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75 涙

 夜。時刻は日没直前くらいだろうか。


 あたりは薄暗くなり始めている。


 ついにというかなんというか、レルミットとクーファは帰ってこなかった。チェルトもついていたのになんてことだ。


 仕方ないのでクーファたちを放っておいて、交渉の場に臨む。


 ローコクもスミラスクと同じ、町の中に何重にも城壁が建てられた防衛要塞だった。

 外寄りにある城壁の所に住む住宅地は木と粘土で作られた家が多かったが、城に近づくにつれてレンガや石造りの家が多くなっていった。

 窓口の信者が住む一軒家も、かなりいい家のように見受けられる。


「彼女が魔法師だということはわかったが、もう一人の彼女は?」


 その家の中、なんの変哲もないリビングで、それは行われていた。


「この者、えー……そうですね、この者は、あのー……魔法使いでございます」


 たどたどしい口調で、隊長さんは女装したままの俺を紹介する。

 ちゃんと魔法使いだから自信を持って!


 窓口の信者のおじさんは猜疑心に満ちたまなざしをこちらに向けた。


 ここでボロを出してはいけない。

 俺は無言で隊長さんがとりなしてくれるのを待つ。


 は、早く帰りてえ……。チェルトまでどこに行ったんだよ。


「ここはどうかひとつよろしくお願いします」


 言いながら、隊長さんはお金の入った皮袋をこっそり窓口の信者に渡した。


 隊長さんの目がどや顔とともにきらりと光る。


「まあ確かに条件通りだな」


 窓口の信者は革袋の中身を確認して、それを懐にしまいながら首肯した。


 最後は袖の下か。

 ていうか賄賂さえあればよくないか?


「三日後に定例集会が行われる。そこで正式な手続きを踏んでもらう」

「そこにはレーシィ様も主席されるんですよね?」

「もちろんだ」

「わかりました。必ず行きましょう」


 裏は取れた。確実にウルはそこに来る。

 ならば対面する瞬間を虎視眈々と狙っていこう。


 頭の中でどうウルをさらっていくかシミュレーションしつつ、隊長さんと信者が話し終わるのを待つ。



 しばらく後、滞りなく潜入工作の下準備は完了し、俺たちは信者の家を出た。


 終わるころには、もう日が暮れていた。


「さて、クーファたち探すか……」


 もう帰って寝たいんだけどな。


 ため息交じりに呟いたとき、きりきりとせり上がるような痛みが腹に飛来した。


「なんか……おなか痛くなってきたな。なんでだ?」


 何か食べ物にでもあたったのだろうか?


 体も重い。疲労もたまっているみたいだ。


「あー……それは……」


 ネミッサは得心いったような顔をしたあと、口をつぐんだ。


「ネミッサさん?」

「えっと、ですね、レルミットさんから少し話を聞いただけなんですが」


 なんでお腹痛いって言ってるのにレルミットが出てくるの?


「魔法少女になるのにレルミットさんの変装お化粧セット使ったでしょ?」

「うん」

「口紅がなくなりそうだったらしくて」

「へえ、口紅が」


 俺に使っていた口紅はスティックタイプではなく、入れ物に入った指で掬って使う絵具みたいなものだった。


「ウィズヘーゼルがあんな状態だったから顔料も買えずにですね」

「まああの状態じゃね」

「たまたまあったゲッコウオオタケを乾燥させて粉末にしたのをとりあえず混ぜたって言ってました」

「ああ、あの毒キノコすごい赤いからねってうおおおおい!」


 唇へ塗るものに毒のあるものまぜちゃらめええ!


 アバウトにもほどがあるぞレルミット!


