54 ウィズヘーゼル夜戦(5)停戦
「ウル、チェルト。こっちは今終わったよ。そっちは?」
「奥地に向かったほかの兵士たちはみんな、バラムの獣たちが追い出してくれたみたい」
話しているうちに、不動が鎧の能力を解く。
「おらこれでいいだろ?」
俺はうなずいたが、それでもまだ、拘束はやめない。
「なにそいつ?」
チェルトが不動を指差しながら尋ねる。
「勇者様みたいだよ」
「ふーん」
興味なさそうだなぁ。
不動は表情をこわばらせながら額に脂汗を浮かべている。
「……剣もしまえばいいのか?」
「それは、そのままで」
少し実験してみたいことがあるからね。
俺は赤い剣をベルトのような鞘にしまった。不動が背負っていたものを取り上げたのだ。
勇者の剣は鞘にしまっていれば能力は発動できない。
「ウル、俺の鞄からスミラスクで手に入れた霊符を出してくれる?」
「わかりました」
チェルトたちを動けなくさせていたあのお札である。
それを横たわっていた赤い剣の上に貼るようにのせてみる。
「じゃ、剣戻してみて」
「……!? あれ!? 戻せねえ?」
はたから見たら赤い剣に変化はない。だけれどお札の効力か何なのか、力の流れを阻害しているようで、思うように動かせないみたいだ。
「魔力の強い精霊を拘束できていたお札で同じことができるっていうのは、やっぱりこの剣は魔法に近い力なのかな」
そしてこの霊符は、魔力の流れを阻害させる効果を持っているみたいだ。
何枚か取っておいて正解だった。
俺はようやく不動を放した。
ただ赤い剣は霊符で抑えたままだ。しまわれるより目の届くところに置いておく。
小太刀を不動の首元に突き付ける。
「妙な動きをしないように」
「ちっ……」
座り込んでいる不動は腕をさすりながら舌打ちをする。
とりあえず安全に生殺与奪の権利は握ったわけだけれど、どうしようこいつ。
「不動さん、兵士たちの集団に戻ってさ、戦いをやめさるようにガルムさんに言ってくれる?」
「おーわかったぜ。俺に任せろ!」
不動は快く承諾するが、だめだなこれ。
ガルムさんと合流されたら即俺を裏切りそうだ。
「やっぱいいや」
「おいおい、なんだよ。せっかく頼みを聞いてやろうと思ったのに」
ニヤニヤ笑う不動。これは頼まないで正解かな。
「なぜネミッサを殺そうとしたの?」
「それこそ愚問だろうが! 壊れかけの結界を取り戻すためだ! ガルムじゃ二年も戦ってどうにもならなかった。だから俺がなんとかしてやるんだよ。作戦の効果は上々だ。ネミッサは今包囲されつつある。俺の作戦のおかげでな!」
「本当の結界の破壊者に踊らされているのも知らないで、よくそんなことが言えたもんだね」
ようやく合点がいった。
こいつ、自分がそうしたいからそうしているだけなんだ。
社が燃えるかもしれないとか、ネミッサが結界を破壊していなかったらとか、第三者が介入しているかどうかとか、そういう二次的な出来事は一切考えていないんだ。
今自分がやりたいことをしているだけだから。
そして少しでもいい結果が出ると、それをことさらに取り上げて自分を持ち上げる。
ガルムさんもガルムさんだ。いくら勇者として派遣されているからって、こんな奴の言うことになんて従って。
「もういい。俺の邪魔しないでどこへなりと消えてくれるなら、このまま逃がしてあげてもいいよ」
俺は不動に背を向けて歩き出す。赤い剣もそのままにして置いていく。
「えっ、ちょっ、いいの? 敵なんでしょ?」
チェルトが俺の服を引っ張って抗議する。俺はうなずいた。
「いいよ、行こう。ガルムさんを止めるのが先決だ」
最後まで不動に目を離さなかったウルも一緒に連れていく。
不動なんかに構ってられない。適度に体力を回復しつつ、ガルムさんのところまで急ごう。
「馬鹿が! 見逃してくれてありがとうよ! 俺は見逃さねえけどな!」
「――っ!」
待っていたとばかりに勢いづく不動。
チェルトとウルが驚いて振り向く。反応の遅れた俺は顔だけ不動の座っていた地面に向けた。
俺の背中は今、完全に隙だらけだ。
チェルトもウルも、不動の能力とは相性が悪い。
