50 ウィズヘーゼル夜戦:side B 開戦
一兵士であるクライブ・ブレットは、目の前で燃え盛る炎を仲間たちと一緒に眺めていた。
クライブは今の今まで眠っていた。
気が付いたころには夜になっており、いきなり戦闘に参加させられたのだった。
前線の最前列である。
百人ほどの隊に分けられ、等間隔に川沿いに配置されたグループのうちの一つに、クライブはいた。
クロスボウと剣を腰に携えたまま、敵の出現をじっと待っていた。
熱気がクライブの白い肌をちりちりと焦がしていく。灰になった植物が熱によって空に押し上げられる。
すでに森の被害はかなり広がっている。
「これでよかったのか」
作戦は聞いていたが、つぶやかずにはいられなかった。
「何がだ?」
と隣りの兵士が反応する。
「いや、もし森を焼いたりして精霊たちの怒りでも買ったら……」
「怒りっつってもネミッサの使い魔にも精霊はいるからな。それにあの方の指示だ。俺たち下っ端は逆らえん」
「まあそうなんだが」
敵はまだ現れない。
炎のある場所にわざわざ逃げては来ないだろう、というのがクライブの予想だった。
出てくるとしたら本陣近くか、もっと下流の位置だろうか。
兵は川沿いに広く配置されているため、見逃すことはありえないだろう。
ただ炙り出すまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
などという考えを一蹴するように――
「!!」
それは突然起こった。
火の手のある場所から、突然水柱が現れたのだ。
上昇していく水柱は、水蒸気を伴いながら燃え盛る炎を呑み込むように消していく。
「なんだ!?」
「まさか――」
考えるより早く、森の中から鏑矢が放たれた。
敵を見つけた合図だ。
やがて水浸しになった焼野原に一人の少女が立っているのを認めたころには、すでに森林の火災はくまなく鎮火してしまっていた。
いや、一人ではない。
小さくて見落としていたが、何か青い蛇のようなモンスターも傍らにいた。
立ち尽くすクライブだったが、
「全体前へ!」
隊長の声が聞こえて、慌ててクロスボウを手にして射程内まで進みはじめる。
しかしクライブは戸惑っていた。
目の前にいるのは、まだ少女だ。暗くともそれくらいはわかる。
精霊らしきものを連れているからまさかとは思うが、あれが本当にネミッサ・アルゴンなのか?
「コル」
「あいよ!」
コルと言われた青い蛇は魔力を開放すると、その体を何倍にも巨大化させた。
民家くらいならゆうゆうと絡みついて圧潰させられそうな巨体。
蛇のような細長い体をもち、透き通るような青色の鱗に覆われている。
「なんだあれは!?」
「でかい蛇!?」
叫ぶ一部の兵士たちの声が聞こえたのか、青い蛇はぎょろりと瞳をクライブたちの方へ向けた。
「竜だぜ! ……いちおう、竜なんだぜぇ……久しぶりに巨大化したのに、こんな言われよう……」
「はいはい落ち込まない」
ネミッサが、持っていたクォータースタッフを掲げた。
「『心枢霊轄』」
魔法師特有の魔法の文言を唱えると、クォータースタッフに刻まれた文字がにわかに光を発し始める。
「――疾く成せ、流水の刃!」
「!?」
あれだけ巨大だった青い竜が、クライブたちの目の前から消え失せた。
それと同時に、ネミッサの持っていたクォータースタッフは、長い木の棒からその形状を変化させていた。
棍ではない。
どこからどう見ても巨大な槍だった。
先ほどの竜のように澄んだ青色をしている、少女の身長よりもずっと巨大な槍。
「構え――放て!」
声に反応して、クライブは構えていた弩の引き金を引いた。
しかしネミッサに向けて放たれた矢は、当たる寸前で時間が止まってしまったかのように空中で停止した。
よく見ると周囲に広範囲に展開された水の膜が、凍り付いて放たれた矢を止めていたのだった。
「あれが魔法なのか? それに、あの変化する魔法の木の棒……あれがネミッサの武器か」
あれだけの矢をいとも簡単に空中で防いでみせたという摩訶不思議な光景に目を奪われながら、クライブは呆然とつぶやいた。
「突撃!」
次の指令が飛んでくる。
クライブは周りの兵士たちと同じように剣を抜いて、たった一人の敵に向かって突進していく。
