62 とある屋敷にて
移動はほんの一瞬だった。
魔法師の作り出した魔法陣による『門』が、ウルたちを瞬く間に別の場所へと運んだのだった。
「レーシィ様は今日からここで暮らしていただきます」
一瞬で移動してしまったからか、ここがどこか……国の、あるいは大陸の、世界の、どのあたりかは見当がつかなかった。
天蓋付きのベッドに赤い絨毯、意匠の凝らした燭台、まるで絵に描いたような豪奢な一室。
掃除も整理も行き届いていて、どこか別の世界にでも迷い込んだかのような錯覚さえ覚える。
「どうぞこの部屋をお使いください。何かあれば使いの者にお申し付けを」
『雷侯』と呼ばれている男はウルを部屋まで案内すると、恭しく言って引き下がろうとした。
「待ってください」
それをウルが引き留める。
「私はレーシィではないです」
「レーシィ様であろうがウル様であろうが、信者たちにはあなたの存在が必要なのです」
雷侯は伏し目がちに返答し、
「屋敷内は自由にしていただいて結構ですが、外を出歩くのはおやめください、レーシィ様」
さらに一言続けて、引き下がっていった。
部屋には使いの女中が一人。おそらく監視役も兼ねているのだろう。
ウルはその女性から離れるように、窓のそばまで来て外を眺めた。
山の中だろうか、背の高い木々が茂っていて見通しが悪い。
国の内か外かも、判別はできない。
「まあ気を落とすな」
手枷から河童――グリンディロウが現れ、ウルの背中をぽんと叩いた。
羽の生えた丸太――ヴォジャノーイも続けて現れ、
「元気が出るまで私の上に座ればいい……と思ったが、元気をなくしたような面ではないな。安心した」
ウルのいつも通りの落ち着いた表情を見て安堵の息をついた。
ほかの『沼の民』たちやケルピィやガーレも、ウルの顔を見るために顕現する。
そしてそのままウルが何か言うのを――命令を待っていた。
ウルは微笑み、
「おとなしく従います。今のところは」
窓の外を眺めながら女中に聞こえないような声で彼らに伝えた。
「従いながら、この軟禁状態を破る材料を探します」
「力ずくじゃ無理だろうしな。たぶん魔法対策もしているだろうぜ」
「機会が来たら、みんなにまた働いてもらうと思います。それまでは」
「まあ、あっちはウルっちに危害を加える気はないみたいだから、ゆっくりやろうぜ」
河童は床に横になりながら、あくびを一つする。
それを見た丸太が呆れて溜息をついた。
「呑気だな、お前は……」
「しいて言うならチェルトが心配だぜ。あいつ俺たちと離れ離れになるの耐えられねえんじゃねえか?」
「スミラスクで捕まった時も、せっかく逃がしたのに結局追って来たからな。それは言えている」
使い魔たちがやいのやいの話し合いをはじめるのを聞きながら、ウルは窓の外を眺めた。
広い屋敷の、四階あたりだろうか。周囲に同じような建物は見当たらない。鬱蒼とした森林が広がっている。
隠れ家――アジトのようなものだろうか。
『教団』の構成員すべてが魔法師という可能性は低いだろうが、ある程度の数はいると考えた方がいいだろう。
侵入者や逃亡者を感知するようなトラップも仕掛けられているはずだ。
どこになにがあるか把握して看破しなければ。それに構成人数も知りたい。
――どうにかして、脱出に必要な材料を集めなければ。
「で、よう、レーシィってレーシィ・レソビィークのことか? ここのやつらはそいつを崇拝してんのか?」
河童たちが話しているのを聞いて、ウルは我に返って顔を上げた。
「レーシィ・レソビィーク……」
使い魔たちの言葉を反芻する。
「お前知ってるのか?」
丸太に訊かれて、「ああ」河童はうなずいた。
ウルもそれには聞き覚えがあった。
おそらくビルザールの国に長くいれば一度は耳にするであろう名前のひとつだろう。
「『六人の愚臣』の一人……」
ウルは苦々しげな顔で呟いた。
そう、それは聞いたことのある昔語りに登場する人物だった。
この国は昔、悪い王様に支配されていた。悪い王様はいつも民を困らせていた。
悪い王様には七人の家臣がいた。
六人は王様の命令を聞いて悪行ばかりしていた愚かな家臣。
残り一人は、彼らに不満を抱き王を倒して国を救った真の英雄だった。




