67 とある屋敷にて(3)交渉
屋敷に連れられてきて十四日が経った。
どうやら、ほかの『愚臣』との会話も、すべて監視されているようだ。
そもそも過度な接触は、皆してこない。
屋敷内で歩いていて偶然会ったら挨拶する程度だ。
会話という会話はほとんどない。あっても社交辞令くらいのものだ。
そしてどこか落ち着いた場所で話すといったところで、従者のふりをした監視がつきまとう。
屋敷内もいろいろ回ってみた。
隠れて話せる場所といったら本が多数所蔵されている書物庫くらいだろうか。
いちおう指導者であり教団の幹部である『愚臣』ならば、自由に出入りできて自由に本を読むことができる。
ただ本の知識を取り入れるのも、字の読み書きが得意でないウルたちにとっては微妙なところだ。
活用できるとしたら死角が多いというメリットだろうか。
それでも監視の目を盗んで何かするには、かなり工夫が必要だろう。
「表向きは自由だが身動きできねえほどガッチガチだな」
河童が床に胡坐をかきながら言った。
「ですね……」
まずは監視の女中を出し抜くかこちらに引き込むかするか……考えながら、部屋の窓から所在なく外を眺めていた。
もう連れ去られてから半月ほどが経っている。
屋敷内を探索している間はよかったが、大方調べた今は行き詰まり感を感じていた。
「チェルトのやつ、一人でも探しに行くとかワガママ言って周りを困らせてるんだろうなぁ。あいつは俺たちがいないと何もできないからなぁ」
「そうですか」
しばらくすると、雷侯が部屋に迎えに来る。
「ではウル様、ご準備を」
定例集会の迎えである。どうやら毎回出席しなければならないらしい。
「わたしはいいです」
「そういうわけにはいきません。さあご準備を」
「…………」
ローブを着て広間へ出ると、ミル・グラードとオクターヴ・ブランシャールが先に来て待っていた。
下手な女性よりずっと美しい金髪の美少年オクターヴは、落ち着いた表情でウルに微笑みかける。
「こんにちはレーシィさん」
「こんにちはオクターヴさん」
「よっ、美少年と美少女」
精霊代表で出てきてもらった河童も、軽薄そうにオクターヴたちに挨拶する。
同じく代表で出てきてもらった『沼の民』の火の玉も挨拶代わりにめらめらと燃える。
そうしていると、ほかの『愚臣』たちもやってきて、やがて六人が揃った。
雷侯は信者たちに何やら高説を垂れ始める。
「あの、レーシィちゃん……」
隣にいたミルは、声を潜めながら話しかけてくる。
ウルはちょうどミルの左隣にいた。ミルの声が小さくてもかろうじて聞こえる。
横目で一瞥すると、オクターヴと同じ金色の髪を揺らしながら、少しもじもじしながら正面を見ていた。
こうして見ると、ミルはオクターヴとよく似ている。髪の色も、美人という点も。
「なんでしょう」
「私、レーシィちゃんと、今度もっとお話ししたい、かな……」
「ええ、それはもちろん構いませんが」
正面の信者を見据えながらウルは承諾する。
「こいつ同じような歳の女の子が来たからってうれしいんだよ。もし嫌じゃなかったら相手してやって」
ミルの右隣にいたオクターヴも横から会話に参加する。
「ではさっそくお話ししますが」
そこまで言って、少し言葉に詰まった。
回りくどい言葉や相手の心に響く巧みな話し方などウルにはできない。自分には交渉事なんてできるはずがない。
やはりストレートに言うしかない。極力ほかの『愚臣』には聞こえないように……。
「ミルさん、この生活楽しいですか? 外に出たいと思ったことは?」
「……!」
……監視の目を盗んで、ほかの『愚臣』たちと深く接触する機会はない。
そう、この場を除いて、である。
七日に一度の定例集会――協力者を募る機会はここしかない。
ここなら監視の目はない。
監視する必要もないほど、誰の目にも見られすぎている。だからこそ。
「レーシィちゃん、もしかして……」
「はい」
ウルは静かにうなずく。
声を潜めれば、会話は周りには聞こえない。
雷侯も信者たちにつきっきりだ。
愚臣たちが一堂に会するここしか、協力者を募るチャンスはない。
ここならば、堂々とひっそりと、ほかの『愚臣』たちと接触できる。
――問題は誰を選ぶかである。
