69 とある屋敷にて(4)怪鳥捕縛戦‐1
信者たちが広間で戦の準備をしていた。
定例集会から三日後、連れ去られて十七日目の夕方のことだ。
ローコクにいるという精霊シリンを捕らえに行く準備である。
持っていくのは紙に文字が書かれた札のようなもの――魔法師が作った霊符だろう。
ウルたち『愚臣』六名は、その用意が終わるのを並んで眺めていた。
戦闘員は三百名ほどだろうか。ウルが連れ去られるときに一緒にいた魔法師の少年たちは、その列には加わってはいないようだ。
「……わ、私たちの部屋も、外覗けるのは窓くらい……だよ」
「そうですか」
「そっちは?」
「できるだけ白い服をたくさんほしいと女中に頼みました。せっかくだからおしゃれもしたいと。明日には用意してもらえそうです」
相変わらずのきわめて小さい声量で、ウルとミルは秘密の相談事にふけっていた。
ここでは、頼めば武器やお金以外であればある程度の欲しいものは手に入れてくれる。
無論、ウルはおしゃれをするつもりなど毛頭ないのだが。
「窓から強行突破しようと思えばできると思うけど」
横からオクターヴが話に入ってきた。
彼は私兵団の副総長をしているという話だ。腕っぷしには少々自信があるとみえる。
「それはできる限りよした方がいいでしょう」
とウルは冷静に答えた。
窓は基本的に嵌め殺しで、開けることはできない。
ウルが見たこともないようなきれいで良質なガラス窓だ。破ろうと思えば容易に破ることもできる。
だからこそ、おそらくそこからの脱出は不可能だ。相手は当然その逃亡ルートを想定しているはずだ。
何か手を打っている。何も手を打っていないはずはない。
「……ガーレちゃん、覚えましたか?」
ウルは隣に立たせていた髪の長い小さい女の子に尋ねた。
使い魔の一体である糸紡ぎの精霊ガーレ・グアーレである。
ウルの手を握って真剣そうに正面をじっと向いていたガーレは、表情を変えずにこくりと頷いた。
「ゆくぞ!」
まもなく準備は終わり、雷侯が叫ぶと同時に、魔法師によって広間に魔法陣が発生した。
扉ほどのやや小ぶりなサイズの『門』だった。
「なあ、俺たちも戦うのか?」
「一緒に連れて行くということはその可能性もありますね。そんなに戦いたいんですか?」
「腕がなまってたところだ」
オロペルとレムが不穏そうに話しているのが聞こえた。
「こ、このまま逃げられるかな……?」
ミルが心配そうにウルに耳打ちするが、ウルは首を縦には振らなかった。
「状況にもよりますが……どうでしょうか」
シリンの捕縛には愚臣たちも同行する。
信者たちが守ってくれるということだが――見張りも兼ねているに違いない。勝手な行動はそれこそ信者たちが許さないだろう。
戦いが始まったら必ず安全とは言い切れなくなる。
そして信者たちに囲まれているなか安全に逃げるというのは、骨が折れるように思える。
「では参りましょう」
自分たちも先頭を切るらしい。
ウルたちは信者たちをはべらせながら門をくぐった。
空気が変わった。
すでに戦いは先に送り込んだ信者たちの間で始まっていた。
湖のほとり、周囲は木々に囲まれている。
良い場所だがシリンがいて人は近づかないのか、周りには信者たち以外は誰もいない。
稀名と鉢合わせるという希望がわずかばかりあったが――広い国内だ。ばったり会えるはずがなかった。
やや遠くの所で、空を飛ぶ巨鳥が、霊符やクロスボウを構える信者たちを威圧していた。
先遣隊だろう。すでに戦闘が可能な距離でにらみ合いをしている。
シリンは美しい鳥だった。
紅色の羽毛に、紅色の双眸、細く伸びる尾は長く優美だ。
羽ばたきながら、虫けらでも見るように地上の白いローブたちをねめつけていた。
「――私に何の用だ人間ども」
男とも女ともつかない中性的な声で、シリンは問いを投げかけた。
「放て!」
シリンの言葉を無視して、信者たちから一斉に矢が放たれた。
シリンは羽ばたいた際に生じた風圧で、矢の軌道を曲げる。数本はシリンの身体に命中するも、厚い羽毛と筋肉に阻まれた。
「奴を誘導して『結界』の中に誘い込みます。そして新しく作った右足用の義足に『精霊兵器』として宿らせる――それが今回の戦いです」
始まった戦いを傍観しながら平気な顔で平然と話す雷侯に、ウルはぞくりと寒気がした。
右足用の義足、と言ったのか。
作ってどうするのだ。
雷侯の右足はまだ生身だ。義足などつける必要はないはずだ。
誰か右足のない者につけるのだろうか。だったら、まだ健全だ。