「もしかして俺の唇光ってる?」

「少し……」


 ゲッコウオオタケは夜になると青っぽく光るらしい。

 俺をこれ以上怪しい魔法少女にするつもりか。


 俺は慌てて口についた毒性物質を手で拭い取った。


「レルミットめ……」

「本当にすまない神無月君」


 隊長さんも白目をむく勢いで顔色が悪い。


「隊長さんが謝ることじゃないです。隊長さんは先に宿屋で待っていてください。もう帰ってるかもしれないし。俺とネミッサで手分けして町を探してみます」

「いや、いいのか? 気分が悪いならきみが宿で待っているべきでは?」

「クーファを見つけられればすぐ治してもらえるので……」


 それにレルミットに一言言わないと気が済まない。



 ネミッサと二手に分かれて町を捜索する。買い物するとか言っていたからお店のある場所にいるだろうか。


『稀名よ……稀名よ……』


 歩いていると、どこからか老人のようなしわがれた声が俺のことを呼ぶ。


「まずい、なんか幻聴が聞こえてきた」

『また無視か、稀名よ……』


 聞いたことがあるような、ないような。

 そうだ、ゲッコウオオタケには幻覚作用があるんだっけ。これもその一種か。


 まずは解毒が先か。

 大通りに植わった並木があったので、とりあえずそこにセミのようにへばりついて体力を回復させる。


 見た目は酔っ払いにしか見えないが、木があればチェルトの加護で体力や傷の回復ができるので便利だ。


『それ以上無視すると、粘菌と同じくらい繊細なわしの心が無残に傷ついて潰れてしまうぞ稀名よ』


 木の根元を見ると、松茸のような見た目のキノコに顔のついた卑猥な化け物が、こちらを悲しげに見上げていた。


「あ、あんたまた出たのか!」


 ――思い出したぞ!


「よくもこの前は俺に毒キノコを食わせたな!」


 そうだ、俺はこの自称きのこの神様に騙されて死にかけたのだ。


 今回は俺が回復しかけているからかスケールダウンしているようだが、ちょうどいい。引っこ抜いて川にでも放り投げてやる。


『ちょっ、待て稀名よ』

「きのこの神だからどうだってんだ! 俺はタケノコ派だ!」


 俺がきのこの神様に手をかけると、神様は慌てて叫んだ。


『まあ待て待て! 探し人ならその角を曲がった奥じゃよ。なぜか路地裏に隠れておるぞ』

「そんなこと言ってまた騙そうだなんてそうはいかない」

『本当じゃよ。この前だっておぬしはちゃんと生きておったじゃないか。あれはわしなりのおもてなしのつもりだったんじゃ。霊樹の加護を考慮して、ちゃんと死なないことはわかっておった。なにせ毒を気にしなければゲッコウオオタケは大変美味であるからしてな』

「言い訳くさい」

『疑っているなら路地の裏を見に行けばよい』


 きのこの神様が示した先を見つめる。このじじいに従うのは不本意だが、あてもないし行ってみるか。


「……あんたいったい何者だよ」

『わしはきのこの神様じゃ』


 怪しすぎる。


『ふぉっ! ふぉっ!』


 うるせっ。


 めまいに耐えながら路地裏へ行こうとすると、うしろから指を引っ張られる感覚がして、俺は振り向いた。


 誰もいない、ように見える。


 でも目を凝らせば、金髪碧眼の女の子がすがるような瞳でこちらを見ている。

 この子も見たことがあった。きのこの神と同じ幻覚だ。

 しかしきのこの神様と違ってこの子は以前見た時と同じサイズだった。


 そして、またかじかじと、俺の人差し指を甘噛みしている。


「あのときの女の子?」

『…………(かじかじ)』

「おーい」

『…………(かじかじ)』


 俺は頭を押さえてうめいた。

 幼女が俺の指をただひたすら夢中でかじっているだけなんて、なんて幻覚だ。


 かじられている感触まであるんだが、よほど重症だということか。


「って、これ本当に幻覚か?」


 俺がつぶやくと、女の子は俺の指から口を離し、


『……あなたなら、私を助けられるかもしれない』


 寂しげな瞳で俺を見上げた。


「どういう意味だ……?」

『たぶんもう、時間がない』

「……?」


 その言葉を最後に、女の子はきのこの神様と一緒に消え失せる。

 いかん……やっぱり変な幻覚を見ていた。女の子の言っていることは支離滅裂だった。


 明かりもない暗い場所を進むと、袋小路になっているところに小さくなっているレルミットを見つけた。


「本当にいたよ……」


 きのこ神も馬鹿にできないな。

 ていうかきのこの神様ってなんだよ……!


