49 ウィズヘーゼル夜戦(1)潜入
クーファたちと別れて、川上方向を目指して進路をとる。
見通しはすこぶる悪いけれど、闇に眼が慣れたのと獣たちが攻撃してこないのとでどうにか前に進めている。
チェルトの加護の存在も大きいだろう。
方向感覚がなんとなくわかる。迷えずに進めそうだ。
月の光だけを頼りに、夜の森を歩く。
空気の澄んだ静かな夜だ。虫の鳴き声が妙に大きく聞こえる。
こういう時に裸足だと便利だ。
素足の時の足音は靴を履いている時より著しく静かなのだ。
そう思うことにする。
そろそろ森の中に潜んでいる歩哨の兵士に出会う。
視界に入らないようにいったん樹木の影に身を隠す。
相手も明かりを消している。茂みを隠れ蓑にじっとしている気配がわかる。
兵士がいるということは、本陣が近くなっている証拠だろう。
直後、笛のような高い音が走り抜けた。
「!」
鏑矢だ。
たぶん、相手側の、会敵を知らせる合図。
やがて遠くのほうから兵士の雄たけびが聞こえてくる。
ネミッサたちのほうは、もう始まったらしい。
にわかに空気がぴりぴりしてくるけれど、このへんはそれでも静かなほうだ。
だけど俺は音に少しびっくりして、一瞬動きを止めてしまった。
「ん? 今何か……動いたか?」
できるだけこそこそと来たつもりだったが、一番近い兵士が気づいてしまった。
まずい。
草を踏む音。兵士が一人、恐る恐る近づいてきている。
木の陰でやりすごすためにじっとして待つ。
心臓が次第に早鐘を打ち始める。
息を殺す。
ほんの少しの時間が存外長く感じられる。
圧倒的に不利な状況下でチキンレースをしているみたいに心臓に悪い。
相手の息遣いさえ聞こえてきそうなほどの接近。
もうじっとしているだけじゃ、やりすごせそうにない。
とっさに俺は小太刀を召喚して、相手に向けて風を吹かせた。
「……おかしいな。気のせいか?」
風で相手の緊張をやわらげて、警戒心を解かせた。
俺が隠れていた樹木のすぐ手前、ギリギリのところで兵士は踵を返して引き返していく。
あ、危なかった……。
「しかし、いちいちこんなことをしてるといずれバレるな……」
こうして潜んで周囲を警戒している兵士が三十名ほどはいる。
すばやく無力化するには数が多く広範囲に散っているし、できるだけ無力化はしたくない。
「真正面から馬鹿正直には無理か……」
森を突破したとしても、兵士たちが守る本陣中枢にどう潜入するか。
力任せにはいけないだろう。
いくつか方法は考えられるけれど、有効な方法は――
「くそ、方法はいくつか思いつくのに、よさそうなのが一つくらいしかない……」
生唾を飲み込んで逡巡する。
主観でよさそうと思えるだけで、うまくいく保証はない。
でもやるしかない。
俺は低姿勢になり、のんきに戻っていく兵士の後を追って行って、すぐ背後を取る。
気配を察した兵士が振り返り――俺と目が合った。
「だ――」
兵士が誰だと叫ぶ前に、俺はイワトガラミで口をふさぐ。
そして素早く小太刀の風を吹かせた。今度の深度はさっきより深めだ。
眠りに落ちて倒れこむ兵士を地面に突っ伏す前に受け止める。
ほかに反応した兵士はいない。
ぐっすり眠る兵士を引きずって、木の陰に隠す。
それから俺は、眠っている兵士の装備をすべて剥いだ。
比較的軽装なその鎧を俺はできるだけ音を立てないようにして身に着けていく。
鉢のような兜を少し目深にかぶれば、顔はある程度ごまかせる。
兵士への変装。夜の暗さも相まって、なんの変哲もない兵士に見える、といいんだけど。