選ばないという選択肢もあるわけだが、協力して脱出したほうが成功率は上がるだろう。できそうなことはすべてやっておくべきだ。
「この場を借りなければ、本心を聞けないと思って質問しました。外に出たいですか? 故郷は恋しくないですか」
「わ、私は……」
ウルにとっても、同年代は話しやすい。とくに同性は。
大人と話すよりずっといい。
説得するにしてもやりやすいだろう。
まず協力者に選ぶなら――否、こちら側にオトすには、選択肢はミルしかいない。
「何を話しているんです?」
同じくウルの隣にいたレムは、怪訝そうに目を見開いた。
聞こえないように河童と火の玉を間に挟んでいても、ある程度声が聞こえてしまった。
「いえ、なんでも」
かぶっているフードでレム側を隠しつつ、ウルはさらに声を潜めてミルに言った。
「私はこのままおとなしく捕まっている気などありません。私には帰る場所が――」
言ってから、ウルは気恥ずかしくなって言葉に詰まった。
自分に、こんなことが言える日がくるなんて。
思いもよらなかった。
ただ二束三文で買われて酷使されて死ぬだけだった自分が、心など閉ざしていた自分が、こんな考え方をするようになっていたなんて。
「仕えなければならない人が、いますから」
ここでの生活は、監視されているということに目をつぶればじつに快適だ。
食べたいものは用意してくれるし、書物庫に行けば本も読めるし、様々な服が揃っていて、おそらく欲しいものも無理がない程度なら手に入るだろう。
人とのかかわりは希薄だが、生きていく分には何不自由がない。
だがここは自分の家ではない。
いるべき場所は、あの人の近くしかない。
「そ、そんなに大事な人、なの?」
「私の心と命を救ってくれた人です」
「そっか。いいね……」
「はい。一生かけてもこのご恩は返せそうにありません」
「……でもここって、がんばれば脱出できるような所、かな……?」
「それはやってみないとわかりません」
ずっと正面を見ているからか、ミルの顔は見ていない。
しかし隣で、たしかにミルの笑ったような気配がした。
「私もね、レーシィちゃんと同じ」
「同じ?」
「私は、ビルザールのコンスォって町のお役人の子どもで……騎士様の長女――お嬢様に仕えている、お世話係の一人なの」
たどたどしくも、少し弾んだ声。ミルは続ける。
「オクターヴも、そこの私兵団の副総長をしながら役人になるための勉強をしていて……」
ミルとオクターヴは双子だと聞いている。二人とも良い家の生まれだったようだ。
ならばこのような快適な生活も、ありがたみは薄れよう。
「帰りたい……私も……お嬢様の近くに」
絞り出すようなミルの声。
それは同時に、脱出に協力するという意志の表明でもあった。
ミルの言葉を聞いていたのか、オクターヴは慰めるようにミルの背中に優しく手を当てた。
「この集会が終わったらぜひ聞かせてください、お嬢様のこと」
「うん……!」
ウルは安堵しながら息をつく。
少々危ない橋だったが――ミルとはこれから仲良くなることにしよう。
……ただ、稀名の立場を考えたらあまり仲良くできない身分のような気もしなくはないのだが。
協力者ができたら、次に考えなければならないのはとっさの伝達手段だ。
本当の言葉を伝えられる時間が七日に一度のほんの少しの間だけでは相談もできやしない。
ここをでるのにどれだけの期間が経ってしまうかわからない。
「でも脱出できると思う?」
「それはこれから考えます」
脱出経路も、段取りも計画しなければならない。
ただ、そのあたりは強行突破するという力技でどうにかできるだろうか。
戦力差もあるし地の利もないが、正面切って戦うわけではないからさしたる問題ではない。
脱出に必要な問題は――いかに不意を突けるか、である。
ウルとミルが話している間に、
「これより三日後、我々はローコクの地方に赴き、湖の近くに棲む高位精霊『シリン』を捕らえ『精霊兵器』に改造する!」
雷侯の声と信者たちの感嘆の声が広間に響く。
「『シリン』の力は強大だが臆することはない! 我々には偉大なる家臣の方々がついていてくださる!」
どうやら、事はあまり穏やかではない方向に進んでしまっているようだった。
――『教団』とローコクとかいう場所にいる精霊との間で、争いが始まろうとしている。