このままでは完全に不意打ちが決まる。
「変なフダなんて取っちまえばこっちのもんだ! 安心しろ、ネミッサもすぐにあとを追わせて――」
不動は俺に斬りかかろうと地面に落ちている赤い剣を取った。
――が、力強く握られる前に、剣は不動の手からひとりでに逃げるようにぬるりと零れ落ちる。
剣にまとわりついた、透明の液体と一緒に。
「す、滑る!? なんだこのぬるぬるした液体は!? 持てねえ!」
すでに赤い剣の柄には、ヌル・ヌッチャルを発動させておいた。
鞘に収まっている状態なら能力を使えないのは、スミラスクで俺が実証済みだ。魔法を使っても無力化されることはない。
俺は地面からツルを生やして、不動の身体を縛り上げた。
「なにぃっ!?」
「不動さん、本当に倒さなきゃいけない敵は、別にいるんだ。まあ言ってもどうせ俺の話なんて聞いてくれないんだろうけど」
「うお、離せくそっ」
不動は暴れようとするが、強靭なツルが身動きを封じて離さない。
そのまま逃げていてくれていたら、こんなことしなくて済んだのにな。
「元気でいられても邪魔になるだけだ。戦いが終わるまで、おとなしくしていてもらう」
ツルを操作し、腰を吊り上げ尻を突き出すような恰好をさせて、ウルのほうに向ける。
「ウル」
「はい」
一言言って、ウルとアイコンタクト。
それだけで十分にウルは俺の意図を察してくれる。
「……『ドロースフィア』」
手枷のついたウルの手の周囲に、魔法陣が展開される。
『ドロースフィア』は、魔力を玉の形にして取り出すことができる魔法だ。この魔法には、ある特性がある。
ウルがまっすぐ目を向けているのは、正面にある無防備な不動の尻である。
戦慄に染まる不動。顔の筋肉は引きつり、唇がわなわなと震えている。
「なっ、何をするんだ。おいなんだよそれは。ふふふざけるなよクソガキが。勇者の邪魔をしてんだからお前どういうことになるかわかってるよな騎士に刃を向けるくらいの大罪だぞ思い直すなら今のうちだやめろおい聞いているのかお願いしますやめてくださいなんでもしますから許しアッー!」
おお、躊躇なくいった。
目をむいて痙攣する不動。ウルはそれを死んでいく虫けらを見るように見て、尻から取り出した玉を地面に捨てた。
尻から魔力を取り出すと効果は絶大らしいけど、想像以上に瀕死状態になったな。
まあそのうち回復すると思うけど。
……回復するよね?
大きさとしてはやはりピンポン玉くらいで、この前俺から取った玉とそれほど変わりがなかった。どうやら全員同じサイズになるようだ。
いちおう勇者の魔力が詰まっているから俺が拾っておく。
「ウル、こいつから取った玉いる?」
「いりません」
即答だなぁ。
「でもご主人様が言うなら、持っています」
「いや、これは俺が持っていることにするよ」
玉は鞄の中にしまっておこう。
不動は動ける状態ではないようなので、俺が肩を担いでいく。
「よし、こいつ連れて、クーファたちのところまで戻ろう」
せっかく捕まえたし、不動にはまだがんばってもらおう。
ガルムさんに意見できるということは、こいつは騎士クラスの権限を与えられているということだ。
なんか尻子玉抜かれる直前もそんなこと言ってたし。
こいつを人質にすれば、きっと兵を引かせる取引材料にできる。
悪者っぽいけど、そこは今更だろう。
寝ている兵たちは置いていく。彼らが起きるころには、きっと戦いも終わっている。
俺たちが戻ると、いまだに戦いは続いていた。
男たちの叫び声がこだましている。
ただ兵たちの体力が尽きてきたのか、次第に包囲は破られつつあった。
銀の兵士が巻き返してきて、ガルムさん側が押されて劣勢に追い込まれている。
「うおおおおおっ、まだだ!」
「やりおるのう。人間にしては、じゃが」
いまだ先頭を切って激しい抵抗を続けているのは、ガルムさんだ。クーファと拳を突き合わせている。
クーファは余裕そうな表情をしているが、どこかやりにくそうだった。
無数の銀の兵士を動かしながらの戦闘だからだろう、どちらかに集中できないんだ。
殺す気ならまだしも、手加減もしている。