姿勢を低くしてもう少し進んでみるけれど、少し進んだところで変わらない。
同じように潜んでいる兵士の気配があったのだ。
木陰に先ほどと同じように身を隠して、息をひそめる。
俺は小太刀の刃を抜いて、逆手に持ち替える。
……やだなぁ。溜息しか出ないよ。
いや、ここまできたら覚悟を決めろ。
俺だけヘタレてるなんて恰好悪いことできない。
これで戦いが止められるなら、それが俺の戦だ。
足の太ももに刃を向け――俺は勢いよく小太刀を突き刺した。
刃物の冷たい感触と激痛が、同時に脚に走った。
「うああああっ!」
演技ではない、正真正銘のうめき声。
立っていられなくなり、俺はその場に膝をついた。
次に森の奥に向けて突風を吹かせる。
ざざざざっ、と葉のこすれる音がして、何かがこなれた感じで森の奥に逃げていったように演出する。
そして小太刀は証拠になってしまうのですぐに消してしまう。
「どうした!?」
少しの間があったあと、近くにいた兵士が駆けつけてくる。
「『獣の王』だ……奴の連れている獣がいきなり襲ってきて……」
兵士の恰好をしている俺は消え入りそうな声で敵の兵士に告げる。
兵士は膝をついて、血が流れる刺し傷を確認した。
どうやら変装はばれていないらしい。
「ひどい傷じゃないか。ネミッサの使い魔に遭ったのか?」
「ああ……奴は奥地に戻っていった。別動隊が向かっていった方角だ。まずいぞ、思惑がばれている。すぐに本陣に報告させてくれ」
「手を貸そう。とにかく森から出ろ。一緒に報告に行く」
「た、助かる……」
肩を貸してもらいながら、俺は立ち上がった。
しめしめ。
足が超痛いけど、うまくいった。
「平気か?」
「大丈夫……ただ足をやられただけだから」
驚いたことに、少し歩いただけでもう傷が塞がってきている。痛みも引いていく。
これも霊樹の加護のおかげだろう。
それでもまだ治りきらずに、足を引きずりながら歩く。
少し演技を入れないと不自然になりそうだ。
兵たちが守る本陣に、俺と見知らぬ兵士はたどり着いた。
松明の明かりで、そこだけ周囲よりも明るかった。
人の壁で、ガルムさんはまだ見えない。
「えっと、俺から直接報告させてくれ」
「ああ、そうしたほうがいい。さっき体験したことを漏れなく報告しろ。――ソロー様にな」
「え? 誰?」
しまった。
とっさに聞き返してしまった。
「誰って、ウィズヘーゼル私兵団の総長カーティス・ソロー様だろう」
兵士は怪訝そうな顔をして答えた。
「そ、そ、そうだったな。ガ、ガルム様は?」
動揺がかなり前面に出ている。落ち着け俺。
ガルムさんがいないということは、ここが前線基地で、本陣は川の向こうにあるのだろうか?
「ガルム様はネミッサ・アルゴンを討ちに出陣された。そういう手はずだったろう。少し混乱しているな。大丈夫か? 気持ちはわかるが報告はしっかりやってもらうぞ」
「あ、ああ」
しゅ、出陣した!?
い、いや、それより、俺を知っている人がどこにもいないっていうのは、もう説得どころの話じゃないんじゃないか。
もともとこの説得はガルムさんがいることが前提だった。
何の面識もない人に向けてこの戦いは無駄だなんて叫んでも信じてもらえないに決まっている。
本陣には大将であるガルムさんが必ずいるものだと考えていた。そうじゃない場合もあるなんて。
見通しが甘かった。失敗した時のことを考えていなかった。
「顔色が悪いな」
「え? そ、そう?」
「血を流しすぎかもしれん」
「あー、そうかも! きっとそうだ」
孤立無援。しかしもう引き返せない。
……ど、どうしよう?