ウルが考えていたのは、別の可能性の方。
まさか、雷侯の右腕と左腕は、そのために切り落としたのか? ――と。
雷侯が説明しているうちに、シリンの口が開いた。
「なんだ!?」
「これは――音?」
聞こえてきたのは甲高い音だった。
「お下がりください!」
先に来ていた信者たちに言われて、音の聞こえにくい場所まで後退するウルたち。
あまり広範囲には及ばないようだが、それでもあの音は危険だと直感する。
音は聞こえにくくなったが――前線の信者たちはその場を動かない。
再び矢で狙いを定めていた――が、前にいた信者たちは次々に膝をついて苦しみだした。
「……あ、熱い!?」
断末魔の中から聞こえてきた叫び。
まもなくシリンの音をまともに聞いた信者たちは、一瞬で青白い光を発して消え去った。
燃えカスのような灰もすぐに風で流れてなくなる。
「…………!」
無口な巨漢のコロナ・パーカーはおびえたような目で自分の親指の爪を噛んだ。
「なんなんだ、あれ!? 光ったと思ったら一瞬で灰になった!?」
さっきまで張り切っていたオロペルがとたんに及び腰になる。
「あれは炎と大差ありません。一瞬で燃えカスにできるだけのこと。音をちゃんと聞かなければよいのです」
隣にいた雷侯がウルたちに告げる。
「あなた方は安全圏で戦いをご覧になっていてください。そこにいるだけで、信者たちの戦意は向上します」
先遣隊は全滅した。
同時に、信者たちの戦闘員がすべてこの地に到着する。
「なんということだ!」
「同士たちが……!」
一瞬で仲間が燃焼した光景を目にした信者たちは、たじろいだ。
「――立ち去れ。でなければ貴様たち全員こうなる」
「ひるむな! 戦わなければ皆死ぬぞ! 仲間たちの死を無駄にするな!」
シリンの脅しに被せるような雷侯の声。
「そうだ!」
「家臣様たちを殺させるな!」
奮い立った信者たちは武器を持って突撃する。
――が、断末魔と共に次々に青白い光を発して散っていく。
霊符による保護はわずかな間だけだった。
音による全方位攻撃を完全には防いでくれない。
「『結界』の準備はまだか!?」
「もうすぐ完了します!」
ウルたちの周りに魔法陣を描いていた信者たちは答えた。
「私が出る! 奴を空から引きずり降ろして結界内に入れるぞ! 続け!」
何人か犠牲が出たところで、雷侯は前に出る。
右側の義手についている黒い鱗が増殖し、剣の形を作った。
「わざと信者たちを犠牲にしたな。残った奴らの恐怖による緊張を戦意高揚による胸の高鳴りに置き換えやがった」
信者たちを連れて突撃する雷侯の背中を眺めながら、オロペルはつぶやいた。
「感動させて結束力を強めさせたと?」
レムがオロペルのつぶやきに質問で返す。
「『約束の日』に向けて士気を上げてるって感じだな。くっだらねーぜ」
「その『約束の日』とはなんなんでしょうね……」
「魔族たちの力を使ってこの国を征服する日に決まってるだろうが。ま、俺たちには関係ないがな」
オロペルの予想にウルは、
「彼らは魔族に従っているのではなく、逆に力を利用していると?」
驚いたように口を挟んだ。
オロペルはうなずく。
「そうとしか考えられねえだろ」
「で?」
レムが期待しているように細い目をオロペルに向ける。
「あなたは行かないんですか?」
「俺は……ちょっと調子が悪いんだよ!」
「あんなに調子よさそうに息巻いていたのに?」
「うるせえ! あんな化け物だとは思いもしねえじゃねえか! あれは人間が叶う相手じゃねえだろ!」
雷侯は黒い鱗で巨大な盾のようなものを形成した。剣以外にもなるらしい。
そしてその盾から、いくつものナイフのような黒い刃が出現し、上空を羽ばたくシリンへと向かっていく。
クーファの魔法に少し似ている、とウルは思った。
「――ちぃっ、妙な魔法を使う者がいるな。黒い鱗――?」
シリンはここにきて初めて焦りを見せる。
黒い刃のほとんどはかわされた――が、数本は体や翼に刺さっていた。
戦闘が始まって以来初めてのダメージであるが、さほど意に介していないようだ。
このまま雷侯たちの思惑通りになるのも、少し納得がいかなかった。
だからか、ウルは前に出た。
「……私がいきます」
言いながら、ウルはミルとオクターヴに目配せをした。二人はうなずく。
「レーシィ様!」
止めようとする信者たちの言葉に耳を貸さずに、ウルは音の射程圏内に踏み入った。
「……私があの鳥を止めます」