ただ、さすがにガルムさんに疲れの色が出てきている。
……戦場がまだこんな状態じゃ、とてもガルムさんと話して納得させるなんてできないな。
兵たちの手前もあるだろうし、こんな場でガルムさんが俺たちの話に耳を貸すとも思えない。
そして捕まえるまで戦闘を長引かせるわけにもいかない。
「で、どうするのよ?」
チェルトに言われながら、遠目で戦いの現場を見やる。
「まずは兵を引いてもらおう。それからのことは後で考える」
そのためには、とりあえずこの場の全員を――落ち着かせる。
力なくぐったりする不動を肩に抱えつつ、俺は小太刀を抜く。
安息の風は、一人一人に対して細かい調整はできない。
だからガルムさんを基準にして、なるべく大多数の兵たちの緊張を緩和する。
俺は渦巻くような強風を吹かせ、戦場を包み込むように操作する。
「!」
「この風は!?」
突然吹く強い風と風がもたらす異変に、兵たちが気付き始めた。
「うっ!? ぬおおおお……稀名のあほたれー!」
だけど真っ先に動きを鈍らせたのはクーファだった。
何かをこらえるように立って、わめきちらしながら頬を少し赤らめている。
「あ、そうだ。クーファもいたんだった」
ごめん。
心の中で謝りつつ、俺は戦場の近くまで進み出た。
風を凪ぐ。
「聞け! 勇者の一人である不動なにがしは、この神無月稀名が捕らえた!」
大声で叫んで、俺に支えられていなければ立ってもいられない不動の首に、小太刀をつきつける。
「…………」
不動は色のない目で、無気力に俺のなすがままにされていた。
抵抗する力も気力も残っていないようだ。魔力をほぼすべて絞り取られて廃人のようになっている。
俺の声を聞くと、ガルムさんを中心に兵たちの動きが止まっていく。
銀の兵士も、それに応じて動きを止める。
「ぐっ、マスキング――いや、神無月稀名!」
「兵を引いてくださいガルムさん。取引をしましょう。おとなしく従ってくれれば、不動さんはあとでちゃんとお返しします。いろいろ困るでしょう、魔王を倒すはずの勇者が、ここで人間同士の争いに巻き込まれて命を落としたとか。しかも召喚されてまだ日も浅いのに」
ガルムさんは唇をかみしめてこちらをにらみつける。
「森に入っていった兵もすべて無力化しました。どのみち、このまま戦っていても勝てる見込みはないのでは?」
そう、ここは引き時だ。人質はいいタイミングだった。
「……国幸殿の命は保証するのだろうな?」
「それはもちろん」
国幸っていうのね、不動の下の名前。
「取引は後日、ということで。こちらから使者を送りましょう」
「…………退却だ! 総員撤退しろ!」
ガルムさんは親の仇にでも会ったような表情で、額に血管を浮かべ、これでもかってくらい眉間にしわを寄せて、口惜しそうに全軍に叫んだ。
「なぜですか、マスキング殿!」
引いていく兵たちに逆らうように、兵士がたった一人食い下がっていた。
俺たちと一緒に毒キノコと毒の実を探し回った兵士さんだ。
兵士さんは剣は収めているが、一人納得いかないように立ち止まっている。
「なぜ、こんなことを!?」
俺は兵士さんを一瞥して、顔をそむけた。
素知らぬ顔をしていよう。できるだけ。
いろいろ知らない方が、彼らにとってはいいはずだ。
兵士さんを巻き込みながら、やがて全軍は船に乗って川向うに撤退した。
「ふあああ、終わった……?」
ネミッサが力なくへたりこんだ。
「そのようだぜ」
ネミッサの持っていた槍の文字が光ると、棍とでかい蛇に分裂する。
「うわあっ、お前コルか?」
青い蛇となると、コルくらいしか思い当たらない。
澄み切った青い鱗におおわれた、大蛇のような姿。見た目としては西洋ではなく東洋の龍に近いだろうか。
「そうだぜ。あらかじめ言っておくが竜なんだぜ」
なるほど、これが本来の姿なのか。
安堵の息を吐いてから、俺は尻もちをついて星空を見上げた。
しかし千対五って、よく考えたらとんでもない戦力差だったな。
しのげたのは、クーファをはじめとする女性陣が強かったおかげだろう。
おかげで、いったん今日の戦いは、これで終わることができた。




