42 初給料だが空気は少しずつ静かに張りつめ
帰り道は、獣たちには襲われなかった。
俺たちを敵と認識しなくなったのか、一度も獣には遭わないで戻ることができた。
それどころか小動物たちに案内されながら、迷わずに帰れたのだった。
やっぱり獣どもはあの白狼の影響を受けているのだろうか。
それとも偶然出会わなかったのか?
「マスキング殿! なかなか帰ってこないから心配したぞ!」
森の入り口まで戻った頃には、すでに日が落ちていた。
暗く紫色に染まり始める雲を見ていたガルムさんが、俺たちの姿を認めて相好を崩した。
心配でずっと待っててくれたのかな。
でも裸で待ってることないと思うよ。
「ほう、ゲッコウオオタケまで手に入れてくれたか。いや、助かったよ。非常に助かった」
「ども……ところでガルムさん」
言いかけて、ネミッサのことをどう説明すればいいのか逡巡した。
たぶんガルムさんは、ネミッサが結界を修復していることを知らないだろう。
それをそのまま言うのは軽はずみだろうか。
まず信じないだろうし、俺がネミッサと会ったことが知られてしまっては話がこじれる気がする。
「どうしたんだ、マスキング殿?」
「えっと、その、最近ネミッサとの衝突はないんでしたっけ?」
やや遠回しなジャブから繰り出してみると、ガルムさんは不本意そうにうなずいた。
「ああ、人材も不足しているからな。最近は魔族を追い払うので精一杯で、ネミッサに構っていられるだけの余裕がなかった。だが――」
「?」
安堵したのもつかの間、ガルムさんは俺の肩に手を回し、クーファたちに聞こえないような位置に移動した。
「なんですか? わざわざ皆から離れたりして」
「いや、これは内密にしてもらいたいのだがな」
俺の肩に腕を回したまま、囁くように言うガルムさん。
「その前にガルムさん、筋肉と腕毛が俺の首筋に当たってすこぶる鬱陶しいんですが」
「当ててるんだよ」
「やかましいわ。当てないでください汗臭い」
「こうしないと誰かに聞かれるかもしれん」
ガルムさんは周りを確認しながら、さらに声を潜めて言う。
「近いうち、ネミッサ・アルゴンとその精霊どもや獣について、最後の掃討作戦を行う予定だ」
「!」
「魔族は退治したし、いよいよもう一方の禍根も断つ。今日明日中にとはいかんが、状況が整い次第ネミッサの森に攻め込む」
「それはまた、なんていうか……」
「ネミッサたちと決着をつけるのに、この時期ほど適当な機会はない。もたもたしてたらまた魔族が復活するかもしれん」
「まあ確かにそうかもしれませんが」
「その戦いに、マスキング殿も参加してはくれまいか。どうだ? 報酬は弾むぞ」
ここで勢いに乗って一気に問題をどうにかするつもりか。
ネミッサを倒せれば結界の破壊は止まると信じているから……。
「いえ、すいません、俺は……」
「そうか。まあ無理にとは言わんから大丈夫だ。魔族から町を守ってくれただけでも十分なのだからな。ただ、きみがいてくれれば心強い……そう思っただけだ」
ガルムさんは朗らかに微笑すると、ようやく俺を解放した。
結局ネミッサのことは言うに言えないまま、町への帰還を果たす。
すぐにネミッサのところに戻って知らせてあげたかったけれど、夜は見張りも増えるみたいで直接行くのは難しそうだ。
「とりあえずネミッサさんのところには、ケルピィさんを使いにやりました」
ウルが俺のそばで背伸びしながら耳打ちした。
どうやらあの一体化フェチが危機を知らせに奔走してくれるみたいだ。
俺あいつにすげえ活躍してほしくないけど。
「ありがとう、ウル。ネミッサたちだって何度も兵たちを退けているみたいだから大丈夫だとは思うけど、用心はしていてもらおう」
「はい」
魔族に襲われた昨日の今日で森に攻め込むのも考えにくい。
攻め込むのは少なくとも一、二週間くらいは後だろう。もっと後かもしれないが、あまり間を置くとは考えにくい。
とにかくそれまでに、結界の破壊者を見つけて、すべてを白日の下にさらさなければ。
本人を捕らえるか証拠を見つけてガルムさんに差し出し、説明しながら俺の風で冷静にさせれば納得してくれるはずだ。