「なんだ、稀名君か」


 レルミットは俺を見ると安堵のため息をついた。


「レルミット、こんなところで何してるの? ていうかあの口紅は二度と使わないでくれ。危うくまた死ぬところだった」

「えっ……稀名君毒キノコ好きって聞いたからてっきり大丈夫なんだと思ったけど」

「毒キノコ大丈夫な人間なんていないよ!」


 とんだ風評被害だよ。


「クーファたちは?」

「先に帰ったよ。虫を捕りに行こうとするクーファちゃんをチェルトちゃんがなだめながら」


 虫好きだなぁ。

 チェルトも一応仕事はしてくれたらしいな。


「――稀名君隠れてっ!」


 こつこつと足音が聞こえたかと思うと、レルミットは俺を壁に押し付ける。


「なんだなんだ?」


 耳をそばだててみると、「いたか?」「いや、確かこのへんで見たんだが……」という男二人の会話が聞こえてくる。


 ……路地裏の入り口で誰か話しているようだ。

 暗いからか、あちら側から見るとこちら側はよく見えないはずだ。


「追手だよ」

「追手?」

「稀名君は手配犯なんだから。自覚持たないと」


 お、俺を狙う奴らか! そういえば俺は指名手配犯だった。変装が見破られたのか。


「う、うん、そうだよね……」


 実際レルミットの言うとおりだ。


 不用意にふらふらしていると、一緒にいる人たちにも迷惑をかけてしまうことになる。


 常に周囲を警戒していなければ――


「くそっ、あのレルミットとかいう女、いったいどこ行きやがったんだ!?」

「デマ掴ませやがって……見つけたらただじゃおかねえ」


 聞こえてくる怒鳴り声。


「……レルミットさん?」

「ほら、稀名君有名人なんだからもっと隠れて」

「いやいやいやあんたの客だよあれ!」


 しかもデマ流したのか。


「この先で声がしたぞ」

「行ってみるか」


 まずい、こうしていると俺まで捕まってしまう。


 俺は地面に魔法を発動させる。

 力を極力抑えた『森羅創生ロウダンデ』だ。道の端をつなぐようにして、樹木の壁を作り出す。


「稀名君せまい」

「ちょっと我慢して」


 俺とレルミットがいる場所は、樹木にかこまれてかなり狭い。


 木の幹に押されるようにして、レルミットと密着してしまう。


「これ身動きできないからバレたら終わりだよね?」

「だ、大丈夫、だと思う、きっと」


 でも、もう少し隙間を作ればよかった。


「ご、ごめんレルミット、狭すぎた」

「いいよー、バレなければ」


 なんだか抱き合っているみたいになってしまった。


 息をひそめてじっとしていると、魔法少女の衣装越しに、レルミットの体温が伝わってくる。


 このタイミングで男二人が路地裏へ入って来た。


「なんだこの木」

「家と家の隙間にこんなみっしり生えてるか? 普通」


 みっしりも何も普通生えてないからね。


 木の幹を何本か合体させて、壁のようにしていた。たぶん見た目はすごく怪しいと思う。


「……稀名君、しゃべっちゃだめだよ」

「……レルミットもね」


 密着しているとわかる、レルミットの息遣い。そして俺に当たる胸の感触。


 触覚も危ないがもっと危ないのが視覚だ。


 押し付けられるようにして形を変えている胸の圧倒的存在感に、俺の煩悩が圧し潰されそうになる。


 高鳴る心臓が妙に気になる。


 い、いかんいかん。落ち着け。たかが胸だ。荒ぶるな。荒ぶるでない。


 下を見るな。そう、下を見なければいい。つり橋と同じだ。


 そうだ。

 ここは風を出してリラックスしよう。


 俺は後ろ手に小太刀を召喚すると、こっそりと鯉口を切った。


 そよ風が俺の心を多少なりとも平静に戻してくれる。


「ふう」


 あとは男どもが諦めてどこかに行ってくれれば……。


「なんだか、こうしてると落ち着く……なんでだろうね、すごく安心する」


 レルミットがつぶやくように言って、俺の体に手を回して抱き枕にそうするようにぎゅっと体を押し付けてきた。

 風のリラックス効果がレルミットにも及んでいるみたいだったけれど、すごく心臓に悪い。



 男たちが去っていく足音がする。どうやら諦めて行ったようだ。


 俺は生い茂る『森羅創生ロウダンデ』を解除した。


 だというのに、レルミットはまだ俺のことをぎゅっとつかんだまま離さない。


「稀名君、もう少しくっついてていい?」

「えっ? いや、その、べつにかまわないけど……」


 レルミットは肩の鎖骨あたりに顔をうずめていて、その表情はうかがえない。


「なんでこんなに安心するのかな、不思議。私だけかな」


 レルミットの声が俺の肩にかかって、くぐもったように聞こえる。


「レルミット、あの……」

「じっとしてて」


 リラックスより緊張のほうが勝ってきて、俺はまたこっそり風で自分を落ち着ける。


 しかしその行為を覆すように、レルミットは強く抱きしめてくる。


「…………!」


 それから、グスッ、と涙をすする音がした。


「お父さん……お母さん……会いたいよ……故郷に帰りたいよ……」


 レルミットは、感極まって泣き出していた。


「…………」


 な、なんで?

 ど、ど、どうすればいいの?


 なんて声をかければ……な、なにも思い浮かばない!


 レルミットがこんな一面を見せるなんて思わなかった。

 どんな言動をして接すればいいかもわからない。身動きもとれない。


 俺は口をぱくぱくさせながら、レルミットの泣く声を聞くしかなかった。

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