいた。
「そうだ。我々の願いのためなら、どんな手だろうと使ってみせる」
時を同じくして、ローコク内にある居城の応接室に、仮面をかぶった男が息をついていた。
「ご指示通り、あの二人の勇者様には帰っていただきましたが……」
仮面をかぶった男――騎士のパトリック・ラザフォードに、若い背の高い男が報告する。
……夕方ごろ、勇者を名乗る二人組とそのお供二人がこの城を訪ねてきた。
ある程度親身に話を聞いた後、協力の要請を断り丁重にお帰り願ったのだった。
「ご苦労だったな、アデルバート」
「しかしよろしかったのですか?」
「彼らと仲良くする気はない」
パトリックの言葉はよどみがなかった。アデルバートは少し子どもっぽい笑みを浮かべる。
「支倉杏は国の監視の目から逃げ続けているし、不動国幸は一時期行方不明になっていたし、今日来た二人も何か腹に抱えていそうでしたね」
「ふん、どうでもいい、そんなことは」
「――もし神無月稀名のように騎士と敵対するようになったらどうなさいます?」
「障害になるようなら、私は彼らを殺さなければならないな」
仮面のせいでパトリックの表情はわからない。ただ、唯一見える口元から、顔色一つ変えずにその言葉を紡いでいるのがわかった。
「理想のためには勇者をも殺しますか」
「もしもの話だ」
パトリックは音もなく立ち上がり、
「――救世主になるのは奴らではない、この私だ」
仮面から垣間見える赤い瞳で外の星空を眺めた。