猛った男たちの叫びに、たじろぐネミッサ。
その背後から、突然銀色の獣が飛び出してきた。しかもかなり多い。十や二十ではきかない数だ。
「この獣は……!?」
クライブの記憶が確かならば、どこからか現れ魔族と戦ってくれていた銀色の獣に酷似していた。
銀の獣はネミッサを守るように、クライブたちに襲い掛かってくる。
獣たちに阻まれ、足が止まる。
あちこちで動揺と悲鳴が重なる中、遅れてきた別の隊の兵たちは後方で弓を放った。
上空から降り注がれた矢は、しかし途中で不自然に軌道がそれ、一本もネミッサの体には到達できなかった。
「今度はなんだ!?」
中空にできた風圧の壁が、矢の軌道を逸らしたように見えた。
「『豊穣の導き』……? 風を一点に集中させたの?」
ネミッサも驚いた様子で状況を分析していた。
「あれは!?」
森の中から、少女たちがネミッサを守るように駆けつける。
「ネミッサの仲間か!?」
「どういうことだ!? 矢が途中で曲がったぞ!」
兵たちが口々に叫ぶ。ネミッサを助けに来た彼女ら三人……どの少女も、クライブには見覚えがあった。
「みなさん、来てくれたんですか!?」
間違いようがない。今日だって一緒にいた。
昨日から、ゲッコウオオタケとネトニリキスの実の採取を手伝ってもらっていた、あの少女たちだ。
「ウル殿にチェルト殿にクーファちゃん……どうしてだ。なぜネミッサの側に?」
マスキング・ベールという異国人の男と行動を共にして魔族から町を救ってくれた彼女たちが、ネミッサに味方している。
ここからでは言葉は大して聞こえないが、友人同士のようにねぎらい合っているように見える。
「なぜだ、なぜ彼女らが!?」
銀色の獣を切り伏せながら、クライブは完全に足を止めた。
「稀名の話だと千人以上はいるとかじゃったな」
「このへんにいるのはもっと少ないはずよ」
「それでも全員退けねばならんじゃろ。狙いはネミッサじゃから、見つけたからには全兵力を投じてくるぞ」
クーファとチェルトが公然と話しているのを耳にする。
「せ、千人って、そんなにいるんですか?」
ネミッサは及び腰になって眉を曲げた。
「たった千じゃ。厄介なのはあの騎士くらいじゃ。全然足りん。全然足りんのじゃ。竜の姿になるまでもない」
クーファは、獣たちに苦戦している兵士たちを睨むように見た。
「お茶会を台無しにされて、わしはちょっと機嫌が悪いのじゃ。数で押したいのなら十万は持って来んと張り合いがないのじゃ」
魔法陣のようなものが地面にほのかに光っていることに気付いた。
そこから、銀色の人間の姿をした何かが次々に生まれてくる。
剣と、盾のようなものも持っている、銀色のシルエット。まるで兵士のような姿。
「暴力は同じ種類の暴力で潰すに限るのじゃ」
数は、さっきの獣より多い。
何百――いや、へたをしたらこの戦闘に参加している兵員約千二百名と同じか、それ以上か……。
無数に出現した銀色の兵士たちは、隊列を組んでクライブたちのいる兵の群れへ進軍してくる。
足並みは乱すことなく、銀の兵士はまっすぐ突っ込んでくる。
「今度は兵士が何もないところから出てきた!?」
「怯むな! 進め! ネミッサを倒すチャンスは、今しかない!」
「そうだ! 俺たちの平和を取り戻す!」
「うおおおおっ!」
兵士たちと銀の兵士たちは、すぐに交戦状態に入った。
あちこちで雄たけびと剣戟が響いてくる。
「これが終わったらお茶会の続きをするのじゃ!」
「お供します」
「大事だけど、そこ気にしてる場合?」
クーファの言葉に、ウルとチェルトはそれぞれ返事をする。
「はい! やりましょう!」
一拍おいて、ネミッサも笑顔でうなずいた。
銀色の兵士の剣を受け止めながら、クライブは気が抜けるような会話を聞いて顔をしかめた。
「ユルい……だと!? いや、それより彼女らがここにいるということは、マスキング殿も?」
彼も敵になっているのだろうか。
――いや、そんなはずはない。
見返りもなく命がけで町を守ってくれた彼が、まさかネミッサの側について自分たちと戦おうなどと。
不可解すぎる。
心の中で否定しながら、クライブは銀色の兵士を一刀のもとに切り伏せた。
そんなこと、あってはならない。