勘違いで戦争なんて起こさせない。時間はあまりない。
あたりはすっかり日が沈んで夜になっている。
とにかく今は帰ろう。
報酬は直接渡すことはできないらしいので、一度商会ギルドへと戻り、手続きを済ませる。
この仕事では手に入れた品を提出して査定額を算出してもらい、それがそのまま報酬となる。
固定給ではなく出来高制のため、計算に少し時間がいる。
「やややややっ、マスキング君!」
テーブルに座って待っていると、ゾンビでも見たような顔でこれでもかってほど驚愕しながら寄ってくる変な女の子に出会った。
まあレルミットなんだけど。
「驚きすぎじゃない?」
「生きてたんだね! まさか生きてるなんて!」
俺は鼻高々にしてうなずいた。
「ま、俺にかかればこんなもんですよ。……ゲッコウオオタケ食って死にかけたけど」
「食べたの!? 猛毒とわかってるキノコなんで食べたのかな? マゾかな?」
「違います」
「でも私は大丈夫と思ってたよ、うん」
「めっちゃ驚いてから言う?」
ところでレルミットは狙いすましたかのように現れたけれど、何か打算があって近づいてきたのだろうか。
「あ、もしかして仲介料とか取りに来た?」
「ま、普通は取りたいところだけど、でもいらないよ。命の恩人なんだから、それくらいはね。せっかく生きて帰ってきたんだから、ねぎらいくらいさせてよ。いちおう心配してたんだよ」
「誰じゃこいつ?」
クーファはレルミットを指さして不思議そうにした。
「いやクーファさん、きみ魔族からレルミットを逃がすときちょっといたでしょ。見てない?」
「いた気がするが忘れたのじゃ」
「まあかなり立て込んでいたから無理はないけども」
興味ないことはあまり覚えなさそうだしな、クーファ。
レルミットはまた得意げに敬礼みたいなポーズで自己紹介。
「レルミット・レレミータだよ!」
「妙な名じゃな」
「偽名だよ!」
また速攻でバラしてる……。
なんてしているうちに受付に呼ばれ、報酬を受け取ることになった。
俺の初仕事。
思い返せば感慨深かった。
今までバイトもしてこなかったからね。相当な進歩だと思いたい。
「うおおおっ」
手に入った給料は、しめて三万八千レーギンになる。
「おめでとうございます、ご主人様」
感動している俺を横目に、ウルも珍しく微笑んでくれている。
紙幣はなく、すべて硬貨だった。まったく価値がわからない。
「おーっ、さすがにリターンは大きいね!」
レルミットのリアクションからして、結構いい給料のようだ。
とりあえずメシ代と宿代は抜いて、余った金はみんなで分配かな。
靴屋はもう閉まってそうだし、いろいろ動くのは明日以降のほうがよさそうだ。
「稀名ー、わしの取り分はいくらじゃ?」
考えていると、クーファが嬉しそうに俺の腹に頭突きをくらわせに来た。
「クーファはゼロね」
「なんでじゃ! わしをバカにしとるのか!」
いや、きみクワガタ獲ったり勝手にどっか行ったりしてただけじゃん。
「あと俺マスキングね。……そうだ、レルミットは『魔法師』って知ってる?」
クーファによる怒りのぐりぐりを腹にくらいながら、俺は言った。
「あー、昔は多かった魔法使いの親戚みたいなやつでしょ。今はもういないと思ったけど」
「きみの情報網を使って、この町にいるかもしれない魔法師の情報を探れないかな?」
「んー? いないよー? だって魔法師はすっごく昔に力を失って滅んだはずだよ」
「いるかもしれないだろ」
ウーンとうなりながら首をかしげるレルミット。
「で、もし情報が手に入ったらその情報を俺に売ってほしいんだ」
「ふーん、いるって確信があるのかな? そんな言い方だよね」
「ま、まあ、そのへんは詮索無用ということで……」
「それは情報屋に対しての正式な依頼かな?」
「可能なら頼みます。あとなるべく急ぎで」
「……高いよ?」
「うん、かまわないよ」
レルミットは悪人のように黒く笑って、俺は少し苦笑い。
商談は成立したけど、ぼったくられそうだな。
……がんばってお金貯めよう。




